Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


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2009年01月04日(日)  It's not stew, but soup!!

眠っていたら朝5時に携帯になかむらさんからメール。私が明日から仕事再開予定ときいて、「無理しちゃダメですよ!」と怒っている。・・・うんうん有難う。無理せず休むから寝かせてw(病気前なら絶対まだ寝てない時間だもんなあ)

起きたら今度はえみちゃんから、今日お見舞いに行くというメール。必要な物があるか訊いてくれている。・・・実は今日えみちゃんが来てくれないかと期待していたのだ。何しろ寒くて死にそうで。「すっごい、すっごい助かる。使い捨てカイロ30個くらい欲しい」と返信。
食べ物はパンとレトルトシチューと果物とチョコしかないと言っておいたら、現れたえみちゃんは、パンを買ってきて、シチューを作ってくれたw(いや勿論レトルトの数千倍美味いけど!) 私の好きなブロッコリー入りのクリームシチュー・・・。(えみちゃんはずっと「これはシチューじゃなくてスープ!」と何故か言い張っていたけど、帰り際には自分もうっかり「シチュー食べてね」と言ってたw)

えみちゃんが料理中に、今度はMRが千疋屋のケーキを持ってお見舞いに来てくれる。有難いなあ。
ケーキの後、えみちゃんが持ってきて焼いてくれたお餅も食べる。

洗い物をしようとするえみちゃんを止めて自分でやったら、物凄く疲れて具合が悪くなった。体を伸ばすと痛いので中腰でいるせいもある。
でも今日は楽しかったし嬉しかった。

気持ちよく疲れて腹いっぱいで、23時には寝てしまう。
(2/15up)

It's not stew, but soup!! (シチューじゃなくてスープ!)



2009年01月03日(土)  protecsts my tender spot

朝食が済んだら退院していいと言われていたので、食事前にすっかり荷物をまとめ、食事して、元ダンナが来たので一緒に個室を出たら、看護婦が「早いですね!!」と驚き慌てていた。9時前には退院。
荷物は全部元ダンナが持ち、私はKappyを小脇に、いや胸に抱えての退院だ。タクシーに乗り込み、Kappyを腰にあて、前部シートの後ろにつかまって、運転手に「そーーっとお願いします」と言ったら、病院からの乗客のことはよく承知らしく、とてもなめらかに運転してくれた。・・・こんなことなら、あの時も救急車を呼ばずにタクシーに乗ればよほど楽だったな。

家について、留守中に届いていた小包の整理、家の片づけをし、3週間ぶりに髪を染め、シャワーを浴びて、着替える。その間に元ダンナにベッドシーツなどを洗濯してもらい、今後数日間の食べ物や日用品を買ってきてもらう。
全て終了したところに、YM(b)とS(vo)がリハ帰りにお見舞いに来てくれた。国王からは高尾山のお守り、Sからは鉢植えのガジュマルを頂く。二人が来てすぐ元ダンナは帰る。明日から仕事があるので、これから茨城まで帰るのだ。国王たちも私が疲れないようにと小一時間で帰る。

一人になって、元ダンナが買ってきてくれたパンを温めて食べる。朝食以来何も食べていなかったから腹ぺこだ。
じっとしていたら寒くなってきた。先ほどまでは動き回っていたし人前で気が張っていたが、一人でじっとしていると体がどんどん冷えてくる。特に足先が異常なほど冷たい。ここで初めて自分の体が普通でなく冷えやすくなっていたことに気づく。
元ダンナからメールが来る。まだ家に辿りついていない。ドアtoドアで3時間かかるのだ。今回の看病で相当疲れただろうに。私は今日も、MYたちが来る前に色々済ませたくてバタバタしていたので、またきつくあたったりしてしまったのだ。メールでまた謝る。

