林心平の自宅出産日記

2005年02月09日(水) インフルエンザの嵐が吹き荒れる


 3日前からぷーちゃんはせきが出るようになり、昨日の夕方、熱が出ました。夜間急病センターへ行くとインフルエンザA型との診断。薬をもらって飲むと、今朝はすっかり熱が下がっていました。
 あらためてかかりつけの小児科へ行き、せきの薬ももらいました。
 それ以来熱は上がっていませんが、夜になると咳こんでおり、今日はなかなか眠れませんでした。ぜんそくの傾向があるのかもしれません。
 まーちゃんにうつることが心配ですが、今のところ、いつもより元気なくらいです。



2005年01月29日(土) 小春日和のスノーマン

 数日、外に出ることのなかった子どもたちでしたが、とても天気のよい日だったので、大学の庭まで散歩に行きました。
 久しぶりに雪に触れた子どもたちは嬉しそうに、雪だるまを作りはじめました。
 すこし離れたところに、若い男女がやってきました。まるで、はじめて雪を見たかのようにはしゃぎ、雪をかけあったりしています。
 しばらくすると、男の人がやってきて、
「エクスキューズミー」と英語で話しかけてきました。自分たちは雪のない国から来て、はじめて雪を見ました。大きなスノーボールの作り方を教えてほしい、とのことでした。どこから来たのですかときくと、台湾からでした。ぼくは、小さな雪玉を握って作り、それを転がしてだんだん大きくするのだということを教えてあげました。それを見て、とても喜んでいました。
「ぼくたちは作ります。スノーボールを二つ重ねて、」とぼくが言うと、彼は
「スノーマン」と言ってにこにこしました。
 それから彼らは、雪だるま作りにとりかかりました。はっきり言ってとても下手でしたが、とてもほほえましい光景でした。
 子どもたちは上手に雪だるまを作り、枝で手と顔をつけました。
「ばいばーい」と子どもたちが手をふると「ばいばーい」と手をふりかえしてくれました。

 帰って妻にこのことを話すと、「その人たちにはいい思い出になったね」と言われました。



2005年01月27日(木) 水ぼうそうと家事と仕事の両立

 今週、子どもたちが2人とも水ぼうそうにかかり、苦しんでいました。最初の発疹があってから、ゆっくりと体全体に広がっていきました。発熱もなかったので、保育園でかかった子がいたという水ぼうそうを疑いつつも、どうも違うようだと思っていました。
 ところが、水ぶくれができてとてもかゆいことになり、皮膚科に行くと、まちがいなく水ぼうそうであると言われました。それから熱に苦しみました。夜中じゅう、熱とかゆみにうなされる日が続きました。
 
 最初は有給休暇をとって仕事を休みました。翌日は、朝の様子を見て出勤するかどうか決めようと考えていました。
「休んで休めないことはないよ」とぼくは言いました。
 朝、妻に出勤するともしないとも言っておらず、「仕事に行ってくるよ」と急に言うと驚いてしました。昨日は休んでもいいと言ったのに、朝になると行かなければならないような気がしてきて「大事な会議があるから」と言いつつ、出かけました。
 前の晩は、ぼくも妻もほとんど眠れず、家の掃除も昼食の支度も何もしていませんでした。
 昼休みに電話をかけると、お昼の支度にまで手が回らないと、とてもたいへんそうだったので、ぼくは上司に「一度帰りますが、また、戻ってきます」と言って、帰宅しました。
 帰宅すると、昼食の支度や子どもたちの世話で忙しくなり、結局「早退します」と職場に電話をかけました。すると、上司に「プロだろう。たいへんなのはわかるが、仕事に対して甘いんじゃないか」と言われました。

 結局、ぼくは、妻にも職場にも迷惑をかけてしまいました。仕事に行くならば、家のことを整えておかなければなりませんでした。それができないのならば、仕事を休むべきでした。
だから、ぼくは、確かに、家事についても外での仕事についても甘く、中途半端でした。
 今日の場合、堂々と「もう1日休ませてください」と職場に伝えるべきでした。

