今日のおたけび または つぶやき

2010年06月14日(月)  はやぶさ君



7年かけて60億キロの旅。

こんな壮大な冒険が行なわれていたのですね。



帰還の様子がネットでライブ中継されると知って、昨夜午後10時すぎからあちらこちらを

覗いていたりしたのですが、3回目オンエアの「龍馬伝」にちょっと気を取られている間に

肝心の瞬間は見逃してしまったアホなわたくしです。



でも今朝になって、はやぶさ君が有終の美を飾った昨夜の姿を観ることができました。

週明けの朝っぱらから泣かさないでくださいよまったく。



通りすがりの人間が、壮大な物語のあらすじをちょっとだけ教えてもらい、

最終回のラストカットを見せてもらっただけでこんなに泣けてくるのに、

これを7年間忍耐強く見守り続け、導き続けてきた方々の胸のうちはいかばかりかと、

お安く涙ぐむのが申し訳ないくらいです。



とにかくあきらめずに次の一手を考え、それを実行する。

しかもそれらはすべて、とても地味で緻密で限りなく忍耐力のいる作業の積み重ね。

思いつきや勢いだけでいいかげんにやっていい作業なんてひとつもないのです。

どんな問題が起きても前に進む、進ませるためにはそれしかない、というシンプルな真理を

あらためて教えてもらいましたよ。



地上のニュースではここのところ、何か問題がおきるたびに、誰が悪い誰の責任だ、

自分はやりたくない自分は悪くない、もう知らないやめてやる、みたいな堂々巡りばかりが目立ってたからさ。

責任のなすりつけあいをするヒマがあったら、全員で次の一手を必死に考えろよ、と、

説経された気分ですよ。



科学者や技術者のみなさんが日々扱っているのは、数字とか記号とか電波とかの無機質なものだろうに、

結果として現れるのがこんなに壮大でロマンチックなものになるというのが驚きです。

科学者ってロマンチックな人たちなんだな。



それを一番つよく感じたのが、「はやぶさ君が最後に見た地球」の映像ですよ。

大気圏突入前、はやぶさ君に撮らせ送らせた最後の映像。

送信の途中で通信が途絶えたために、地球全体がキレイには映っていないところがさらにリアルで。

満身創痍でようやくもどってきたはやぶさ君の目に映った故郷の姿を、

地球にいる我々も共に見て、最後には美しい流れ星になったはやぶさ君を見送るなんて、

もうどんだけドラマチックな演出をしやがるのだと。



こんな大プロジェクトを成し遂げたばかりだというのに、その感傷にひたるばかりでなく

「この瞬間から技術の離散と風化が始まっている。将来につながるミッションが必要だ。」などと

おっしゃるプロジェクトマネージャーの川口淳一郎氏の冷静さがステキすぎです。





2010年06月11日(金)  「孤高のメス」



どーにも惹かれてしまうのが医療モノなわけです。

お話のパターンとしては特に目新しくもなく、地方の病院にいきなり現れたゴッドハンド外科医、

患者より保身と名声を優先する医師達との確執、患者の命をめぐる感動のドラマ、といった

ところですが、もちろん面白かったですよ。まんまと泣かされてしまいましたわー。



「孤高」というのは、ひとりだけ他とは離れた高みにいる、という意味で、

きわめてふつーな中に埋没して生きている自分としては、とても憧れる言葉です。

そしてこれはもちろん、自分で「孤高」と名乗るようなものでは決してなく、

他者からの評価によってのみ与えられる表現かと。



極めて個人的な印象ですが、「孤高」とセットになっているのが「静謐」です。

大げさに騒ぎ立てたりかき回したりすることなく、高潔な志と高度な職人的技術を持ち続けることで、

静かに人々の心を変えてゆく闘い方をする人、という印象だからです。



堤真一演じる当麻先生は、医師としての志と技術においては「孤高」の人で、

でもそれ以外ではいわゆる「天然」な可愛らしさを持つ、ひじょーに魅力的な「専門ばか」なお方。

荒んだ医療現場で疲弊しきっていた看護婦の夏川結衣、ひとり息子を亡くす小学校教師の余貴美子の、

すばらしく説得力のあるナチュラルな演技にも、どーにも泣かされっぱなしでした。

