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2004年10月15日(金) たとえ頑張っても・・(真の貴方からの問いかけを・・)

お返事ありがとうございます。
お金に関しては、もっと早く外でも働くべきでしたが、
なんとかなるのではないかという甘い考えでグズグズしてしまい、
こうなりました。
恋愛に関しては、元々状況はむずかしいです。
あの手この手ともがいて、
自分からもっと状況を悪化させたこともあります。
今の私の不安は、
たとえ頑張っても何も変わらなかったらどうしようというのもあります。
     (全文掲載)

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貴方からのお返事、拝見致しました。
「たとえ、頑張っても何も変わらないのではないか・・」
貴方のお気持ち、貴方の不安が、
どこにあるのかを貴方自身で明確にする事ができましたね。

さぁ、今度は真の貴方から、表面の貴方への問いかけです。
「本当に、頑張ったのか・・?」
「全力で、生きてきたのか・・?」
これまでの過去の貴方の言動を振り返り、ご自身で答えを視つけるのです。

現在、貴方は御祈祷をされていません。
この問いかけは、
貴方自身にとって、とてもつらい作業となるでしょう。
貴方は、それを乗り越えなければなりません。
乗り越えることができない場合は、
又、同じように、
貴方が仰るマイナス思考が貴方にやってきます。
又、ご連絡下さい。

   
         −AYA−



2004年10月14日(木) またマイナス思考になりそう・・(原因を知る事を・・)

前向きになったつもりなのですが、邪魔をする「魔」なのでしょうか?
またマイナス思考になりそうです。
好きな人とのことは本当に動くのだろうか?
このまま生きていて、本当に幸せになれるのだろうか?
私は苦しみから逃れられないのではないだろうか?など。
外で働き出しても急には金運も安定せず、
来月のお金の不安からもきているのだろうとは思いますが。
恋愛と金運に苦しめられたまま、人生が終わるのではないかという不安。
弱気ですいません。
なんとかまた前向きになりたいとは思うのですが。
   (全文掲載)

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貴方からのご連絡、拝見致しました。
マイナスな言葉が浮かび悲観的に考えてしまう・・との事。
マイナス思考、プラス思考・・という考え方をユタの私は嫌います。

全てには、意味がある・・
物事には相反する二つの側面がある・・と、発しています。

貴方の心に浮かぶ言葉には、意味があります。
それは、何でしょうか?
何故、貴方はその状況に陥ったのでしょうか?

原因を知る事ができなければ、
たとえ、一時的に気分を変える事ができたとしても、
又、すぐに同じ状況、悩みを生みます。
私が答える事はすごく簡単な事です。
ただ、それでは何の意味もありません。

まず、
一度ご自分でしっかりとお考えになり、ご連絡下さい。
深呼吸をして、心を冷静に落ち着け、お考え下さい。
それから、お話しましょう。


          −AYA−



2004年10月13日(水) 一つの答えを・・・(貴方の次の段階は・・)

AYA先生 こんばんは。本当に何度もすみません。

今、とても陣痛みたいなことをやってて、何かが生まれそうなんです。
本当の私の心でしょうか。 自分で生み出せそうなんです。
だからもうちょっとおつきあいいただいてよろしいでしょうか?
無理に読まなくて構いませんから、お返事は構いませんから、
ちょっと、まだひとりだと難しいところがあって
ちょっとずつAYA先生にメールを書くことで自分を確認させてください。

今やっと自問自答して出てきたことです。

ここ最近、常識と道徳について考え出して、わかったことです。

常識はそれぞれの時代によって反映される社会の具体的概念であり、
道徳はその元となる普遍的抽象的原理である。
これは自分で勝手にその意味合いから見出したことです。
たぶんそうだと思います。間違ってたら教えてください。

今、時代は資本主義社会に変わってその偏りによって
最後の大きな膿が出てきたときであって、
新しい変貌が必要な時期にやってきていますよね?
これまでの常識が変わるとき、つまり
人の心がそれまでの常識ではやりきれないところまできている。
だけど、社会から取り残される不安から、
心の悲鳴にも関わらず、どうしてもそれに踏み切れない。
道徳の本当の意味がわからなくて、
常識に縛られているからこうなっている。
常識がまだ変わらないから、自分も変われない。
だけど本当は、人ひとりひとりが変わらないと常識は変わらない。
膿を吐き続ける時代は変わることができない。ですよね?

それで、私の問題に入ります。

私が自分で自分のホストの心がわからないときは、
どうも苦しくなっているときは、どうも焦ってしまうときは、
知らずして人の思いに集中してしまっているから?
目の前にいない人までも、話の続きを勝手に予測して
一人歩きして思いやってしまうから?
そうやって知らずに人に心を奪われているから?
誰かの思いが私にのりうつっているから?
イタコしたままだから?
いや、私が誰かの思いにのっかっているから?
人のその時の人格のまま、自分がとどまっているから?

