2012年10月18日(木) |
儀礼的無関心のお話@福山蒸留所#29 |
来年は「巳」年かぁ。(YAHOOニュースでへびの置物生産中の写真を見た)
干支というのも、年賀状を書いたり受け取ったりするほんのちょっとの間しか
意識しませんな。あとの355日くらいはすっかり忘れております。
そういえば3日くらい前のウォーキングでは、目の前を緑色のヘビがにょろにょろと
必死の速さ(へびなりの必死さ)で、横断してました。
見るのは白へびか緑へびです(種類は知らない)が、どちらもキレイですよ。
でも、遭遇するのはたまーにでいいけど。
あと、カモでもサギでもない黒い水鳥が一羽だけいるのですが、
(胸からおなかのあたりが白いのでたぶん「鵜(う)」ではないかと)
先日、石の上にすっくと立って胸を張り両羽を広げ、着物のたもとをゆらゆらと振るみたいに、
羽を前後にふっさふっさと振り続けていたのは何のパフォーマンスだったのだろう?
濡れた羽でも乾かしてたのかなぁ? 水鳥なんだから撥水してあって濡れないだろうに。
川沿いを歩く人たちに向かってのパフォーマンスにしか見えなかったんだけどな。
さてさて、福山蒸溜所もすでに#29。
ロケ先の海のそばに滞在中らしいましゃは、「波の音がいい感じで、よく眠れる」と。
撮影スケジュールも今のところそれほどキツくはないそうで、仕事とはいいつつも、
今年に入ってから初めて(!)、ちょっと身体を休めることができているそうです。
今年ってもう10ヶ月も過ぎてるのにね。
空いた時間には、もちろん東京からの「追っ手」も来るそうだけど(お仕事のね)、
浜辺で上半身ハダカでマネージャーたちと筋トレしたり、
かなりのんびりできているそうです。ヨカッタヨカッタ。
地方に来ると時間の流れが違うように感じるそうで、
福「今、夜の7時くらいだけど、もう眠いもんね!」
今「外はもうまっくらですもんね。」(まわりには何もないらしい)
福「撮影も早い時間から始まるから。
日の出と共に起き、日の入りと共に寝る、とまではいかなくても、
『日の入りの頃には酔ってる』くらいの生活ができれば理想ですね。」
今「今はちょっとそれに近い生活ができてるんですね?」
福「ずっとこういう(のんびりした)環境にいたら、作る曲の感じも変わるだろうね。
以前、『年とったらどこに住みたいか』で、それはやっぱり都会の方がいいんじゃない?
なんて話をしたけど、意外と地方の人間関係の方が難しいものね。」
ス「そうなんですよ!」(力説)
福「言ってあげて? 実体験を語ってあげて?」
ス「東京の方が男女の関係とか乱れてそうですが、実は地方の方が乱れてたりしますからね。」
福「あ、そっちですか。」
ス「あ、違いましたか。」
福「地方の乱れ感ってどんな感じ?」
ス「けっこう、俺のまわりは乱れてます。」
福「あと、今はだいぶ違うんだろうけど、自分の予測だけで人のおせっかいをする場合とか
地方にはけっこうある。『オレはこう思うよ? だからこうした方がいいんじゃない?』って。
でも今はネットでも、調べれば何でも情報が手に入る時代だから、そういうのもだいぶ
なくなったと思うけど。実は僕は、地方のそういう人間関係がイヤだったから
東京に出てきた、というのはすごくある。」
今「ああ。噂話とかもすぐ回りますしね。」
福「『儀礼的無関心』という言葉があるみたい。要は、人のことをあまりジロジロ見ない、
干渉しない、というのが、街中とか電車とか公共の場のマナーとして。
ま、それが行き過ぎて、倒れている人を無視するなんてこともあるけど、
でもその儀礼的無関心があるおかげで、都会のカオスはカオスなりに秩序として
守られてる、みたいなとこがあるみたいですよ。」
ス「なるほど」
福「あまり干渉しすぎると、都会だとかえって崩壊すると思うのね。こんだけ人が
いっぱいいて、巨大マンションとかあるのに、蕎麦とか配ってたら
その蕎麦代だけで大変じゃない。引っ越したときに。」
今「今ここにいるのは地方から来た人ばかりですね。(長崎、群馬、福岡、神戸だそう)
東京出身がいないんですね。」
福「地方から出てきて東京に長くいる人は、地方のそういうのがイヤだったという
のもあるんじゃない? もちろん、夢を叶えたくてとか、自己実現のために都会に来たのだろうけど、
それとは別に『ここにはいたくないな』っていうのが、18歳の頃のオレにはあったよ。」
