2005年07月15日(金) |
法句経を読みました・・・ |
(省略)こんにちは。 私は岩波文庫の「ブッダの真理のことば・感興のことば」を読みました。 アタマにはすんなりと入ってきたのですが、ココロに実感が湧くまで時間がかかりました。 多分、それだけ反省が足りないというのか、エゴが強いというのか、 法句経の言葉を借りるのなら、愚かな人だからだと思いました。 ですから、先生にご質問できるレベルの内容は書けないと思います。 まず最初に、先生が仰っていたように、 私も雷に打たれたような衝撃を受けました。 それから、その衝撃の理由や中身をどうしても理解したくて、 何度も読み返しました。 それだけでもわからない部分がかなりあったので、「感興のことば」も読みました。 その結果、感じたのは、自分は傲慢だったということでした。 賢い人だと思っていたのに、実は愚かな人だったということです。 そしてついでに怠け者だということです。 第5章 愚かな人 67:もしもある行為をしたのちに、それを後悔して、顔に涙を流して泣きながら、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善くない。 さらっと読めば当たり前なのですが、 自分にはそれが多すぎるような気がしました。 確かに後悔するようなことをせざるを得ないほど、 心が定まることなく揺らいでいます。 第3章 心 33:心は、動揺し、ざわめき、護り難く、制し難い。英知ある人はこれを直くする。弓矢職人が矢柄を直くするように。 34:水の中の住居から引き出されて陸の上に投げ捨てられた魚のように、この心は、悪魔の支配から逃れようとしてもがきまわる。 35:心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。その心をおさめることは善いことである、心をおさめたならば、安楽をもたらす。 36:心は、極めて見難く、極めて微妙であり、欲するがままにおもむく。英知ある人は心を守れかし。心を守ったならば、安楽をもたらす。 37:心は遠くに行き、独り動き、形体なく、胸の奥の洞窟にひそんでいる。この心を制する人々は、死の束縛から逃れるであろう。 昔から、わかっているのにすべきことに集中できないことが 悩みの種でした。そのうちにしなくてもいいことが やらなければいけないことになり、したくないことをやらされているという不平や不満が絶えないという悪循環に陥っていました。 その一方で、したくないことを頑張った自分を評価し始め、「苦労した」「頑張った」賢者のような自分だと、 どこかで誇りに思っていたのかもしれません。 でも、実は何もしていないことに気がついたのです。 第12章 自己 166:たとい他人にとっていかに大事であろうとも、(自分ではない)他人の目的のために自分のつとめを捨て去ってはならぬ。自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ。 第21章 さまざまなこと 292:なすべきことを、なおざりにし、なすべからざることをなす、遊びたわむれ放逸なる者どもには、汚れが増す。 過去において、自分の時間を削ってもその人の悩みにつきあってきたことを素晴らしいことだと自己評価してきました。 又は、評価されるべきだと思いました。 それで自分自身のためになることを後回しにしたことを 言い訳にしていました。 でも、それは自分のためにも相手のためにもならないことが ようやくわかりました。 確かに自分は今まで何をしてきたんだろうという思いばかりが 残っています。そして、その「思い」に苦しめられています。 この悪循環は、自分の中の悪しき「思い」から 生まれたものだったんですね。 反省しました。 今更なのですが、先生がよく仰る、 「反省と自分を責めることとは違う」という意味が やっと理解できたような気がします。自分を責めて攻撃すると、 罪悪感や自己嫌悪が生じ、 それがまた悩みのスパイラルを生むからなんですね。 でも、反省というのは 「過去は過去。自分に落伍者の烙印を押してそこにとどまるよりも、 前を向いて進むことを選んで、決して同じ過ちを繰り返さない」 ということなのですね。 その過去への思いよりも未来への思いを心に抱くことこそ、 犯した罪自体は消えなくても、 その罪の重さ以上の償却がどこかでできるかもしれないということなのだと思いました。そうでなければ、 この世に人として生まれてくる意味がないのでしょうから。 今回、強く感じたのはこういうことです。 学校の先生に提出するようなレポートみたいで申し訳ありません。 まだまだ法句経については、 言葉というかたちにならないような感想のかけらをたくさん持ちました。 先生がお返事を書く言葉に詰まるような内容で申し訳ありません。 素晴らしい教えの存在を教えていただいて、ありがとうございました。 (全文掲載)
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法句経についてのお便り、拝見いたしました。
貴方も仰っているように・・・ 何かが心の中に残っているのに、 なかなか言葉で表す事は難しいものですね。
けれども、貴方の心の中の宝箱にたくさんの智慧がのこされたはずです。