PCに来ていたお見舞いメールに全部返信する。

一人静かにしていると、ほっとする。一人きりになるのは12日ぶりだ。(病院では個室とはいっても、就寝中を含めしょっちゅう看護婦が入ってきていたし)
今日は勢いで結構動いてしまったので、そのせいか動悸がしてきて胸が苦しくなる。寒いし、勿論痛みもまだあってとても横は向いては寝られないが、自宅のベッドは病院のように硬くないので、お尻も腰も痛くない。まだ痛くて体は伸ばせないから、枕の上にクッションを重ねれば夢のように快適だ。
ふわふわのKappyを左わきにぴたっと引き寄せる。これは病院といっしょ。痛む左の腹をガードしている気分なのだ。

おやすみ。
(2/14up)

protecsts my tender spot (痛むハラをガードする)



2009年01月02日(金)  ovarian cancer

明日退院だ。数日前に医者に「早く帰りたいですか?」と訊かれたので、ええそりゃもう!!と答え、1/2か1/3がいいと言っておいたら、昨日の検診の結果1/3と決まった。1/2を期待していたので、1/3と聞いてからの今日一日の長いこと。

検診後にようやく医者から色々と説明があった。手術で何をされたのか、何がどうだったのか、こちらから訊かなければ全く何も説明がなかったのだ。
結局私は、卵巣癌だった。1-A期という初期の状態で、両方の卵巣、子宮、体網(胃から垂れ下がった脂肪組織)を摘出した。4〜5時間に及ぶ手術だったらしい。
取ったものの写真ももらった。正常な右の卵巣に比べ、腫瘍の出来た左は何百倍にも膨れ上がって化け物のようだ。これの根元がぎりぎりに捩れている手術中の写真も見せられる。

12/20に杏林で初めての(そして結局たった一度の)診察を受けた時、「腫瘍が悪性かどうかは開けてみないとわからない。病室予約がいっぱいなので、個室でも早くて1/25、4人部屋なら2月末から3月にしか手術出来ない」と言われていたが。
フタを、ではなくハラをあけてみたら癌だったのだ。「1/25まで待っていたらやばかったですよ」としゃあしゃあと言われた。
診察のたった二日後に腫瘍が捩れて激痛を起こしてくれたおかげで、早い手術が出来て、助かったのだ。

今日ようやく携帯メールに全部返事をする。手術のことは携帯からこの日記に短くアップしてあったので、それを見た方からたくさんメールが届いていたのだ。
返事を送ったら、更に返信も来る。大阪のkaoLiちゃんに「普通女性の病気はホンマ見付からへんことが多いらしいのに、神様に愛されてるなぁと思います」と言われる。確かに運が良かった。卵巣腫瘍と言われてたった6日後に手術できたんだから。

思い起こせば昨年は色んなことがあった。(ジミー・ペイジに頬にキスされ、29歳と24歳に同時に結婚したいと言われ、泥棒に入られ、TOEIC920点取得し、バンドも組み、セッションやライヴが7回、入籍後2ヶ月で離婚、入院、他にも色々)
泥棒に入られたのに何も盗られなかったり、卵巣癌になったけど早期手術が出来て命拾いしたり、運が悪いようで結局は良かった気もする。(スピード離婚もそうか?)

元ダンナがクッキーを買ってきてくれる。今日は来るのが若干遅かったのでどうしたのかと思えば、現金がなくなったので銀行を回ってみたが、年始でどこも下ろせなかったという。母が経費としていくらか渡しておいたのがなくなって、更に自分の所持金も使い果たしたらしい。私の毎日の買物が結構かかっているのだ。返さなくていいからとしつこく言い含めてお金を渡す。
アル中で昏倒して入院して以来両膝から下の感覚がない元ダンナは、今回の私の世話の為に毎日病院に通い、重い荷物なども運んで、全身が筋肉痛だという。そういえば病院の体重計で体重をはからせたら、身長181cmなのにセーターにジーパンも着たままで54Kgだった。病人をこきつかっているようなものだ。感謝しなきゃ。
(2/11up)

ovarian cancer (卵巣癌)



