「家の中にいるのに外にいるのと一緒の格好だな」と夫に言われるのですが、
灯油が18Lで2000円近くになった昨今、燃料費を抑えるには着膨れが一番
手っ取り早いのでございます。
動いていれば全然寒くないので、バタバタと家事をこなしている時は大丈夫。
PCの前に座っている状態が一番寒いです。
寒風ふきすさぶ中のウォーキングも、寒すぎて歩いていられぬ、となったら走る。
でも走ると汗をかくので、走るのをやめたらそれが冷えてとんでもないことになるので、
走りだしたら家に着くまで走りつづけねばなりませぬ。
おかげで冬だというのに体重があまり増えずに助かっています。
そうそう、今日ウォーキング途中、大ぶりの枝を背中にひもでくくりつけて歩いている
年配のご婦人を発見。おそらくバードウオッチングついでのお散歩とお見受けしましたが、
枝が何本もアタマの上に突き出している状態なのが、枝に化けて鳥の目をあざむくおつもりなのか、
それともその形のいい枝をただお持ち帰りになりたいだけなのか、意図はちょっと不明。
ただ、そのご婦人が近づくと、川のカモが一斉に飛び立って逃げるのですよ。
で、ちょっと離れたところに着水。ご婦人がまた近づくと、また飛び立って離れたところに着水。
というのが、ご婦人が川沿いを歩いている間、何度も繰り返されていました。
でもご婦人は、カモが自分が原因で繰り返し飛び立っていることにはまるで気づいておられないようでしたが。
カモさんたちには、「人が細長いものを背負っている」というのは、あきらかに「自分らを狙っている銃」だと
DNAに刻み込まれているのでしょうな。
以前わたしも、持っていた傘を歩きながらなんとなく前方に振り上げてしまった時、
カモさんたちに向けたわけでもないのに、その瞬間に飛び立ってしまったですもん。
だからあのご婦人、枝に化けてるつもりならまるで逆効果だったわけで。
そもそも迷彩や茶色でもなく、白いダウンをお召しの段階で、
枝だけつけてもカモフラージュにはなっていませんでしたが。
対岸を歩いていたわたしは、何度も集団飛行を観ることができて楽しかったですが、
カモさんたちは落ち着かなかっただろうな。
2014年01月15日(水) |
あの頃にしか書けない詞 |
日曜日のトーキングFMでもおっしゃっていましたが、
福「『Girl』(1992年の曲)をセルフカバーしたじゃない? (『Girl 2012』としてステキに再生なさった)
ああいう歌詞、もう書けないな、と思うわけ。
『Dear』ももう書けないです。自分にはもう書き下ろせない。
アミューズの後輩の春馬とか健とかにラブバラードを、ということになったら、作家としては書けるけれど。
このもうすぐ45歳になる人間が ♪遠く遠くはなれているから、君が愛しくて♪ (『Dear』)とは、
たぶんもう思わないかもしれない。ちょっと違う感覚になる。もうちょっとしみったれるというか。
いやもうこれは書けない」
それは自然なことだと思うのですよ。
年を重ねていくと、経験が増え、それとともに知識が増え、語彙も増え、
ものの見かたも考え方も広がっていく。
当然、表現する内容も増え、表現方法も多様化していく。
もちろん、その頃の引き出しを開ければその頃の自分のことを思い出せるし、
その頃の想いもちゃんと残ってはいるだろうけど。
2012年の感謝祭では初期の激しいロック「BLUE SMOKY」(1990年)を
えらくカッコよく蘇らせておられましたが、今回の感謝祭では
『天使の翼にくちづけを』(1991年)と『Running Through The Dark』(1991年)を、
これまたどんでもなくクールにステキに蘇らせておいででした。
これについてたまラジのリスナーからは
「44歳になったましゃが
♪激しく何度もくちづけを 激しく何度も抱いてくれ♪ (『天使の翼にくちづけを』)と
歌ってくれるのはとても新鮮で刺激的でした。
今のましゃはこんなとんがった歌詞は書かないのだろうな、と勝手に思っているので、
とても貴重でした」という感想があり、激しく同意。
これに対し、
福 「『激しく何度もくちづけを 激しく何度も抱いてくれ』という歌詞はたぶんもう書けないですね。」
荘 「もし書こうとすると・・・」
福 「それに対しての気遣いが出てくるから(書けない)。くちづけしてくれたらこっちも何かしなきゃ、とか。」
