林心平の自宅出産日記

2004年12月17日(金) クリスマス・ページェント

 娘が保育園で、毎年恒例のクリスマスの聖誕劇をすることになりました。今年は年長なので中心的な役割を演じます。会場が狭いのでこれまで妻は行ったことがありませんでしたが、今年は晴れ舞台なので、行くと言いました。ぼくが一度帰宅し、手をつないでいけば、凍りついた横断歩道も渡っていけるでしょう。
 17時45。分には保育園に行かなければならなかったのですが、17時すぎに頼まれた仕事があり、職場を出たのが17時20分になってしまいました。それから走って走って帰ると、家についたのが17時35分でした。ドアを開けると、すっかり身支度の整った妻が、息子の着替えも袋に詰めて待っていました。ぼくは、妻のやる気を感じ、少なからず感動しました。今日は、少しだけおしゃれをしていく日なのです。
 なんとか間に合って、妻と息子とともに会場へ。娘は先に行って、出演準備をしています。「この行事は、厳かな雰囲気の中でおこなわれます」と先生が言いました。いよいよ開演です。イエスが馬小屋でうまれるまでのお話です。

 開始早々、前のお母さんたちのカメラのフラッシュがばちばちたかれました。カメラとビデオを両手に持って操作している人もいました。そこには「厳かな雰囲気」はひとつもありませんでした。
 対照的に、子どもたちは真剣そのもので、彼らの緊張によって、舞台の上は「厳かな雰囲気」に満ちていました。
 ぼくは、とりたてて信仰はないのだけれど、そして、カメラを手にした人たちの信仰についても知らないけれど、この子どもたちの気持ちを受けとめられない大人たちに対して、いらいらしました。
 ぼくたちは家では写真をよく撮りますが、こんなときは、カメラをもってきません。ちゃんと、保育園のほうで写真を撮り、後日販売してくれることになっています。

 子どもたちの間では、ひらひらした白い服を着る、天使の役が人気だったそうですが、娘はそれを友達にゆずり、博士の役になっていました。三人の博士の最後尾をつとめる娘は、見るからに緊張していました。博士が1人ずつ宝物をうまれたばかりのイエスに捧げる場面では、1人ずつのセリフと動きがあり、博士の見せ場でした。娘は3番めの博士だったので、前の2人の場面が終わるのを、舞台の上で待っていなければなりませんでした。そのときのこわばった表情には、こちらも緊張させられましたが、娘は立派にやりどけました。
ぼくたちはほっとして、それから嬉しくなって、「上手だったね」と妻と言いあいました。

 無事に劇が終わると、娘たちはキャンドルサービスの火と、献金の箱を持って客席を回りました。新潟やイラクに募金するのでした。皆、前日に配られていた献金袋にお金を包んで箱に入れていました。ところが、ぼくは、お金を準備するのをすっかり忘れていました。こんなに素晴らしい劇を見せてもらったのに、子どもたちがまじめな気持ちでいっしょうけんめい取り組んだのに、ぼくは忘れていました。
「袋はともかく、お金は?」
と妻に言われましたが、財布さえ持っていませんでした。歩いて出勤し、お弁当を持っていくので、財布を持っていなくても別に困らないのです。「社会人としていかがなものか」と言われそうですが、事実、持っていなかったのです。
 幸いというか、娘は向こうの客席の列を回っており、こちらには来ませんでした。献金の箱を持った子どもが来たとき、ぼくは息子の世話をしているようにして、その子どものほうを見ないようにしていました。ごめんね。
 妻は、疲れたようでしたが、久しぶりの外出と、娘の頑張りを喜んでいました。
 
