福沢諭吉 『心訓七則』
世の中で一番楽しく立派なことは 一生涯を貫く仕事を持つことです 世の中で一番みじめなことは 教養のないことです
世の中で一番醜いことは 他人の生活を羨むことです
世の中で一番尊いことは 人のために奉仕して 決して恩に着せぬことです
世の中で一番美しいことは 全てのものに愛情を持つことです
世の中で一番悲しいことは うそをつくことです
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上記の福沢諭吉が書いたと言われる「心訓」は、 実際には後に他の人が作った偽作ということですが、 誰がつくったのか・・・ そんな事はともかく、ここに書かれている内容は 物事の真髄だと私は想うのです。
こうして毎日様々な方々からの相談を受けていますと、 伺っているお話の中に、ご自分に対する ”特別意識”や、 周りの方に対する ”嫉妬””羨ましさ”という心の在り方が 見え隠れしている様子が視えて来ることが多いのです。
その心の在り方こそ、如何に御自分を醜くしてしまっているのかを その人は気がついて居られません。
今、自分が置かれている環境・・・状況に対する不満や愚痴で その心が充満しているうちは、 真の幸せが訪れる事はないのです。
今日の貴方の心の在り方・・・周りの人に対する想い・言動が 貴方の未来を作り上げているということを心に留めて、 『自分の望む未来』に 今の貴方の想いや言動がつながるのか?どうなのか? もう一度冷静に見直すことがとても大切な事です。
杏珠
『賽の河原地蔵和讃』
これはこの世の事ならず 死出の山路のすそ野なる 賽の河原の物語 聞くにつけても哀れなり 二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬみどりごが 賽の河原に集まりて 父恋し母恋し 恋し恋しと泣く声は この世の声とは事かわり 悲しさ骨身をとおす也 彼のみどりごの所作として 河原の石をとり集め これにて回向の塔を組む 一重組んでは父のため 二重組んでは母のため 三重組んでは古里の きょうだい我が身と回向して 昼はひとりで遊べども 日も入相のその頃は 地獄の鬼が現れて やれ汝らは何をする 娑婆に残りし父母は 追善作善のつとめなく ただ明け暮れの嘆きには むごや悲しや不憫やと 親のなげきは汝らが 苦患を受くる種となる 我を恨むることなかれと くろがねの棒をのべ 積みたる塔を押しくずす そのとき能化の地蔵尊 ゆるぎ出でさせ給いつつ 汝ら命みじかくて 冥途の旅に来るなり 娑婆と冥途はほど遠し 我を冥途の父母と 思うて明け暮れたのめよと 幼きものを御衣の 裳のうちにかき入れて あわれみ給うぞ有難き 未だ歩まぬみどりごを 錫杖の柄に取りつかせ 忍辱慈悲の御膚に 抱きかかえて撫でさすり あわれみ給うぞ有難き
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貴方は、賽の河原地蔵和讃というものを 耳にした事やご覧になった事がありますでしょうか・・・ その内容にはとても悲しく辛い描写があります。 子供を幼くして亡くした悲しい思い出をお持ちの方や 自分の勝手な都合により、 この世に生まれる前に堕胎をしてしまった(させてしまった)過去がある方。 皆、それぞれの立場は違いますが、 この和讃の内容は、深く、深く、考えさせられるものです。
先日、相談者の方とのやりとりの中に水子ちゃんに関するものが 多く重なったことがありました。 (水子ちゃんについては5月のダイアリーで取り上げようと思っています) 「幼くして亡くなったお子さんや水子ちゃんを救いとって下さるのが 地蔵菩薩様です」というような事をお伝えしたのですが、 殆どの方がその意味についてはご存知ないようでした。
お地蔵様は、お釈迦様が入滅(亡くなられて)になってから 五十六億七千万年後に、弥勒菩薩が次の御仏となられるまでの間、 この世に留まられて、多くの人々を苦しみや悩みから 救ってくださる菩薩様です。 お地蔵様のかかげる『大慈大悲』は、 本来ならば如来となるべきお働きと決意なのですが、 敢えて成仏なさらずこの世にある仏様(菩薩)をご自身で選び、 衆生を救済される菩薩様となられました。
私達が悩み苦しむ生死の繰り返しの世界・・・ 六道といわれる『地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上』 の六道輪廻の世界がありますが、その地獄から天上の世界までの、 ありとあらゆる世界の苦しみ悩むものの前に 姿を変えて現れる事が出来る唯一の菩薩様がお地蔵様なのです。
杏珠
2006年03月31日(金) |
私の心の在り方の指針〜雨ニモ負ケズ〜 |
もう桜の花びらもすっかりと散ってしまい、 葉桜となってしまっている今頃に・・・ 三月のダイアリーを慌てて書いている私です。 (近いうちに四月のダイアリーをUP致します。ごめんなさい。)
今日は私が普段、自分自身の心の在り方を考えるときに 指針としている考え方についてお話を致したいと思います。
それは皆様も良くご存知な宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』の文章です。
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『雨ニモ負ケズ』 宮沢賢治
雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体をもち 慾はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている 一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく見聞きし分かり そして忘れず 野原の松の林の陰の 小さな萱ぶきの小屋にいて 東に病気の子あれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい 北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい 日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き みんなにでくのぼうと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず そういうものに わたしは なりたい
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この文章を想うとき、私は般若心経に通じるものを感じるのです。 欲張る事や怒る事、愚かな言動は慎み・・・ 人を羨んだり、自分を特別視したりする事や 自分の考えを人に押し付けたりする事や傲慢になる事を 自分の静かな心で制し・・・ 「こだわり」を排す心の在り方。 どれもが般若心経の中の教えと重なります。
「御念珠を着けなくても大丈夫になる時は来るのでしょうか?」 と質問をなさる方々に、六明師と私は同じお話を致しますが・・・ 「”雨にも負けず”のような心の在り方が出来るようになれば、 御念珠は貴方に必要ないものになるでしょう。」 このようにお答え致しています。
今の悩みの殆どは、これまでの貴方自身の考え方や言動・・心の在り方が 原因となり、結果として現状があるという事を分かってほしいと想います。
そして般若心経や雨にも負けずをお手本として、 毎日の自分の言動や想いを反省し、少しずつでよいのですから 改善をしていく事・・・努力する事が、 この先の「幸せ」へと繋がっていくのです。
杏珠
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