今日のおたけび または つぶやき

2014年08月30日(土)  アクションも凄いが剣心の言葉もステキ



高校生くらいまでの皆さんは夏休み最後の週末ですね。

学校始まってしまうぅぅぅという気の重さは痛いほどわかりますが、

夏休みがやっと終わるぅぅぅと、心底ホッとしている人もいるのだよ。

立場が変わると何もかもが変わる。生生流転。(大げさだわ。るろ剣の影響まるわかり)

月曜日から朝の電車も混むよなぁ。どちらさまも負けるなー!




二回目の「京都大火編」も面白かったです。

疾走感とスケールの大きさを楽しんでいるうちに、あっという間の139分。

初見でも思いましたが、宗次郎と操と剣心の足の速さったらないよね。

屋根の上とか、太鼓橋の下り坂とか、そのうえ人がごろごろ転がってる場所とか、

危なすぎる場所で走る走る。




剣心はまだ、全力疾走にふさわしいキリっとした表情で走るけど、

宗次郎なんて全力疾走なのに表情には必死さのカケラもないし。




「王様のブランチ」で、たけるんがおっしゃってました。

殺陣よりも全力疾走の場面の方が、実は大変だったかもしれないと。

足元は袴だから、踏んづけちゃって顔から地面に突っ込んじゃうことも多かったそう。

(操だけは忍び装束で足元スッキリだけど。)

だから、走るシーンをほめてもらえるとすごく嬉しいのですって。




心に残るのはアクションばかりでなく、やはり剣心の言葉も。

兄と両親を志々雄一派に殺された少年への言葉と、

張に誘拐された赤ちゃんのことを語る剣心の言葉が、とてもとても心に残っています。




少年には、

「(志々雄一派のような)暴力で人を支配するような男になるな。

 (志々雄一派をおそれて言いなりになった村人たちのような)暴力におびえて

 何もできないような男になるな。

 最後まで村人や少年のことを思い守ろうとした、(少年の)兄上のような男になれ」。




少年は、村人たちから仇討を無理強いされて、

剣心によって一網打尽にされた志々雄一派を刺し殺そうとしていたのだけど、

それをさせなかった剣心。短刀を握りしめた少年の手を抑え、

「死んだ者たちが望むのは生きている者たちの幸福だけ。この小さな手も時がたてば大きくなる。

その時に、」こういう男になれ、という前述の言葉が続くのです。




こんなに若い剣心が(と言っても29歳設定なのね?)、子供たちを

「望みを託すべき貴重な次世代」として、守り育もうと強く思っていることが、

「この小さな手」といつくしむように言う様子からすごくよく伝わってきます。

自分の小さい手は汚しに汚してきた剣心だからこその決意ですよね、

「この小さい手は汚させない」というのは。




それは誘拐された青空の赤ちゃんへの想いにも。

張が「たかがひとりの赤ん坊のためになぜ命を賭ける?」と問うたときに剣心は

「動乱の時代を知らない赤ん坊は平和な時代の申し子。お前にとってはただの赤ん坊でも、

自分にとってはかけがえのない希望なのだ」と。




こういう言葉から、贖罪以上の想いを剣心がずっと持ち続けていると感じることができます。

抜刀斎時代だって、私利私欲ではなく、「新しい時代のため」と信じていたのだろうし。




ところで本日8月30日のるろ剣公式サイトの「日めくり剣心」は、

煉獄の上で4人に囲まれている志々雄さま。

「伝説の最期編」の予告動画にもあった場面ですね。

剣心、斎藤一、左之助はわかるけど、蒼紫まで剣心側に付いたのか。




この場面について志々雄こと藤原竜也さんはPICT-UPで次のように。

 