 翌日、娘と息子とともに、改めて保育園に献金を持っていきました。



2004年12月15日(水) 製造機

 3歳の息子が何の脈絡もなく、妻に「ばか」と小さな声で言いました。それを聞いて、妻はひどくおちこんみました。そんな年齢のときに、そんなことを言うなんてと考えると、悲しくなってしまったそうで、「お母さんをやめる」と言って、寝てしまいました。息子はあやまっていましたが、
「たいへんな思いをして生んで、育ててきたのに、今までのことが無駄みたい。お母さんに『ばか』って言うなんて」と言われていました。
 ぼくは、息子にあやまるようにうながしていました。「ばか」だなんて言ってはいけないのだと、教えていたのです。その様子を見ていて、妻は、ぼくも自分の味方になってくれない、息子の応援をしている、と思ってしまい、ますます悲しくなってしまいました。ぼくは、妻と一緒に息子のことを怒っていなかったのです。

 翌日、ぼくは仕事に、子どもたちは保育園に行きましたが、妻は寝たままでした。昼間、電話をかけても妻は出ませんでした。困難は重なるもので、仕事でミスが見つかり、残業を余儀なくされ、いつもより2時間も遅くなって、子どもたちと帰宅しました。
 妻は、すぐには息子と話しませんでした。「お母さんをやめる」と言ったのに、それほど息子がこたえていない様子だったからです。
息子は泣き出し、やっと妻と向かいあうことができました。
「『ばか』って言われて悲しくなって、お母さんやめようと思ったんだよ」
「もう『ばか』って言わないよ。ごめんね」
 それから妻は言いました。
「1日中、何もしないで泣いてばかりいたの。お茶をいれるのもめんどうで、みかんばかり食べて、おしっこ製造機になってた」
 「おしっこ製造機」というものが何なのか、結婚する前に妻にたずねたことがありました。それは、ただ水分をとっておしっこをすることしかしていない状態のことだと説明しながら、手帳に絵を書いてくれました。それは、ボタンのついた箱の上にじょうご状の部品がついており、箱の下からは管がだらしなく出ている、といったものでした。上のじょうごからお茶などをそそぐと、下の管からおしっこが出る仕組みで、そのおしっこを受ける容器すらなく、ただ、垂れ流してしまうのだそうです。その絵のことを思い出しました。
 妻の一日を思うと、ぼくもつらくなりました。それから、おなかを痛めた妻の立場に立って考えてはいなかったと思いました。命をかけて生んだ子どもに、まだ小さいうちに『ばか』と言われたのに、ぼくは妻ほどショックを受けていなかったのです。

 それから妻は和風スパゲッティを作ってくれ、皆で遅い夕食を食べました。残り物のいわしの梅煮とセロリとえのきだけの、不思議とおいしいものでした。
 食事の支度をしているときから寝るときまで、息子は妻に対してとても気をつかって、いろいろと話しかけ、精一杯楽しい気持ちにさせようと努力していました。いつもなら、すぐ、けろっと忘れたようになってしまうのですが、今日は違っていました。息子にも妻の思いが伝わったのでしょう。
 今までのことは、無駄じゃないよ。



2004年12月13日(月) 年末の買い物のてんまつ

 珍しく、じつに珍しく、使い道の決まっていないお金がいくらかありました。
「欲しい物ある?」と妻がきいてきました。
「あるよ。食費かな」
「そんな漠然としたものじゃ、だめだよ。私はね、ぷーちゃんのビーズキットを作るためのペンチとニッパーでしょ、画材でしょ、ボーズ社のラジオでしょ、カシミアのコートでしょ、ボネコ社の居間用加湿器でしょ、旭川のクリーマリー農夢のチーズでしよ、余市の稲船ファームのジャムでしょ、愛媛の渓筋ベジタブルのおもちと干ししいたけでしょ、それからそれから・・・・。」
「じゃあ、何から買うか考えよう」
「早い者勝ちだよ。よーさんも、食費だなんて言っても、具体的じゃないとだめだよ」
 カタログ好きの妻は、ふだんから、何がほしいかよく考えているので、こんなときは、めっぽう強いのでした。

