私の音楽日記

2006年07月19日(水) 『四季の詩』  古井戸  

古井戸の4枚目のアルバム。
1曲目の「ひなまつり」からかっこいい。
あと「早く帰りたい」や「四季の詩」もかっこよくて好きだ。
古井戸の歌はやさしいとかじゃなく、叙情的ではあるが、言いたいことをきっちり言い切っているところが私は好きだ。
言いたい放題の歌だと思うけど、それが過激でも下品でもなく、そのとおりの気持ちを歌っていて、今の私が聞いても「うん、私もそう思うなあ。」と思いながら聴いている。
清志郎の歌も言いたい放題で似ているけど、どんどん過激になって沸騰してしまう。
古井戸は同じことを言っていても、しゃべり言葉のような感じで過激さがないと私は思う。
シャウトしていても、静かなシャウトだ。
おそらくコアなファンには『四季の詩』はあまり受けなかったのだろうなと思う。
初期のファンは古井戸は終わってしまったとか言っていたのだろう。
しかし私はこの静かな言いたい放題を聴いていると、自分の言いたいことを言ってもらっているような気がして、とても気持ちいい。

古井戸2000も良かったけど、やっぱりチャボと加奈崎さんで古井戸をやってほしいなあ。
ほんとにいい歌が多いし、自分の気持ちに近い感じがして仕方がない。



2006年07月16日(日) 『ベスト・コレクション』  古時計

私は古時計の「ロードショー」という曲がとても好きだった。
当時、古時計は「ロードショー」を大ヒットさせた後、メンバーが代わってしまい、その後見かけなくなってしまった。
私は「ロードショー」が気に入ってファースト・アルバムを買った。が、メンバーチェンジ後のセカンド・アルバムはあまり好きではなかった。
でも、「ロードショー」は飛びぬけて好きな曲だった。
ずっと忘れなかった。
その古時計のベスト・アルバムが出ているとのことで買ってみた。
やはり「ロードショー」はいい。
最初、音が遠いところから聴こえるあたり、イントロからストーリー性がある。
イントロから物語が始まるなんて、誰が考えたんだろう。素敵だ。
他の曲はあまりぴんとこなかった。
当時、聞いたことのある曲がたくさん収録されているが、やはり「ロードショー」があまりに良いので、他の曲は影が薄くなってしまったような気がする。
いまいちだなあと思いながら聴くこと18曲目、「なぐさめ」という曲。
演歌みたいなタイトルだなあと思って聴いていたら、なんとこの曲、あの太田裕美さんの大ヒット曲「木綿のハンカチーフ」のB面の曲「揺れる愛情」と同じ曲ではないか。
タイトルが変えられ、歌詞が半分くらい変えられているが、曲は同じ。
歌詞も前半は同じで、サビ以降の歌詞が変えられている。

へぇ〜〜、びっくりしました。
「木綿のハンカチ−ル」のB面の曲を古時計が歌っていたなんて。
古時計は古時計のいい味をかもし出している。
なかなか面白いものを見つけた。裕美さんのと聴き比べてみよう。



2006年07月15日(土) 『One Fine Day』  大貫 妙子  2005.2.16

大貫妙子さんの歌は上品な洋菓子を少しいただくような、上品でおいしい感じがする。
風が吹いてきても決して強く吹いたりするのでなく、あくまでそよ風。
上品な洋菓子を少しいただくのって、味が自分の好みでなくても、なぜだかとってもおいしかったりする。
そして、とっても安らいで気持ちよくなる。

大貫さんの歌はYMOが全盛期の頃から好きなので、大貫妙子さんという人はもともと自分の好きなタイプの音楽家だ。
昔はしんと悲しい歌を歌っていて、それらの歌が私は好きだった。
最近は凛とした日常を歌っている感じがする。
最近の歌からはあの頃のようなしんとした悲しさは私は感じなくなった。

「One Fine Day with you」では
時折ギターがキュッと鳴ったりして、決してアコースティックではないのに、身近に聴こえたりする。

「Hiver」(イヴェ−ル)はいかにも大貫さんらしい不思議な上品さがある。
雲にのっているような心地よさで、聴いていると眠ってしまいそうだ。
フランス語が出てくる歌詞。大貫さんにはフランス語が似合う。それも不思議な感じだ。