 家事と仕事の両立を考えるならば、両方に対して真剣にならなければならなかったのでした。



2005年01月19日(水) 「家事は楽だ」と言ったこと

 これまで妻は、周囲の人から幾度となく、「なぜ家事をしないのか」と問われてきました。たいていの人は、ぼくのほうが料理がうまいから、などと理解しようとします。けれど、実際には、ぼくよりも妻のほうが料理も上手だし、そうじも丁寧だし、洗濯物をたたむのだって、きっちりとしています。
 妻は体が弱いからとか、妻は完璧主義だからやりはじめるととことん突き詰めてしまうから、などと答えたこともありました。

 妻は先日、辰巳芳子さんが出演していたテレビを観て以来、家事のことを考えていました。そして、その問いの答えがわかりました。それは、数年前のぼくの発言にあったと言うのです。
 当時、1人目の子どもがうまれて、ぼくはアルバイトをし、妻は家で家事と育児に追われていました。そんなとき、ぼくは妻に
「三食昼寝つきで楽でいいなあ」と言ってしまったのです。
 それなら、やってみればいい、ということになり、妻と交代して、妻がアルバイトをして、ぼくが家にいた時期もありました。実際、家にいて家事と育児をやっていると、ちっとも楽ではなく、むしろ、オンとオフがなくて間断なく続く仕事なのだということがよくわかりました。

 また、ぼくが洗濯物を干してたたむと、いつだってしわしわでした。そのことを妻に指摘され、「もっと丁寧にやってほしい」と言われたときのことです。ぼくはこう言いました。
「それは家事に対する基準が違うということで、ぼくは、そこまで求めていない。だから、これでいいと思う」

 今にいたるまで、ぼくは自分の「三食昼寝つきで楽でいいなあ」という発言について、取り消して謝ると言うことをしていませんでした。
 日々の忙しさの中で、そのことを気にかけることなくきてしまいましたが、妻の中ではそのことが、まるで炭の「オキ」のようにくすぶって燃え続けていました。無意識のうちに、ぼくが「謝るまで家事をしないぞ」と思っていたのだろうと、今思い返すとそのように理解される、とのことでした。

 妻は、いっしょうけんめい家事をしていました。ぼくはそのことを理解していませんでした。それどころか、完璧にやりとげようとする妻に対して、そして、「そこまで求めていない」と言って否定しました。そして、「三食昼寝つきで楽でいいなあ」と言ったのです。

 今、ぼくは、身にしみてこう思います。
「家事もひとつの仕事。育児もひとつの仕事。きちんとやることは、とてもたいへんなこと。そして、とても大切なこと。」
 だから、今、あのときの発言のことをあやまりたいと思います。

「三食昼寝つきで楽でいいなあ」だなんて言って、ごめんなさい。それから、いっしょうけんめいやってくれてありがとう。ぼくも、もっと、きちんとできるように努力します。これからも、一緒にやっていこうね。

 この話をしてから、妻がメールをくれました。気づいたこととして、
「子どもは親のする家事、育児について、決して『そこまで求めていない』などと言わないこと。手をかければかけるだけ喜んでくれます。」



2005年01月16日(日) 冬山の一夜 (後編)

 タクシーでたどり着いたぼくたちを、主宰者が迎えてくれました。
「皆さん、まだ、ついていなくて、集まったらここからヒュッテまで遊びながら歩いていくんですよ。先に行かれてもいいですが」
なんと、ぼくは勝手に道の脇にヒュッテがあるのかと思っていたのですが、まだ、ここから歩くのだということでした。まずは子どもたちを休ませてあげなくてはと思い、先に行かせてもらうことにしました。
 
 雪をかきわけて重い荷物を持ちざぶざぶと歩いていきました。子どもたちも何とかついてきます。20分ほど歩くと、ヒュッテにつきました。
 主催者もまだ、着いたばかりのようで、これから火をおこすところでした。すっかり冷えた体を温めてあげることもできなかったのですが、持参したお湯で、インスタントのスープなどを作ってあげました。昼食用にと思って昨晩焼いてきたあんぱんを、こどもたちは2つも平らげました。まだ、10時をまわったばかりだというのに、消耗していたのでしょう。
 台所の火のそばで少しでも暖をとろうとしましたが、なかなか温まりませんでした。このままではいけないと思い、外に出ることにしました。天気はよかったので、日の光の下のほうが暖かそうに思えたのです。身支度をして外に出ると、室内よりはいくらかすごしやすかったのですが、それでもじっとしていると寒いので、もときた道を歩いていると、すぐに他の参加者の一団がやってきました。

