パパのホームページ奮闘日記
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2005年06月01日(水) さすがは祥チャン

ヤフーで検索が出来るようになってびっくりしたが、そういえば最初立ち上げたときにHTMソースで”キーワードの中に以下の分を入れた。”祥之助,修造,DIY,ベビーチェアー,ロッドスタンド,バーベキュウテーブル,贈り物,パパ,子供部屋,想い出,日記,子供”この中でさすがに”祥之助”に引っかかってきたのは231件あるが4件目で見つけることが出来る。試しに修造で検索してみると、ほとんどが松岡修造関連になってしまい見つけることは容易でない。
"いつの日か子供達がこのサイトを見つけることが出来るかな。パパの楽しみ。"というのを"description"として入れてあるが、このままでいけば祥之助が大きくなってヤフーの検索で自分の名前を検索してみることもあり得るだろうと思うと、パパでもビックリしたんだから当の本人はどれくらい驚くだろう。その時の驚いた様子がどうなるのか今から本当に楽しみになってきたのと、15年後まで続けていられるかどうかとても自信がない。


2005年05月31日(火) ブランク

約半年HPから遠ざかったおかげで、もうすっかり更新の方法やHPの作り方など基本的なことをほとんど思い出すことが出来ないでいる。最初の頃はジグソーパズルに例えて書いてきたが、今例えてみると・・・・3000ピースのパズルのうち1000ピースが仕上がって半年間なんにも手につけてなかって、いざふたを開けてみると500ピースが崩れてしまっていて、またやり直し作業をしているような感覚ですね。それとこのブランクの間にみんなの所のHPがとても良くなっていたり、いろんな出来事があって、見て回るだけでも時間がかかってしまう。自分なりのペースでボチボチ仕上げていこうと思う。
 


2005年05月28日(土) 今日はビックリ×2

先程みんなが暖かく迎えてくれたことに驚いたばかりだが、またまた驚いたことが1つ!!長らくインターネットから離れていたもんで久しぶりに何気なくYAHOOのサイトで[shupopo」を検索してみた。検索結果は88件あって最初の方はSHUPOPOさんの英会話みたいなホームページ紹介だったが、んなアホな!えぇぇぇぇぇ!?!?88件の最後から2番目ぐらいに「ようこそ2人の子供部屋へ」の紹介が載ってるのを見つけて慌ててクリックしてみると、んなアホな!えぇぇぇぇぇ!?!?自分のHPが出てきた!!いったいいつの間にYAHOOに載るようになったのか自分でも解らない。が・こうしていざ自分のHPが検索出来ることになったのにも関わらず、長い間おろそかにしてしまったことに只反省するばかりです。そういや最近やたらと見たこともないいかがわしいところからメールがきているのはここで見たからかな?と疑問に思ってしまう。


2005年05月27日(金) ご心配いただいて・・・・・

たいへん長い間HPを更新していません。去年の暮れから約半年間。本当に自分の気持ちが情けないやら恥ずかしいやらでなかなか自分のHPは勿論のこと今までお世話になっていただいた方のHPまで見るのが怖かった。「継続は力なり・・」という言葉が今一番自分にとって悔やまれて仕方がないこと・・・子供たちのために立ち上げたHPを父親である自分がしっかりと守れていないことに対しての懺悔もある。申し訳ありませんでした。

