林心平の自宅出産日記

2004年12月27日(月) 教会ともちつき 後編

 中学生くらいの女の子が子どもたちの食べっぷりに感心していました。それから、「おもち丸めたい?」と子どもたちにききました。うなずく子どもたちの手をひいて、厨房の前でつきあがったおもちを丸めている人たちのところに連れて行きました。人差し指と親指の間からむにゅっと出したおもちをちぎって、丸めていきます。
 そのうちに、外に呼ばれて、もちつきを見に行きました。息子が見ていると、「つきたておいしいよ」と言ってちぎってくれました。息子は手にべたべたついたつきたてのおもちを食べていました。食べ終わってから手を洗いにいくと、「手が痛い」と言いました。
「どうしたの」
「おもちと一緒に手をかじっちゃったの」
かわいそうに、小さな手を見ると確かに少し、けがをしていました。そこで、そろそろ帰ろうとすると、おみやげのもちまでいただきました。
 献金のかごがあったので、持っていた小銭を集めて750円入れました。

 一つ思ったのは、若い人たちと年配の方たちが一緒にもちをついたり、丸めたり、食べたりしているというのはいいなあということです。そんな中でも、うちの子どもたちは最年少で、喜ばれていました。もし、子どもたちがいなかったら、ぼくたちは今日のようには入りこめなかったでしょう。
 みんな、おなかいっぱいになりました。



2004年12月26日(日) 教会ともちつき 前編

 日曜日なので、コープまで、家族そろって歩いて食料の買出しに出かけました。すべって転ばないように、ぼくが妻の手をしっかりと握って歩きます。すると、いつもはそれぞれぼくたちに手をひかれている子どもたちが、二人で手をつなぎました。保育園での散歩のときは、二人一組で手をつないで歩くので、そうしたようです。小さな人たちが、助けあっていっしょうけんめい歩く様子がとてもかわいらしかったです。

 買い物が済んで家の近くまで戻ってきたとき、近所の教会の前で、うすと杵でもちつきをやっていました。子どもたちに見せてあげようと近くまで行くと、牧師さんらしい、詰襟のような服を着た人が声をかけてくれました。
「よかったら、中にどうぞ。おもち、食べていってください」
そんなことを言われるとは思ってもみなかったので驚きましたが、言われるがままに中に入りました。
 教会の中には、たくさんの人がテーブルについて、お雑煮やお汁粉を食べていました。席に案内されると、すかさず大福とお茶を持ってきてくれました。つきたての大福は、それはそれはやわらかく、おいしいものでした。それから雑煮、お汁粉、クッキーと子どもたちももりもり食べました。
 先ほどの牧師さんがやってきて、隣に座りました。別の人が牧師さんに
「とおりすがりの人ですか?」とたずねたので、ぼくが
「とおりすがりです」とこたえると、笑っていました。
「毎年おもちをついているんですが、余ると私のうちで、私はここに住んでいるんですが、3日間くらい食べ続けるんです。たくさんあるってことは、いいことですけどね。だから、たくさん食べていってください」

 それにしても、教会でもちつきをするとは知りませんでした。でも、考えてみると、日本の教会なのですから、何もおかしなことではないのかもしれません。



2004年12月24日(金) わかさぎの佃煮

 昨日は7か月の定期健診に、かぜのなおった助産婦さんが来てくれました。助産婦さんが来ると、どうも、まーちゃんははしゃいでしまいます。室内で三輪車を乗り回し、助産婦さんの周りをぐるぐる回ったりしています。
 助産婦さんは妻のおなかを両手ではさむようにして、探っていました。
「胎盤もわるいところでなく、ついてます。背中がこっち向きですね」
 今のところ、逆子ではないようでした。
「赤ちゃん小さいから、羊水の中にいますから、いつ、ひっくりかえるかもしれません。車に乗るときは、手でおなかを押さえてください。歩くのはいいけど、乗り物には気をつけて」と言われました。

