2010年01月29日(金) |
Nine Stories |
「一番好きな作家は?」と訊かれることが多く、この私がどれだけ本を読んでいると思ってるんだ、簡単に一番を訊くなよと思いながらも、こう答える。「J・D・サリンジャーです」と。
昨夜もこの会話をしたばかりだ。そしたら、"Oh, you like classic novels."と言われて面食らった。私にとってサリンジャーは、まさしく現代――というか「現在」であり、今後の私の人生がどこに行くかにも影響するであろうことを考えると未来ですらある。
サリンジャーが好きだと答えた後、私はたいがいこう続ける。「サリンジャーは1919年1月1日生まれで、ということは今91歳なんですよ」と。私は彼の生年月日を覚えているのだ。
サリンジャーが高齢であるということが、私にとって常に微かな不安だった。カート・ヴォネガットの死に大泣きして以来、私が恐れてきたのは、ブラッドベリ(現在89歳)とサリンジャーの死であった。
出版された本はわずか5冊。最後の作品である「ハプワース16, 1924」(英語では雑誌掲載のみ)は1965年。
それでも彼は、初めて"Nine Stories"を読んだ16歳の時からずっと、私の最も愛する作家だ。これまでに3,000冊近い本を読んだが、"Nine Stories"以上に愛する本はない。
"Nine Stories"は、もう自分が書いたとしか思えなかった。自分の迷いや願い、恥と葛藤と希望が全て書かれていることに唖然とした。9つの短編のひとつひとつの結末が、ただ人間の感情という一点において衝撃的であり、今でも9つのどのタイトルを聞いても涙ぐみそうになる。
まず日本語で読んだ。それから無理やり英語で読んだ。もっと英語力をつけてまた読んだ。もっともっと英語力をつけてまた読んだ。もっともっともっと英語力をつけてまた読んだ。いずれもっともっともっともっと英語力をつけてまた読む。
英語を愛するきっかけになったのは洋楽だが、英語力を高めたいと思わせたのは、サリンジャーであると言っても過言ではない。
"Franny and Zooey"のラストでは、ゾーイーの一言にミステリーのどんでん返しを読んだ時以上に驚き、不意をつかれて泣いた。
実家が教会の隣で、教会の幼稚園に通ったにも関わらず無神論者である私は、子供の頃に聴いたサイモン&ガーファンクルの"The Sound Of Silence"のラストの歌詞を読んで、ぼんやりと「神さま」というイメージを宗教とは違ったところに抱くようになったが。「フラニーとゾーイー」の、神についてのゾーイーの一言は、悩んでいたフラニーを救い、同時に私をも救った。
サリンジャーに一度会ってみたいと思っていた。彼は普通の家で普通に暮らしていたんだから、会いに行くのは簡単だったろう。だが、同じように考えている人間が大勢いただろうし、彼自身はそういうことを嫌う隠遁者だった。
それにどうせ会ったところで私は、何も言えなかっただろう。せいぜい「私はあなたの作品を泣くほど愛しています」と言うだけだ。結局それ以外何も言いたいことなどないし。
カート・ヴォネガットが死んだ時、私は当時はまだあった自分のbbsにでかい字で「世界中の皆さん、カート・ヴォネガットが死んでしまいました」と書いた。
でも今日は、「世界中の皆さん」はどうでもいい。サリンジャーは、すでに私の「プライベート」だから。
―――これ以上何を書けばいいんだ。
4時間泣いて、手足が氷みたいだし、頭がぼうっとするんで、今計ってみたらやっぱり熱が出てるよ。
サリンジャーが、死んでしまったんだなあ。
作家としては半世紀も前に死んだも同然の人だったが、この世のどこかにサリンジャーが生きているということは、ずっと私の意識下にあった。
このふたつ前の段落の文章を全部現在形で書いてしまって、全部過去形に書き直したよ。まだ、よくわかってないらしい。
ジェローム・ディヴィッド・サリンジャー。
私は今、あなたの訃報に接して泣いていますが。でも、初めて「ナイン・ストーリーズ」を読んだ時、そして「フラニーとゾーイー」を読んだ時ほどではありません。
私はあなたの作品を愛してます。―――これは現在形でいいんだな。
これからも読み返します。あなたは死んでしまいましたが、私の未来はあなたと共にあります。
Nine Stories (私がこの世で最も愛する本) *Jarome David Salingerの著書 (1953)
2010年01月25日(月) |
I can play A |
コートニー・ラヴがTwitterに一行だけ、こう書いていた。
I can play A
ごくシンプルな文である。句読点こそ使っていないが、姐さんにしちゃ珍しく文法的にも問題ない。が、ふと思う。
ひょっとしてこの文の意味がわからない人間もいたりして?
