林心平の自宅出産日記

2004年11月07日(日) 2回目の検診と六花亭と銀杏

 1回目の検診から1月たった日曜日の朝、再び助産婦さんに来ていただきました。家族総出で部屋の中を片付け、犬をベランダの小屋に入れたところで、チャイムが鳴りました。前回の検診のときは、子どもたちは昼寝中だったのですが、今日はばっちり起きています。
 助産婦さんは、家の庭でとれたというブドウを持ってきてくれました。子どもたちがはしゃいでいるので、まずは、ブドウを皿に入れました。夢中で食べはじめ、一時、静かになりました。
 
 ベッドに横たわった妻の検診をしようとするとき、助産婦さんは何かを探していました。下の子は、いつのまにか、メジャーを手にしていました。それはうちのメジャーではありませんでした。それを見て、
「これを探していたんですよ」と助産婦さんは言いました。 
「メジャー、おもしろいんですね。ひっぱって、戻ってこなくなるんです。残ったのは、これ、1つだけ」
どうやら、これまで何人もの子どもに、メジャーをのばしたり縮めたりされてきたようです。
 胴囲、子宮底長の計測をし、ぼくが書記となって母子手帳に書き込みました。それから、
「赤ちゃんの音を聞かせてあげましょう」と言いました。子どもたちは
「聞きたい。聞きたい」と喜びました。
エコーの機械を妻のおなかにあてると、「くわんくわんくわん」と心音が聞こえました。子どもたちは、わかったようなわからないような顔をしていました。
「おなかにぶつかっちゃだめよ。早く生まれちゃうからね。みんな、待っててねえ。おねえちゃんも、おなかの中にいたんだよ」
 それから妻は、助産婦さんに言われて目をあかんべえのときのようにし、舌を上にあげました。
「眼底も赤くて、舌の裏も青くないので貧血は大丈夫です」
よかった。
 特に異常もなく、次も、1か月後ということになりました。

 さて、今日の予定は終わりましたが、まだ、11時です。お昼にも昼寝にも早いので、散歩に行くことにしました。ちょっと遠方まで足を伸ばし、六花亭の直営店まで行くことにしました。六花亭は素晴らしい菓子店で、岩波新書の磯部晶策 『食品を見わける』の「良い食品」の4条件にかなった、ごく良心的なお菓子を作っています。デパートや空港にお店はたくさんありますが、直営店にだけ、ケーキがあり、無料のコーヒーとともに楽しめるようになっているのです。
 子どもたちのたっての願いで、子どもたちは自転車で行くことにしました。下の子は、まだこげないのでぼくが押して行きます。犬は妻が連れて行きます。
 途中で交通量が多くなるところがあるので、その前に自転車を降り、隣に犬もつないでおきました。子どもたちが犬に向かって、「いい子さんでねー」とかいつまでも呼びかけているので、犬もずいぶんと吠えました。結局、ぼくだけが一度引き返し、犬によく言い含めました。
 六花亭では、肉まん、ほたてまん、ガトーショコラ、シフォン、モンブラン、レアチーズケーキを頼み、大人はコーヒー、子どもたちは水筒に持参したレモネードを飲みました。しめて、1300円でした。おみやげも買い、喫茶店でもないのにたっぷり1時間も長居し、犬のところまで戻り、皆で帰りました。
 帰り道、イチョウの紅葉がまっさかりで、たくさんの人々が銀杏を拾っていました。上の子が拾いたいというので、しばし拾いました。素手で集めていると、火バサミを手にしたおじさんがやってきて、「手がかぶれるよ」と言いながら、すばやく、火バサミで拾っていました。

 落ち葉が山盛りになっているところでは葉っぱのかけあいをし、たっぷりと散歩を堪能して家に着きました。銀杏は、茶碗蒸しにすることにしました。最初、ペンチで殻をつぶそうとしたら、すっかり実までひしゃげてしまいました。次に、フライパンで煎ってから割ると、うまくいきました。
 大きなガラスの器で作った巨大茶碗蒸し、具は他に里芋、春菊、ヤーコンです。ヤーコンは食感が異なり、余計でしたが、ねっとりとした銀杏には、子どもたちも喜びました。昼寝をしなかったので、入浴後、ぱったりと眠った子どもたちでした。妻は、くっついて眠る二人の写真を撮りました。
 たくさん歩き、おいしいものも食べ、充実の日曜日に、妻もぼくも満足でした。



