木津未来会議の日記
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議員となって、6回目の一般質問。 友人から貰った水色のスーツに身をつつみ、いつものことながら、直前まで四苦八苦しながらつくった原稿を抱えて臨みます。 今回は、新町長に問う3問。 1 性急な合併に対して、住民への説明は?今後の進め方は? 2 信頼回復に向けての取り組みは? 3 子育てNO1のまちとは?
木津の議会の、申し合わせ知ってますか?会派の代表がする代表質問は、町長が答弁されますが、一般質問の場合は、部長級が答弁するというものです。 しかし、執行機関の責任者として、町長がまずもって答弁すべきであり、近隣の加茂などは、いろいろ工夫されてます。 今回は、特に町長の公約について聞かせて頂くので、事前の聞き取りの際にも重ねて町長に応えていただきたいと口頭で申し入れておきました。 (〜以前の質問では、他の議員さんが町長を指名されても他の方が応えられる場面がありましたから。〜) そのかいあってか、河井町長の姿勢か、自ら応えられました。3問目についても、部長答弁のあと、答弁を重ねられ、真摯な姿勢が見えました。
さて、内容ですが、私の追求の仕方にまだまだ反省点があります。傍聴に来てくれた仲間たちから、「もう少し迫力があったほうがいい」「再再質問いい事言ってるのにあともう一息ツメが足りない」と厳しいけど優しい指摘を受け、さてまた明日から踏ん張るぞ〜の気持ちがわいてきます。 たくさんの傍聴ありがとう。詳細は通信でしますね。
| 2004年10月14日(木) |
リニューアルオープン |
といってもお店のことではありません。 このHPです。もちろんこの日記をお読みになっているあなたならもうお気づきでしょうけど。
夏より、月に2回の講習を受けつつ改装を進めてきました。3人寄れば〜の言葉どおり、3ヶ月かかってようやくここまでこぎつけました。 以前のHPは、友人の夫さんに気軽にお願いしてましたので、ご苦労を全くわかっていませんでした。改めてお世話になりました。
しかし、それにしてもPCの言葉ってホントわかりにくいと思いませんか?といって、日本語にしたらわかるってわけでもないか。 (そういえば、リンクをはって、さあアップ。したのはいいけど、階層が違うという理由で見えなかったっけ。未だそのイメージがわかってないし。)
以前田舎の母が「ウイルスにかかるといけんから、マスクしてパソコンの前に座っているんだ。」と言ってたことが笑えないくらい、ほんと何度聞いても次の講習の時には、まっさらの頭だった私でした。
とにもかくにも、改装記念日と優しく根気よく教えてくれたTさんに乾杯!
秋晴れの3連休最後の日、木津2中での町民運動会がありました。30回目だそうです。ということは、私が、中学3年くらいから始まったんだと考えながら、開会式を聞いてました。
さて、大会名誉会長としての挨拶。「河井町長」と指名されて。真っ白なブレザーが素敵です。 あれっ?なんかおかしいな?と感じたのは私だけでしょうか? 「このたびの選挙で町長になりました河井です。みなさまのご支援ありがとうございます。今後はより一層町政の推進に努めたいと思います。」から始まる挨拶でした。当選のお礼に聞こえたのは私だけ? 続く議長の挨拶も「河井町長ともに、今後とも両輪となって課題解決に全力を挙げてのぞみます」が挨拶の冒頭に。はたまた、伝宝府会議員も「河井町長を応援させていただきました〜と。」
ここは町民運動会。その挨拶として、後援している側や来賓の挨拶としては運動会にふさわしくないものを感じました。 そういえば、先に男女共同フォーラムでの町長の挨拶も冒頭に選挙へのご支援を頂きと挨拶されていたし。公選法のあいさつ行為の制限ご存知のはずですよね。
| 2004年10月08日(金) |
大義なき戦争への加担 |
とうとう報告されました。戦争前のイラクには、大量破壊兵器はなかったとの米政府の調査団による報告です。 あの3月20の時点でイラク侵攻に踏み切った最も重要な根拠が間違いであったのです。
フセイン政権を倒さなければ、今見つからなくても、いつ何時大量破壊兵器の開発に手を染めるかわからないからという理由もあげられてました。 北朝鮮による脅威がある以上、アメリカに協力すべきだというようなことも日本では言われてました。 そして、イラクに大量破壊兵器があるという差し迫った理由での攻撃だったのです。
しかし、今回の報告により、戦争の正当性は全否定されました。
華氏911で見たシーンが思いだされます。生活するため、学費を稼ぐために、兵士として志願する若者たち。戦争突入を決めた議員へ兵役加入の案内を渡すムーア監督をよけるように通り過ぎる議員たち。そして、最愛の息子を失い、減額して支給された手当てを受け取り、やり場のない怒りをぶつける母の姿。