法句経に書かれている言葉は、どれもがシンプルで・・・ 何も考えなければさらっと読んで終わってしまうでしょう。
貴方のお便りに書かれていた言葉は、 私がメールで何度かお伝えしたとしても 決して伝えられることは出来ない気づきに満ちていました。
私達人間は、愚かです。 しかし、自分が如何に愚かな人間なのか・・・ 何も出来ない人間なのかを認めること、明らかにする事が出来れば、 先を真っ直ぐに見つめる事ができる スタートラインにたつ事が出来ているということでもあります。
「私は如何に愚かだったのか」と過去を省みる事ができる人は 真の意味での ”強さ”を身につけることができる・・・ 六明師がよくお話ししてくださった言葉です。
私もまだまだ精進が足りない人間です。 お互いに頑張っていきましょう・・・ (全文掲載)
杏珠
2005年07月11日(月) |
貴方の見た夢は・・・ |
杏珠先生
お返事ありがとうございました。 とにかく、頑張ってみます。
先日求人広告を見て応募していたのですが、 またもや一次書類選考で不採用でした。 このとおり面接にもたどり着けませんが、それでもくじけずに、 きっとどこかに、「私」という一コマがぴたりとハマる「パズル絵(勤め先)」があると信じて、探していきます。 「焦り」が心の中で強まる時が多々あるので、 自分で自分に「焦らないで行こうね。きっと一番いい時に一番いいところに落ち着けるからね。」と語りかけながら。 やはり、試練の無い成長はないのですね。頑張ります。
そして、兄と甥たちの事、 彼らのために祈って、そして見守る。そうですね。
杏珠先生、このような事、誰かに話して良いのかどうか、と思い、 どうしようか迷ったのですが、 やはり、杏珠先生にお話しさせて頂いてもよいでしょうか。
一か月程前に見た夢についてです。 夢の内容など、人様に話すべきではないのでしょうが、 すみませんが、書かせて下さい。 私の夢の中での創造の産物は、兄との事について私の心の中を象徴的に表すとんでもないストーリーを作り上げたのです。嫌な夢でした。
舞台は着物を着ていた時代の日本。 辻斬りをしているような男。新撰組が着ているような法被に似たものを着ています。これが現在の兄です。 私は女性で、姉(もしくは母)とその子供の男の子が居ます。この姉(または母)が現在の母です。男の子は現在の弟です。 私は、この極悪非道男(現在の兄)に刀で背中を切られ、そして胸を刺されて、傷口が非常に冷たくて痛んでいます。苦しみながら、断末魔の喘ぎのさなか に、「こんな形で人生が終わるのかあ。無念だなあ・・・」と悲しさと淋しさを強く感じていました。 それを見た姉と子供(現在の母と弟)が悲しみで泣き叫んでいました。 死体運びを生業としているちょっと知能の低い男が、荷車に私の屍を投げ載せて、死体が山積みになっている所に運んで行きます。この男は現在の私の父です。・・・以上のような内容でした。
このような夢を作ってみてしまう程、 私の内面は兄との関わりに辛いものを感じていたのでした。 この夢を見た日かその次の日、なんと兄は実際に、 まるで夢の中の私を斬り殺した男のような目で、 うっとうしそうに私を見て、 直ぐに視線をそらしてその場を去っていきました。 もし、あのような目甥達を見 ているとしたら、甥達は、 ますます父親嫌いになって当たり前です。
本当に、杏珠先生がおっしゃる通りですね。 兄自身が気付いてくれなければ、どうにもならない。 私は祈って、見守ることしかもはや出来ません。
それから、法句教の本、読み終えました。 とても良い本でした。私の内面で何かが「ああ、そうか。」と 強く反応しました。 うまく表現出来ないのですが、読む前と読んだ後では、 明らかに心の姿勢が変わったと感じています。 (一部省略・抜粋)
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メールを拝見いたしました。
貴方が見たという夢は・・・ 貴方の心が作り出したものなどではありません。
はっきり申し上げますが、 貴方と貴方のご家族の、前世での出来事の映像なのです。
貴方のようにはっきりと夢で見ることが出来る事は、 あまりというか殆ど無いことなのですが、 これまで祈願と供養を続けてこられたことに対するご褒美なのでしょう。
前世について普段私は細かくお答えする事は一切ありません。 何故なら、前世を知るべきではない時期に知っても、 それを冷静に受け止める事が出来ない方が多いからなのです。
しかし、貴方は前世での『自分』と『家族』のかかわりを見たときに、 今生のそれぞれの人についての業を考え・・・ それについてあきらめる=明らかにすることが出来る状態に 心がなっておられるからこそ、前世を垣間見る事が出来たのです。
前世から今生にかけてのそれぞれの人の抱える傾向や業を、 冷静に見つめ・・・見守ること。
「みんな、それぞれの立場で精一杯生きている」ということを・・・ 貴方にわかってほしいと思います。 (全文掲載)
杏珠
2005年07月07日(木) |
「後悔」しない自分を求めて・・・ |
杏珠先生
ご無沙汰していました。 いつもアドバイスをどうもありがとうございます。 (省略) ご祈祷継続のお願いをしたくて、先程、お布施を振り込みました。 (省略)