「Deja vu」は明るいお茶目な感じの曲で、初めて会う人にどこかで会ったっけ?!と心弾む歌。
私はDeja vuを信じているけれど、今までそういう人には出会ったことがなくって、ちょっと残念。
そんな人に会ってみたいな。

「春の手紙」は1993年に発売された曲のリメイク。
いい曲です。出だしはギターの音と大貫さんの声だけが響いて、時が止まりそうな気がする。そしてうまい具合に他の楽器がからんでくる。それは決して大貫さんの声とギターのバランスを壊さずに。転調する瞬間の声が心地よい。

「Voyage」は去年の地球博の三井東芝館で上映された映画のテーマ曲。
地球をきれいに浄化しようというメッセージが伝わってくる。
この映画はたしか地球に住めなくなった人類が、地球をきれいに浄化するロボットを作り、そしてそのロボットを地球に残して、宇宙へ旅立ってしまい、その子孫がまた地球へ返ってくるというお話でした。

「A kiss from the sun」はあのセサミストリートのエンディング・テーマ。
夢がいっぱいつまっている。遊びながらいろんなことを作り出すようなときめきがあふれた曲です。

優しい気持ちになれる曲ばかりです。
大貫妙子さん、これからも歌いつづけてくださいね!



2006年07月09日(日) 『あまのしげる』  天野滋  1976

いまさらながらに天野君の初めてのソロ・アルバムを聴いた。
今までLPで聞いていたけれど、CDのほうにはライブ音源が収録されているとのことなので、買って聴いた。
このアルバムは高校生の頃、それこそ磨りへるまで聴いた。
NSPは一番忙しかった時期だと思う。
春、秋のツアー、アルバムは年に2枚出すこともあった。
忙しかった日々に丸一月夏休みをもらって、天野君はそのお休みの間に休みもせずにこのソロアルバムを作った。本当に音楽が、作ることが好きだったんだなあ。
私はこのアルバム大好きだったけど、好きな曲とそうでない曲にわかれていた。
1曲目の「かくれんぼ鬼は誰」は今聴いてもすごいなあと思う。
こんな詞やメロディーを書く人はとうとう現れなかった。
詩人としてメロディーメーカーとして特異な存在だったことがこの1曲からでも伺える。
「淋しがり屋かごろつきか」や「野良猫夜話」のような生活密着型の歌は今も昔もあまり好きじゃない。
天野君が最後の最後まで泣きながら歌っていた「歌は世につれ」は
このソロアルバムのなぜかB面の最初の曲だ。
どうしてB面の最初なのか今でもわからない。
早くから人生を凝縮するような歌を書いて、行き急いでいたのだろうか。

CD化にあたり、天野君自身がライナーを書いている。
いかにも天野君らしい文章だ。
昔のライブ音源について
「おまけがあるほうがいいかなと思ってつけた。でも、過去の作品を聴くのは少しの懐かしさを除くとあまり気持ちのいいものではない。欠点が目立つのだ。」という言葉に天野君らしさと同時に自分も同じようにそう思うと心で叫んだ。
私もなんでだか昔の写真にしろ、たとえ一月前に書いた文章にしろ読み返したい気持ちにはまずならない。
それってなんだろうと思っていた。ただ、単に過去を振り返りたくないだけだと思っていたけど、自分が前に書いたものって欠点が目立つのだ。
過去のことって懐かしさよりも欠点のほうが目立ってしまって、見たい気持ちが薄れてしまう。

天野君がこのライナーを書いたのは2004年1月29日。
丁度、ガンと戦い始めた頃だ。
ファンへのサービスの気持ちを現すために、あまり乗り気でなかったのに、
古いソロコンサートの音源を収録してくれたのだろうか。
ソロコンサートの音源は私はうれしい。
NSPとはちょっと声の違う天野君がそこにいる。どこか微妙に違う。
このアルバムはミュージシャンのアルバムであると同時に、
詩人のアルバムだと私は思っている。



2006年07月08日(土) 「青い夏」  伊勢正三、山本潤子  1999.8.4

6月に見た「アコースティックナイト」で正やんが歌った「青い夏」。
すごく感動したので、CDを注文してみたところすでに廃盤。
なので、有線にリクエストしてみた。
さすが有線!ありがとうございます。ちゃんとかけてくれて感謝、感激。