日本語の文章を読んでいて、「SE」という言葉が説明抜きで無造作に出てくると、私は反射的に「効果音」(Sound Effect)と受け取る。音楽の世界ではそれが普通である。が、どうもその意味でないことが多い。
「システム・エンジニア」なんて言葉は、「効果音」の意味のSEより後から出来たのだ。SEと書けば万人がそう読む筈だと決めないで欲しい。英英辞書をいくつか引いたところ、「SE」の意味のトップは"south-east"で、次が"selenium"(元素のセレニウム)だ。Wikipediaには、実に37項目の「SE」がある。
同じ言葉を使っているつもりでも、大きな隔たりがあるかもしれない。自分の常識が世間の常識だと思わないほうがいい。
I can play A
ネイティヴでも意味がわからない人が、もしかしたらいるのかもしれない。
ところが、殆ど英語が出来なくても、この文の意味を即座に解する日本人は多い筈だ。少なくとも私の周りではそれが「常識」である。
そして私は、これを当り前にわかる人間が好きなんだ。
2010年01月23日(土) |
I love him so much it just turns to hate |
何故私が今夜、家で一人で「ゴジラ」(1954年)のDVDを見ていたかの詳細は省く。問題はそこではないのだ。(どうしても知りたい方はここを参照。送ってくれて有難う武田くん)
要は、この日本が誇る「ゴジラ」が、実は"The Beast from 20,000 Fathoms"(1953年)というアメリカ映画のパクリだというのだ。YouTubeで見てみたところ(何でも即座に見られるYouTubeって素晴らしい)、あら本当だ、そっくり。
この映画の中で、恐竜は海から上がってきて灯台に前足をかけて破壊する。まさしくゴジラが放送塔を倒すシーンそのもの。・・・って。待って。
海から来た恐竜が灯台を壊す?
そのイメージは、よく知ってるわ。
なんと。Wikipediaによれば、この"The Beast from 20,000 Fathoms"自体が小説を下敷きにしており、その小説とは、私の愛するレイ・ブラッドベリの、"The Fog Horn"―――「霧笛」であるというのだ。
つまりゴジラの大元は、ブラッドベリということになる。
「霧笛」は短編だ。私は15歳以降に読んだ約2,500冊の本の記録を取っているが、その中に「霧笛」が収録されている短編集「ウは宇宙船のウ」(原題"R Is For Rocket")はない。だが、読んだのは14歳で間違いないと思う。
ブラッドベリで最初に読んだのは「10月はたそがれの国」(原題"October Country")で、これを学校の休み時間に教室で読んでいた記憶が今でもはっきりとある。私は感動していた。あまりに感動して、周りの生徒達を見渡して思った。彼らはこれを知らない。私は知っている。私と彼らの世界は違う。私は明らかに彼らより幸福である、と。そんな特権意識にも等しいほどの満足を、その本は与えてくれえた。
その次に読んだのが「ウは宇宙船のウ」(何とかならんのかなこの邦題)で、「霧笛」は、ベッドに入ってスタンドの明かりで読んでいたのを覚えている。
恐竜が、海から来て、灯台を壊す。
―――だからね、あまり何かを愛しすぎないほうがいい。
茫然とするほどうつくしく哀しい話で、多感な14歳だった私はぼろぼろ泣いて―――いや、今だって思い出すだけで涙ぐむ始末だ。
そして今でもやっぱり14歳の頃のように、こう思う。世の中には、これを知らずに生きている人がたくさんいるんだなあ、と。
好きな作家はいくらもいるが。14歳の時点で私の中に壮絶なセンチメンタリズムを培ったのがブラッドベリであり、うつくしいものしか読みたくない―――ひいてはうつくしくないものは嫌いだという観念が育ってしまったおかげで、今でも何かと人生が難しい。
しかし何をうつくしいと思うかは色々である。
まさかゴジラがブラッドベリと結びつくとは思わなかったが。ゴジラはゴジラで、しっかりと美学を内包していると思う。
I love him so much it just turns to hate (あまりに愛しすぎると、憎しみに変わる) *Doll Parts / Hole (1994) の歌詞。
2010年01月21日(木) |