 「(剣心と)ようやく会えたな、さあ始めるか、って死闘を繰り広げるんですけど、

  やがて江口洋介さん(斎藤一)が出てきて、次に青木崇高(左之助)くんが登場して、

  ついには伊勢谷くん(蒼紫)も出てくる。4人と同時に対峙したときは・・・本音を言うと、

  もう『めんどうくさい!』って思った(笑)。

  囲まれてみたらわかりますよ、この方々を相手にしなきゃいけないなんて」




こういうのを読んだからというわけでもないのだけど、志々雄ってなにか憎めないのよね。

残忍きわまりないけど、あんな姿にされたらそりゃあそこまで屈折するのもわからないでもない。

あの異形が、フランケンシュタイン的哀れさを連想させたりするのかしらん。

フランケンというよりミイラ男だけど。




しかし後編の予告動画といえばこちらでしょう!

師匠のステキな低音ヴォイス聞きたさに、どんだけリピートしてることか!






2014年08月28日(木)  二回目鑑賞前の覚え書き



昨日、メディア関係者向けに「伝説の最期編」の試写会が行われたのですね。

荘ちゃんのつぶやきで期待は高まるばかりです。








うほー。たーのーしーみー。

その前に明日もう一度「京都大火編」観てきます。




ネットで感想を拾っていると、

見逃したり聞き逃したりしているところがいっぱいあることに気づきます。

新月村での剣心の大立ち回りとか、逆刃刀を叩き折られる対宗次郎戦とかは、

テレビの番宣で何度も観たので注目ポイントはだいぶ確認できたのですが、

それ以外は全然です。




1回観ただけじゃ、目の前をひゅんっ!と通り過ぎた成田エクスプレス程度の認識。

(最寄り駅は各駅も快速もNEXも同じホームを通過するのだ)




剣心の刀を盗んだ操とのコミカルな攻防、脅威の68歳(撮影当時)の翁vs.蒼紫、刀狩の張vs.剣心。

2回目でも、まるっきり初見なくらい新鮮に見れる自信がありますわ。

あまり覚えてないけど左之助も蒼紫と戦ってたっけ。ほぼやられっぱなしだったっけ。

操ちゃんの「御庭番式拳法」も凄かった。もも@「花子とアン」と同じ人だなんて、言われなきゃ誰も気づかない。

言われても、わたしにはいまだに同じ人には見えない。




わたしの動体視力で動きを把握できるのは、薫の薙刀くらいですよ。

いや、薫ちゃんもがんばってるけどさ、

そこは実戦とは縁がなかった「町道場の師範代風情」の振るう薙刀だからさ、

素人の目にも実にわかりやすい。

わかりやすいってだけで、見ごたえがあるわけでも面白いわけでもないのだけど。

でも、薫に求められてるのはそこじゃないしね。




2回目は、動き以外にも、風景や衣装もちゃんと観たいですな。

十本刀それぞれの、個性的すぎる派手な衣装もいいし、御庭番衆のお揃いの戦闘服もいい。

剣心の着物も、京都大火の夜の白っぽい着物以外はあまり気にしてなかったのだけど、

実は剣心の心情の変化とシンクロしていて、かつての人斬りに戻りそうになるにつれ、

着物も抜刀斎の頃の色合いに近づけていったのだそう。細かいわー。




最後の白っぽい着物は、パンフによると大友監督のオーダーで、

「贖罪を背負い戦う剣心」の姿を表現したのですって。

個人的には、あの白っぽい着物の剣心がすごく好き。




「贖罪」の気持ちが込められているとは全く気づきませんでしたが、というか、

剣心が贖罪の気持ちを忘れたことはないだろうと思うのですが、

剣心が纏う白には、無私、孤高、様々な覚悟、決して消えることのない悲しみ、

そしてそのすべてを支える、剣心の奥深くにある無垢な清らかさの象徴のように思えるので。




志々雄の包帯ぐるぐるも同じ白なのだけど、あの白からはそういうものは一切感じられませんね。

その中身は燃えさかる恨みばかりなのでしょうな。




あとはね、佐藤直紀さんの音楽ですよ!