今はまだたぶんじっくりHPを見て回る勇気がないかもしれない。徐々に自分のHPをもう一度作り上げていこうと思う。

会社の目標としていた日本工業規格の取得については4月15日認定を頂くことが出来た。 審査員2名が工場内を見て書類の不備を点検する工場審査というのがあってそれが2月24日。それで合格なら認定を頂けるはずが待てど暮らせど一向に合格の連絡が来ず、やっと4月15日に連絡があって目標達成となった。その間はとてもHPをする余裕なんてなく、ただ連絡を待っていたという感じかな??1月、2月は10年分くらいのコンビニ弁当を夕食として食べたような気がする。それこそ家庭は二の次、書類が第一。うちの奥さんにも2か月は覚悟していてね!と言ったことが現実になって・・・子供たちにも「パパはいつ帰っているの?」と疑問を持っていたし。今思えばこの頑張った期間は納得できる時間(楽しかった時間)だったような気がする。2月24日から4月15日までの約50日はほとんど無意味な時間(待ちわびれすぎた時間)でもこの日があってこそ今があるわけだし、今までみたいに仕事で悔しい思いをすることもなくなって、スムーズに仕事が出来るようになった。ただず〜〜〜〜と心の中でいつかはHPを開かなければ!開こう!やっぱりやめとこう!とず〜〜〜〜〜と心のどこかに痛いものがあって、思うたびに自分が情けなくなって、恥ずかしくて・・・・・悲しくなった。みんなの顔は見たこともないけど悲しんでいる顔が浮かんできそうです。本当に申し訳ないことをしてしまった。


2004年12月09日(木) 先生..

昨日書きましたが、うちの奥さんが元幼稚園の先生で、もちろん今の幼稚園では秘密になっていて、仲のいいお母さん2人ほどが知っているくらいです・・・・
で、祥之助のクラス年少組。夏まではすみれの青組、赤組と別れていたのが夏以降青、赤が統一されて1つのクラスになり1つのクラスを2人の先生が受け持っています。
どこの幼稚園にも問題児がいるように祥之助のクラスにも1人女の子で先生の言うことを聞かずに、みんなが部屋でお話を聞いている最中に外で遊んでいることが多々あるらしい。
それを先生方2人は見て見ぬふりで注意もしなければ呼び戻そうともしないらしい。  それを奥さんが見て、自分が幼稚園にいた頃と比べてしまうのか少し疑問に思っています。
 「なんぼ言うことを聞かなくても、自分やったらわかってくれるまで説明したけどなぁ〜一体どうなってんのやろ・・・こんなんやったら他の子供らにも示しがつかへんし、その子の親にしてみれば、何でうちの子注意してくれへんの?と思っているし!」
 と言うのは、その女の子のお母さんはうちの奥さんが元先生だったのを知っている1人でいろいろと相談に乗っているそうです。
 それでいろんなアドバイスや励ましをしているのですが、毎回よほど救われているのかその度にメールで長々とお礼が来ています。
「それなら代わりに言ってあげたら?」と言うと「それは言えん!!言ったらあかんこと!先生なりに考えがあるやろし、今私が言ったところでどうなるもんでもないしなぁ〜よけいややこしくなる」そうです。????「今は子供の母親としての幼稚園での立場」なるほどね!!

写真は日曜日に行ったオリーブキッチンというお店で・・・
(月1、兄弟両親の会合みたいなもん)


2004年12月08日(水) 幼稚園で

昨日仕事から帰ると、うちの奥さんが、今日幼稚園でのお迎えの時に先生に呼び止められたらしい・・・
先生曰く「いつも仲のいいお友達とお弁当を食べているのだけれど、そのお友達が今日ウルトラネクサスのお箸を持っていて祥ちゃんが”いいなぁどこで買ってもらったの?”と聞いたらお友達が”トイザらスで買ってもらったの!”
と答えたらしい。でも祥ちゃんはトイザらスのどこの売り場にあるの?まで聞きたかったみたいで、そのお友達は答えることが出来なかった。たぶんそれをしつこく聞いてしまったのか、そのお友達とお昼からは離れて遊ぶようになったらしい」

今までとても仲がよかった友達の1人だし先生も心配しての事だろう。

それを聞いてパパが「そしたら同じ箸買ってくればいいやん」と言うと
さすがはお母さん「そうやって!お友達が持ってるからと言って、友達にイヤな思いをさせてすぐに同じ物を買ってあげるのは祥之助のためにも良くない!欲しい物があれば、その時は我慢して帰ってから○○ちゃんがこんなお箸持ってて僕も欲しい・・と私なりパパに言ったらいいねん!」

ほぉぉぉさすがは元幼稚園の先生言うことが違うわ!
うんうんその通りやね〜〜と感心させられました。

えぇぇぇぇうっそぉぉぉホントなんです。元先生なんですよ。

写真はようやく補助輪1個になった「将来少し怖い暴走祥之助君」


2004年12月06日(月) 3000番お礼・・・

踏んで頂いたラッコさんの申告によると
12月 4日(土)17時47分41秒 !に訪問者3000番をめでたく越えることが出来ました。これも今までよろしくして頂いた皆様のお陰だと、お礼申し上げます。ちょっと堅かったかな? 