「人の期待に応えようとしてしまうこと」
「人の真の望みを引き出すために吐き出すこと」

似ているようで違いますね。
前者は私が勝手に人を解釈してしまっている。
後者は私が人の具体的を実際の私に落として抽象を見つけ出し、
さらにそこから自分にとっての具体的事柄を出している作業。
それを吐くことによって、人は、
何か自分に必要だった抽象を思い出し、新しい具体なりを探す。
どうでしょうか?間違ってませんか?

それでもって、私の持つ「罪悪感」の話です。

私の罪悪感は、全て
人の思いからやってきている。
社会常識からやってきている。
母の思い、期待からやってきている。
誰よりも身近に大切な母ほど、
その母の痛切な苦しみの上に成り立っている期待ほど、
それに背いてしまう自分に大きく苦しんでいる。

常識は具体的である。
母の思いは、本当は抽象的なんだけど
私にかけるのは常識に沿って具体的である。
AYA先生が私に願ってくれる思いは、常に抽象的である。
「幸せになりますように」

苦しいのは、罪悪感なのは、
今の常識の具体的が、その同じ根本から発生する
私の魂の具体的に反しているからである。

人の思い、期待が苦痛なのは、疲れるのは、
それが常識に沿った具体的だからというよりも、
自分が自分をあまりにもおかしく感じて
人に違和感を与えないようにと
常識に沿って自分を繕って見せているから
人はそのように私を見ているだけじゃないだろうか?

自分がおかしすぎると思うからこそ、
人に違和感を与えないように自分に嘘をつき、
それでも、自分に嘘をつくからこそ、
人に嘘をつくことになり、誤解を招き、
こんなに苦しむのではないだろうか?

ああ、もしかして、やっと、彼女と心が合わさってきた。

小さい頃、小さい頃、ずっと小さい頃、
私は概念にやられてどんどん変化しているから、
一貫性がなくて、
その前の、前の、前のと思い出していかないと、全部思い出さないと。

いちばんはじめの私、 おそらく、人見知りの頃です。
とっても恥ずかしがり屋で、恥ずかしがることさえも
恥ずかしかったように思います。

ひとつ覚えていること、何かに感動したんだと思います。
「あんたでも感動することがあるのねえ」と
母に言われ、恥ずかしかったから、また隠すようになったと思います。

それ以来、感動することがなくなりました。
なんか、我慢していたと思います。
「くだらない」と覚めた目で見てたようにも思います。
「ふーん。」って、それを眺めていたようにも思います。

人前で歌ったり、踊ったりすることが恥ずかしくて、
決まったそれをやらされるのが人形みたいで恥ずかしくて、
だけど本当は自分の中では大好きだったと思います。
ひとりの部屋で、誰にも見られないように
自分の好きなように歌い、自分の好きなように踊ったり、
とにかく、やらされることが嫌いだったと思います。

そういえば、小さい頃は親から、あんたは本当にマイペースで。
ちっとも言うこと聞かないで自分のレールを勝手に敷いてと
困ったように言われてたかもしれません。

そうだった。私はちゃんとマイペースだったかもしれない。
平然としているようで、おかしいみたいで心苦しかったです。

いつからか、友達で変わりました。
ずっとみんなの妹役だったから、みんなが私の面倒を見たがったから、
別に甘えたくもないときでも頼ってあげてたように思います。
臆病なところもありましたが、
自分で勝手に必要ないと決めたのは
わざと何にもできないままにしておいて、
自分で自転車に乗ろうとしなかったかもしれません。
素直に感動する人をうらやましくて、自分で努力して
感動することを人前に出せるようになったと思います。
引っ込み思案だといじめられたので、
相手もそうだったりすると、何の歩みよりもないので
自分から心を開くようになりました。
カラオケがはやって、人前で何とか歌えるようになりました。
でもこれは、人前に出すことは自分に自然にやったのではなく、
人に合わせて、嫌われないようにやったことなので、
自分に無理が生じていると思います。
だから、わざとバカみたいになったり、
ずっとカラ元気にしていたら、「悩みがない人はいいよね。」と
イヤミみたいなことを言われたので、それからは
わざと悩みを見せたりして、とにかく、わざとなのです。
わざとなんだけど、だんだんわざとじゃなくなってきて
自然に自分に組み込まれるようになって、
これによって生み出されたのが、躁の私なのでしょうか。