荘 「なるほど。ひとりよがりのぶちゅー!!みたいのはもうできない?」
福 「できない。」
荘 「抱き寄せてぐわーっ!みたいな、オラオラ系がもうできない?」
福 「できないできない。」
荘 「そりゃ歌詞の質も違ってきますね」
福 「だって正直なこと言ってもいい? この歌詞を書いた当時もできてなかったからね。」
荘 「ああ。やってることを自分の歌詞に落とし込んだわけじゃないわけですね?」
福 「だってほら、一応ワルのイメージで売り出してたからね。本当はそうじゃなかったけれど。」
荘 「特に最初の頃はね。」
福 「今二十歳のリスナーが生まれる前の曲だから、それを気に入ってくれるのはとても嬉しい。
今後も(古い曲のお色直し)やっていきますよ。」
「こんな歌詞はもう書けない」と言われるとちょっと寂しい気持ちになったりもしますが、
でも、ステキな作品はずっとステキな作品として生き続けるし、この先も、
それを初めて聴く人にとっては新曲なわけですから、
時代の変化を感じながらも深く共感し、感動する人は続いていくのです。
そう考えると、「もう書けない」なんてことは全然寂しいことじゃなくて、
若いころのましゃが、あの感性を持ち、それを存分に表現し残せていたということが
何よりも素晴らしいことだったな、と。
それを、四半世紀近くミュージシャンとしての実績を積まれたご本人自らが、
当時の若くて青いヒリヒリ感をさらに鋭くカッコよく表現なさるというのは、もっと素晴らしい。
トーキングFMでは、
二十歳の頃の自分を振り返って、芸能人としての仕事もほとんどなくて、
バイトでつないでいた頃のことを思い出してこうおっしゃっていました。
福 「あの頃は何者でもなかった。
でもそれはそれで自分にとっては甘酸っぱくも、まぶしい、いい時代だった。
東京で自由気まま、勝手気ままに生きていた時代。
僕にとっては東京の思い出というのはその時代しかない。
東京に出てから『ひとつ屋根の下』までの3、4年間くらい。
そのあとは東京は完全に『仕事場』になってしまったから。
その頃の街の匂いとか、雑踏とか、雑踏から見上げるビルの谷間の四角い空とか、
ビル風とか、明け方のカラスとか、ある意味、僕の青春はそこくらい。
あとはもう仕事場のスタジオにばっかりいる感じ。
・・・なんかつまんない人生みたいな感じになってきたな。
話してるとなんだか寂しくなってきちゃったじゃない。」
ましゃの口から
「その頃の街の匂いとか、雑踏とか、雑踏から見上げるビルの谷間の四角い空とか、
ビル風とか、明け方のカラスとか、」
という言葉がさらさらと出てきて、
雑踏の中に佇む何者でもなかったましゃの姿を、まるで今、目の前に観ているような気がしました。
普通の会話なのにとても詞的に聞こえて、
まだ聞いたことのないましゃの初期の曲を、あらたにひとつ聞いたような気にさえなりました。
今の44歳のましゃの中には、ひょっとしてあまりに多くのものが積み重なって
その一番下の下敷きになってしまっているのかもしれないけれど、
その頃のみずみずしい感性はまだしっかり息づいていて、ましゃの根幹を支えているのだなぁと、
なんだか妙に感動してしまったのでした。
しゅてきだ。
2014年01月12日(日) |
「医龍4」初回 / 大感謝祭うらばなし |
どこにもお出かけしないので、ドラマの初回など消化中です。
一番楽しんでしまったのが「医龍4」。突っ込みまくりという意味の楽しさね。
チームドラゴンの皆さんは、あのまんまの個性でそれぞれの場所で偉くなられていて、懐かしいったらありゃしない。
化け猫荒瀬(サダヲちゃん)を再び見られる喜び♪ 「にゃにゃ〜つ」とかご唱和しちゃうもんね。
そんな皆さんが朝田の帰国と共に、奇跡的な「渡りに船」の連続で、あっという間に再集結。
どこかに飛ばされていたはずのアロワナ野口もあたりまえのように大病院に復帰していて、
お部屋の雰囲気なんて今までで一番ムダにゴージャスで胡散臭い。
気分的には初回にしてもう最終回ほどの満足感でしたが、これからの展開を楽しみにいたしましょう。
藤吉先生だけまだ来れてないし。
だから藤吉先生が担当していた手術中の解説が、全員の持ち回りになっていたし。
いやほんといちいち笑えましたわ。それは医療ものの見かたとしては絶対間違いなのだろうけれど、
でもそれが「医龍4」に違いないと!
