2009年01月24日(土) |
appreciate your appreciation |
体重が44.3Kgになる。成人後でこれを下回ったのは、2002年の43.8Kgだけだ。(あの時は毎日ジム通いをしながら、殆ど食べずに一日中チャットをしたりしていた)
生徒にツモリチサトの腹巻を2枚頂く。普通のシャツのような可愛い柄で、やわらかくてすべすべ。
今日で術後一ヶ月経過したので、そろそろ腹帯を取ろうと思ったが、保護がないのも怖いので、ハイウェストのガードルでも買おうかと思っていた矢先だったので、嬉しい。
しかし世の中にこういう「可愛い」腹巻があるのを今回初めて知った。世の女性達ってよっぽどおなかが冷えるんだねえ。ネット検索してみたら、「お洒落な」豹柄の腹巻やら、「セクシーな」腹巻やら。・・・それはちょっとどうなんだ。
この生徒は以前からよく差し入れなどしてくれるが。特に退院後は毎週甘いものを買って来てくれ、それより有難いのが、授業前に必ず声をかけて買物してきてくれるのだ。おかげで図々しくも毎週、「単三電池」だの「台所の排水溝用ネット」だの、こまごましたものをお願い出来て本当に助かっている。
ここからは昨日の話。
母から電話があって、私の入院費を全額払うと言ってきかない。私は今回は全部自分で払うつもりで、親が内金として払っていたぶんも返すべく(そうは言わずに)K叔母に母の口座番号を訊いたりしたのだが、察した叔母が母に相談し、教えないよう言われたらしい。
こういう時の母は、にこやかに、しかし頑として「決定済」という態度なので、全く抗えない。結局今回も負けた。
有難いことではあるが、何となくすっきりしない。
実は一昨日、電話でK叔母ともめた。それまでは叔母の横柄な態度を我慢していたのに、生まれて初めて言い返したのは、思えばこれも体調ゆえだ。
で、その時の叔母の乱暴な怒り方に心底いやな気分になっていたら、その反動で、親にたいしてわだかまっていたことが、どうでもよく思えてきたのだ。
で、昨日母との電話を切った後しばらくして、ふっと「父と話そう」という気になった。
電話して父に代わってもらい、やさしい口調で私の体調を訊く父としばらく普通に話し、その後で本題に入った。つまりこうだ。
私は、前回父に電話で「子宮を摘出していいと言うのをきいて、ショックを受けたのはこっちだ」と言われて以来、「もう私は子供が産めないんだから、ずっとお父さんが『孫を産まなければ財産は一円もやらない』と宣言していた通りにすればいいわ」と言ってやりたかったのだ。でもいくら何でもそんなことは言えないと思い、苛々していた。
で、そのことを言っちゃったのだ。ただし、怒らず、普通の口調で。自分がそういう気持ちだったんだよ、と。(つまりこれが出来たのは、怒り狂ってものを言う実例をK叔母で見てイヤになったからである)
そうしたら、わかってくれた。私が傷ついたことも解るといい、また、自分が人の話をきかないことも自ら認めた。「この数年は、なるべく他人の話もちゃんと聞くようつとめているつもりだが、どうも上手くいかない。若い頃は、年を取れば自然と穏やかで人間が出来てくるものだと思っていたが、どうやら全くそうはならない。結局自分は苦労をしたことがないからそうなんだと思う。何の苦労もせずに人格形成だけ期待するのが間違いだよなあ」という内容のことを言い、「ごめん」と謝ってくれたのだ。
・・・いやあ、びっくり。
思わず「嬉しい。謝ってくれてありがとう」という言葉が出た。
その後、非常に穏やかないい気分になり、K叔母にも電話して、明るく「ごめんね」と言った。叔母はかなりほっとした様子。
だが、実を言えば今後K叔母と本音で話す気だけはすっかりなくした。なので逆にもう衝突もない筈だ。
(2/28up)
appreciate your appreciation (わかってくれてありがとう)
2009年01月23日(金) |
disposable boot warmers |