2004年11月04日(木) 妊婦さん、雨の中、稲穂を求めて進む 後編

 電車に乗ってバスに乗り換えて一息ついたときのことです。バスの窓ガラスに雨滴があたりました。傘は持ってきておらず、嫌な雨でした。空は曇っており、すぐにはやみそうもありませんでした。妊婦さんと5歳、3歳児とぼくの4人組みは雨の中を行かなければならないようでした。
 インターネットで検討をつけておいたバス停で降り、小走りで行きました。けれど、歩いても歩いてもIさんの直売所は見えませんでした。車で何十回も来たところなので、間違うはずもないと思っていましたが、不安になってきました。
 ぼくが適当に道を曲がろうとするのを妻は止め、人に聞くことにしました。すると、やはり間違えてはおらず、そのまままっすぐ行けばいいとのことでした。以前は車で来ていたので、歩くとけっこう距離があるということをわかっていませんでした。
 すっかり濡れながらも、直売所にたどりつきました。Iさんに聞くと、もう1つ先のバス停のほうがよかったとのことでした。みんな、ごめんよ。
 はたして、稲穂を出してきてくれました。
「もち米だけど」と言いながら渡された稲穂の大束は、「実りが悪い」などいう言葉はちっとも似合わない、立派なものでした。やっぱりね。

 それから、ヤーコン、トマトケチャップ、ルッコラ、春菊、ニシン漬けを買いました。妻がおずおずと「南瓜は、重いよね」と言うので、「持っていってあげるよ」と言いました。大豆と大根をおみやげにいただきました。
「休んでいきませんか」と言われるままに、家に寄らせていただくと、子どもたちは早速2階にかけあがりました。上の子はこの家を覚えており、下の子は覚えていないながらもついていったようでした。2階には子ども部屋があり、I家の娘さんに、それから、ずっと遊んでもらっていました。
 ぼくと妻は居間で、黒米のお茶をいただき、I家の人々に助産婦さんにお会いできたお礼などを伝えました。醤油作りの話などを聞いていると、雨に濡れたことも忘れることができました。
I家の人々は、文字通り地に足の着いた暮らしをしています。そのため、同じ大地の上に「この人たちがいる」と思うだけで、自分も確かな暮らしをしようと思える、指針のような人たちなのです。
 帰りは駅まで車で送ってもらいました。電車は混んでいる快速を避け、各駅停車に乗ると、ゆっくり座れました。網棚の上では、稲穂が揺れ、子どもたちとぼくはおみやげのおまんじゅうをほおばりました。妻は、食べませんでした。体重管理のため、頑張っています。



2004年11月03日(水) 妊婦さん、雨の中、稲穂を求めて進む 前編

 ホームページの「おかわり通信」の中で「バケツ稲」のレポートを書いていました。無事に実って、子どもたちと稲刈りもしたのですが、それから一騒動がありました。
 刈り取った稲穂を束ねて、ベランダに干して、はさがけをしていました。時間のあるときに、脱穀しようと思っていました。娘も、「お米にしようね」と楽しみにしていました。しかし、忙しさにかまけて、なかなかとりかかることができませんでした。

 ある日、ベランダの床に、もみが散らばっていました。手にとって見ると、米はなく、もみがらだけになっていました。あたりにはたくさん散らばっています。妻が言いました。
「そういえば、最近、ベランダにすずめがたくさん来てたよ」
「それだ。すずめがお米を食べたんだよ」
稲穂には、あまりお米は残っていませんでした。ぼくは、娘に言いました。
「お米、すずめが食べちゃったんだよ。すずめにえさをあげたいって言っていたでしょう。だから、いいよね」
「お米にしたかった」と娘はとても残念がりました。ぼくの思っていた以上に、お米に期待を寄せていたようです。そんなやり取りを見ていた妻が言いました。
「Iさんに電話してみて。稲があるかもしれないよ」
 Iさんというのは、助産婦さん探しのとっかかりに登場してきた方で、直売所をやっている農家です。休日も昼近くになっていましたが、娘の気持ちをくんだ妻はやる気でした。

 そこで、Iさんに電話をかけました。事情を説明して、
「稲穂をわけていただけませんか」とお願いすると
「稲はあるんだけど、実があまり入っていないかもしれないんですよ」
「それでもいいです。今日、野菜の買い物を兼ねて行きますので、お願いします」
 妻に、実入りのことを伝えると、
「そうは言っても、プロだからね。きっと、うちのバケツ稲よりもいいに決まってるよ」
 そんなわけで、急遽、でかけることにしました。車を持っていないるので、電車とバスを乗り継いでの小旅行です。でも、もう昼近かったので、ご飯を食べて、子どもたちに昼寝をさせてから行くことにしました。 つづく