当麻医師を落とし込もうとする生瀬勝久のイヤらしさも最高だし、当麻をよく理解している

かつての同期の松重豊のカッコよさも最高。



手術シーンはとてもリアルで最大の見せ場ではあるのですが、

そのシーンも含め、全編が静かに淡々と進んでゆく感じが医療モノとしてはかえって新鮮で

とても好印象です。

「自分の仕事は手編みのセーターをこつこつ編んでゆくようなもの」と言う

当麻医師のお仕事姿勢にふさわしいスピード感とでも申しましょうか。



「孤高」って、抜きん出てはいるけど決してでしゃばらないし偉ぶらない。

そして「孤高」でありながら「らぶりー」でいることも可能。しゅてきですね♪




2010年06月07日(月)  「龍馬伝」第二十三話『池田屋へ走れ』



好きで見続けるドラマというのは、気がつくと登場人物のほとんどを大好きに

なっていることが多いです。

今回も皆さん魅力的でしたねー。



今回の主役・亀弥太。

ひらべったいお魚顔が、いろいろな感情をとてもよく伝えてくれて、

これまでで一番親しみが湧いた回でした。龍馬への「おまんの言うとおりにしちょったらよかったかの」が

なんともせつない。でも、龍馬の言うとおりにしていたらしていたで、やはり後悔していたかもですね。



まさかの牢番。

武市さんにしてみれば、自分を深く尊敬する者がこんな身近にいてくれて、どれほどの慰めになったことかと。

この牢番といい、弥太郎に牢内で商売を教えた老人といい、牢がらみの味のある配役がニクいです。



陸奥陽之助。

ただの毒舌の秀才くんと見せかけておいて、実は彼も覚悟をもって良い家柄の身分を捨ててきた脱藩者なんて、

これまたニクい。のちに龍馬にとって財政面の参謀となる重要人物ですね。



今回はいい人だった弥太郎。

弥太郎って、貧しさ汚さMAXだった昔も成功しつつある今も、

言ってることはいちいちもっともと言うか真実を突いてると言うか。

あのボロボロの見かけと言い方の無遠慮さに、その発言が「自己中心的」に聞こえたり、

「その場しのぎ」的に聞こえてしまうことがあるのだけど、実は弥太郎の

人物を見る目、時流を見る目は鋭くて、その中で自分がどう生きるべきかも、

ちゃんと判断できている人なのだなと思います。




新撰組。

問答無用の暗殺者集団の真髄ここに極まれり、といった感じでした。

新撰組ファンの皆さま方の中には、斬り合いも階段落ちもなかった池田屋事件にご不満の向きもおられた

ようですが、わたしはあの演出好きです。

「桂さんだ!」とお出迎えの志士が、何の会話もないままにいきなり斬られた(らしい)ことにはじまり、

あとはもう死屍累々の惨状と、血染めの姿で淡々と帰隊してゆく組。


相変わらず全員が無言で、それも緊迫して無言というわけでもなく、意気揚々と引き上げるという風でもなく、

ただ「今日のお仕事はこれでおしまい。帰るぞ。」という感じの歩み。

鼻歌まじりで歩いてゆく沖田がそれを象徴していて見事でした。




龍馬さん。

「おらんようになってもいい仲間は、ここにはひとりもおらんき!」な熱弁は若干暑苦しかったですが、

間違ったことは言ってないし、なにより自分からすぐ行動するところが、

龍馬さんが信頼される一番のポイントです。

操練所での訓練も、相変わらず先陣切ってはりきってるし。あのモモ上げすごいよね!


仲間との辛い別れのシーンが続いて鍛えられたのか、辛い表情もとてもナチュラルになられてステキです。

がんばって辛そうにしてる感じじゃなくなってきましたわ。

はい。オトコマエさんにはドSなわたくしですが何か?




お話とは関係ありませんが、相変わらずヒゲ面でかっこいい沢村惣之丞こと要潤氏が、TV誌で

「福山さんは現場で誰よりも元気で誰よりも動いている。芝居の面でもひっぱってくれている。自分は

役者は40歳からだと思っているが、自分が40歳になったとき、あのパワーと存在感を持った役者でありたい。

福山さんは今の自分の目標。」と語ってくれていて、一気に惣之丞びいきになりました。


類は友を呼ぶ。オトコマエさんはオトコマエさんを惹き寄せますね。



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