それと、いくつシーズンを重ねようと劇中のカッコいい音楽が変わらないというのはやはり素晴らしいです。
ビジュアルと音は一緒に記憶されていますからね。
そして昨夜はましゃのラジオも今年初の生放送。
感謝祭の裏話がすごく面白かった。
1曲目に「Dear」を持ってきた理由とか、「HEAVEN」でエロいポールダンスをすることになった理由とか。
そう。現象には必ず理由がある。その理由がわかるとさらに面白いけど、
でも理由なんか何にも明かされなかったとしても、
この目と耳で観て聴いた「Dear」のステキさと「HEAVEN」の楽しさに、何ら変わりはないのです。
「Dear」はアサヒスーパードライ「ドライプレミアム」お歳暮篇のCMでよく流れていて、
ましゃはネットで「福山雅治 Dear」という検索が多いことに気づいたのですって。
今まさに興味を持たれている楽曲をちゃんと披露してくれるなんて、サービス業の鑑ですね。
もちろん、ただやさしく静かなバラードではなく、重厚でドラマチックな「ロッカバラード」(ロックのバラード)
というジャンルの曲であることも、1曲目としてふさわしいと思ったからとのこと。
たしかにあのイントロは気分が一気に高揚します。
あの出だしは「パワーコード」という、ギターの低音弦の力強い音のことだそう。
説明のためにすぐギターを手にして
「(じゃ、じゃーん)←Dearの最初のギターの音 ♪にゃにゃにゃにゃーにゃーにゃー♪」
って実演&解説してくれる湯川先生なミュージシャンましゃ。
なぜメロディを口ずさむときは必ず「にゃーにゃー」なのか。大好きだからいいけれども!
でも春から始まるドームツアーのオープニングはDearではないと明言なさっていました。
ドームで聞くDearもステキに違いないので。オープニングではなくても歌っていただければ大歓迎ですが。
「HEAVEN」のポールダンス(歌いながらポールにエロくからみつく)については
「ましゃはああいうエロプレイをしている時はどんなことを考えてるんですか?
お客さんをそういう目で観ながら、自分で(エロい気持ち)を掻き立ててたりするんでしょうか?」
というリスナーからのメールに、それはそれは楽しそうなうひゃひゃ笑いが止まらなかったましゃ。
福「もうすぐ45になるのに、カンヌにも行ってきたのに、こんなことやって・・・って、
どん引きされてたんだな。
たとえば風俗店で働く女性が、お客さんにいつも興奮しているわけじゃないという、
ま、そんな感じかな」
小「ゆ・・夢が壊れる」
荘「しかもそこだけ聞くと、いったいライブで何やったんだろうと」
福「はっはっはっはっは。だってさぁ、俺が興奮してたらヘンじゃん!
毎回『HEAVEN』でち○こびんびんになってたら、そっちの方がおかしいでしょ!」
小「なっててほしいじゃないですか!」
福「なっててほしい!?」
で、野郎どものあからさまなシモトークが続いたのち、結局
福「1万8000人が観てる中で、しかも山車(会場を回るフロートのことね)の上に乗っかって、
そこからはぶしゅーって煙が出てて、レーザーもビービー出てて、その中で勃○できてたら、
俺、絶対違う職業やってるよ! AV男優になってるよ!」
AV男優だったらきっとましゃを知ることはなかったでございましょう。
ミュージシャンになってくれてヨカッタ。
フロートに設置してあったポールは本来、転倒防止のため、いざという時に掴まるための
「バリアフリー」用ポールなのだそう。
福「でも、転倒防止用のポールに、ただ掴まって歌ってるだけじゃ、本当に老人みたいでしょ?
♪ま〜る〜で〜HEAVEN〜♪ って、本当に天国近いんやな、このおじいちゃんは、って。
だったら! どうせ掴まるんなら、こすりつけた方がいいかな、って。」
他にも、細かくも大きくもいろいろな身体表現をなさるましゃですが、
振り付けや演出の方がいらっしゃるわけじゃないんですって。
全部ご本人から自然発生的に出るのだそう。
どんな動きが好きかは人それぞれでしょうが、わたしとしては、ギターを弾いている姿と表情が、
どんな振り付けよりもきっと一番ステキでセクシーだと思います。
真面目な話としては(いや、ポールダンスのくだりも大真面目に語られていましたが)、
まだタイトルも未定で歌詞も変わるかもしれない新曲を披露した理由も。
福「すごく緊張して歌詞間違うかもしれないし、別の歌詞があらたに浮かんでしまうかもしれないし、
理性的に考えれば、そんな曲歌う必要はないのだけど、本能としては、それをやらないと
自分が心から新鮮に感じてドキドキするようなことが起こらないと思ったから歌ってみた。
初日に披露した時、スタンディングオベーションに匹敵する拍手をいただいたので、
このメニューでやっていいんだな、と教えてもらった」
新曲というのは、聴かせていただく方もかなりドキドキわくわくなのです。
好きな曲だといいな、好きじゃなかったら残念だな。しかも、初聴きにしてご本人が目の前
なんて、もし好きじゃなかったらリアクションにもちょっと無理が出るぞ、なんてこと
思ったりするわけですから。
たまリくは「Dear」!
しっとりとやさしいギターのイントロが新鮮で、厚みのある演奏をバックにした時とはまた違う
ステキな弾き語り「Dear」でした。
ましゃのギターとましゃの声だけの「Dear」。シンプルを極めた贅沢さ。
たまリくを聴くたび思うけど、AMラジオなのにこのクオリティは贅沢すぎよね。
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