人の思いを望みを見るほど躁が激しいからこそ、その反動の鬱がある。
外でガーっと無意識に無理して盛り上がってくるから、
だから家に帰ると、どっと疲れる。
人に構ってばかりで家でひとりの時間がないと、体力が持たない。
どんどんエネルギーがなくなって、とにかく疲れる、何もできなくなる。
やりきれなくなる。
人のせいにできないので自分のせいにする。
でも本当は、心の底で、人のせいにしている。
毎日毎日小さな鬱の積み重ねで、慣れっ子になっているので
とてつもなく巨大にならないとわからない。
気がついたときには、「消えてなくなりたい」って泣いている。

いつから私は「弱い子」になったんでしょうか?
ただ、体が小さかっただけのように思います。
とにかくやらされることが嫌いで、疲れてたかも。
本当に疲労感の強い子だったんですよ。
今も続く不定愁訴ってやつでよね。
てことは、ストレスだったんでしょうね。
本当に昔から寝てばっかりで、
中学校あたりから、とにかく部活サボって
家で寝てばっかりだったと思います。
疲れて疲れて、いっぱい寝ないとダメだったんです。
なんか寝るのが好きだったんです。
周りの刺激に合わせるのに疲れてたんでしょうかね。

やらされることは疲れたけど、
自分でやりたいことは勝手に見つけて、絵を描いたり何か作ったり、
猛烈な集中力で無我夢中だったと思います。
今だってごはん食べなくたって平気なんですから。
(いえ、決していいことでないことは知ってます)

私、やっぱり作ったり考えたりすることが好きだったんでしょうね。
何で生きているのかって、生きることって何かって、
私っていう概念はいったい何なんだろうって
考え出したのは2、3歳の頃でしょうか。
その頃も、自分の中を掘って掘って掘りまくって
際限なく考えてたんですけれども、
親が何か苦しそうに見ていたように思いますが、
別に私、苦しんでなかったように思います。
答えが見つけたくってがんばって考えていましたけど、
考えなくちゃいけないなんて思ってなかったし、
考えたかったから勝手に考えてたし、
それは今も、今AYA先生に書いている言葉もそうですよね?
どうしても自分で答えが見つけられなくて
親に聞いたからよくなかったのでしょうか?
親にもわからなかったから、困ったのでしょうか?

私、本当は、こういうこと考えるの楽しんでいるのではないでしょうか?
一心不乱に無我夢中で、すごい集中力なんでしょうけど、
嫌だなんて、「何やってるんだろう?」だなんて、思いもしません。
さっきメールに書いたみたいに、
人の尺度に合わせて「楽しい」ってなってるのが
自分にとっての楽しい概念になってるみたいで、
自分で本当に楽しいってなってることは、
そのときは自分ではわかんないんですよ。
ただ、結果が出た最後に、「はあ、満足〜。」って感じです。
それでもって、
さらに何か改良点が見つかって、掘って掘って極めて。みたいな。
1個のことに納得するまですごい時間をかけるんですよね。
どこまでもどこから見ても「丸い」みたいな。
完璧主義だからなんですけど。
それがまんまるにできると、本当に気持ちいいんです。

もしかしたらそれが、人のことになっちゃだめなんでしょうね。

人を気にしちゃうから、思いっきりできない。
思いっきりどこまでも長くできない。

それで、人の期待と常識をはずした自分を考える方法として、
ちょっと、質疑応答の形式にしてノートに書いてみてたんですよ。

Q.子供の頃、学校が終わると何をしていましたか?

※うちは共働きなので親はしばらくいません。
 幼少は保育園で、小学校2年生までは学童保育にいました。

A.
 ・兄とテレビを見る、ファミコンをする。(兄が上手だったので観覧)
 ・漫画を読む
 ・寝る
 ・妄想みたいなのにふける(白昼夢みたいでした)
 ・ピアノの練習
 ・何か創作、絵を描く、紙で入れ物を作る、手芸する、部屋づくり
 ・お店で買い物、文房具とか、サンリオショップとか、
  →自分の持ち物をそろえる、コーディネイトする用
  →趣味のコレクション用(消しゴムとか折紙とか)


Q.得意な教科は何でしたか?

A.算数、漢字
  家庭科、図工は、自由時間で周りに人がいると集中できないため、
  なかなか作品ができあがりませんでしたが、
  家に持ち帰るなどして自分のやりたいものとして
  一旦制作に集中し始めるとけっこういいもの作ったようで、
  みんなにほめられました。


Q.大人になったら社会で働いて収入を得ることが常識でなかったら
  社会貢献なんていう言葉がなかったら何をしたいですか?
  ずっと子どものままだったら、今何をしたいですか?

A.おうちを作りたい。
  いいもの、好きなものをとことん探して、なければほしいものを作って、
  自分の快適なおうちを作りたい。
  使いやすいように、生活に合わせて、どんどん工夫したい。


Q.もっとモノがあふれず適度に整理されている部屋だったら?