キリのいい数字でカウプレを設定して、みんなとワイワイギャーギャー踏んだ!踏まれたぁぁ!と楽しまな意味がないのに、なぜかいろいろな予定と重なり参加出来ずに返事が遅れてしまう。本当にすみません。

SINCE2004/08/17 3000番達成まで約110日間ですね。1000、2000番の時も言っていたが約半分は未だに自分が踏んでるような気がしてならないがここまで来ることが出来た〜フゥゥゥ
最初の頃はこの日記もマメに付けていたし子供達との想い出も更新していたが最近は非常にスローペースになって更新出来ていません。こんなことではいけないですね!3000番を達成したことで、また1度初心に戻りHP作りに取り組んでいきます。

本当に今まで励まし応援して下さりありがとうございます。
これからも「ようこそ2人の子供部屋」をよろしくお願いします。

写真は七五三で「将来が少し怖〜〜い!祥之助のヤンキー姿」


2004年12月04日(土) 徹夜・・

以前に「仕事・・」と題して「今月から年内に向けて1つの大きな大きな山(目標)があって、(3年越しの)これを乗り越えることが出来たら・」と日記を書いたが、どうも年内に乗り越えることが出来そうにない・・・
 だか来年1月末には必ず達成して見せます!と言うかこれを逃せばもう将来会社に明るい未来はない・・そもそも今の今まで何もしてこなかったんだから完璧に時代に乗り遅れている。
一体何が・・・・
会社が操業したのが昭和44年。その頃は会社の周りは山と田んぼだけだったのが土地改良が進み今ではぐるり住宅に囲まれてしまった。最初は遠慮していた近隣の住民の方も時代が住民の見方になるにつれ苦情を言ってくるようになり、それと平行して大きな目標があったもんだから、完全に住民の立場の方が強くなってしまった。
大きな目標!そんな揉めてる会社じゃ申請をしても官公庁がOKするはずもないのは充分わかっている。

公聴会を開いたり、役所と協議したりしながら、やっと本当にやっとこさ3者(近隣、役所、会社)の納得のいく回答が出来てきたと思います。
で!これからが正念場になります。月曜日に近畿経済産業局へ行ったのも検査官にお会いして今までの経緯を説明し、「胸を張って申請します」と伝えてきた。

それが来年1月の末にもうほぼ決定!!
こうなったらやるしかない!徹夜してでも何が何でも恥ずかしくない様にしておかなければ今までの苦労(工場長や従業員の人や今まで頑張って支えてくれた人たちのためにも)を無駄にするわけにいかない!!
ほとんどの書類関係は全般に自分が責任を負っている。負けられない!!

気合いだぁぁぁぁ!



2004年12月01日(水) 老人保健施設

今、茨木のライフポート茨木のロビーにて日記を書いています。と言ってもメモ帳に書いているのですが・・・・
さっきまでは大阪岸部にあるウエルネス協和という老人保健施設にいました。
当然見渡す限り年老いた老人と妙に明るいケアーな方々。
なぜここに来ているのか後ほど記しますが、
ライフポート茨木・・・職員の方も明るい方が多く、とてもきれいな施設。だが1つびっくりしたのは入り口の自動扉は入るのは容易だが出るときは必ず決まった暗証番号を入力しないと絶対に出られない。
エレベーターも上下以外に1つボタンがあってそれを3回続けて押さなければエレベーターに乗ることも出来ない。たぶん痴呆症の方のはいかいを防止するためだろうがうちの母でさえ理解出来ていない。

