| 2004年08月11日(水) |
戦争の話題を掘り起こすのが大嫌い・・(否定も肯定も・・) |
AYA先生のサイトでも、戦争の話題となっておりますが、 私は、戦争の話題を掘り起こすのが大嫌いなのです。 (省略) だけど、本当に大嫌いなのは、 巷で大人気の戦争映画。戦争ドラマ。 年々そのリアルな描写にエスカレートしていくそれに吐き気がします。
去年の12月に、友人と戦争映画を久々に見てしまって、 自分でこんな日記を書いたことがありました。
------------------------------------------ 近頃の戦争・紛争映画はますます描写が残酷すぎる。 ここまでするのは、ジェットコースターのような発想の 刺激を与えるエンターテイメントなのか、 教訓のために見てもらわなければならないものなのか、 よくわからない。 前者だったら嘆かわしいことだと思うし、 後者だったら、そこまでしないとわからないものなのか、 やはり嘆かわしい。
過去に起きた過ちを教訓として伝えていくのは悪くないと思う。 でもそのためにあんなひどい発想の虐殺をリアルな映像で見て、 人間に絶望を感じてしまうのはどうだろう? もしこれを見た人が逆にそれを参考にして 新たな犯罪を起こしてしまう可能性はないのだろうか? 同じ過ちを繰り返さないためには、こんな方法でなくても、 もっと他のいい方法があるはずだと思う。 すべては人間の道徳心にかかっているのだから。 戦争映画なんかわざわざ作らなくても、 演じる人がわざわざそんな辛い思いをして役に入ろうとしなくても、 今現在も世界のどこかで戦争は絶えず起こっている。 その現実を見つめれば十分なんじゃないだろうか。 戦争映画なんて平和で豊かな国だから売り物にできるのだ。
「こわいもの見たさ」をそそるエンターテイメントは、 高見の見物のような、実際にそういう状況に置かれて 死ぬか生きるかしている人たちに失礼のような気がする。 「教訓」なんていうのは作り手のエゴであり、 きれいごとのような気がする。
この映画も、シンドラーのリストも、プライベートライアンも、 もう二度と見たくない。 こんなもの見てつらい思いをしなくても、 私は戦争なんて起こしたいなんて思わない。 平和な国に運良く生まれたからこそ、 その恵まれた境遇をありがたく幸せにまっとうに、 人に同情するのではなく、 たとえ小さくても身の回りに幸せを与えようと生きることが つらい境遇に置かれてる人たちへの礼儀なんじゃないかと思いました。 ------------------------------------------
まだAYA先生と出会う前のことです。 今回、思い起こして読み返してみると、 私も過去の自分に教えられるときがあります。
さてその時、こういう話をしたところ、驚きながら 「そこまで考えたこと、感じたことはない」 と言う人がいました。 (省略) 真に「共に」幸せに歩んでいくには、 そういうリレーの受け渡しが必要だったりして、 AYA先生も、今の私と照らし合わせた過去のAYA先生だけではなく、 今のAYA先生ご自身のお気持ちの変動も、 私に与えてくださったならと、いつも思うのです。 AYA先生の意志があってこそのお話ですが。 困らせてしまったら、ごめんなさい。 こんなこと書いてしまうのも、難しい時期だからなのでしょうか・・・。
貴方へのお返事、 大変に遅くなり誠に申し訳ありませんでした。 貴方からのご質問・・ 表面の私の考え、思い・・それを聴きたい・・との事。 実は、日記を移転してから、 私個人に対するご質問が多く寄せられています。 はっきり、申し上げますが、 これには、お答えする事ができません。 何故なら、貴方に個人的な事をお話する事は、 全ての人にお話しなけらばならない事になるからです。 私は、どの相談者の方に対しても公平でありたいのです。 又、これについては日記にて近い時期でお話致しますね。
それから、戦争についての貴方のお考え・・ 私には、否定も肯定もできません。 ただ、貴方へのお答えとして、 相談者の方からのお返事をこれよりご紹介致します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 私は戦争の話がとても苦手でした。 家には『はだしのゲン』の漫画が全巻揃っていたにも関わらず 一巻の数ページまでしか読めませんでした。 映画を観にも行きましたが、最初の数分が限度で、それ以降は ずっと目を伏せていました。 広島の資料館では、呼吸が苦しくなり、長い時間いられません でした。 怖くて心臓が痛くどきどきして、いたたまれなかったのです。 戦争の話を聞くのはとても憂鬱でした。 出来るならば避けて通りたい道でした。 人間として本当にお恥ずかしいのですが 旅行をする際も、戦争関連のところへは行きたくない と言ったこともあります。