この歌はみかんの白い花がゆれる夏の歌だ。
内容は学生の恋人同士が、進学か就職か何かの夢を追うかでどちらかが町を離れていくという歌だ。
潤子さんの声のほうがよく聞こえるので、女性の側の歌かと思うけれど、
決してそうではない。
お互いが同じ思いなのだと、男性の歌でもなく女性の歌でもなく二人の思いを歌っているということが伝わる。
「なごり雪」と決定的に違う点は季節が夏だということだ。
「なごり雪」は春先に決定的に別れていく歌だと思うが、こちらは夏だ。
海を眺めながら、
「別れましょうと切り出すのは明日でもいい」となんだか余裕がある。
夏だから余裕があるんだと思った。
進路が決まり、約束も何もない恋が町を離れていくそれだけのこと、
そう、それだけのことだけど、
「好きなのに離れ離れをうらんであげる」という
どうしようもないもどかしさ。
大人の恋ならば行かないでほしいとか、一緒に行くとかの決断を迫られるのだろうけど、この若くて淡い恋はここが行き止まりなのだ。
残るわけにもいかず、ついていくのも無理でだんだんと想い出になっていく。
こういう別れ方は大人になっても、いつまでも形を変えてついてくるものかもしれない。
心からいい歌だと思う。
「アコースティックナイト」では正やんがソロで歌ったけど、きょう聞いたのは潤子さんとのデュエット。
潤子さんのやさしい声で「ずっと、うらんであげる」と歌われると泪がこぼれた。



2006年07月05日(水) 『西村由紀江のNHKやさしいピアノレッスン』

西村由紀江さんのやさしいピアノレッスン。
本当にやさしく丁寧に教えてくれる西村さん。
第4回は「オーバー・ザ・レインボウ」だった。

まず、最初にお手本として西村さんがピアノを弾く。
あまりの美しさに女の私でも卒倒しそうになる。
西村さんの美しさとピアノが溶け合って、
聴くピアノであり、見るピアノだと思う。

今回は心をおおらかに大きく広がるような弾き方の勉強だった。
どうしても間違えないように弾こうと思って、堅くなりがちだけど、
そこをゆったりとおおらかに弾くことによって、
音色がぜんぜん違って聴こえる。
ピアノと呼吸が合うようになると、本当にしっくりと溶けるような音になる。
西村さんは初心者の生徒さんに、全身でおおらかに弾くことを教えている。

レッスン中に爆笑することもあってすごく楽しそう。
みているこちらまで笑ってしまう。
生徒さんの指は緊張で少し震えているけど、
西村さんは「いいですよ。かなりいい線いってます。」
「次は、ここをもうちょっとこうしましょう。」「大きく歌う、メリハリをつけましょう。」と優しく指導している。

次に西村さんは「風と共に去りぬ」を弾いて、跳躍のイメージを教えてくれた。

この番組はピアノのレッスンがとてもわかりやすく楽しいので、
もちろん素晴らしいが、
西村さんの美しすぎる姿と美しいピアノが存分に見られて、
西村由紀江さんの魅力がいっぱいの番組だ。
今回の生徒さんは「ピアノを弾くだけでなく、感情をこめることを覚えました。」と喜んでおられた。
西村さん、きれいでピアノも素晴らしい。大好きだ。



2006年07月04日(火) 『Single Collection』  松たか子  2006.6.28

全部、いい曲ばかりだ。
気持ちよい。個性的ではぜんぜんない。
風が吹いてくるように自然な歌声がきこえてくる。
メロディーも詞もものすごくありふれている。
2000年が6年すぎてこんな歌ばかり歌う歌手がいるということに感謝。
最近は松さん自身が作詞、作曲もされているようだが、
まあ、専門分野や専門的に書ける人にお願いすることも勇気ではないのか。
しかし、今のところ松さん自身の作詞、作曲もなかなかいい感じだ。
間違っても松田聖子さんのように、少ないボキャブラリなのに、無理に作詞して、イメージを平坦にしてしまうようなことは止めてほしい。
「時の舟」「未来になる」は特にいい。
個性的ではないけど、他の人には歌えない歌だと思う。