近況を報告させて頂いてもよろしいですか。 新しい仕事先を探している事についてです。
私にとって、今まで「後悔」する事が多かったので、 本当に大切なのは、後悔しない自分を育てる事、 これが大きな課題だと思い、 仕事を探すにあたり、この 後悔のタネと対座しようと考えました。 さもないと、後悔は何ら解消される事無く私の中に 脈打ち続けて行きそうだと思ったからです。 つまり、私が以前今学んでおきながらその道に進まなかった芸術的な方向に的を絞って、遅ればせながらの出発をしようとしているのです。 もちろん、実務経験の無い私、年齢的にも非常に厳しい状況です。かれこれ、20件は断られました。面接すらしてもらえない状況です。 でも、あきらめるあきらめないの問題ではなくて、私の心の気がすむまで求職して行こうと思っています。
というのも、イメージしてみたのです。 数年後、十年、20年後、 この道を求めずに他の事(省略)をしている自分が、 今の私を思い返した時、 「あ の時、やはりあの方向で仕事を探しておけば良かった」 「もしもあの時、求めていたら、ぎりぎりでもなんとかその方面に進むチャンスもあったんじゃないか なあ・・・」と、 きっとまた後悔するに違いないと思うのです。 そして、何か私の中で形として外に現す事のできなかった エネルギーのようなものは燻り続けている・・・。
(省略) 結局今も以前のところでアルバイトさせてもらってるのですが、 今の勤め先は、 そんな私でも活動できるポストをわざわざ設けて使ってくれているのです。考えてみれば、無理に仕事を割り当ててもらっているのですから、 お金にならないとか、私なんか必要とされていない、 居てもいなくても同じで責任の無い内容だ、などと 私が勝手に不満を抱いてはいけないのです。 本来ならば、私を使ってくれていることに感謝しなければいけないのです。
私は、本当に感謝の足りない人間だと反省しています。 (省略)この職種にずっとついていく事を考えてみると、答えはノーです。 素晴らしい仕事だとは思いますが、 きっといつかまた後悔する ように思えるのです。 「やっぱり、あの時、クリエイティブな方面の仕事に就けるように 頑張るべきだった・・・」と。
また、これから、1〜2件当たってみます。 (省略)
私の近況は以上ような感じです。
それから、兄のことについて報告させて下さい。 これについては、話せる友人もいないので、 杏珠先生にお話しするだけなので、どうか聞き流して頂けますか。 勝手に打ち明けさせてもらって申し訳ありません。 (省略) 兄がひどく暴れてから、もう1年が経ちます。 あの時「お前は目障りだ、口出しするな」と怒鳴って、 まるで私が兄の家庭内の問題に介入したら、 その分甥達(兄の息子達)をいっそう懲らしめてめちゃめちゃにしてやると言わんばかりに暴れていた事を思い出して、 甥達がとても心配で、何もできずにいます。 この点では、時間が早めに経って、甥達が大人になって自立する日が早く来るといいなあ、と思います。
しんみりとしたムードにさせてしまう事ばかり綴ってしまいました。
ところで、私も、杏珠先生がご紹介下さった法句経の本を取り寄せました。これから読んでみます。
いつも長くなって申し訳ありません。 またメールさせてください。 いつもどうもありがとうございます。 (一部省略・抜粋) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
メールを拝見いたしました。
御自分の人生と向き合おうとしている事・・・ とても素晴らしいことだと思います。
自分自身の足で歩き出さずに、 あれやこれやと嘆いていても何も変わらない・・・ 貴方は大切な事に気が付いたのですね。 自分の納得がいくように頑張りましょう。
仏教用語で「明らかにする」という言葉があるのですが、 これは今貴方のように、 『やれるだけやってみる』 そして、出た結果を全て受け止めるというように私は解釈しています。
どうか、後悔をする事がないように 自分にできる事を精一杯やってみましょう・・・
そして、お兄様の事・・・ 今の状況のようになるのは、視えていた事ですからよく理解が出来ます。 そして貴方が如何に心を痛めているのかもよくわかります。
しかし、お兄様自身で『自分の行い』『考え方』『言動』を深く反省し、 ”何とかしなくては駄目だ”と気が付かない限りは 誰が何を言おうがお兄様を救う事は困難なのです。
少し前の貴方に ”まずは自分が変わる事です”と 何度もお伝えしたと思いますが、 貴方自身が私がお伝えした、その意味を理解しようと 自分で考える事がなかったなら、貴方でさえ今現在のような心境に なっていなかったでしょう。
お兄様についても甥っ子さん達についても、 皆それぞれが一人ひとり違った『業』を持ち、この世に生を受け、 その業の償却をする為に精一杯生きているのです。
業の償却は、誰にも代わる事はできません・・・ 貴方にできるのは、とても苦しい事かもしれませんが 『見守る』ことだけなのです。
お兄様が早く御自分でお気づきに為ることを願って・・・ (全文掲載)
杏珠
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