木津未来会議の日記
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昨日の新聞報道にあるように、3町合併協議の早期再開というわけで、本日3町の町長が協議されたようです。 学研企画課に問い合わせたところ、記者会見中ということでした。明日の朝刊に掲載されると思いますが、3月に法定協議会設置の議案を3町そろって提案するということで合意されたようです。
はて、議会に今後どのように報告されるのでしょうか。 いきなり法定協とは、どういうことでしょう。 そういえば、年末に職員向けリーフレットが配られ、河井町長の思いを述べられてたけれど、こんなに急ってどういうこと? 詳しくは、明日の新聞を待ちます。(だって、議会へも報告ないですから)
*法定協議会とは、議会の議決により設置され、合併をするか否かも含めて合併に関する協議を行うものです。
自宅開放の午後の会話です。 「先の奈良の事件のその後の報道を見てると、あんなこと必要なんかと思うわ〜。」 「小さい頃は、こうだったとか。お母さんが10歳の時亡くなり、その後こうだったとか。」 「卒業アルバムまで出されていたし。クラスの仲間から、一人離れている様子から、この頃からこうだったとか。」 「いいかげんにしてよ〜。と言いたくなる。」 「子どもを育てている身としては、追い詰められているように感じるわ。」
本当にその通りです。もちろん事件は解明されなければなりませんし、2度と起こらない、起こさない為にも重要です。
でもいつも思います。 小さい頃のアルバムや日記や作文まで出していく必要があるのか疑問なのです。
正月の3日は、朝から打ち上げの合図がなります。 徳島の阿南市、轟神社の境内でのお餅投げを知らせる合図です。 今年は、娘の要望でお餅ひろいに行くことになりました。
お餅が投げられ、お福を頂こうと我先にとお餅を拾うのです。 子どもたちが小さい頃は、いつも行っていたのですが。
さて、今回は? 3時きっかりに始まります。私は、母の隣で準備OK。娘は父親と船の近くで待ち構えています。
「ほ〜れ!ほ〜れ!」 老人会の世話役の方々、神主さんが投げてくれます。 「こっちにも投げて〜。」「こっちには、こんよ〜。」
用意されたお餅はあっという間に、みんなのナイロン袋に収められます。 我が家はというと。仲良くみんな5つずつその数30個ばかりかな。
樹齢400年の楠木が見守る中、なぜかたくさんのお餅を拾いたい、そんな思いを抱かせてくれる正月の風景です。
| 2005年01月01日(土) |
2005年のスタートです。 |
今年の初めは、家族全員で迎えました。 夫の両親も合わせ、7人でお雑煮とお屠蘇を囲みます。
大正15年生まれ寅年、夫婦二人暮しの両親の元へ、今年は家族5人で帰省したからです。末娘の小さなさかづきにもお屠蘇が注がれます。お味噌仕立てのお雑煮をいただきながら、今年もよろしくお願いしますと。
つつましい両親の姿に接する結婚20年目の変わらぬお正月の食卓でした。
ようやく逮捕されました。発生から1ヶ月半。今後の解明が待たれます。年内解決、とにかくよかった。
ラジオのニュースを聞きながら運転中。 どこかの事件の報道です。被害女性の職業を元風俗店従業員の女性○○才と。
これって必要なことなのでしょうか?もちろん職業に卑賤はないとはいえ、亡くなった方の職業を公表する必要がどこにあるのかなあと暫し考え込んでしまいました。
定例会最終日の夕方、恒例になっている議員互助会主催の親睦会が開催されます。 今回は、1年の締めくくりというわけで出席しました。行政側は、町長、助役、収入役、教育長、教育次長、総務部部長、民生部部長、経済建設部部長、上下水道部部長が出席されます。それに議会事務局長、議会事務局職員に議員は16人。 あくまでも強制ではないので、議員の中には、全く出席されない方もおられます。
会費は、議員は5000円。不足分は、議員互助会会費より支出されます。 (議員互助会会費月々5000円。)
私は、昨年6月と今年3月に続き3回出席してます。最初は「まあどんなことをしているのかという思い」で出席。2回目は、事務局職員の異動されるのでということで。そして今回は、年に1度は出席してとの思いで。
行政と議会が毎回定例会後に親睦会を開催しているのは、珍しいでしょうし、必要ないと思います。 1年の労をねぎらい、決意新たに仕切りなおし、そんな思いでたっぷり楽しませていただきましたが。
木津未来会議

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