日本は、終戦後初めて外国へ自衛隊を送りました。人道支援のためとして。もちろん大義なき戦いに傷つき、負傷したたくさんの人びとを救いにですが。 政治の役目を改めて考えます。武力による何も生まない解決ではなく、対話による解決を目指したい。
高の原小学校に行ってきました。昨年まで末娘が通っていた学校です。子どもが卒業したあとも続けて、ボランティアに登録させてもらってます。地域へも広がっている高の原小の取り組みです。 朝学習の時間を利用しての読み聞きかせです。
我が家の子どもたち3人次々とが登校したあと、台所の片付けも洗濯もそこそこに、いえほったらかしにして、今日の本2冊とエプロン片手にいちもくさん。8時半より15分間の時間を楽しみに急ぎます。 今日のクラスは3年生。Nさんと一緒です。キンコンカンコン♪の合図とともに、子どもたちの元気な声。 「おはようございます。」「さあ,今日の本は。」と始まります。 子どもたちの反応が楽しみ。その場の状況によって反応が変わり、なんともこちらが試されているようで、何がおきるかわからない、これまた楽しい。
そんな時間が好きで、皆さんの協力の元、続けさせてもらってます。
「生き生き日本語聞いてえな」「しゅくだい」の2冊を心行くまで楽しませてもらって、さあ、今日もこのまま役場へ直行。
| 2004年10月06日(水) |
清掃センター特別委員会傍聴 |
特別委員会とは、臨時特定の事件について設置される委員会のことで、議会の議決により設置されるとなってます。 木津町議会には、清掃センターと、庁舎特別委員会、予算・決算特別委員会があります。
今日は、清掃センター特別委員会が開かれました。傍聴議員は、森本氏と私です。住民の方も3名来られてました。
河井町長が出席され、清掃センター建設に対する思いを述べられました。「今までの計画、検討を踏まえ、現在の候補地への地元理解に誠心誠意取り組みたい。一日でも早い建設に向け努力する。」といわれてました。
その後委員から、公約に掲げられた町村合併と清掃センター建設のかかわりについての確認などいろいろな方面より町長に質問がされました。
町長いわく、 「あくまでも合併は、相手があることなので、現在のところ全く白紙状態であり、センター建設と切り離して考える。そして合併の議論が進んでいったその後は、規模などのことについて考えていかなければならないと思う。」
センターの委員として、所属されていた町長です。視察も重ねられたことでしょう。木津町にとっての喫緊の課題としてとらえられている清掃センター建設ですが、私は、とにかくごみの減量化に向けての取り組みが最優先であると考えます。 全国的に見ても、最終処分場は不足が明らか、一度埋めたごみを再度掘り起こして処理した上、埋めなおすという苦肉の策をとろうとしているのです。木津町は大阪湾のフェニックスに埋め立て処分場を確保しているとはいえ、使用すればなくなることは明らかです。 徳島県上勝町は、人口が少ない山間の町ですが、34種類のごみの分別に住民が協力し、焼却場を持たないつくらない町としてごみ激減の先陣をきっています。
地球規模で考えたとき、温暖化や一番最初に沈む町ツバルの問題などを考えたとき、清掃センターのとるべき方向がおのずと決まってくると思います。
本日の総務委員会で請願について審議されました。じっくり審議したいからという理由で定例会での審議となった先の請願です。
「請願とは、町民の要望や意見を国、地方公共団体に伝える方法の一つとして、憲法で規定されている権利です。一定の要件を満たした請願書が提出されると、議長はこれを受理して、直近の本会議において所管の委員会に付託します。付託された委員会では、必要に応じて執行機関および参考人からの意見を聞くなど、慎重に審査されるものです。」
さて、どのように取り扱われるか期待しました。 しかし、趣旨はわかるが、行政は取り組んでいるのだから必要ないという委員、今後の代表質問、一般質問での答弁なども参考にしてその後改めて審査してはと言う委員、趣旨はわかるが、もっと効果のある他の方法があると思うのでそちらでと言う委員。3人の方が一回ずつ意見を言われただけでした。
結果、委員長が局長の指示を受けながら、「今後の様子を見て改めて審査するでいいか」との問いに「異議なし」と応える方もいて、結局閉会。 次回いつ審査されるのか伝えられないまま終わりました。
その後議長に「今期議会中に委員会開催され、継続審議されるのでしょうね。」と確認しておきました。
不祥事続きで投票率も過去最低。住民は嫌気がさしています。請願まで出して署名もされ思いを届けているのに、しっかりと審査してもらわないと困ります。
木津未来会議

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