2009年01月01日(木)  New Year's Day in hospital

朝はいつも6時頃には検温か何かで起こされる、というか痛みで眠りが浅いので看護婦がドアに手をかけるや否や目を覚ます。ずっと熱があるのだが全く自覚はない。未だに傷表面の痛みも全く感じない。ハラの中の痛みでそれどころではないのだ。

これまでに自宅以外の場所で年越しをしたのは、帰省(それもほんの2、3回)を除けば、20歳の時にサン・ディエゴで一度だけだ。まさか病院で新年を迎えるとはなあ。
朝食が数の子、ナマス、黒豆、カマボコ、などでおせち風になっている。元々おせちは保存食だし、朝から出されても地味で温かみに欠けるが、しかしこういうちょっとした「気分」があるというのは、入院患者に取っては大きい。私でもそう思うのだから、まして長期入院の場合は尚更だろう。

元ダンナ(b)がケーキを買ってきてくれる。一昨日は和菓子を買ってきてくれた。夕食は、昨日買っておいてくれたお節を二人で分けて食べる。これは母が必ず買うようにとお金を置いていった。母は最初は自分が元旦に私とお節を食べるつもりだったのだが、私に帰れと言われてしまったので、元ダンナに頼んで帰ったのだ。・・・ああ、こう書いていると自分がとんでもない人非人に思えてくる。
しかし母に退院までいて欲しくなかったのは、喧嘩をする前からのことだ。母には(年末年始だったからまだよかったようなものの)日舞師範としての仕事があるのだ。これは何も私が自分の手術より母の仕事を優先して考えているから言うのではなく、私の中で、母に側にいて欲しいという気持ちがはなからあまりないのだ。要するに、私は親に対する愛が薄い。
今回も親に入院を連絡したらすぐさま飛んで来てくれたわけだが、正直言えば親に連絡するのが筋だと思ってしたのであって、来てくれる相手を選べるのであれば元ダンナにしたと思う。(彼は私の腫瘍がわかった時から、手術日が決まったら行くから知らせてくれと言っていた)
などと思いつつ食べたお節は、美味しいが何となく後ろめたい。

そして、元ダンナに対しても、連日何かと文句を垂れていたりする。自分も健康体ではないのに、東京まで来て毎日全部私の為に費やしてくれているのだから、ひたすら感謝しなくてはいけないのはわかっている。まして彼は今や他人なのだ。なのにすぐ昔に戻って、「・・・ったくすぐそうやって適当に返事するんだから」などとやってしまう。
母より元ダンナに世話されるほうがずっと気が楽である理由は、ぶっちゃけて何でも頼めるからだ。しかしそのぶん感情の起伏も簡単にぶっちゃけてしまう。
それでも全く怒らずにつとめて笑顔で接してくれるのは、元々私に弱いというのもあるけれど、今は特に術後の私に気を使っているんだろう。・・・愛されてるなあと思うが、離婚した事実を思えば、それも苛々の種になりかねない。

今夜もちょっとしたことできつく当たってしまい、後でメールして謝り、「こちらこそゴメンね」という返信を見て更に気分が落ち込み、電話でも謝る。 
・・・ああ、私は何でこんななんだろうなあ。
*随分たった今考えてみると、単純に体調が悪くて苛々していたことが大きかったのかとも思う。けれどとにかくゴメンよ、元ダンナ。
(2/9up)

New Year's Day in hospital (病院で元日を迎える)



