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木津未来会議の日記
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2008年01月28日(月) 木津川市議を聴取の記事が・・・

夕刻、ニュースを見たと言う住民の方から電話をいただいた。
私は、今日午後総務課で情報公開請求などをして、その後あちこちをうろうろしてから帰宅したから、TV見ていなかった。

京都新聞HPで検索したら、なんと・

木津川市議を聴取
京都府警、競売入札妨害の疑い
 京都府警組織犯罪対策二課などは28日朝、競売入札妨害の疑いで、木津川市議(68)の聴取を始めた。競売入札の経緯などについて慎重に調べている。 府警によると、市議は数年前、経営する会社の不動産を差し押さえられて競売にかけられた際、土地を農地と偽った疑いが持たれている。土地は雑種地だったが、農地にすると購入者が限られることから、市議が自分の土地を買われないようにするために土地の用途を偽ったとみて、当時の経緯を追及している。
 市議は旧山城町の町議を経て、木津川市への合併により昨年4月から市議を務めている。

とあった。
この市議は、誰?農地転用の問題にとどまる話なのかな?
注視しなくてはならない問題であることは必須。


2008年01月19日(土) 肝炎ウィルス検査を受けましょう

人事ではない。そんな出来事。それも自分が知らない間に、信頼する病院でおきたとなるとホント憤りを感じる。そんな思いでこの間、ニュースをみていた。血液製剤による肝炎などへの感染のこと。
薬害肝炎救済法成立に拍手を送りながら。

出産や手術の際に投与されたフィブリノゲン製剤・非加熱血液凝固因子製剤により、肝炎ウィルスに感染している可能性が高いというもの。

実は私も第1子を出産したときに、投与された可能性がある。以前病院名が公表されたとき、すぐ保健所で検査を受けた。結果は−だった。検査結果がでるまで落ち着かなかったっけ。私はそこで終えてしまったけれどと、この間の闘いを見てわが身を振り返り申し訳ない気持ちが湧く。

新聞折り込みに入っていた「検査をお受けください」。病院名や相談窓口が示してある。
可能性のある方は、ぜひ、検査を受けてください。



2008年01月17日(木) 13年に想う

いつものようにカレンダーが進み、今日を迎える。
私にとって忘れられない友との別れの日。

同郷の友を震災で亡くした。毎年年賀状をやりとりし、「会いたいね」を交わしていた友。13年前は17日になっても届かないのが気になっていた。

そしてあの震災。3人の幼子とともに、自宅の崩壊で命を落とした。

家族みんなで訪れた芦屋の自宅マンションのあの光景。今でも脳裏に焼きついている。2階がそのまま1階を押しつぶしていた。
ベランダには、さっきまではいていたかのようにきちんとぬがれた幼子の無傷の運動靴。その横には、ぺっしゃんこになった洗濯機が見えていた。

震災の2日後、彼女から届いた年賀状。
「今年こそ、鳥取で会いたいね。」
涙が止まらない私を心配して、その日の夕食は小二の息子が作ってくれたハンバーグだった。

年月が経っても、忘れてはいけない出来事。


2008年01月14日(月) 成人式に思うこと

全国あちこちで成人のお祝いが行われた。

懐かしい友との再会を喜び、恩師はすっかり大人になった新成人に感嘆の声をあげ、名前で呼ぶ。そんな光景は毎年の風景。
振袖・羽織袴の若者たちで埋め尽くされた会場は、華やか。

行政が成人式をするようになったのはいつから?何のためにだったのかな?と式中の新成人の様子を見つつ、思いを馳せる。

そういえば、、破綻した夕張市の成人式。昨年大きく取り上げられていた。予算もない中、自分たちで計画しようと。
全国からの物心両面の支援を受けての手作りの式が映し出されて結構感激した私だった。

