今日のおたけび または つぶやき

2013年03月19日(火)  「とんび」最終話



結局、ヤスは最高の父親でしたな。

最高の父親は、これからは最高のじーちゃんにもなるのだな。



地元では「ヤスの馬鹿を甘く見る」という教訓的な言葉もあるくらいなのに、

まわりの人たちみんながこぞってその馬鹿につきあい、いろいろと助けてくれたのは、

なんだかんだあってもやっぱり人が良くて単純な能天気で明るくて働き者で、

愛さずにはいられないチャーミングな馬鹿だったからでしょうね。



美佐子と旭をひたすら愛し続け、すべてはそこを基本に一生ずっと全力投球なんて、

この筋の通り方はハンパない。

通ってる筋がたった一本しかないにしても、そんな筋を通せるヤスはやっぱりステキでした。



ヤスは、どういう親がいい親か、なんて知らないけれど、

大好きで大切な旭をとにかく必死に守り育てようと七転八倒していたら、

いつの間にか親になってた、みたいな。でもこれって一番自然な姿よね。



そんなことを、引越しの荷物整理の際に小さい頃の旭のオモチャを見ながら

「親なんだなー、俺って。親しかこんなガラクタ取っておかないだろ」

って気づいたのも、ほっこりなシーンでした。



そんなヤスだから、最高にステキな父親になっているのに、そんな自覚はない。

「親なんてそもそも大したもんじゃねーんだよ。子どもよりちょっと長く生きてるだけで。

 それでもありがてえことに、子どもはちゃーんと育ってくれるんだよ、自分の力でな。

 オマエはオマエの力で育ったんだ。」



旭は立派に育ってくれたけど、それでもなお、そんな旭のいざという時の逃げ場でいようと、

故郷に居続けることを選ぶヤス。

「俺は親だから、遠くで笑ってなきゃいけねーんだよ。」

その結論は、馬鹿を支え続けてくれた故郷の人たちにとってもやっぱり嬉しいことで。



でも、旭の逃げ場でいようとしたのに、

まずはケンちゃんの逃げ場として早々とケンちゃんを助けてしまったヤス。


「なんでケンちゃんが来てくれたのにやっさん怒んだよー。よく来た♪よく来た♪ 立派だ♪立派だ♪」

「お父さんとお母さんは、やっさんのために子どもをつくってくれた。ケンちゃんに寂しい思いを

 させたのはやっさんだ。すまんっ。」


どちらの言葉も、ケンちゃんを助け慰めるための嘘というわけではなく、ヤスの本心だろうと

思うと、本当にこの馬鹿の一念の素晴らしさに感服するばかりです。



個人的には、これまで重要な場面で数々の大活躍をしてきたクズ嫁に、

ヤスに対して申し訳なさを感じるとか、あんな風に頭を下げたりとか、してほしくはなかったのですが、

ヤスがこれまでの恩義を一度に返すために、クズ嫁の孫を助けたと思えば、ま、あの事故も仕方なかったかなと。



クズも男気のあるいいヤツでしたし。

そんなクズが最後にまた豪快に殴られて、しかも、

「てめーごときのために、なんで俺が帰ってこなきゃならねーんだよ!