21時にS(vo)がお見舞いに来てくれる。買物してきて下さるというので、有難く、食品と使い捨てカイロをお願いした。一時よりゆるんだとはいえ今でもまだまだ体が冷えるので、毎日ブーツ型ルームシューズの両足の中に一枚ずつ使い捨てカイロを仕込んでいるのだ。退院後3週間足らずで70枚購入している。
食品も山ほど買ってきてくれたので、冷蔵庫と冷凍庫がいっぱいになる。ピザ、グラタン、ホウレン草、ブロッコリーなど。
お見舞いにチョコレートも頂く。取っておきのコーヒーをあけて一緒に食。
Sは22時過ぎに帰。その後、買ってきてもらった生ハンバーグを焼いて、これも買ってきてもらったチーズとでサンドイッチをつくって食。
(2/27up)
disposable boot warmers (使い捨てカイロ) *'hand warmer'ともいうが、まさに私の使い方の場合'boot warmer'がふさわしいかと。
霧雨。13時半にMRが家に迎えに来てくれる。今日は通院日なのだが、彼が付添うと言ってくれたのだ。
表に出るのは退院後初めて。買物は主にネットで済まし、ゴミ捨ては生徒がやってくれていたので、本当に外に出ていない。
まずは、駅へ行く途中にある美容院へ寄る。ようやく前髪をカットしてもらえた。それから駅まで歩くが。想像以上に下からの振動がずんずん響いて痛い。ゆっくりゆっくり歩く。
電車で吉祥寺へ行き、そこからタクシーで杏林大学付属病院へ。
15時の予約だったが。
18時まで待たされた。
おまけに医者の言うことにゃ。「悪い悪い、会議が長引いて」
痛くて不快な内診はしたが。傷は見てもくれなかった。退院時に一ヶ所腫れあがっている箇所があって、そこがちゃんと治るかどうかと気にしていたのに。「傷は見ないんですか?」と言ったら、「いや、今見たから」という返事。腹帯を巻いたままでどうやって見えるんだよ。
癌だったので、今後5年間通院する必要があると言われるが。どこでも同じなら、近くの病院に変えて欲しいと言う。
診察を待つ間に、入院費の支払いも済ませた。入院中は訊いても全く見積もりを出してくれなかったので、今日初めて金額を訊いたら。
「52万円です」って。
ごじゅ・・・・・・・・・・・・。
クレジットカードがなかったら、どうしろって言うんだ一体。
採血。今回は下手で、痛いのなんの。(その後数日痛んでいた)
終わったら既に会計が閉まっていて、支払いの為に雨の中を別の建物まで行くよう看護婦に言われるが、「すみませんが」の一言すらない。
へとへとに疲れ、病院からそのまま家までタクシーで帰る。腹部の右側が時々ぎりぎりと痛む。もう19時だ。
MRは夕方にライヴを観る予定があったのに、私が病院で3時間も待たされたので、キャンセルして最後までつきあってくれた。行き帰りのタクシー代まで払おうとするので、いくら何でもと断った。本当はこちらが帰りにお夕飯でもご馳走したかったのだが、レストランに寄る元気などもうどこにもない。帰りに近所のパン屋でパンを買って帰り、MRと一緒に食べる。私はこれが今日初めての食事。
MRは22時に帰。
今日医者に、今後抗癌剤治療をするかどうか訊かれ、しないと答えた。体への負担が大きいと聞くし。
元ダンナからメールが来たので、そのことを伝えたら、「念の為ってことだよね?」と訊かれたので、「癌が残ってるかどうかはわからないんだよ」と返事。
(2/25up)
going out (外出)
2009年01月21日(水) |
It might sound dodgy now, but it sounds great |
台所に立ってコーヒーをひと口飲んだら、ちょっと喉につかえた。ここで軽く咳き込めば何事もなく済むところだが。
咳を拒否して、そのまま無抵抗でコーヒーを吐き出す。
台所の床を拭く羽目になったが。しかし絶対に咳なんかするわけにはいかないのだ。
手術の数日後、病院のベッドの上で、ほんの軽く、それこそ羽のように軽く、「かふっ」と空気が漏れる程度の音にもならない咳をしたのだ。その時の、目が点になるような、ハラのど真ん中を直撃した痛みときたら。