しかし、ここからはあえて苦言。
ただ、このCDは半分が全ベストと重なっている。しかも曲順までほとんど同じだ。
こんなのをわざわざ作るなんてファンをなめてはいけないと思う。
レコード会社の移籍の関係でこうなったのかもしれないけど、
もっと工夫してほしい。
スキマスイッチとのコラボの曲がそこそこ売れたので、ついでに売りたいというのがミエミエで簡単に作った感じがする。
1曲、1曲をとても丁寧に作るアーティストだけにこんなやり方はよくないと思うけど。。。




2006年07月02日(日) 『音遊人』 遊佐未森 シマブクロ・ジェイク

私はこの番組で遊佐未森さんが歌っているところを初めて見た。
今まで遊佐さんの歌は何曲か好きな曲があったけれど、声がどうにも好きになれなくて、イメージもあまり湧かなかった。
しかし、みんなのうたで遊佐さんの「クロ」がかかり、その歌と映像の感じのよさでいっぺんに「クロ」を好きになった。
絵がシンプルでわかりやすく、歌もとても気持ちが伝わりやすくてほんとの意味で素直な手作りの歌だと思った。
そして、以前よりも遊佐さんの声が自然にメロディーととけあうように聴こえた。

今回、ピアノの弾き語りで「Diary」を歌う遊佐さんを見て、声が出にくそうなのにしっかりと歌え、ピアノもしっかりと弾いてさすが実力派だということをしみじみと感じた。
声は出にくいように聴こえるけど、高音もしっかりと歌えるし、出だしよりも終わりの方が声が響いていて、音楽の先生のピアノの弾き語りのように見えた。

遊佐さんは東京の小学校の校歌も作ったそうで、小学生がその校歌を歌っているシーンも流れましたが、元気のでるような歌詞で覚えやすくて難しい言葉も使ってなくていかにも元気な小学生にふさわしいいい歌だと思った。
歌っている子供達も楽しそうだった。

その次のコーナーではハワイのジェイク・シマブクロさんのウクレレ演奏を少し聴いた。
この人のウクレレも見たいと前から思っていた。
ジョージ・ハリソンの「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリ−・ウィープス」のさわりだけ弾いてくれたが、うっとりするほどいい音色だった。
その後、ウクレレ・テクニックを披露されたが、ギターと違ってピックなしで5本の指を全部使っていろんな弾き方をしていて、圧倒された。
すごい指の動き。かなり丈夫な爪が必要だと思った。
シマブクロさんの演奏は少しだけだったのでちょっと残念。
CDで演奏をぜひとも聴きたい。

最後に遊佐さんが待望の「クロ」を歌った。
赤いドレスで弾き語りする遊佐さんは貫禄があった。
やっぱり音楽の先生みたいに見えた。
あんなに声が細いのに、演奏にぜんぜん負けていない。
「クロ」はきいているだけで、絵が見えてくる。
特に私は二番が大好きだ。
クロと遊佐さんの愛情があふれてくる。
二十三枚のアルバムを出している遊佐さんは、まさに大ベテランの実力派だということがよくわかる番組だった。
YAMAHAもなかなかいい番組作っているなあ。
中島みゆきさんや今これまた大好きな「テルーの唄」のCMも見ることができて、
CMごと楽しめる番組なので、これからも見ようと思った。



2006年06月27日(火) 「テルーの唄」  手しま葵

歌っている歌手の方の名前がよくわからないので、申し訳ないのですが、
映画に使われている歌のようです。
子守唄のようにおだやかでゆったりとしていて、
大人の歌い手さんだと思っていました。
が、まだ18歳の方とのこと。
とても18歳の人の歌声とは思えません。

とてもゆったりと深い声でゆらぎを感じました。
作曲は谷山浩子さんで、いかにも谷山さんらしい曲調です。



2006年06月25日(日) 【NSP FILM TOUR 2006 as...めぐり逢いはすべてを超えて】  名古屋東建ホール・丸の内


















2006年6月24日午後3時から名古屋東建ホールでのNSPフィルム・ツアー。
ロビーにたくさんの記念品が飾られている。
パネル、ポスター、使っていたパソコン、ギター、衣装、靴など所狭しと本当にたくさん。写真は会場内は禁止だけど、ロビーはどれだけとってもよいとのことで、ファンとしてはうれしかった。
みな、大型パネルの横に並んだりして写真を撮っていた。