 俺が帰ってきたのは旭のためなんだよ! ただの人身御供なんだよオマエは! わかったか!」

って、言ってること酷すぎるのに結果としては最善なんだから、やはりヤスの馬鹿あなどりがたし。



たえ子ねえちゃんもいつも最高だったし、照雲夫妻も良かったし。

ほんと毎回毎回、「泣ける」というより、「泣き笑い」していたステキなドラマでした。





2013年03月15日(金)  限界の際で輝くオトコマエさんたち



昨夜、NHKのニュースウォッチ9では、

もうすぐ1000回公演を達成する「Endless SHOCK」の座長・堂本光一さんのインタビュー。



語らずとも、この方の想いはすべて、舞台に立つご自身が体現していらっしゃいます。

だから、昨夜語られていたことは、舞台を観れば「そういう人だ」ということはとっくの昔っから

わかっていたことなのです。



でも、ご本人の口からあらためて聞くとやはり嬉しいし、ステキな生き方だなー、と思います。

男の中の男、漢の中の漢。

舞台人じゃなくても、どんな職種、どんな立場だろうと、こういう心意気で日々生きているのが

まさしく、人生を「まっとう」していることになるのだろうと思ったのでした。



「舞台は逃げも隠れもできない場所。より自分を追い込める場所でもある。」


「限界ギリギリでやっている人は、すごい輝きを放つ瞬間があると思う。それを表現したい。」


「今、自分に何ができるか。そこにすべてをぶつけていくことで結果が開いてきた。

 今、全力投球しておけば、それがきっと何か良いことにつながっていくだろうと信じるしかない。」


「お客さんはシビアなので、ダメになったらお客さんはついてこない。

 昨年より今年のほうが良かったとお客様に思ってもらわないと、

 絶対にお客さんはついてきてくれない。」


「エンターテインメントという仕事自体、自分はすごく楽しんでやっているし、

 それに出会えたことはすごく幸せだと思う。

 生がいを感じてやれる仕事に出会えたこと、それに感謝してまっとうしないと、もったいないですよね。」



いい舞台やステージには、素晴らしいエネルギーが満ちあふれております。

それは生身の人間が渾身のがんばりで放ってくれるものなのですが、ときに神々しいほどで、

その圧倒的に強くて美しいエネルギーに、何度も何度も癒され勇気づけられてきたことは、

実感として断言できます。



光一さんが座長として10年以上育ててきた「SHOCK」という舞台ももちろんそうで、

この方が舞台から放つ、まさしく命を分けてくれるかのような力強いエネルギーの素晴らしさは、

テレビでただ美形なお姿をちょこっと見せている時の比ではございません。



ほんと、生き方がオトコマエよね。



で、昨夜はフジの「オデッサの階段」も観たのですが、

光一さんが舞台人として「限界に挑む者の輝き」を体現する人なら、

「ハゲタカ」「龍馬伝」「るろうに剣心」で独特の演出をしてきた大友啓史監督は、

映像作品の監督として、役者から「限界に挑む者の輝き」を引き出す方だということがわかりました。


「龍馬伝」と「るろう」で大友監督に鍛えられた佐藤健くんのインタビューもあり、

とても面白かったので、これはまた後日。





2013年03月13日(水)  龍馬伝の撮影話withたけるん



1番ソングSHOWのましゃ、湯川先生っぽくってステキでした。

トーク場面は、いつもの面白いましゃでしたが、歌ってる姿は「実は歌ってもすごい湯川先生」みたいな。

そろそろ「ガリレオ」の予告映像などもお披露目が近いかと思いますが、

前回「龍馬伝」の再放送のことなど書いたので、ついでと言ってはナンですがその話題を。



年明け第一回目のたまラジのゲストが佐藤健くんでしたの。

たけるんは蒸溜所にも登場してくれて、『龍馬伝』の時の撮影話なんかもありまして。

だいぶ前になりますが、ちょっとご紹介。



ましゃによると、「龍馬伝」はかなりライブ感のある撮影方法だったので、

芸人さんみたいに自分から画面に映りに行かないと映らなかったそうな。



福「龍馬伝の撮り方は新しくてそれなりに評価されてたけど、

 俺たちみんな、ひな壇芸人みたいなもんで、誰が一番デカい声で面白いことを言ったか、

 みたいな、そういう世界。」

健「はははは」

福「それを拾って編集していくから、自分のセリフがどんなに最初いっぱいあったとしても、

 つまらない芝居してたら全然映ってなかったりしたの。」

健「そう。(セリフのあるなしは)関係なかったですものね。」

福「だからバラエティ番組の手法と一緒だよ」

健「俺のセリフを違う人が言ってたりしましたもん。」