さて、それではなぜ今ここにいるのか・・・
それは名付け親の先生が老人保健施設、ウエルネス協和からライフポート茨木へ移動するためで、年齢が85歳で自力での生活が困難なために老人保健施設のお世話になっています。

名付け親の先生・・・
自分の兄弟からその子供も含め親戚従兄弟までうちの家系のほとんどの名前を付けている方でもちろん自分の名前も、そして我が子供達もこの先生につけて頂きました。
その中で、最も名前を訓読みにも音読みにもされないのが唯一自分の名前で、未だかつて初対面の人にまともに読んで貰ったことがない。だから小学校の出席では担任に赤鉛筆でふりがなを付けられて、すぐに覚えて貰えるという利点はあったが・・・
それが今度は我が子供、長男の名前が祥之助(しょうのすけ)になってしまい、これはあまりにも古風すぎて病院や銀行で呼ばれるときは必ず祥之助(さま)になってしまいます。

話が少し脱線しましたが
老人保健施設・・・・リハビリを目的とした短期入居施設であって長期に渡る入所は認められておらず約3ヶ月から6ヶ月の間に次の施設を探していかなけばならない!!
要は違う施設に入った次の日からまた違う施設を申し込んで空きを待つ始末!
一昨年の藍野病院の施設からだからこれで3回目の引っ越しとなり、その度母から一緒に手伝ってと言われ毎回来ているわけですが・・・・

本当にこの様なことでいいのかな??これが充実した福祉制度なのだろうか??たぶん解らない事情が多々あると思えるが、1度見てみたらとても耐えることが出来ない!!あの車いすに乗ったお年寄りの目の輝きが全くないのに!!
疑問に思わざるを得ない現状です。
この後、先生は何度施設を転々とされ、そしていつの日か本当にお迎えが来るんだろうなぁ。本当に切ない気持ちになっています。
ライフポート茨木のロビーにて  pm15:00


2004年11月25日(木) 成分献血・・

「うがぁぁんっぐぅぅはあぁぁぁ・・・・」「だいじょうぶですか〜〜?」
「ふぁいびょうぶです」「いたくないですか?」「・・・・・・・」
絶対に子供には見せたくない表情で毎年2回、採血の時と献血の時に同じような状況を繰り返しています。
平成8年からだから今年で8年目。
うちの父が大津びわこライオンズクラブに入っている関係から毎年5月と11月になると父から「オオー明後日献血やから行ってこいよ」とほとんど強制みたいに言われる。
で昨日献血へ行ってきたわけだが、
この成分献血・・・・普通の献血と違い血液中の血小板だけを取り除く献血で(血液を抜いて成分を分離し残った血液をまた1度こっちに戻し)×3回繰り返して約500mlの血小板を採血する方法で、最初の問診からはじまって適した血液か調べるための採血をしそれから成分献血をしなければならず約1時間かかってしまう。
この1時間の間にできる人数は献血バスのスペースからたった4人だけ。なので行くときは必ず前もって何時から行きますと伝えておかなければならず毎年おもいっきり緊張してしまう。
 この8年間たいがいいいかげんな生活(暴飲、暴飲)をしているが1度も適した血液からはずれたことがない。以前1度4人中3人が不適合と診断されて心細い中1人で成分献血をしたこともあり、看護婦さんに何があかんの?と訪ねると血液中のγ−GTPの値が大きすぎるとのこと。要は肝臓の状態があまりよくないらしい????「ん〜〜〜肝臓??この暴飲・暴飲でまだ大丈夫なんや〜〜〜」とこれも毎年おもいっきり緊張する場面でもあるが・・
 この採取した血小板がどのように使われているかというとあまりくわしく解らないが何かの薬になるらしい。次回行ったときもう1度聞いておきます。 
 年2回わずかな量の血小板ですが、どこかで役に立ってくれているだろう、誰かが助かってくれればいいなぁぁと思うと、緊張はするがイヤだとは思わない。これからも適した血液であるまでは続けていこうと思います。



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