3時10分頃に始まった。
あたりまえだけど、平賀君と中村君が二人で登場。
やっぱり天野君はいないということにあらためて衝撃を受けてしまった。
平賀君が「きょうはこんなに暑い中、こんな暗いイベントに集まっていただいてありがとうございました。」と言って二人で笑い、お客さんも笑った。
きょうのこのイベントは内容が内容だけに、東京と一関だけにしようと思っていたけど、あちこちのイベンターさんから声がかかり、全国ツアーになったこと。
今回のフィルムはコンサートというより、いろんな人からいろんな話を聞いて作り、自分達も知らなかった意外な天野君の人柄がわかったこと。
そして、映画なので始まる前のCMも作ろうということになり、CMも作ってみたけど不評だということ。
などを話して始まった。


最初に去年秋の追悼イベントの1シーンがあり、
平賀君と中村君が「きょうはNSP最後の演奏です。天野はこの歌を歌ってみんなとお別れがしたいと言っていました。聞いてください。」と言って、天野君のビデオを流しながら「さようなら」を演奏した。
モニターでは天野君がおそらく生前最後の力をふりしぼっての演奏をしている。その下で平賀君と中村君が寄り添うようにギターとベースを弾く。
よく泣かずに演奏できるなと思った。やっぱりプロは違う。
歌っているシーンはここだけだった。

その後、天野君といっしょに仕事をした人たちがかわるがわる登場して、どんな仕事をしてどんなことを語ったか、どこへ行ったか、どんな人だったかをそれぞれに話していた。
ヤマハの昔のえらいさんとか出てきて、私も知っている人もいてびっくりした。
しかし、いろんな人が登場するたびにその登場人物の紹介のテロップが下に出て、それを読むのと、その人の話を聞くのを同時にやらなければいけないので、私などはしっかりと字の方を読んでしまい、何をしゃべっているのかわからなくなったりした。
昔好きだった実川俊晴、あべとしろう、細坪基佳、高橋研、チャ−、あと岩手のDJの人やヤマハの偉いサンや初代マネージャーなどが登場した。

高橋研は意外だった。
彼はNSPより後に中村あゆみさんやアルフィーがブレイクした頃にすごい活躍をした人なので、ちょっと世代が違うなと思ったけど、NSPのラスト・オリジナル・アルバムに参加していたのだ。
NSPの次の世代なので、彼ただ一人だけ敬語でしゃべっていた。
みなそれぞれに仕事をしていく中で、ある日突然病気のことを聞かされ、ただ驚いたらしい。
中でもチャ−は仕事の上で一番親交が深かったようで、なんとかブルーな気持ちを元気にさせたかったようだった。
天野君のギターは、この秋からチャ−が譲り受けて弾くそうだ。
それはなによりの供養だろう。
あべとしろうは久しぶりにその姿を見ることができた。
その昔、「くもと空」というグループをやっていたが、全く売れず、
その後、ソロになっても売れず、すごい才能があってコミック的な歌も歌えるすばらしいアーティストだったが、消えていった。
最近、沖縄で宗教活動と歌手活動をやっていることを知って驚いた。
しかし、彼が天野君と知り合いだったとは私は知らなかった。
あべさん、ただ一人だけ天野君のことを厳しく批判していた。
かなりけんかもしたと言う。
そして、もしかしたらこいつは病気かな?とも思ったそうだ。
最後はわかりあえないままになったようだが、それが少し心残りのようだった。

あと驚いたことに天野君は甘党で、フォークの人たちで作る甘党の会に入っていて、よくみんなで甘いものを食べに行っていたという話があり驚いた。
その話は実川俊晴さんがしていたけど、だいたい実川さん自体こんな画面に現れるなんてびっくり仰天だった。

あと、故郷一関のあちこちの風景や学校も訪問していた。学校では野球部の生徒がすごく気合を入れていた。平賀君が声をかけると一人の生徒が「今から俺の気合を見てください。」と言って何か叫んでいた。平賀君と中村君はものすごく驚いていた。平賀君が住んでいた下宿や「夕暮れ時はさびしそう」が生まれた川原も訪れた。