 主催者が豚汁を作ってくれたので、それぞれがもちよった昼食を、暖まりはじめたヒュッテの中で食べました。もう、あんぱんはそんなに残っていなかったので、豚汁はありがたくいただきました。
 ぷーちゃんは「足の親指が痛い」と言いました。靴下を脱がせると足先が冷えていたので、ぼくのおなかに足をつけて温めてあげました。今思うと、このときに、お湯をわかすなどしてもっと、しっかり温めてあげればよかったのです。
 主催者の話からわかったのですが、昨年から毎月、このヒュッテに来て、子どもたちを遊ばせており、何回か参加している常連が多いようでした。
 昼食後は、おまちかねの雪遊び。子どもたちはすっかり元気になって、巨大なそりですべり、倒木の上に登り、雪のトンネルを掘り、めいっぱい遊びだしました。スタッフには、若者も何人もいて、体当たりでたくさん遊んでいました。ぼくも、そりに乗ったり、トンネルをくぐったりしました。
 子どもたちも、自由の天地の中で、底抜けの笑顔とともに何の屈託もなく遊んでいました。

2時間半ほどたつと、もちつきがはじまりました。そのときに気づいたのですが、他の子どもたちはヒュッテの中で休んでいました。もちつきをやるというので、外に出てきたのです。
ぼくは、まーちゃんとヒュッテに入って休むことにしました。ぷーちゃんは「まだ、遊ぶ」と言うので外で遊ばせておくことにしました。
そのまま、ぷーちゃんは外でもちつきに参加し、それをまーちゃんは窓から眺めていました。
もちつきが一段落した頃、ぷーちゃんが戻ってきました。
「足が痛い」と涙を流しながら言っていました。ぼくは、大変驚いて、ストーブのそばにぷーちゃんを連れて行きました。スタッフや他の参加者も集まってきてくれました。とても幸いなことに、参加者の中に看護婦をしているという方がいて、
「うちの子もなったことがあるけど、遊びすぎて冷えたのだと思います。ゆっくり温めましょう」と言って、お湯を持ってくるように指示し、ぷーちゃんの指を温めはじめました。
 ぼくは、泣きじゃくるぷーちゃんを見て、すっかりおろおろしてしまいましたが、主催者の方と看護婦さんがつきっきりで看護してくれました。30分ほどもそうしていたでしょうか。カイロなども使って、だいぶ温まってきたと言うので、地下の、もう1つ薪ストーブがある部屋に行きました。そこでは、別の団体が「なだれ講習会」をおこなっている最中だったのですが、一番暖かい場所を空けてくれました。そこに、冬用のシュラフを置いて、足を靴下とカイロでくるんで寝かせました。
 そして、「なだれ講習会」は明日の朝に再開するということにしてくれました。
 ぷーちゃんは横になると、すぐに寝入ってしまいました。それまで心配してそばにいたまーちゃんも少し安心したようで、行ったり来たり、遊び始めました。退屈そうにしていたので、スタッフの方が遊びに連れて行ってくれました。
 やっと一息つけたので、妻に電話をかけました。ぼくは、このまま寝かせておいたほうがいいかなと思いましたが、妻は、「夜中に眼が覚めてもかわいそうだし、起こして夕食を食べさせたほうがいいと思う」と言いました。しばらく、そばにいると、じきにぷーちゃんは目を覚ましました。
 階上では、子どもたちのピザ作りが始まっており、参加したいというので連れて行くと、もう、かなり回復していました。ぼくとまーちゃんにピザを作ってくれ、食後は子供たち全員での「はないちもんめ」にも積極的に参加していました。
 「よくなってよかったですね。心配したでしょう」と口々に言われました。そのとおりでした。

 翌朝は、まだまだやる気だった子どもたちでしたが、控えめに遊ぶことにし、一番に下山しました。
 バス停まで送っていただき、バスと電車を乗り継いで帰宅すると、心配していた妻がほっとした様子で迎えてくれました。
 子どもたちは「また行きたい」と言っています。
 ぼくは、適当なところで休ませることも親のつとめだということを、身にしみて知らされました。未熟な親でした。
 でも、元気になって、ほんとうによかった。


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