「体重はもっと増えてもいいですね」と言われました。
体重については、妻の努力により、7か月後期現在で、3kg増にとどまっています。そのことを妻は、少し、心配していました。もっと増えた方がいいのではないかと思っていたのだそうです。でも、『分娩台よさようなら』によると、7か月まででせいぜい3kg増までにとどめることと書いてあったので、やはり、これでよいのだと一安心しました。
のちに妻は、「前はずいぶん体重が増えたよね」と言いました。ぼくは、
「ストレスのせいじゃない? 1人目は、お金のない不安と、初めての出産に対する不安、2人目は、ハードに働いていたことによるストレスとお金のなさ。あれっ、結局いつもお金がないんだね」とこたえました。

 次回は、1月の末に病院で定期健診を受けてから、助産婦さんに連絡することになりました。
 助産婦さんが帰るとき、四国の妻の実家から送ってきたうどんをおすそわけしました。すると、助産婦さんは
「いつも手ぶらですみません」とおっしゃいました。けれど、先日は自宅でとれたというブドウを持ってきてくれました。それに、検診をしにくるのに、おみやげを持ってこないのは当たり前です。
 翌々日になって、助産婦さんより、わかさぎの佃煮が届きました。ぼくたちは、たいへん恐縮しつつお礼の電話をかけました。特に、年配の方に贈り物をするときは、よく考えなければならないなと、つくづく思いました。



2004年12月23日(木) 何もあきらめない

 2004年12月22日の朝日新聞夕刊よりの抜粋。
「フランス農相から財務相に11月末に転じたエルベ・ゲマールさん(44)は、甘いマスクと8人の子持ちで知られる。対仏投資庁長官の妻クララさん(44)との間に17歳から7歳の3男5女。2人は何もあきらめずに、すべてを手にしつつある。/週刊誌パリマッチによると、財務相は毎朝6時に起床。下の子2人を起こし、朝食を用意し、学校まで送る。長官の方は仕事柄、国外出張が絶えない。夫の協力なしでは8人は難しかった。」

 妻は、この記事をぼくに見せて言いました。
「すごいでしょう。この『何もあきらめずに、すべてを手にしつつある』というところ読んでよ」
確かにすごい。僕たちの合言葉は、「子どもを言い訳にしない人生をおくる」というものです。「子どもがいるから、これはできない」と言わないで、やりたいことはやる、ということです。
 でも、この信条のかなり高いレベルの実現者の存在を知って、とても勇気づけられました。そして、あらためて、ぼくたちも自分の野望を実現させることを誓ったのでした。
「まずは、6時に起きたら?」
「う、うん」
(たしかに、朝の時間に余裕があまりなくなってきていたのでした。)



2004年12月22日(水) 最近のご飯

  うちのご飯体系はしばしば変わります。普通は、朝は普通で、昼は外で、夜はしっかりとといった感じでしょうか。最近うちでは、朝は妻が食べないことが多いのですが、ぼくと子どもたちで「ご飯、みそ汁、納豆卵」あるいは「北海道産小麦粉のパン、大豆ごまココア、お弁当のおかず少々」を食べ、昼は子どもたちは保育園での給食、ぼくは前夜に仕込んでおいたお弁当、妻は朝の残りとお弁当のおかずを食べ、夜は皆で軽めに、チャーハンとみそ汁、おにぎりとみそ汁、モツ煮込みうどん、スコーンと紅茶といった感じです。

 妻は、いいかげんなぼくと違って、いつも、「次、何を食べるか」ということを気にしています。昼休みに、職場から電話をかけると、必ず、「今日の夜、何食べようか」ときかれます。
「ご飯が残っているからチャーハンにしよう」などと答えるのですが、最近のコンセプトは「食べたいものを食べる」です。
 先日、「徹子の部屋」に出ていた100歳の料理研究家が、自分の食生活に対する信条として、「食べたいものを食べること」と述べていました。「100歳の料理研究家」という存在は、とてつもない説得力を持っていました。

 今日は、「何、食べたい?」ときかれたとき、
「スパゲッティ」とこたえました。
「ええっ、お米じゃないの?」と妻は、本気で驚いていました。ぼくが、稲作に関する仕事をしているからです。
「スパゲッティ、好きなんだよ」とぼくは言いました。でも、もちろん、お米も好きですよ。 
 


 < 過去  INDEX  未来 >


林心平 [メール] [林心平のホームページ]