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木津未来会議の日記
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2004年11月03日(水) 秋の鹿背山

柿の産地、鹿背山に行ってきました。
水島石根さんの作品展が今日から始まるらしいということで。
高値続きで、買い控えている野菜が売られているかもしれないということで。

消防署を過ぎ、右に折れて、鹿背山分校前で駐車。何せ運転の腕前に自信がもてないのですから。途中道端に咲くいぬたで、すすき、エノコログサ、ヒメジョオン、軒先に植えられた無花果、柿、キーウィに目を奪われながら、
歩くこと10分。
秋風を体いっぱいに浴びつつ坂道を登っていくと、そこが芸術家水島さんの世界。小高い丘の上から見渡す景色も、自然がつくった芸術作品。
故郷を思わせるその風景を楽しむ私に、一緒に行った友は、
「クレハはこんな場所に来ると、野生に戻るなあ〜」ですって。

帰りに柿を買いました。500円。


2004年10月28日(木) エスタ秋祭り

に出店します。おおきなかぶのメンバーで。おおきなかぶってな〜んだと思われる方もいますよね。
かぶを育てているメンバー?  いえいえ。
株で一儲けしようと思ってる方々? はずれ。
歌舞音曲に目覚めているメンバー?  NO。

ロシア民話の絵本おおきなかぶより命名しました。
子どもたちの居場所になればいいな、大人も一緒に楽しめたらもっといいなと入園前の子どもたち集めて本を読んだり、体動かしたりしているグループです。1年を迎え、記念のイベントをということで今回エスタさんで行われるこれも初めての秋祭りに出店することにしたのです。

家庭で使わなくなった、学用品、おもちゃ、子ども服、制服などなどを再利用してもらおう。
相楽パン喫茶ファンの私たちとしては、宣伝も兼ねて、パンやクッキーを売ってみよう。
遊びのコーナー作って楽しんじゃお。  などなど。
アイデアを出し合いながらワイワイがやがや進めてます。

あなたものぞいてみてください。
11月6日  午前10時よりエスタ集会所前にて。
楽しい仲間が笑顔で迎えてくれま〜す。


2004年10月27日(水) 請願の結果です

「不祥事根絶のための制度改革と、町長の給与支給停止を求める請願」の審査結果が出ました。わずか3時間ほどで集められた42名の方の思いを、趣旨採択という形にはなりましたが、無事届けることができました。

請願とは、憲法に認められた権利であり、議員の賛意を示す意味において、紹介という形で議会へと提出できます。そして受理された請願は、委員会において慎重に審議され、本会議でその報告をもとに最終的に結論(採択・不採択)が出されるのです。つまり、請願に対して議会の意思が結論なのです。

今回、委員会で趣旨採択すべきものという意見がついて報告されました。私は、趣旨採択には賛成しかねたので、委員長に質疑をしました。(全部採択すべきものと思っていますから)

なぜなら、趣旨採択は、請願の趣旨を採択するという便宜的なものであります。本来法律上は「採択」か、「不採択」しかありえないからです。木津町会議規則94条にも、「採択すべきもの」か「不採択すべきもの」のどちらかと規定されているのです。また、請願の項目が複数の場合については、内容が採択できるものについては、その項目をとりあげて、一部採択として採決することができる(運基128)ともされています。

趣旨採択というようなあいまいな方式のものではなく、今後は、一部採択という方式も取り入れ審議していただきたいと要望した上で、趣旨採択に賛成しました。


2004年10月26日(火) 冷たい雨に、心配です。

台風、地震、相次ぐ自然の驚異を前に人は力を落とす。
そして、力を合わす。

舞鶴のバスの上での、37人。命を繋いだ5メートルの竹棒。暗闇の8時間を乗り切った人たちの勇気に脱帽です。

私は、あの阪神大震災でかけがえのない友人を失いました。中学、高校をともに過ごした友人です。3月のお彼岸には、阪神電車を乗り継いで、マンションの前に立たずんでました。ぺしゃんこになった洗濯機とさっきまではいていたかのようにきれいに揃えられた幼い男の子のズック靴。今もあの光景は忘れられません。被災された方々の避難所での生活と一緒に目に浮かんできます。