A.集めたコレクションをきれいに種類別にファイリングしたい。
  これまで写真に取ったきれいなものも整理したい。
  そういう資料を増やしたい。


最後のふたつ。 やっぱりこれでいいんですよ。
これでいいんですね。
ずっとずっとこれがやりたかったんだもの。
好きだったんだもの。
理由なんてなく、ちっちゃい頃からやり続けてたんだもの。
全然ひとりで大丈夫なんですよ。私。
ひとりがいいんですよ。
誰にも気兼ねなく、思いっきりやりたいんだもの。
完璧主義の神経質の潔癖のこだわりで
深く細かくいいものを追求したいんだもの。
そこに人の力なんてお手本なんて必要ないんだもの。
自分のアンテナにひっかかった誰かのそれを
自分で勝手に参考すべきところを探して
全部自分で好きなようにやりたいんだもの。
ありったけの時間を、自分のそれに使いたいんだもの。

自信がないから、人が恋しくなるのでしょうか?
親に否定されたから人恋しいのでしょうか?
恋しくて人の思いを勘ぐってしまうのでしょうか?
人に合わせて自分を組み込んであげたくなっちゃうのでしょうか?

はあ、難しいですね。 今の時代は、本当、難しいですね。
なんてこんがらがっているんでしょうか。
私の心みたいです。

ああ、今日の作業はこれで終わりにします。
少しは安心の思いで寝れそうです。
このやりたいことを自分勝手にあれこれ楽しく考えながら
眠りにつこうかと思います。
何度もおつきあいいただいて本当にすみません。
ありがとうございます。
それでは。
  (全文掲載)

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貴方からのご報告、拝見致しました。
貴方が、貴方なりの、納得する答えを出す事を
ただ、ただ、
貴方を思い、貴方の幸せを願い、祈っていました。
ユタの私は、貴方へ逢う為の準備をしていたようです。

人は、書く事によって
思考という考え、感情と言う気持ちを明確に整理します。
思考である理性は、脳神経学で言えば、後頭葉の部分です。
気持ちである感情は、前頭葉です。
書く事で明確にそれを分析できます。
大変な作業でしたね。
それを終えた今の貴方が、
安らかな、穏やかな、眠りの中にいる事を切に願います。

今の貴方は、御祈祷の3クール目に来ています。
貴方が、以前仰っていたように、
これまで過ごした御祈祷の期間内で得た事、
善き流れで掴んだ事を今後に生かすための時なのです。

貴方の心に浮かんだ四文字熟語は「森羅万象」でした。
時代や国に左右されず、森羅万象に普遍であるもの・・
それは、
私の中では太陽が昇り、太陽が沈む・・という流れと、
お釈迦様からの教え・・それだけなのです。
仏教の歴史は、他の宗教よりも古く、紀元前からある・・
なのに、時代がどんなに移り変わり、
全ての常識や道徳が変わっても、
国や人が変わっても、
残された教え(仏教聖典)だけは普遍で変化しないのです。
今の貴方は、それを求めているのではないでしょうか。

幼い頃からの貴方・・
貴方はいつでも無理をしてきた・・私はそう感じています。
苦しい時も、楽しい時も、悩める時も、甘える時も・・
いつでも、貴方は、
己の心の望みよりも、人の望みを優先して生きてきた・・
貴方の持つ共感能力の高さがそこに拍車をかけた・・
私は、貴方をそう感じています。

一番最初に頂いた六明師からの貴方へのお言葉・・
貴方がどうするべきかが書いてあるはずです。

貴方が最後に出した答え・・そうです。
単純明快に、好きか嫌いか・・何がやりたいか・・
貴方が無理をする時代は終わったのです。
環境を含め、幸せな貴方の先の未来を創造するのです。
貴方が考えた幸せは、必ず実現への道を歩みます。
御祈祷中は、それが最も可能な時なのです。
遠い将来に、
今の貴方が創造した事を結果として、必ず受け取ります。
    「思考が未来を創る」
現代哲学の世界では、この考えが主流です。
私もその通りだと考えています。

さぁ、深く掘り下げるのは、もう終わりです。
次の段階は、深く創造する・・です。
これから迎える将来に対し、
何がしたいのか・・具体的に、固めていく、
その期間に来ているのではないでしょうか。
又、いつでも、
貴方が書きたい時、心を整理したい時は、ご連絡下さい。

貴方の素の心を
表面の私にみせて頂ける事に、私は深い感動を覚えます。
私は、変わらず、
貴方の真の幸せをただ、ただ、願い、祈って止みません。
貴方をいつでもお待ちしています。


          −AYAー


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