2008年12月31日(水)  just waiting for time to pass

毎日が辛いのは、ただ単に治るのに必要な時間がたつのを待っている日々だからだ。眠ることが全く休息に感じられない。体を真っ直ぐにすると痛いのでリクライニングを少し上げて眠るのだが、横を向くと痛いのでずっと仰向けで動かずにいるのに、ベッドが硬いうえに防水のシーツが滑るので、体重がお尻にかかったままになり腰とお尻が痛くてしょうがない。自分の体重が呪わしくなるような痛みだ。色々と腰の下にしいてみるが全く改善されず、今日も元ダンナがドーナツ型のクッションを探してきてくれたが、やはり駄目。
眠っている間に必ず数回は目がさめる。鎮痛剤は当然きれている。一度は必ずトイレに立つが、眠っている間に膀胱が張っていて情けないほど痛い。目覚めるといつも疲れきっている。

起きたら、椅子に座って本を読もうとするが、なかなか集中出来ない。あっという間に足元が冷える。*病室の床が冷えると思い込んでいたが、退院後に自宅でも同様に冷えるので、摘出手術のせいで自分の下半身が異常に冷えることに気づいた。 なのでベッドに上がるがあっという間にお尻が痛くてたまらなくなる。なので我慢できず下に下りる。これの繰り返しだ。移動は勿論痛い。

鎮痛剤は一日3回まで、6時間おきにしか飲めない。なのに効くまでに1時間かかり、4時間もすると切れる。
食事をすると腸がぎりぎりと痛む。一昨日の夕食後などは、元ダンナの前で1時間もうなり続けていた。食事時間との兼ね合いで、いつ鎮痛剤を飲むかをはからねばならない。

ああ、疲れる。

けれど、それにしても、ハラを切られて臓器をいくつも取られて。それでも問題なく生きてるなんて。人間って結構すごいなあ。

いつもなら年明けの瞬間は時計を見て確認するのが好きだが。今年はそんな気分も体力もない。22時に眠る。
(2/8up)

just waiting for time to pass (ただ時間が過ぎるのを待つ)



2008年12月29日(月)  will be haunted by the memory of her smile

目を覚ましたら左脇にカピバラが寝ていた。ふわふわでのほほんとして、隙間風などふさいでいる。無言で見つめあった後、やおら手にとって「高いたか〜い」と上に差し上げてみる。「・・・パブリック・イメージが」と一人でつぶやく。うーん。
モノが増えるのが嫌いな片づけ魔なうえに、インテリアにはこだわりがある。なので「ヌイグルミ」なんていう代物はもう10年くらい無縁で、ましてこの大きさは小学生以来だ。
ちっこい左の耳をつかみあげて、ふいふいと揺すって「痛い痛い痛い?」とやり、今度は右耳をふいふいと揺すって「釣合い釣合い」と言う。
・・・なんか楽しいw

11時頃に母が来たので驚く。面会時間は13時からなのに堂々突破していることもあるが、それよりも、実は一昨日の夜母と大喧嘩して、もう沖縄に帰ってくれと言ったのだ。(父はその前日に先に帰っていたが、母は私が退院するまでいると言っていた。母こそ仕事で忙しい筈だが)
要点だけ言うと。私は母に「子宮も卵巣も取られたと聞いてショックを受けた」と言った。そしたら母がすかさず「自分が全部取れって言ったのよ?!」と言ったのだ。・・・つまり、術前に医師と、腫瘍が良性と悪性の境界上にある場合はどうするかについての話し合いがあって、そこで私は「子供を産む予定はないので、必要ならば全部摘出してもいい」と承諾を与えたのだ。
呆れた私は、「・・・あのね、そういう問題じゃなくて。摘出していいと言うことと、実際にされてショックを受けることは違うでしょ?」と言ったが、母は全く理解出来ない様子だった。
ちなみに怒って母を帰した後、父に電話した時、全く同じことを言われたので驚いた。父は私がショックを受けるのは理解できないと言い、「おまえが医者に全部取っていいと言ったのを聞いて、ショックを受けたのはこっちだ」と言ったのだ。・・・うちの両親は、私が子供の頃から子供は産まないと言い続けたのを無視して、ずっと「結婚しなくてもいいから孫を産め。とにかく産め。産めば財産をやるが、産まなければ1円もやらない」とまで言い、私を心底苛々させてきたのだ。
「・・・お父さんなんて大っ嫌い」と言って電話を切った。お子ちゃまだって? ええそうですとも。

