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木津未来会議の日記
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2007年05月01日(火) 初議会説明会

今日の報告です!初議会説明会。

今後の臨時議会をスムーズに進めるために、議員全員が集まっての説明会。4年前の議員初当選の時には、いきなり臨時議会だった。会派が結成されていたことも、会派間でいろいろ調整されていたことも全く知らないまま、5月8日を迎えたことを思い出す。それを思えば、全議員を集めての説明会の意味は確かにある。議員必携にも、そんな記述は見られる。

でも、今回は合併して、議会関係の条例もない、議員も3町からそれぞれという状況。26日の会派幹事会前に、急いで会派が結成されたり、会派幹事会でのみ、条例案についての意見が調整がされたりしたよう。会派幹事会でに調整した上で出された案については、いくら意見を言っても、すでに会派幹事会で合意いただいたので、といわれる始末。たとえ、各会派が民主的にされているとしても、少数意見を保障し、少数意見を汲み取る仕組みがないのが、会派幹事会の欠陥と私は思う。

さて、本日の説明会。
局長から「今後の議会をスムーズに進めるために説明会を開催した」と挨拶があった。
ここで私は「今日の会議の性質は?全員協議会か?ただの説明会か?議員である私たちは発言できるのか?発言した意見はどう反映されるのか?」を聞きました。
  
局長答えて、「意見があればいっていただきたい。議会規則等については、今後、条例制定の後、一部改正などで対応していただければ」というような答弁の後、始まりました。

私は、政務調査費条例について、会派・無会派の金額差、使途基準の中の疑問点。領収書添付はどこまでか。宿泊費にも領収書添付を義務付けよなど意見をいいました。  
 
幹事会規程についても、議会運営委員会や会議以上の権限をもつものではないし、あってはならない。運用を間違えないようと意見をいいました。

本日の説明会は、公開の対象になっていなかったようですが、新市の議会が住民に開かれたものとなるよう、これからもお伝えしていきます。    


2007年04月26日(木) 会派のこと

会派の届出が進んでいるようです。本日午前には、会派の代表者による今後の議会をスムーズに進めるために、世話人会が開催されたようです。

私は、午後事務局に行き、どんな話し合いがされたのか聞かせてもらいました。臨時議会に向けて議会関係の条例、規程、申し合わせなどの説明がされたようです。
資料をいただき、事務局長より説明を受けました。

その際、「くれはさんは、やはり会派には入らないのですか?」と。
「とりあえずの会派、別れてもいいから気心が知れるまでの会派は、会派の意味が異なりますから入りません」と私。
「共産4人、公明2人、しんせいかい8人、イレブンの会11人ですよ。」と局長。

そうだったのか。会派に入らないのは、私だけか。このとき、初めて知りました。

選挙でそれぞれが市政への思いを訴え戦ってきたはず。議会に入るとなぜ?そんなに急に仲間になれんの?

私は、議会改革も訴えた。政党に属さない無党派・市民派を訴えた。住民の主体のまちづくりを続けるとも訴えた。

そんな私が、数の力を振りかざすような立場、政党所属の議員のいる会派、住民投票必要ないの議決をした方と一緒に会派を組むことはありえません。

議会議員にならせていただいた有権者の方に対して説明できないことは、できません。


2007年04月25日(水) 当選後のあいさつ行為は制限されています

公職選挙法は、選挙に関するひとつの法律!

その法律178条に当選後のあいさつ行為の禁止事項が7つあります。
例えば、当選のお礼をいいに戸別訪問をすることは禁止。
答礼のための信書を除いて当選御礼の文書を頒布したり、掲示したりすることは禁止。など7つの項目があげられています。

議員は特別職の公務員です。より法律を守る姿勢が必要であり、要求されます。

これから市民の皆様に対してきっちり仕事をすることでその気持ちは、お伝えしていきます。


2007年04月24日(火) 当選証書受け取り式と議員顔合わせ

昨日、開票結果を聞いた4時間後の9時30分。いずみホールにて証書の受け取りがありました。

木津町では、開票当日の真夜中に職員が自宅へと証書を持ってこられたから、なんとこれは不要だと思っていました。合併後には、改めてと以前伝えていたこともあったっけ。

それにしても、ほとんど寝ていない状況の中での受け取り。そしてその場で大幅な開票の遅れについて、陳謝や責任追及を求める声が上がりました。投票箱の鍵の管理の不徹底など当然あってはならないことですし、新市のスタートがさらに不安になる不祥事ではあります。だけれども、言論の府に入った議員の言葉としたら、どうだったかな?と疑問の場面でした。