その間、病気と闘っている天野君も登場し「ガンが小さくなっていないので、来週からまた治療に入ります。でも、先生はこれだとあと2年くらい生きられると言ってくれました。先生が2年と言うのなら僕は3年生きることを目標にがんばります。」と言っていた。

2年前の名古屋のコンサートで天野君は「あとどれだけ長く生きるかよりも、どうやって生きるかが大切なんです。」と言っていた。
それがまさかこういう意味だとはそのときはみじんも気づかなかった私。

最後に未発表のデモテープが流れた。歌詞はまだできていなかったのか
英語で歌っているようだ。声はまぎれもなく天野君だ。
そして、エンドロール。
今までゆかりのあったミュージシャンの名前がずらりと並んでいる。
懐かしい金子裕則や芝田洋一の名前もあった。

ミュージシャンの名前の後はファンクラブ会員の名前も流れた。
私の名前も流れて胸が熱くなった。
ファンクラブ会員のお客さんが多いのか、みんな身を乗り出して自分の名前を探していたようだった。

それで終わった。

一番印象的だったのは初代マネージャーさんの話で「歌は世につれ」を作ったきっかけの話だった。
それはたまたま見た大学の文集からヒントを得たそうだった。
あの歌を天野君はコンサートでいつも歌うのに、いつも二番からは涙で歌えなかった。
私が最後に見たコンサートでも2番から泣いていた。
サラリーマンの人たちは足並みをそろえすぎて、流れていくけど、僕はギターを持ってどんなに辛くても死にたいほど苦しくても、僕はギターを持って一生ギターを弾いて生きていくんだという決意のこもった歌だった。
なんでいつも2番で泣いていたんだろう。
私の一番の心残りは天野君が最後まで泣かずに歌いきる「歌は世につれ」を聞きたかったということだ。
辛くとも苦しくとも最後までギターとともに生きた自分自身がうれしかったのだろうか。やり遂げたことに胸がいっぱいになったのだろうか。
もうわからない。

フィルムが終わって平賀君と中村君は「みなさんが一生懸命見てくださって感激です。また、何かの機会にイベントをやりたいです。最後に流れたデモテープはどうするか決まっていません。デモだからデモのままでもいいかなとも思います。」と言い、「あべとしろうさんは勝手なこと言ってましたね〜(笑)。でも、本当に僕も天野は嫌なことばかり言って嫌な奴だなと思ったこともあったけど、その裏ではものすごくがんばっていたんですよね。いかに僕らが役に立っていなかったかが後でよくわかりましたよ。」と最後の最後まで優しかった。
きっと、普通の人にはわからない絆があるはずだ。
家族なんかとは違う深さと違う強さの絆。
「二年前の名古屋のコンサートで天野君はどれくらい長く生きるかよりもどうやって生きるかです。といっていたけど、僕らにとってはどれくらい長く生きるかが大事です(笑)。みなさんも生きていればいいことがあるかもしれないので、がんばって長生きしてください。」

平賀君と中村君もずっとずっと長生きしてください。
平賀君は奥さんをガンで亡くし、その涙の乾かないうちにこんどはリーダーの天野君をガンで亡くし、それでもNSPを続けていく。
もうNSPとして歌うことはなくとも活動を続けるなんてのは並大抵の人間じゃあできない。試行錯誤の日々だろう。
今年、川崎の方にお墓を建立するそうなので、私もぜひともお墓参りに行こうと思う。

私にとって天野君とNSPはただの好きなミュージシャンじゃあなかった。
天野君を知らなかったら私はポプコンに応募なんてしなかったし、
曲を作ったり歌ったりもしなかった。
ただ、音楽が好きで青春時代をすごし、熱が冷めたらきっと忘れていったはずだ。
天野君の声と顔と曲と詩にぞっこんになり、自分も曲を作りたいとコードを覚えたりした。
他にも好きなアーティストはいっぱいいたけど、まねして自分も作ってみようなんて思ったのはNSPのファンになったせいだ。
天野君、ありがとう。

なんであんなに好きだったんだろう。


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