林心平の自宅出産日記

2005年01月15日(土) 冬山の一夜 (前編)

 NPO主催の「森のようちえん 冬の森でお泊り会」というものに、子どもたち2人と参加しました。手稲山パラダイスヒュッテというところに、就学前の子どもと親が土曜日の晩に泊まる、というイベントでした。山小屋ときいてはりきる子どもたちにせがまれて、妻も行こうかという気になりましたが、寒いだろうから妊婦さんにはよくないと、思いとどまりました。

 手稲駅から出て、バス停に向かいました。手稲山パラダイスヒュッテは、手稲山のスキー場の近くにあるため、スキー場行きのバスに乗ればよかったのです。バス停の前まで行ったとき、まーちゃんが「おしっこ」と言いました。まだ、バスは来ていませんでしたし、8分ほど時間がありました。急いで駅にひきかえし、トイレに行きました。
 バス停に戻ってくると、すでにバスは来ており、その中にはスキーをかかえた少年少女たちがぎっしりとつまっていました。今日は、快晴の土曜日でした。3歳、6歳、32歳のチームではとても乗り込むことすらできませんでした。しかたなく、タクシーで行くことにしました。
 でも、スキー場のバス停から、いくらか歩かなければならなかったので、タクシーに乗るメリットもあるのでした。まあ、それに、快適に行けるのだからよしとしましょう。

 ぷーちゃんは乗り物酔いをしやすい性質だったので、道が山道になってくるにつれ、気分が悪くなってきました。まーちゃんは静かにしていました。「手稲山」パラダイスヒュッテというくらいですから、道はくねくねと曲がりながら登っていくのでした。
 おでこを前のシートについている手すりに押しつけて、下を向いていたまーちゃんが、突然、
「げぼ出た」
と言いました。見ると、少し、吐いていました。ぷーちゃんはあいかわらず、ぐったりとしています。まーちゃんは、かわいそうなことに、まだ、少しずつ吐き続けていました。
 タオルでふいてあげているうちに、車がとまりました。しかし、そこは、目的の山小屋ではなく、研修場と書かれた大きな建物でした。運転手さんに
「ここではないです」と言うと、「あれっ、違うの」と言って外にいた駐車場の係りの人に聞いていました。
 どうも通りすぎていたようで、登ってきたくねくね道を今度は下っていきました。そして、やっと着きました。山小屋は、道沿いにはなく、道の脇にはワゴン車が止まっていました。
「着いたよ。着いたよ」と言って、へろへろになった子どもたちを車の外に出し、運転手さんに車を汚してしまったことをわびました。

 たどり着くまでがたいへんでしたが、これはまだ、この波乱万丈の小旅行の幕開けにしかすぎなかったのです。
つづく



2005年01月14日(金) 育児休暇と協調性

 ぼくの職場では年に一度、上司が職員の評価をするために個人面接をおこないます。その場では、職員の希望を言うことができます。
 そこで、育児休暇を取得したいと考えていることを伝えました。まず、3月に妻が出産予定であり、自宅出産をするので、生まれたら残っている10日程度の有給休暇をまとめて使いたい。その際に、もちろん、妻が出産したときにとれる3日間の特別休暇もとる。そのために、3月におこなう予定である調査を早めにやっておきたいと、言いました。
 それらは、可能だということでした。
 次に、4月1日から4月30日まで育児休暇を取得したい。理由としては、まず、自宅出産であること。転勤が予想され、そうなると子どもの保育園が変わる。その際にはならし保育が必要であるが、それはぼくがしなければならないこと。家族全員の生活環境が変わるので、そのケアをしたいこと、を伝えました。
 それに対する上司の返事は
「難しいだろうな」でした。
「どうしてですか。育児休暇制度はちゃんと明記してありますよね」
「それはそうなんだけど、1人が1か月いないと、その分、まわりの人がカバーすることになるだろう。その人が回せないんだ」
「でも、それは、育児休暇をとらないという前提で、人と仕事を配置しているということになりますよね。今までとった人はいないんですか」
「そうなんだ。いないんだよ。まあ、出してみて、もしだめだということになったら、労働組合でとりあげたほうがいいよ。1人でやると、実現できないかもしれない」
 どうも、納得がいきませんでした。制度がないのなら、職場全体の問題として、制度の確立を求めていく、ということになるでしょう。でも、すでに制度はあるのです。それなのに、取れないなんて、おかしな話です。

 話は変わって、ぼくの評価という話になりました。
「仕事はよくやっているし、まちがったらすぐ謝るし、とてもいい評価だ。でも、ひとつだけ、低い項目がある。協調性だ。家族を大切にするというのは、正しいと思う。そして、おれはそれを理解しているけれど、それを理解していない上司もいるから、心配だ」
 どうも、仕事よりも家族を優先して、飲み会にあまり出ないとか、そういうことを言っているようでした。でも、上司の言った評価は、まさにぼくの目指していたスタイルだったので、内心、嬉しく思いました。
 仕事は頑張る。家庭の事情を仕事に持ちこむ。
 結局、育児休暇をとるということは、家庭の事情を仕事に持ちこむことになり、「協調性に欠ける」と評価されるということのようでした。