あまりに驚いて、側にいた看護婦に、「・・・びっくりしました」と言った。
退院してきたら、異常に体が冷えるせいで、時々クシャミが出そうになる。勿論ずっと鼻をつまんでこらえてきたが。とうとう先日、ごくごく軽く、口先だけで、「けぷ」とやってしまった。
その時の後悔ときたら。
ちなみに今回のことで、人間はクシャミを無理に止めると気持ちが悪くなるということも学んだ。
YouTubeでロビン・ヒッチコックの検索をしていて、この映像を見つける。初めて見た時は、演奏後に思わずお客と一緒に拍手してしまった。・・・いやあ、お見事。
以来一日中何度も何度も見っぱなしである。この曲は初めて聴いたのだが、既にメロも歌詞も覚えた。一緒に歌える。どうにも悪趣味な歌詞ではあるが。
何度も見るとアラも見えてくる。最初のサビに行くタイミングはロビンの思い切りが多少悪い。間奏から戻るところはロビンがズレている。
そういう具体的なことを別としても、非常に危なっかしい演奏にも見える。そしてそれが逆に魅力だ。
一番最後のサビだけ、"Baby, let me show you."という一行が加わるが、この部分を加える意味を明白に見せつける盛り上げ方が愉悦を覚えるほどで、本当に「見事」だ。
なんでこの人は、こんなに(少なくとも日本では)無名なんだろう。
また、来日しないかなあ。
(2/25up)
It might sound dodgy now, but it sounds great (危なっかしくもあるが、見事だ) *Sounds Great When You're Dead / Robyn Hitchcock (1984) の歌詞。
2009年01月20日(火) |
something I can do for you |
毎日寒くて痛くてくらくらするが。二次災害もひどい。体が冷えるので連日エアコンを30度にしたうえに着膨れているから、乾燥で体が痒くてたまらない。毎日シャワー後に体に保湿ローションを塗るが、背中にだけは手が届かない。誰かにお願い出来たらどんなに気持ちいいだろうと思う。
寒くて使い捨てカイロを布団の中に2〜3個入れて寝るのだが、朝起きたら右掌に水脹れが出来ていたことも。カイロをさわっていたらしい。
何故か毎日顔のどこかしらがうっすら腫れている。EM-Xをつけたりしてその日その日で治しているから、殆どひとには気づかれないが。
TOからお見舞いメール。5年前にご自身も手術されたことに触れている。そういえば当時ネット上の彼の日記でそのことを読み、「いたたたたた・・・」となっていたっけ。何しろ作家なので筆力がある。
あの頃は心から同情していたつもりだったが、やはりひとのことはすっかり忘れてしまっていたなあ、と思った後にふと気づく、自分自身のことも忘れ始めていることに。
手術からもうすぐ一ヶ月。あんなに辛く苦しかった手術と入院中の記憶が、既に薄れ始めている。記述的な記憶はまだある。だが、感覚として、本当に何がどうだったのかという手触りが、重みが、匂いが、どっしりとした実感を失いつつある。
ああ、やっぱり、すぐに書いておけばよかった。
入院中は例えPCが手元にあったとしても日記のアップは無理だったが。退院直後にすぐに書ければ良かったのに。たまたま12月の日記を休んでいて、そこまで遡った為に更に更新が遅れた。
思えば今回の出来事は、肉体的にも精神的にも、私のこれまでの人生で一番辛い経験なのだ。
すぐに書くべきだったなあ、としみじみと後悔する。
忘れるということは、時として、何よりかなしい。
TOはメールの中で「私でできることがあれば、言ってください」とおっしゃってくれていて、とても有難く思う。彼以外にも何人かに同じように言っていただいた。あまり考えず決まり文句として口にしている場合もあるだろうが、基本的にこの台詞は、そう簡単には言えないと思う。
しかしとにかく何よりも、こうやって声をかけてくれることが一番嬉しい。今回のことで、よく連絡するひと、長い間連絡がなかったひと、一度も会ったことのないひとまでが、お見舞いのメールをくれた。