そんな私が今は、むさぼるようにして本を読み、テレビをじっ と観ています。 止め処なく溢れる涙を拭い切れないまま、文章を追い、画面を 観ています。 知る義務がある、と。 こと細かな足跡まで知らないと、いえ、小さな足跡こそ見逃し てはいけない、 知られていない事実こそ目を向けないと、 そんな気持ちでいっぱいです。
私をそこまで知ろうとさせたきっかけ。 沖縄への旅でした。 小さな離島での宿にて そこのおじいさんが様々なことを 静かにぽつぽつと語ってくれました。 戦争のことは一切口にしませんでしたが おじいさんの口から度々出てくる言葉に 大きな衝撃を受けたのです。 その言葉とは、 『大和の人間』です。
こう表現するには何か大きな意味があるのではないか。 それからです、私が変わったのは。 差別、そして虐殺、、、。
日記に載せられていた、相談者の方のお言葉の 『心の中で小さな戦争をしていた』には どきっとしました。 それ私だ、と思ったからです。 彼女のおっしゃることが、とてもとても痛いほどに分かります 。 それは私そのものですし、そんな自分に腹をたて、疲れ果てて いました。 彼女の言葉をお借りして、私も誓います。 公平で平和な心を育てていきます。
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貴方はこの方の文章から何を感じますか? 私も、戦争に関する話や悲惨なニュースを視るのは、 とても嫌いです。 貴方やこの方と全く同じ気持ちです。 視たくない、聴きたくない・・常にその気持ちできました。
今の時期は、難しい時から少しずつ離れ、 貴方ご自身も安定する時へと移り変わってきています。 ゆっくりと、結論を急ぐ事無く歩みましょう。
私は、 いつでも貴方が貴方らしくある為に、全力を尽くします。 いつでも貴方は、私の大切な方だからです。
−AYA−
| 2004年08月10日(火) |
御念珠がなくなlりました・・・(何を教えて頂いているのでしょうか・・?) |
大変です!念球を左胸のポケットに入れておいたら、 いつの間にかないのです。 かなり疲れていたんだろうなとは思うので、いやになって消えたのでしょうか? もう3回めを買う余裕はとてもないです。 でも不思議とそんなにショックではないのですね。 紛失しなくても、そろそろ限界だろうなと思ってたので。 6月に買ったばかりで、2ヶ月しか持ちませんでしたが。 前回にダメになったときの方がショックでしたね。 今は他のパワーストーンを身につけてがんばるしかないです。
貴方からのご報告、拝見致しました。 やはり、御念珠がなくなりましたか・・ 貴方は、私がお答えする事は、とても簡単です。 貴方がその学びを真に受け止める事ができなければ それは、何度でも繰り返されます。 それから、身代わり念珠の代わりに、 パワーストーンを身に着けているとの事・・。 一度、過去の日記 「物に宿る念」と「御炊き上げに関して」をお読み下さい。
貴方の人生です。 貴方の今の考え、今のお気持ちで、未来は創られます。 私にはどうする事もできません。 たとえ、貴方の守護霊がどんなに貴方を助けたくても、 貴方が真に学びを受け取る事ができなければ、 貴方に気づきを与える事は不可能です。 何度も言いますが、貴方の人生です。 貴方がご自分でお考え下さい。 誠に申し訳ありませんが、今の貴方に、 私から、申し上げる事は何一つ残されていません。 貴方がその教えを真に受け取る事ができますように、 心から祈ります。
−AYA−
| 2004年08月09日(月) |
呼吸法と自律訓練法をやって・・・(貴方は、しっかりと感じることが) |
こんにちは。引き続きで失礼します。 思ったよりも早くにAYA先生にご報告したいことができました。 昨日くださったAYA先生のアドバイス。 早速昨日から試してみました。 呼吸法と自律訓練法のみをただひたすらすることにしました。