 とは言え、年越しのため、みんなで買い物に出かけました。まず、いつも引き売りに来てもらっている、自然食品店の店舗まで行くことにしました。道路が凍りついてつるつる滑るので、はじめはタクシーに乗ろうかと考えていましたが、散歩をしたいとの妻の意見を取り入れてバス停まで歩いていきました。折りよくやってきた、小樽行きの高速バスに乗り、円山で降りました。
 自然食品点では、「ドライ・加工品セール」をやっており、乾物や雑貨が1割引になっていました。粉石けんやコーヒー、紅茶、煮干、シャツ、調味料などを買いました。明日が引き売りの日なので、家まで届けてもらうよう頼みました。
 それから再びバスに乗って、東急百貨店へ。催事場では、ちょうど、ビーズフェアが開催されており、ペンチとニッパーもありました。子どもたちのリクエストで、クリスマスツリーのオーナメントのビーズキットも買いました。妻が、ぷーちゃんにガラス玉の髪しばりも選んであげました。
 昼食を食べてから、買い物午後の部です。子どもたちの手袋、マフラー、クリスマス会用に新しいシャツを買いました。それから食料品売り場で、しばらく切らしていてつらい思いをしていた小麦粉、みりん、料理酒など。トマト缶を買おうとしたら、「イタリアから来て98円なんて安すぎる」と妻が言ったので、長野産トマトジュースを一箱、料理用に買いました。安すぎるものは、必ずどこかで「搾取」が行なわれているのだと思います。生産、流通、あるいは環境から。ですから、そういうものは、買わないようにしようということにしているのです。
 お正月の田作りのために、小ぶりの食べる煮干も買いました。

 そんなわけで、ほとんどのお金がなくなってしまいました。妻も、子どもたちも、よくがんばって歩きました。くたびれたけれど、食料が充実して、家庭に安心感が満ちてきました。
 夜、いろいろ片付けていたら寝るのが遅くなってしまったこともあり、翌朝、妻は頭痛に悩まされましたが、「前向きに対処する」と言って、くるみパンバター蜂蜜がけとヨーグルトの朝食を食べました。そして、再び眠り、なんとか乗り切ったようです。

 夕方、引き売りの車がやってきて、びっくりしました。昨日店舗で買ったものと一緒に、「ドライ・加工品セール」として先週頼んでおいたものが届いたのですが、その中にも煮干が入っていました。注文していたのを忘れて、店で買ってしまったのです。300g入りの煮干が2袋。賞味期限は1月ていど。他に、田作り用食べる煮干だってあります。
 さあ、どうする。
 このてんまつについては、ホームページの「おかわり通信」に書くことにしましょう。もう少し待ってください



2004年12月10日(金) 夫と子ども、居酒屋へ

 ぼくが大学院生のときに受給していた奨学金の、奨学生の集いへ行ってきました。現在の奨学生と修了生と東京から来た奨学金財団の人と、大学関係の人が集まる交流会です。金曜の夜、居酒屋です。
 数少ない奨学生の義務として、1年に1回の集いへの参加を求められていたため、奨学生だった3年間は、子どもたちとともに参加しました。そして、修了して就職した今も、子どもたちと行ったのです。
 当初はぼくだけが行くつもりだったのですが、前日になって、子どもたちも連れて行ってあげようということにしました。居酒屋で子どもたちはジュースをたくさん飲み、わずか2時間のあいだに5回もトイレに行きました。
 帰宅すると、妻は元気に迎えてくれました。そこまではよかったのです。

 こどもたちが寝たあと、妻は「おなかがすいた」と言いました。一人の夕食には、雑炊を作って食べたとのことでした。眠れないと言うので、うどんを少し、ゆでました。まだおなかがすいていると言うので、おもちを焼いてクリームチーズをのせてのりで包みました。それでもおなかがすいたと言うので、「これで最後だよ」と言ってチョコレートををあげました。それでも、もう一つ食べました。「もう、やめなよ」と言いましたが、満足できないと言われました。
「一人で食べてもつまらない」と言うので、また、うどんをゆでて二人で食べました。
 それから妻は言いました。
「急に、今晩は一人で家にいて、一人でご飯を食べることになったでしょう。さみしくて、ストレスだったみたい」
 