 家に帰って、妻に言いました。
「今日、上司との面接があって、とてもいい評価だったんだけど、ひとつだけ低い項目があったんだ。それはね、」
「協調性」
と二人の声はぴったりあいました。
「どうしてわかったの」
「そりゃあ、わかるよ」
2人して、笑ってしまいました。



2005年01月12日(水) お詫びと訂正

 昨日の自宅出産日記に、「妻が体重があまり増えていないのを気にしてエコーを見に行った」と書きましたが、それはまちがいでした。実際は、「骨盤位かどうかを気にしてエコーを見に行った」のでした。

 お詫びして、訂正します。

 これからは、もっと勉強し、正確に書こうと思っています。



2005年01月11日(火) 妊婦さん、病院へ検査を受けに行く

 助産婦さんに血液検査を受けに行くように言われたので、病院へ行きました。また、胎位は27から32週くらいまでに決まり、もし骨盤位ならば、すぐに逆立ちをする、と『分娩台よ、さようなら』に書いてありました。現在29週であり、頭が下になっているかどうか、エコーでしーちゃんの様子を確認したいということもありました
 

 道が凍っていてすべるので、朝、ぼくが出勤するときに一緒に出て病院まで送り、昼休みに待ち合わせをしました。
 血液には特に異常はありませんでした。「クラミジアの検査を、この病院ではこの時期におこなうのですが、どうされますか?」ときかれたので、お願いしたということでした。ぼくは、病院での検査が好きではない妻が、どうして検査を受けたのかなと思いました。
 そして、エコーの画像も見たとのことでした。写真を見せてもらうと、しーちゃんの顔がはっきりと写っており、妻は、ぼくに似て「たれ眼」であると言いました。頭は下になっていました。
 10月にも血液検査をしてもらった女性のお医者さんに、妻は、こんな素敵なことを言われました。

「自宅に助産士さんが来てくれるんですか。自宅で分娩されるんですか」
「はい」
「家族みんなに囲まれて分娩ですね。いいですね」

 これを聞いて、ぼくは、少なからず感動しました。自宅出産に理解のあるお医者さんに出会えることを、そもそも期待していなかったからです。そして、このお医者さんだから、妻も提案された検査を受けようという気になったのだとわかりました。

 それから、ちょっとおいしいところで、二人でランチを食べました。とても優雅な昼休みでした。



2005年01月08日(土) おむつをはずす

 3歳8か月のまーちゃんが
「しーちゃんがうまれたらおむつがいるから、まーちゃんはおむつをしないで寝る」と言いました。
 まーちゃんは、ずいぶん前から、起きている間はおむつをつけないで、トイレかおまるで用を足していました。しかし、夜、寝る間だけはおむつをつけたままで、たいてい夜中に2回ほど、おむつ替えをしていました。
 そんな状態が1年以上も続いていたのですが、まーちゃんがそう言うので本人の意思を尊重して、夜、パンツで寝ることにしました。
 布団の上に、遠足の時に使うシートを敷こうとも考えましたが、妻が
「気づいたらプライドを傷つけてしまうよ」と言うので、いつもどおりに寝かせました。
 もちろん、寝る前には必ずトイレに行かせます。それから、ぼくが寝るときにも起こしてトイレに行かせます。起こすというよりも、実際は、寝たまま抱っこして便座に座らせ、そうすると、おそらくトイレの脱臭装置の音にうながされて、寝たままおしっこがでて、そのまま布団に戻しています。それから、午前3時くらいに目覚まし時計をセットして、再度、トイレに行かせる計画でした。
 
 ところが
「おしっこ出ちゃった」という声に起こされました。時計をみると、2時半でした。パンツ、パジャマズボン、下着のシャツ、パジャマの上着、シーツ、ふとんが濡れていました。すぐに着替えさせ、布団にはとりあえずタオルをかけ、その部分から離れた場所に寝かせました。
 翌日は、まだ、ぼくの起きている時間に
「おしっこ出ちゃった」と言われ、急いでかけつけると、まだ、パンツとパジャマズボンしか濡れておらず、布団は大丈夫でした。
 その翌日は、タイミングが合わず、2回布団が濡れてしまいました。
 4日目になって、初めて何も濡れない夜がやってきました。
 安心したのもつかの間、その翌日には、ぼくがすっかり眠りこけている間に
「濡れて冷たい」と泣いているところを、妻に起こされました。しかも、朝、ぼくが先に起きた時、トイレに連れて行かなかったら、また、濡れてしまいました。

 あれから特に本人は、パンツで寝ることを話題にしていません。布団を濡らさないようにするために、2時に目覚ましをかけています。毎晩どきどきしていますが、これもいつかは通らなければならない道です。
 それに、まーちゃんも、まーちゃんなりに、しーちゃんのことを考えて、頑張っているのだと思うと、じーんとしてきます。

 考えてみると、ぷーちゃんがうまれてから、この正月で6年になりますが、その間、おむつを使わなかった日はありませんでした。ぷーちゃんがおむつがとれる前にまーちゃんがうまれたのです。しーちゃんがうまれるまでのこれから3か月間が、6年ぶりにおむつのない生活です。
 洗濯干しにおむつのひるがえっていない光景が、なんだか物足りないような気持ちがします。また、すぐに、そんなことを言っていられない、おむつだらけの日々がやってきます。


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