Do you read me? |
昨日の日記に「なんて下品な"fuck"だろう」と書いた。じゃあ下品じゃない"fuck"があるのかというと。
ソニック・ユースの"I dreamed I dream"でキムが言う"Fucking youth."という一言は、まさに清潔だと思う。これを初めて聴いた時、「・・・きれいな"fuck"だなあ」とうっとりした。
キム・ゴードンという存在は、私から見ると無垢の権化だ。こういう女に愛されているサーストン・ムーアが羨ましい。私が男だったらキムを嫁に欲しい。
今日もiPodでソニック・ユースを聴きながら街を歩く。元ダンナ(b)に「ソニック・ユースを焼いて」と頼んだら、50枚+メンバーのソロ32枚=82枚ぶんの音源が送られてきたのが2008年10月。勿論未だに全然聴き終えていない。なので、iPodをシャッフルにしておくと、しょっちゅうソニック・ユースの聴いたことのない曲がかかる。けれどいつも即座にソニック・ユースだとわかるし、例外なくかっこいい。
元ダンナといえば、つまんねえ嘘つきやがったので一旦絶縁したことは、去年の6月の日記に書いたが。12月にふとメールを送って、とりあえず許した。タイトルが「おい」で、本文が「謝れ」だけという、やさしさに満ち溢れたメールである。
半年ぶりの連絡だ。元ダンナは今でも私マニアである筈だから、半年間辛かっただろう。反省しやがれ。
連絡をもらった元ダンナがクリスマスにお金を振込んでくれたので、そのお金で、一人用ブッシュ・ド・ノエルという非常に寂しさを盛り上げるケーキを買って食べた。去年のクリスマスは、結局あえて何一つ予定を入れず、一人で過ごしていたのだ。
この時の、わざわざ選んだ寂しさの中に勝手にしみじみ感じていた清々しさは、それこそ私が抱いている"I Dreamed I Dream"の厳粛なイメージに重なるなと思う。
Do you read me? (このメールのやさしさがわかる?) *I Dreamed I Dream / Sonic Youth (1982) の歌詞。
2010年01月20日(水) |
You're gonna let me hear the lost cord toninght, yeah |
音楽情報が殆どないので、先月LEO(g)に言われてはじめて、コートニー・ラヴが1月に新譜を出す予定でいることを知った。タイトルが"Nobody's Daughter"だというので、娘の親権を失った直後に出すにしちゃまたなんというタイトル・・・と思いつつ、YouTubeで検索してみたら、2007年のライヴ映像が出てきた。そういえばもうこの頃から新譜に着手してたんだっけな。いつまでも出ないから、頓挫したかと思い込んでたわ。
前作(初ソロ)は2004年。1曲めの"Mono"は最高だった。信じ難いほど直球勝負のけたたましいバイオレント・ポップで、ホール時代の倦怠も色気も吹っ飛ばしたのが逆に新境地という感じだ。だが2曲めの"But Julian, I'm a Little Bit Older Than You"は、言っちゃ悪いがよくもここまでひどい曲が作れたもんだと思ったし(ストロークスのジュリアンのことを歌っているってのがまた気に入らない)、残りは全部中途半端でどうでもよかった。
なのでこの映像も全く期待せずに見た。
最初のおそろしく安っぽいキーボードに一瞬ひるんだが。聴いていくとこれが思いのほかいい。作曲は他人だろうな。これまでに比べたらスタンダードに近い。声がいい感じに枯れて、おそらく衰えている。それが色っぽい。ちょうど激痩せした頃で、尖った肩の骨をくいっと上げて歌う。
リズム隊は無個性だし、美人で性格も良さそうなキーボードは演奏もコーラスもお嬢さん芸で耳障りだし、終盤のテンポアップは陳腐だが。それらを無視しようと思わせるくらい、コートニーに雰囲気がある。
"This is the day that I fuck up."と歌った時は痺れた。なんて下品な"fuck"だ。おかげで、次に同じメロで"This is the day that I give up."と歌う時は、力の抜き加減がぐっとくる。
しかし。同じ曲のスタジオデモ音源を聴くと、装飾過剰で退屈でひたすらただ安っぽい。最終仕上がりはどうなることか。
というか一月ももう下旬だが。本当に新譜は出るのか?