「龍馬伝」の音楽が大好きで、その時に佐藤直紀さんのお名前を覚えました。

るろうの前作の音楽も素晴らしかった。

その場面やその人の「気」を、本当に的確に表現しているように聞こえました。




前作で個人的に面白かったのは、「龍馬伝」の時の弥太郎のテーマ音楽と、観柳のテーマ曲が、

その役のイメージにどハマリなところ。どちらも香川照之さんってとこがね。

香川さん演じる弥太郎にしろ観柳にしろ、役の醸し出す雰囲気が本当にあの音楽のまんま。

いくら絶賛してもしきれませぬ。




実は「京都大火編」の音楽は、ほとんど覚えておりません。

ワンオクの主題歌は最後にゆっくり聴けるけど、

本編中の音楽は、どうしても目に神経を集中してしまっているので、

1回観ただけではよく覚えていないのです。




今回は新たな登場人物がいっぱいいるし、

当然、それぞれにふさわしい新しい音楽が聞こえていたと思うので、

明日は耳の方にも気をまわさねば。

張との戦いの時の音楽がめっちゃカッコいいという感想も目にしたぞ。がんばれわたしの耳!





2014年08月26日(火)  師匠はろくろを回すのか?



さてさて、るろ剣「伝説の最期編」の予告映像もついに公開になり、

師匠のプロフィールもるろ剣公式サイトに明記され、ワクワクが増すばかりです。




せっかく「比古清十郎」の名前を堂々と言えるようになったのに、先週のラジオでは、

肝心のましゃが「ひこせいじゅうろう」の発音を噛みまくりという不思議な状況。なぜに? 

ずっとガマンしてきたから、無意識のうちにストッパーかかっちゃってるのかしらん?




最強のお師匠さんは「人嫌い、山の中で一人暮らし、陶芸家、自分の創った器で酒をのむことを

日々の楽しみとしている」そうで、ましゃも土をこねる練習とかもしたそう。

ろくろを回すシーンがあるかどうかについては明言されませんでしたが、

「ろくろ」と聞いて「ゴースト/ニューヨークの幻」のちょっとエロい

あの名シーンを思い出した荘ちゃんに、ましゃったら




  「もしかしたら剣心に『まず、オマエはろくろを回せ』とか言って、

  でも剣心は心が乱れててろくろがうまく回せず、それを後ろから上半身裸で

  はかまだけの清十郎師匠が『そうじゃないぞ』(低音のステキな声)って

  剣心の両手を取って、・・・・ってシーンはございません。

  そんな『ゴースト』へのオマージュしてほしくないでしょ?」




そんなオマージュ、あったらあったですごく貴重ですが。

でも、ましゃとたけるんの絡みといえばやはり思い出すのは以蔵と龍馬なわけで。




最初は無邪気に龍馬を慕っていたものの、武市さんに心酔して以降は溝ができ、

人斬りのためにいいように使われてまた龍馬に助けを求め、

龍馬もそんな以蔵を救いたいと必死になり、そしてあの悲惨な最期。思い出すわー。




「京都大火編」では、剣心と張が神社の縁の下で派手な立ち回りをしました。

あの場面は、お尋ね者になった以蔵が神社の縁の下をはだしで逃げ回り、

傷だらけになっていたシーンを思い出してしまいましたよ。

あの時の以蔵はとにかく逃げ回るだけだった。でも剣心はこんなに雄々しく戦ってる。

同じ縁の下を走り回ってはいても全然違う! なんて思いながらね。




でも、龍馬伝から連想するのはやはりそのふたりくらいです。

蒼紫は高杉さんではないし、翁も吉田東洋ではないし、左之助を見ても後藤象二郎は思い出さない。

全員、「るろうに剣心」に生きている最高に魅力的な人たちなので。

龍馬伝の役を感じさせる部分なんて微塵もないですから。




感じさせはしないのだけど、吉田東洋だった田中泯さん、

あの時のオーラもすさまじかったけど、今回の翁もカッコよすぎです。

蒼紫vs.翁とか、シビれます。隠密御庭番衆ブラボー!




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