吐く・止める・吸う・止める・吐く・・・。というリズムは なんだか身体の中で血液の波が寄せて返しているようです。 吸う時に血が引き返すのと、新しい空気で内臓がいっぱいにふくらみ、 一度止めて、内臓内でまたきれいな血を作る 吐く時にその血を末端まで深くゆっくり流して、古いものを息で吐き出す。 最後まで絞るように吐き出して、少し止めてまた吸って・・・。 その一つ一つの過程を自分の体内がそうやって 新陳代謝を作っているんだと感じながらやっていたら、 それはまるで、日々の生活を営む 私たち人間そのもののように思えてきました。
一つの呼吸は、私の1日の生活と同じく 体内で営む細胞の1日のようです。
吐き出すときは朝、外に向かって動き出すエネルギー。 末端まで行き届いてエネルギーを使い果たして、 内臓という家に帰るのが吸う作業。 そこで止めるのが夜寝ている間。 そこで新しいエネルギーを作ってまた朝になって吐き出す。
ああ、健康って、健全って、こういうことですね。 このひとつひとつがどれだけ丁寧にできるかっていうことですね。 呼吸一つ丁寧にすることで、全て同じ原理の動きで 外側へ、外側へとつながっていく。
自分の心を「無」にして、ただその呼吸、 体内の動きに意識を傾けると、 確かに私は生きていて、生かしていて、生かされていて、 何と言うのでしょうか、 こないだよりも、もっと深い 宇宙へのつながりを感じることができました。 そうやって体の内側の動きを感じながら 呼吸を繰り返していたら、 顔が勝手に笑顔になりながら、繰り返すようになって、 だんだんと何ともいえない幸せがこみ上げてきました。
無事に呼吸できる幸せ。 ただ呼吸していることが、非常にすごい幸せなんだなあと、 これだけで、こんなに大きな幸せが感じ取れるんだなあと、 自分に当たり前であればあるほど、 そこに大きく深い尊い幸せが隠れているんだなあと、 ああ、私はまた、 こんなに些細で、とても大きなことに気がついた。
感じ取った幸せは、大きな感謝になりました。 その幸せを知れたのが、ありがたくって、ありがたくって、 いつも感謝のお祈りをしている 神様、仏様、ご先祖様、守護霊様、 ご祈祷くださる六明師様と、AYA先生と、家族とまわりの人と、 そして何よりも、 今その作業を営んでいる自分の体に、 今それのすべてを感じ取っている自分の心、 今あるそいういう環境を作った自分の魂に、 毎日のお祈りの感謝よりも、もっともっと深い深い、 2ヶ月前よりも、もっと深い深い感謝を、 「ありがとうございます」と、泣きながら感謝することができました。
ここずっと、したくてもできなかった心からの深い感謝を したいと思っていた以上に深く感じることができて、 感謝の渦になりました。 AYA先生、本当にどうもありがとうございました。 そして、いつもいつも、どうもありがとうございます。
貴方からのお返事、拝見致しました。 貴方が感じた、貴方の心の流れ・・ 表面の私は、 それを呼吸という一つの当たり前の作業から・・ 受け取って欲しかったのです。
貴方は、しっかりと感じることができたのですね。 これからの貴方の目標は、毎日の生活の中で、 自分の弱い部分を認めた上で、自分に合ったペースを学ぶ。 それが、否定ではなく受容に繋がっていきます。
貴方は、 表面の私に対し、親しみがもてる・・と仰ってくれました。 本当に、嬉しかったです。 貴方と表面の私は、共に、 真に生きる・・真摯に、純粋に、生きる・・ それを目標としている所がよく似ているのだと思います。 ただ、 これには大きな危険もあります。 物事は常に相反する側面を持つ・・この言葉の通り。 哲学病・・という言葉、お聴きになられた事はないですか? 貴方や表面の私は、常に哲学病・・という、 精神的な病に侵される危険性を持っています。 哲学病に罹ると、殆どの場合、重度のうつ状態に入ります。 表面の私は、何度もその経験を致しました。 (省略) 貴方は、もっともっと輝ける方です。 必ず、 今回の学びは貴方の幸となって、貴方の元に帰ってきます。 一つ、一つを乗り越え、 貴方の大きな自信へと繋げて、生くのです。
実は、ユタの私は貴方の今回の苦しみに対し、 「苦も又、幸なり・・」との言葉を送っていました。 真剣に悩む事ができる・・ 真に生きる、について考える・・ 本当は、とても幸せな事・・・
貴方からのご報告を又楽しみにお待ちしています。 又、ご連絡下さい。
−AYA−
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