今「福山さんたまに、福岡や仙台とかの、地方のわりと大きな都市に住みたいなー、
とか言うじゃないですか。」
福「ほどよいサイズ感がね。都会と地方感が混在していて、都市機能と自然環境のバランスがいい所には
住みたいな、って思う。」
今「各地に家を持ってみるというのはどうですか? 福山さん。」
福「いや、持つのはいいけど、手入れが大変でしょ。じゃ、『福山雅治別邸理論』というのを
次週はお話しましょう。」
今「はい! 楽しみにしてます。」
「儀礼的無関心」って、洗練された文化の一つだと思うわー。
都会にしかない、ということはないと思うけど、都会の方が必要に迫られて浸透するでしょうね。
ほんとこの方の雑談の守備範囲の広さには敬服いたします。「別邸理論」も楽しみ。
今回のたまラジもおもしろかったですー。
映画撮影のためずっと東京を離れているましゃは、ロケ先のシークレットベースから、
荘ちゃんはいつも通り有楽町のニッポン放送から、という距離感を、
まったく感じさせない自然で絶妙な掛け合いの、いつもどおりの楽しいラジオでした。
色々と笑えましたが、ひとつ新しく学んだのは「壇蜜」というお名前。
グラビアアイドル?というか、アダルト方面の映像で活躍なさっている方だそうで、
そのダンミツさんから、たまラジのディレクター経由で、ましゃ宛に貴重なDVDの
贈り物があったのだそう。
「ダダンダ ダンミツ!」(ましゃが低音でまず音頭をとる)
「ダンダン ダダン!」(野郎スタッフたちが合いの手)
「ダダンダ ダンコン!」(再びましゃ)
「ダンダン ダダン!」」(打てば響く荘ちゃん)
という、息ピッタリの盛り上がり方でめっちゃ楽しそうな野郎どもでいらっしゃいました。
多忙でロケ地に缶詰にされている野郎のみなさんには、妖艶な映像は最高の贈り物でしょうね。
それはともかく、今回のテーマは「なぜ福山雅治ファンであることを学校や職場で隠すのか」。
「なんか俺、恥ずかしい彼氏みたいな? 『実はわたしの彼氏、働いてないの』みたいな?」と、
その理由が知りたいということで、リスナーからメールを募集。
女性ファンからは「福山雅治が好きと言うと『ああ、イケメンだものね』と、さも顔にしか
興味が無い女のように言われた。本当はましゃの内面こそが大好きなのに」とか、
「先輩に福山が好きと言ったら、下ネタOKな女と思われて、顔を合わすたびに
下ネタでイジられるようになってしまった」とか。
男性ファンからは「福山が好きと言ったらホモ認定されてしまった」とか。
(「僕はゲイの人からはモテないですよ!」byましゃ)
スタッフの中には「自分が一番好きなもののことは言えないので、
2番目に好きなものを言ってしまう」という意見もありました。
結論として、「自分が一番好きなものというのは、自分の一番正直な部分なので、
その自分の正直な部分を人に知られてしまう、それ自体が恥ずかしいから隠すのではないか」と。
思い返してみると、わたしもリアル生活でみーはー丸出しだったのは高校の中ごろくらいまでで、
大学でも職場でも、その時々で大好きでライブに行っていたもののことなど、
一切しゃべりませんでした。もちろん、同じ趣味の友人も、いる時もあったし、いない時もあったけど。
「一番好きなものは言えないけど二番目のなら言える」という感覚はちょっと共感できます。
たぶんわたしも「あれもこれもそれも好き。なかでもこれが特に好き」という
くらいだったら、リアル社会生活でも全然平気で言える。
だけど、好き過ぎるとやっぱり言えなくなるよねー。
「好き」を知られるのがイヤなんじゃなくて、好きの「レベル」というか「程度」を
知られるのが恥ずかしいのかしらね。尋常じゃないもの。(自覚してます)
「ましゃファンであることを隠すファン」の中にも、自分の熱すぎる想いが
恥ずかしかったりするから隠す方もいらっしゃると思うのですよ。
そういうファンに対しては、ましゃご自身には何の責任もないとは思うのだけど、
「言えないのは僕のせい。僕がちゃんとしないといけないんだよね」
と、自分のファンであることを公言しても肩身が狭くなんてさせないために、
自分のあるべき姿、取るべき行動に、早速いろいろ考えをめぐらし始めたましゃは、
やっぱりステキですね。
ダンダン ダダン!(言ってみたかっただけ)