2004年10月30日(土) 子どもの記憶

 19週(5か月後期)になり、妻のおなかも大きくなってきました。3歳6か月の下の子まーちゃんに聞きました。
「こうやって、おなかの中に入っていたの覚えてる?」
「うん」
このことは、何度も聞いたことがあるのですが、いつも、覚えていると言います。
 次に、5歳9か月の上の子ぷーちゃんに聞きます。ぷーちゃんは、まーちゃんを自宅出産した時に、生まれてくるところをじーっと見ていました。
「まーちゃんが生まれたときのこと、覚えてる?」
「覚えてない」
 2歳のときの記憶はないようです。強烈な体験を子どもと共有したと、ぼくは思っているのですが。
「でも、今度の赤ちゃん、しーちゃんが生まれてくるのは覚えてるね。でも、まーちゃんは覚えていないかもしれないね」
 すると、妻が言いました。
「覚えていなくても、その体験がまーちゃんという人を作るんだから、いいんだよ」
確かにそうだと思いました。
「覚えているかいないかってことは、そんなに大事じゃないのかもしれないね」
 子どもたちに教育しようと思って自宅出産を選んでいるわけではないのですが、出産の場にいたことを、子どもたちがどう受けとめるのかということには興味があります。それに、体験が人を作るのだとしたら、命の誕生も含めた様々な体験をすることは意味のあることでしょう。
 ぷーちゃんは、まーちゃんが生まれるとき、夜遅かったので眠っていたのですが、もうすぐ生まれるという頃、一人で起きてきたのでした。



2004年10月28日(木) 妊婦の運動と北海道の冬、夫は東京でさまよう

 「読書日記」にも書きましたが、『分娩台よ、さようなら』の中で再三書かれていた安産対策として、1日3時間の散歩が提案されていました。しかし、折りしも北海道は冬を迎えようとしています。昨日は初雪がけっこう降りました。
 冬になると、雪が積もって道路は凍るのです。道産子ならば、妊婦さんであっても、氷の上をすいすいっと歩いてしまうのかもしれませんが、妻は四国出身なのでした。転ぶのが恐くて、冬は散歩どころではありません。
 しかしだからと言って、運動が必要なことには変わりなく、何か、外の散歩に代わるものを考えなければなりません。そこで、以前から導入を検討していた『通販生活』の「室内自転車こぎ器」がほしくなりました。液晶画面がついており、消費カロリーなども計算してくれるものです。
 ただ、問題が1つありました。もう、予算があまりないのです。『通販生活』には中古品を扱うリサイクルショップがあるのですが、通信販売はしていません。東京の店舗に行かないと買えないのです。中古品だから、自分の目で確認してもらってからでないと、売れないということなのです。
 でも、健康器具なんて、いかにもリサイクルされていそうでした。
 
 以上の話を妻としたのは、ぼくが出張先からかけていた電話でのことでした。そして、その出張先とは、なんと、東京だったのです。1泊2日の行程の1日目に思いついたのが幸いでした。その日の夕方なら時間がとれるので、お店に行ってみることにしました。仕事は5時に終わり、お店の営業は7時まででした。行ったことのないところでしたが、急げば間に合いそうでした。
 仕事が終わって電車を乗り継いで、中野駅に降り立ちました。区役所のそばだと妻に聞いていたので、区役所のほうに向かいました。しかし、区役所がみつかりません。ぼくは、ひどい方向音痴なのです。妻に電話をかけて再度聞こうとしたのですが、妻は犬の散歩中でわからないとのことでした。時計を見ると、6時20分になっていました。ここまで来たのに、何も得られず帰らなければならないのかなと思い始めた矢先、中野区役所にたどりつきました。そこからは、すぐにお店を見つけることができました。
 店の中に入ると入口のすぐ脇に、なんと、「室内自転車こぎ器」が3台もありました。おまけに2階にも2台ありました。読みはあたったのです。
 急に思いついたことだったので、お金もカードも持っていなかったのですが、店員との交渉の結果、特別に通信販売のように振込用紙同封の上、発送してもらえることになりました。
「現品を確認してもらいましたので」と言ってくれたのです。
5年前に買われたものでしたが、あまり使われておらず、値段は新品の1/3ていどでした。
 ああ、よかった。

 はたして、「室内自転車こぎ器」の効果はあるのでしょうか。


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