You're gonna let me hear the lost cord tonight, yeah (頓挫したかと思っていた新譜を今こそ聴かせて) *Mono / Coutney Love (2004) の歌詞。
2010年01月19日(火) |
But for seven years |
数日前にふと髪を切ろうかなと思った。子供の頃からロングとショートを繰り返してきたので、髪が立つほどのベリーショートにしたことも何度かある。
で、ネットのヘアカタログで画像を山のように見ていたら、自分そっくりの、前髪をぱつんと切った赤いストレートロングの画像があった。結局これが一番目を引いたので、とりあえず今は切らないことに。
しかし。既に現在、腰骨に届く長さである。そろそろ洋式トイレすら危険に感じ始めた。
とにかくこのくらい長いと、全ての動作に気を配る必要がある。何かを拾う時も、普通に前に屈むと髪がばさっと落ちてきて地面につくので、上半身はそのままで膝だけ曲げて横から拾う。結果的になにやらエレガントだ。
3年前に、同じくらいの髪の長さの子(b)に出会って、髪の話で盛り上がったことがある。ひととおり話し合った後に私が訊いた。「ねえ、してる時って髪が邪魔なことない?」
そしたら彼女が、「ああ、あたしいつもお団子にしちゃう」と答え、その場で器用にくるくるっと頭上に結わえ上げた。そこまでてきぱき対処しちゃうと風俗嬢みたいだと思ったが、口には出さなかった。彼女は、本物の風俗嬢だったので。
ところでこの冬、髪の静電気がすごい。
一ヶ月前に、珍しく恵比寿なんていうお洒落な場所でパーティーに参加したのだが。その日が私の「静電気デビュー」だった。髪が、ふわふわとまとわりついてくるので、おかげで一日ずっとロングコートが脱げなかった。脱いだ瞬間にばりばりきそうだったのだ。
その後トリートメントをディープなものに変え、更に洗い流さないトリートメントと静電気除去ブラシを購入して、今は何とかおさまっている。
2002年からずっと毎日ヘアアイロンを使っていたので、傷みきっているんだろう。2009年夏にアイロンをやめ、以来ヘアケアを心がけてはいるが。
何しろ7年間の蹂躙の後なので。今さら慌ててちょっとケアしても、殴る蹴るして足腰たたなくしておいてから「大丈夫?」といってバンドエイドを貼ってるようなもんだろうなあ。
But for seven years (だって7年間も痛めつけたから) *Seven Years / Natalie Merchant (1995) の歌詞。
2010年01月17日(日) |
Don't want to die uneasy, just let me go naturally |
昨日、3週間ぶりにスタジオに入って、そのまま飲みに行き。帰ってベッドに入ったら、酔ってるせいでふと涙が止まらなくなって困った。
その日の朝にABCのニュースでハイチ震災の特集を見たのだ。夥しい人数がいまだに瓦礫の下敷きになっているのに、救助が遅れているせいで助け出せずにいると。
目が覚めて、イーバンクのハイチ地震義援金に1,000円寄付する。イーバンクは大震災などがあるとたいてい寄付を募るから、口座を持っていると簡単に寄付出来ていい。
昨夜めそめそしていた時は、よし2,000円寄付しようと思っていたのに。起きてみたら、「・・・最近カネないし」と尻込みして1,000円になった。でも私の稼ぎを考えたら多いだろ。
募金は盲導犬と大地震だけと決めている。私のメイン募金である盲導犬募金は、その時々の募金に加え、去年から「子犬賛助会員」というのになった。毎年3,000円の募金が引き落とされる。「親犬賛助会員」だと毎年10,000円なので、これはもう私には無理である。
あとはたまに駅前でホームレス救済雑誌である"Big Issue"を買うくらいで、それ以外の募金は基本的に無視だ。今日も新宿駅前で、「ガーナの貧しい子供たちに愛の手を!」と声を張り上げる子供たちの横を素通りした。
そんなに何もかも救えませんというのもあるが。要は私は、自分が一番耐えられないことだけにお金を払っているのだ。「失明」と「生き埋め」に。
この数年でどんどん、誰かが苦痛を覚えるということが耐えられなくなってきた。私はミステリーが好きだが、残酷な描写は(もともと好きではないが)もう一切読みたくない。
私の母親が極度の閉所恐怖症であると知ったのは、一年ちょっと前である。私のそれも、母の遺伝だったんだ。それを知って以来、母が何かで苦しむと思うとぞっとするようになった。ずっと母に対して批判的で冷たい娘であったが、なのに、母が例えば何かの苦しさに耐えると考えるだけで我慢出来ないのだ。
いやもう、誰であっても、なんであっても生き物が苦しむのはいやだ。
そして今自分の最大の願いは、ラクに死にたいということだ。死ぬのは怖くない。だけど苦しみたくない。
神さま、あたし今日震災募金に1,000円払いました。だからあたしを助けてください。地震にだけはあわないで済むように。いや、あってもいいですから、せめて生き埋めにだけはならないように。あたし閉所恐怖症なんです。シャワーのたびにパニック起こしてます。ゾラの「ジェルミナール」で炭鉱落盤事故のことを読んでトラウマになりました。痛いのなんかいくらでも我慢します。一年前に腹を20cm切られて臓器を3つ4つ取られた時もちゃんと我慢しました。だけど生き埋めだけは勘弁して下さい。
そして何よりも、失明だけは勘弁してください。眼が見えないのは究極の閉所です。眼が見えなくなったらあたし確実に気が狂います。
―――神さまなんていない。神が存在するなら、この世は、不条理を超えて、理不尽だ。宗教は嫌いだし、来世での救いなんてなんの役にも立たない。
けれど。私は暗い宇宙の中に、なんか―――何かの意思がうごめいているのを想像して、ソレに呼びかける。
神さま、あたしとあたしの母親を救ってください。
それから出来ればもう誰も生き埋めにしないでください。
Don't want to die uneasy, just let me go naturally (恐怖症で苦しんで死にたくないんだ。ただ普通に死なせて下さい) *And When I Die / Laura Nro (1967) の歌詞。
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