歳月が流れ、日常の生活に追われています。

しかし、いつ何時起こるかもしれない出来事を前に、市民としてできること、行政がやらなければならないこと考えさせられます。
防災無線、備蓄、ボランティア、指令、安否確認の手段、支援要請、非難所、お年寄り、一人暮らし、赤ちゃん、紙おむつ、食料、病気、後片付け
、、、。
ニュースを見るたび、新潟に飛んで行かない、舞鶴に駆けつけない私は、申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまいます。   ごめんなさい。



2004年10月23日(土) 黒枝豆

の収穫に連れて行ってもらいまいた。お隣の精華町でされている畑のオーナー制度で自分の株の豆を収穫するのだそうです。

虫に食われ、まだらになった葉、枝の下に鈴なりとはいかないまでもぷっくりとした実が目にはいりました。
聞くところによると、スイカのオーナー制度もあったらしい。一株いくらと株ごと買い取り、その実を収穫するというものです。

自分の株の収穫を楽しむことができる。自然相手の厳しさも実感できる。スーパーに売られているように実がきれいにそろっていないけど、土の香りそのまま自宅につれて帰れる。

「枝のままおいて置くと日持ちするらしいよ。」と友人。
「えっ、一個しかついてなくても枝ももってかえるん。」と私。

昔幼いころ、畑のくわうち、田植え、そして肥え運びの手伝いもしたことのある私としては、久しぶりに土に触れることができ、気持ちよかったです。

アカマンマ(いぬたで)をつんで帰りました。枝豆ご馳走様。


2004年10月20日(水) 合併に向けての意見交換

全員協議会ってご存知ですか?
法的根拠をもたない会議で、議長の招集により開かれる会議のことです。
昨年6月より、合併に対する研究会をこの全員協議会で行っています。会議規則に縛られる本会議に比べ、おたがい忌憚のない意見を発表する場と言うことで、非公開が原則です。議決をとったり、一定の方向を出していくような会議ではありません。

今回は、まず、町長が合併に対する思いを述べられ、その後議員から自由にそれぞれ意見交換をするという形で進められました。
台風接近間近で、大雨、洪水、暴風警報もでており、1時間の予定で進められました。

まず、町長。
以前申し入れのあったところから相手の意思の確認を含め、協議再開を申し入れたいと言われました。
特例債目当てではないけれど、目標は17年3月。そしてできることなら最小の形で特例債も活用できればと言うような思いを聞かせてもらいました。

議員からいろいろな意見が出ます。
「合併は賛成であるが、木津の発言権をもっと意識してリーダーシップを発揮すべし。」
「この3つの枠組以外の枠での考えはあるのか?」
「3町が不可能の場合2町でという考えはあるか?」
「特例債の上限は、3町合併の場合、212億とも言われているが、国の財政難からみても本当に、その額が保障されると思われるのか?」
など、など。

町長の話を聞いていても、住民の意思を確認する姿勢が全く見えてきません。

私は、特例債に対する不信感と、今後の情報提供を会派代表会議での公開でなく、今回のように全員協議会を開催して報告してほしいということ、そして何より住民の意見を収集、確認の上での決定をお願いしました。


2004年10月19日(火) 法律遵守

でいきたいものです。もちろん議員である私も、議会も。
昨日、議会運営委員会が開催されました。議会終了後。

もちろん私は委員ではないので、傍聴しますと委員長に申し入れました。
すると、そこで、
「傍聴許すことはできません。」と言われたのです。

「なぜですか?議会公開の原則に反します。」

「委員外発言をするような方は、許せません。」

「えっ。」びっくりしました。

確か、委員会条例に「委員会は傍聴は議員ほか委員長の許可を得たものが傍聴することができる」とあったはず。
委員外発言についても委員長が認めた場合には、発言を許可できるともあるのです。

幾度も「納得いきません」と委員会室で求めるも委員長は認めず。他の委員、町長、行政職員も着席しているのに、私は仁王立ち。
「それでは、市町村議長会へ連絡させていただきます。」と事務局からすぐ電話しました。議会の運営についてお尋ねしたいと。

その後、議員に対しては、どの委員会においても出席を断ることはできないと、法令違反であると確認でき、無事途中から傍聴がかないました。

「すみませんでした。そのような決まりがあると知りませんでした」と言われましたが、法令遵守に努めていただかなくては、職員に対して法令を守るよう要求しても説得力ありません。議員も特別職の公務員ですから。


木津未来会議