ひとつひとつに感謝しています。どうもありがとう。
(2/25up)
something I can do for you (何か出来ることがあれば)
2009年01月19日(月) |
Oh, life is--Breathing |
昨夜は23時に床についたが、痛くて眠れず。しかし、今日からようやく体の異常な冷えが少しゆるみだす。とはいってもまだまだ充分寒いが。
S(vo)から「私はロックバンドで歌うことが生きがい」というメールをもらい、自分は違うなとふと思う。
このサイトはロックサイトだと思われがちで(実際は最初は読書サイト。今は特に分類なし)、今ではScreaming Bunnyというシンガーの、バンドのサイトだと思われることもあるが。
2002年にこのサイトを作った時、私は全く何者でもなかった。それ以前には社会人で妻でボーカリストだったが、2002年の夏にはそのどれでもなくなっていた。
2003年にまた歌い始めた時は、ここまで続くとは思っていなかった。
2005年には自分の彼とユニットを組み、話すことは音楽のことばかり、一緒に行く場所はロックバーとスタジオ、喧嘩の種までがギターがらみだったり。私が書いた曲を彼が弾き、私が歌う。
彼はギターを失ったら何も残らないと言い、私は彼に求めるものはギターだけだと言った。彼も私に歌を求め、でも私は自分が歌を失ったら終わりだとは思わなかった。今まで一度もそんな風に考えたことはない。
自分が「歌が生きがい」と言えるほどのシンガーじゃないというのもある。だが彼は、自分を下手だと評しながら、それでもギターを失ったら何もないと言ったのだ。
私は、これを失ったら何もない、というものが何もない。
私は何者でもない時にScreaming Bunnyの名刺をつくった。肩書きの一切書いていない名刺を見て、「何者なんですか?」と訊かれるたびに「何でもないです」と答えていた。'Screaming Bunny'は何者でもない象徴とも言える。
'inhale'(吸入)して、'exhale'(放出)する。読書して、書く。音楽を聴いて、歌う。愛されて、愛する。食べて、排泄する。
結論づければ私のやっていることはそれだ。
そして、歌うのは、非常に、気分が、いい。
やはり。誰かピアノを弾いてくれないかな。
(2/23up)
Oh, life is--Breathing (吸い込んで吐き出すことが人生) *Breathing / Kate Bush (1980) の歌詞。
2009年01月15日(木) |
just like ordinary people |
日付が変わったあたりで急にすっと具合が良くなってきた。・・・助かった。
ハラの激痛はあるものの、いわゆる体調がいい。
一昨日の夜は、ふらふらしてもうこのまま死ぬんじゃないかとさえ思った。全快する時が来るなんて信じられない気分だった。
昨日の朝は体重がとうとう45Kgをきった。(昨年夏頃は46Kg台後半→手術直前が腫瘍の重みもあり49Kg近く→手術で2Kg減り→退院直後は48Kg)
でも人に会う時は気が張ってしゃきっとする。特に授業では。
なのでよく「元気そうですね!」と言われる。これが、何となく切ない。
あなたが帰った後に倒れそうになるんですよ、なんて言うわけにいかないし。
YB(g)から、「その後体調はどうですか?」と一行だけ、まるで普通のヒトみたいなメールが来ている。
退院後に何度か電話やメールはもらったが。また酔払った勢いで数分おきの弾丸メール(TVでパンクロックの番組を見て、今誰が登場したといちいち報告してくるだけの非常に迷惑なメールw)が来たこともあり、「わかったわかったもういいから」と適当にあしらったりしていたが。
ふとこういう短い心配メールが来ただけでしんみりするのは、よほど普段の(以下略)。
(2/22up)
just like ordinary people (普通のヒトみたいに)
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