今日現れた母に私は、「一昨日は申し訳なかった。親にたてついたからにはもう一切世話にはならない」と言った。しかし母はにこにこして、一昨日のことは気にしないで忘れようと言う。・・・思わずしみじみと、「あのさあ、お母さんは私に対して下手(したて)に出過ぎるよ。ひとごとみたいに言うけど、それはおかしくない?」と言ったら黙っていた。世の中に内弁慶というのは多いと思うが、母は全く逆で、対外的には先生と呼ばれ敬われているのに、家庭では完全に自分を一番下に置いている。
そして私は一昨日母を怒鳴りつけたことで(と言っても今の私の体調では、本当に「怒鳴る」のは不可能だけど)心底いやな気分になっている。昔から私は母に辛く当たるといつまでも―――それこそ何十年も心が痛むのだ。・・・ああ今回のも残るぞ。病室のカーテンの下に母の靴先が見え、それに次いで、雄雄しい決意をした少女のような笑顔で入ってきた母親の姿が、この先一生忘れられないんだ。

母は明日帰ることにしたと言う。元ダンナが今日来てくれると言ったら、それなら安心だと喜んでいた。母と喧嘩したと聞いた元ダンナが、有難いことに今日から来てくれるのだ。14時半に現れたので、母はしばらくしてから帰る。
元ダンナは面会時間の20時過ぎまでいて、私の荻窪の留守宅に泊まりに行く。
(2/7up)

will be haunted by the memory of her smile (母の笑顔が脳裏を去ってくれないだろう)



2008年12月28日(日)  Kappy

18時半に、SBバンドの3人がお見舞いに来る。今のところ、元ダンナ以外ではこの3人にしか連絡していない。
時間的に夕飯直後なので、昨日と同じ羽目にならないよう鎮痛剤のロキソニンを飲む時間も調整しておいたが。実際は3人がいる間、入院してから一番、というより奇跡的なほど体調が良かった。昨日までは声も殆ど出ていなかったが、今日はよく喋れる。まだ笑うと痛いので、あまり笑わないよう気をつける。
MY(b)が12/22のリハの音源を持ってきてくれたので、皆で聴く。まさにそのリハ中にハラが痛み出し、結局そのまま治らずに帰宅後救急車を呼んだわけだが。しかし思えば全員で一緒にリハ音源を聴くというのも初めてのこと。これはこれで何か楽しい。

全員で来てくれただけでもかなり嬉しいが。律儀なAM(g)はお見舞い金をくれた。マメなMYは事前に私に何が欲しいか訊き、「甘いもの」と答えたら、キャラメルとチョコ(私の大好きなキャドバリーのデイリーミルクも!)を買ってきてくれ、本やDVDやCD多数と、プレーヤーまで持ってきてくれた。
KP(drs)も何かあれば言ってくれとメールをくれたので、何も要らないと返事をしかけたのだが。ふと思いなおして「カピバラのヌイグルミが欲しい」とメールしたら、きれいな茶色の、体長50cmもあるやつを探してきてくれた。なんでカピバラかというと、先月上旬にMYがKPを「ゴマフアザラシのような瞳」と言ったので私が馬鹿ウケしていたところ、それを知った本人が会社の女の子に「俺、何かに似てる?」と訊いたら「カピバラ!」と即答されたと言うのだ。(なんか今流行ってるらしい) 以来KPは私に「カッピー」と呼ばれている。
と、いうことで。
日記をお読みの皆様。今後KPは「カッピー」と表記しますのでよろしく。3時間のリハに2時間40分遅刻するつぶらな瞳のドラマーは、「カッピー」です。
(2/3up)

Kappy (こう表記した場合はうちのヌイグルミのことです)



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