秋も深まってまいりましたー。
紅葉も見に行きたい、秋をもっと満喫したい、などと思いつつも、
結局いつも通りのウォーキングの景色だけで秋は過ぎて行ってしまうのだろうと。
ま、いいのだけどね。
ほぼ毎日、みどりのある場所を歩いて走れるって、それだけで相当贅沢だものね。
カモさんもいるし。たまにサギさんもいるし。
(しかし今年はコスモスがない。草刈りの回数も減った。自治体がこの場所にかけるお金を減らしたと思われる)
さ、一日延期になってしまったミヤネ屋での対談の後編。
正直、宮根さんという方がちょっと苦手なわたくし、この番組はほとんど観たことはございません。
でも、ゲストでましゃラジオに来られる方々もそうなのだけど、「この人ちょっと苦手〜」と
思っていても、ましゃと対談するとたいてい良い印象しか残らない。
たとえ相手がエラそうだったり、反対に媚び媚びがまる見えだったり、あるいは
相当に空気が読めてなかったとしても、どういうわけだかそういうのをあまり感じさせなくする
話術をましゃはお持ちのようで。
ましゃが相手に迎合するわけではないのに。(それを見たら不愉快になるはずだし)
相手によってご自分の意見がブレブレになっているところは見たことないもの。
ご本人は「人の話はあまり聞かない」とおっしゃいますが、
隅々までよーく聞いて理解している人にしかできないですよ、こういうワザは。
その上で、相手のよいところや共感できるところを巧みに引き出してしまわれるので、
気がつくといい印象しか残っていないのです。
だからって今後はミヤネ屋を見るかって言ったら、見ないけどね。(一言余計)
聞いてるだけでそうなのだから、実際に話をしているお相手は、本当に気分よく
なっちゃうだろうな、と。その上あの耳に心地よい声だし。目に心地よいオトコマエさんだし。
そりゃもうみんな大好きになっちゃいますよ! あたりまえですよ!
辛いものを食べるとお尻の出口が痛くなるから、好きだけどなるべくガマンするとか、
パンツは履き心地重視でブランドにはこだわらない(しまむら着用中)とか、
コテコテの関西のおばちゃんからの賛辞にも、まったく引かず怯えず構えず、
「うれしいです」といつもの笑顔で言えちゃうとことか、相変わらずナチュラルな飾らなさ。
その他の印象的だったお答えといえば、
これからの夢は?
これから50歳60歳になっていった時に、その時に叶えたい夢に向かっていける体力と準備が
できている状態でいたい、というのが夢。
Beautiful lifeの曲について。
女性への応援歌という側面もありますけど、また違う側面もありまして。
それは「許したいし、許されたい」ということ。
許せなかったこともたくさんあるんですけど、それと同時に、
自分自身も許してもらえないようなことをしてきたかも、という思いもある。
そんな自分が(他人を)許せる人になれるのかな、と。
男女を問わず、人を許すことが自然にできている人もたまにいて、
そういう大らかな人をみると、自分がちっちゃくて卑しく思えてイヤになっちゃうのだけど、
そういう人のそばにいると、自分も変われる気がする。
で、そこからの話が面白かったのだけど、
宮「いますよね、時々。とてつもなく心の広い人。」
福「こう言うと語弊があるかもしれませんが、育ちのいい人に多いですよね。」
宮「多いっ!!」
福「邪気がない。」
宮「ない。生まれながらにお金持ちっていう人に多い。」
福「生まれたときからおいしい物を食べ、部屋にTVがあり、エアコンがあり、っていう人。
若い頃はそういう人たちのことを『大人になったらきみたちは苦労するよ。自分の足で
社会に立つようになったら苦労するよ』と思ってたのだけど、彼らはそんなレベルじゃなかった。」
宮「僕もいろいろな人に会ってきたけど、確かに生まれながらの金持ちは、人がいい。」
福「本当に人がいいんですよね。」
宮「途中から金持ちになったヤツはタチ悪いんですよ!」
福「!!」(分かり合えたお顔で身を乗り出してお互いを指差す)
宮「悪いっ!」(一緒になってお互いを指差す)
結局、対談した宮根さんの結論が「好きになるのわかる」って。
またおじさんのファンを増やしちゃったじゃないかー。
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