さて、今年の木津川市。
途中何度も声をかけ注意したくなる気持ちを抑えるのに必死だった。
何年か前小学校での入学式での出来事を思い出した。
親同士が、カメラの位置をめぐって、式の真っ最中にけんかを始めた場面だった。参列していた私は、我慢しきれず、「子どもたちの式をめちゃくちゃにしないでください。」って静止したことがあったっけ。
20歳の主役たち。
自分の行く道は考えた分だけ、すすむんじゃあないかなって心の中で言うのが精一杯の私は、まだまだだな。


2008年01月13日(日) 今日の子どもとの会話から

夕食の時間の会話。

「幼いころから、オロナミンC好きだったんやで〜。」
「覚えているわあ。」
「おいしい!!ってポーズしてたんやでぇ。」
「ぇぇー。今のお兄ちゃんから想像できない〜}
など。

そして、
「オロナミンって最初の頃、アルコールが含まれていたんだって。」
「そうなん。」
「アルコールっていえば、この前、飲酒検問にあってん。アルコール飲んでないけど、にんにくくさくてすみませんって言って息吹きかけたよ。」
「そういえば、飲酒運転の裁判でたんだ。3人の子どもが亡くなった地裁判決結果。どう思う?」
「危険運転でないって、あんだけ飲んだのに変だよ。」
などなど。3人の子どもとの会話も多岐にわたるようになった。

私と子どもとの会話は、それからも続いた。


2008年01月12日(土) 今年は、これから

年末から年始にかけて、長あ〜い冬眠生活?とご心配をおかけした皆様ごめんなさい。
かかえている宿題の重さにつぶされそうに・・。
宿題も何とか山を超えそうで、
会員であるむ・しネット通信に載せる原稿で2008年のご挨拶にかえますね。

「国会では、57年ぶり再議決で給油新法が成立。民意を代弁する議会はどこに?との疑問が私の中にまたまた浮上する。地方議会とて同じ。昨年の選挙を経、市議2年目に突入する今年。議会の中にいても、いえいるからこそ、市民の常識を議会に持ち込み、闘い続ける。政務調査費訴訟もある。追求した一般質問もそのままにしたくない、追い続けていきたい。リビングが資料の山積みになる日もそう遠くなさそうだ。子どもたち、堪忍。」


2007年12月20日(木) 最終日の報告

請願の審査について、申し入れをしていたそして、本番。
請願項目の9番は、所管委員会での審査をやり直すことで厚生委員会に付託しなおし。
休憩の間に質疑もなく、委員会が開かれ、簡易採決により可決。
〜これで、議会運営の間違いは修正された〜

さて、肝心の請願の審査。
私は紹介議員であり、請願項目の9つともに賛成の意思を示しているのだから、委員会の一部採択には納得できない立場。

委員長報告どおりに一部採択に賛成の方はと採決とられたら、もちろんNO。
全部採択してほしいから。

そこで、
項目のひとつずつを審査すべきとの動議を提出しようと、議事進行を注視し、手をあげるタイミングをはかっていた。
動議とは議会のルールのひとつ。議事進行などに対して口頭で述べることができ、1名の賛成があれば、議会に諮ってくれるというもの。

さて、同じように村城さんも「議長」と手を上げ、少し早かった村城さんに議長は、発言を促した。
項目のひとつずつを採決すべきであるかた、その方法で採決せよとの提案。
その場で採決方法をはかるも、賛成したのは私と、曽我さんと共産党の6人のみ。

結局、一括審査となり、
考えた末に、私は委員会の一部採択に反対した。
結果は、私と梶田さん以外が一部採択に賛成となり、ともかく全部不採択は避けられたが、どうにも納得できない審査方法だった。

つまり、委員会審査の内容も不十分かつ、不採択の理由が不可解。
その上本会議での審査方法にも問題あると思うから。

事前に京都府議会に確認するもそれぞれの議会の運営方法であるとから、決まったものはないと。京都府議会では、会派の調整の中で、簡易採決でOKであればそのように一括審査しているといわれていた。

項目ごとに審査しても、委員会の審査は、尊重されるのに。委員以外の人の不採択された項目に対する意思表示が示せない採決方法に到底納得できない。


木津未来会議