その後、午後には、議場で議員初顔あわせ。自己紹介の後、会派制についての意見交換が行われました。

私は、住民投票の議決といい、合併の議決といい、木津町議会での会派の数の暴挙を嫌というほど感じてきました。だからこそ、新市では、議会改革の意味でも、透明で公正な議会運営がされるべきとの思いがあります。
法的根拠のない幹事会(会派の代表者会)で様々なことが決まってしまうそんな不透明な議会にだけはしてはならないその思いです。

一人会派を認めるべきと主張しました。私が一人でやるという意味ではなく、当然誰がなっても、不公平にならないようとの思いでした。
残念ながら、2人以上で会派を構成するという意見が多数となり、決定。


2007年04月23日(月) 開票速報

今回も運良く開票立会人となった夫は、体育館へ。
自宅には、母と私たち家族、それに選挙選を一緒につくってくれた仲間たち。開票速報を待ちながら、わいわいと。

10時になっても、始まらず。2階で傍聴してくれている方が頻繁に連絡をくれるのが一番早い情報源。それと、初日のポスター貼りを手伝ってくれた息子の彼女からのNHK京都版を見ての電話。

場内放送を電話で聞かせてくれ、市長の当確を聞く。

その後、時間が過ぎ、、。TVの速報番組を終わってしまう始末。
明日の仕事がある仲間は、残念だけど帰りますと。
そうだよね。

ようやく2時前に1700票 くれはと連絡が入り、驚くやら嬉しいやら、責任の重さ痛感。

4時前に帰宅した夫を友人と二人でお出迎え。長い一日の終わり?始まり?。
みんなでばんざ〜いがしたかった!!


2007年03月12日(月) 木津町閉庁


木津町が、閉町しました。

木津町議会議員の任期も終了しました。



4年弱の議員活動では、政党や組織に属さない

普通の市民の思いを議会や行政に届け、議会を変えたい、

議会を市民のものに

との思いで臨んできました。



木津未来会議で一緒に

活動している仲間たちとは、いつもいろんな議論をしてきました。

「ホントの意味で住民主体のまちをつくりたい!」

「私のことは、私が決めたい!」

その思いの実現に向け、

進めてきた最も大きな運動が、住民投票条例直接請求までの

運動でした。



宗田先生を招いての集会

合併に対する議員の考えを聞いた公開質問状

住民投票条例の審査を求める請願署名活動

そして、直接請求運動



木津未来会議の仲間が積極的に運動してきました。

幾度ものあきらめや憤りを感じながらも普通の住民が、

ここまで活動を続けてこられた事は、

頭が下がる思いです。



今日から、木津川市。私も一住民になりました。

住民意思の確認のないままに決まった合併、

木津町議会だけで議決された庁舎建設契約。



住民無視の姿勢は、到底納得できませんし、許すことはできません。



あせらず、あきらめず、これからも。

木津未来会議くれはは、

普通の住民の思いで活動を続けます。


2007年03月06日(火) 卒園式と委員会

幼稚園の卒園式。例年より10ほど早い卒園式。合併が決定したから予定変更ということかな。

高の原幼稚園の65人の卒園生の中には、子育てサークルおおきなかぶに来てくれていた子どもたちがいて。手をふってくれたり、笑いかけてくれたり。そんな子どもたちをお祝いしたく。

成長した子どもさんの姿に思わず涙する親御さんの姿を見て、午後にある委員会の請願の趣旨が浮かんできた。「息子に他の4歳児同等に、地域の園での集団生活を与えていただきたい」。子どもは子どもの中で育つを実感されての思い。その言葉が浮かんで、思わず胸が熱くなった。そう、卒園式を経験していただきたい!

午後の請願のための最終準備。

広島県の海田町と新潟県の妙高市に昨年入所を許可した事例があったことを、請願者から朝一で聞いたところ。午後までに電話をかけていろいろ聞いてみよう。


木津未来会議