 そんなこと、ぼくはあまり考えていませんでした。食べ過ぎて太ることはいけないことなのですが、今日はどうにもとめられませんでした。原因はぼくたちが不在だったことでした。いつもよりも3時間帰宅が遅かっただけでしたが、それがこんなにも妻のストレスになっていたとは思いもよりませんでした。
 妊娠中で気持ちも普段とは違っているとは言え、家を留守にするときは気をつけなければいけないなと思いました。前もって心の準備ができるようにしておくとか、手立てを考えなければなりません。
 裏返せば、僕たちの存在が妻にとって大切なものであるということの証明ではあるのですが、妊婦さんにとって太らないことはとても大切なので、ストレスには注意が必要です。
 
 一緒にご飯を食べることの大切さを改めて思いました。



2004年12月08日(水) 夫は妊娠していない

 今、仕事でこみいった計算をしています。そのため、めずらしくまとまった残業をしました。今日は、保育園には19時までの延長保育をお願いしていました。18時半には職場を出るつもりでしたので、妻にはぼくが子どもたちのお迎えに行くと伝えておきました。
 しかし、18時20分になって大きな間違いが見つかり、それを解決しなければならなくなりました。そこであわてて妻に電話をかけました。
「もう少しかかりそうなんだけど、お迎えいける?」
「電気つけるのにも腰が痛いし、急に言われても無理。凍った道路の上を妊婦に急がせるつもり?」
ごめんね。
 結局、18時50分に仕事は片づき、保育園には少しだけ遅れるとあやまりの電話をいれました。それから子どもたちを迎えに行って、家に帰りました。
「今日はごめんね。無理言って」
「1時間くらい前に言ってくれたらいいけど、急には無理だよ。頼らないで」うん、ごめんね。いいよ。
 それから急いで夕食の支度にとりかかろうとしました。
 すると、ご飯は炊けており、鍋にはシチューができていました。妻はすっかり料理をしてくれていたのでした。
 夕食後、明日のお弁当の用意をしようとしたら、妻が「オーブンの中を見てごらん」と言いました。オーブンのふたを開けると、なんと、マカロニグラタンが入っていました。しかも、妻が家で食べる分と、ぼくがお弁当として持って行く分と、2つに小分けにしてありました。
 ありがとう。

 それから、子どもたちを寝かしつけて、妻にマッサージをして、台所を片づけて、妻と一緒に洗濯物を干すと、もう0時半でした。妻は言いました。
「自分の時間がほしくないの。さっさと家事をしないと、時間は作れないよ。最近、読書もあまりしていないし、ホームページの更新も進んでいないし。これじゃあ、ただ毎日すぎてくだけだよ。だからといって、夜更かしして寝坊すると、皆が迷惑する。将来に向けて勉強したりしなくていいの。そう思って、料理だってしておいたのに。私が妊娠したからといって、それを言い訳にしてさぼってない? もっといっしようけんめいしていたでしょう。よーさんは、妊娠していないでしょう。マッサージしてもらっても、そのあとに家事をしていたら、うるさくて休めないし、こうして手伝ってしまうし。今忙しかったら、しーちゃん生まれたらどうなるの。もっと忙しくなるんだよ」
 そう言われてみると、たしかにぼくは、忙しい忙しいと思っていました。けれど、妻が妊娠しても、ぼくの生活は実際にはそれほど変わらないはずです。
「わかった。そうだね。11時半までにすべて片づける。そうすれば1時間は自分の時間が持てるもの。将来につながる本を読んだり、ホームページを更新したりする」

 助産婦さんから、風邪をひいてしまってうつすといけないから、日曜日の検診の予約はキャンセルしてほしいと電話がありました。今月は無料券で病院へ行ってもらってもいいですよ、とのことでしたが、妻は、「それなら今月の検診はやめてもいいかな。3000円ほかのことに使えるし」と言いました。


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