福「はっはっはっはっはっ。平気にあったよね。」

健「平気でありましたよ。」

福「特に土佐勤王党は本当に育ちが悪いから! 人のセリフは取るわ・・・」

健「あれ!? それ俺のセリフ、みたいな。」



ス「ベテランの人はどうだったんですか?」

福「そこはさすがベテランで、最初は戸惑っても、そういう現場だってわかった途端に、

 どんどんやり始めるからね。暴れる暴れる、もう。」



福「『るろう』の現場もそういう感じだったんでしょ?」

健「はい、同じです。一発撮りで。ただ、あそこまでガツガツした人たちが出てくるわけじゃないんで。」

福「ま、だいたいガツガツしているのは香川さんと、青木崇高と・・

 『青木また(台本に)書いてないことやってんな』ってわかるもんね。」

健「だいたいあのおふたりですね。書いてないことやってる方は。」

福「でも、書いてないことやるの、楽しいよね。」

健「楽しいですよね。」

福「そういうことやったほうが、役が馴染んでくるのも早いし。」

健「役を演じている時に『自然に自分の中から出てきたもの』が、

 役の真理を突いてるってことは多いですしね。」

福「計算やコントロール以外のものが出るんだろうね、何でもありのアルティメットなところに行っちゃうと。

 日本の場合は、カット割で『ここで寄り、ルース、カットバック・・・』って決めて、

 それを埋めていくのが伝統的な撮り方なんだけど、それをやっていくと、

 もちろん上がりがよければそれでいいんだけど、予想外のことっていうのは出にくいよね。」



で、テレビやラジオでも、生放送が得意な人とそうじゃない人がいるように、

映像での演技も、ライブ感のある芝居が得意な人と、収録っぽい芝居を得意とする人がいるんですと。



福「どっちがいい悪いじゃないんだけど、たとえば『この人の芝居、ちょっとライブ感がないなー』

 なんて思っても、カンパケして上がってくると、すごく良かったりするんだよね。」

健「そうなんですよねー。不思議なんですよね。」

福「その人が何度も間違えるから、それに合わせて何回もやってる自分のほうが、

 上がりを見ると、明らかに疲弊して芝居が良くないの。芝居が死んでるの。」

健「そうなんですよ。」

福「相手の方がセリフ入ってないし、何度も噛みまくってNG出すし、こっちはセリフも全部入ってるんだけど、

 それにあわせて何度もやってると、その人の方が最終的に良いの。」

健「不思議なものでね。」

福「たぶん、その人にとってはそれがアウトオブコントロールの状態なのだろうね。

  だけどこっちは、芝居がもう死んじゃってるの。もってかれちゃってるんだよね。」

健「でもそれ(アウトオブコントロールの状態)、やろうと思ってもなかなか出来ないですよね」

福「できないできない。」

健「その人はいい役者さんだし、実際いい出来なんですよ。」

福「そう。だけどこっちがエネルギーを吸い取られまくって。

 子どもとか動物とか相手にすると、こっちはそうなりがちなの。子どもも動物も何やるかわかんないでしょ。

 何やるかわかんない相手が目の前にいると、こっちは当然構えるし、自分をコントロールしようと

 してしまうの。たとえば、先に相手が酔っ払うと、こっちはもう酔えない、みたいな感じ。」

健「そうそうそう!」

福「それと同じで、この子何するかわからないから俺がちゃんとしなきゃ、って思うと、

 もうつまらない芝居しかできなくなってるの。」

健「そうなった時点で、もう、つまらないんですよね。ほんとそうなんですよ。」

福「あれ困るよね。」

健「こまる!」

福「だから、龍馬伝みたいに長まわしで、カメラも色んなところに入ってきて、

 決まってるようで決まってない、という現場で、全員がそういう状態だと、

 自分もアウトオブコントロールのところに行けるんだよね」




福「健なんかは17歳から芝居を始めて今24歳でしょ。その間にたくさんいい仕事を残している。

 もちろん実力もあるけど、やはり出会いだよね。」

健「出会いですね」

福「芝居は集合体でやってるから、どんなに自分だけがんばっても、

 よくならないものはよくならなかったりする。

 『あれ?結局良くならなかったな』みたいなことってあるんだよね。

 でも、がんばらないといい作品にはならないし。人が多いと大変だよね。」

健「大変ですよね。おつかれさまです。」



龍馬伝飲み会のお話を聞いてから、改めてこの健くんの穏やかな口調を聞くと、

「こういう感じで芝居を語りながら飲んでるんだなー」と想像できてさらに興味深かったです。




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