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初代管理者(AYA)
(沖縄県出身。 愛知県在住の医療従事者。 祖母は沖縄に伝わるユタ。)

【現在の管理者  杏珠】
AYAの直接の恩師

現在までに数え切れない程の様々な人の人生を良き流れに導いてきた霊能者。       

初代管理者の結婚・引退に伴い、その志を受け継いだ。
今までに鑑定した現代社会における悩み、霊的な相談等を
通し学んできた「気付き」を皆様へ心を込めて書き記した日記。             


2005年10月31日(月) 身代わり念珠と懐中仏〜その2〜


前回は、身代わり念珠について復習も兼ねてお話を致しました。
では、懐中仏とはどのような役割をするものなのでしょうか・・・

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懐中仏は・・・身代わり念珠が外からの障りから身に着ける人を護るものであることに対して、身に着ける人の内側(心の中)から出てくる障り・・・
これは、御自分の考え方や想いによって呼び込む障りに対処するものです。

普段の貴方が考える事が例えば、周りの方々に対しての攻撃的な想いや、
自分が苦手としている人に対するマイナスの念であったり、
愚痴や不満ばかりが心の中に渦巻いているような状態であるとしたら・・・

そういう貴方を、身代わり念珠が護れるのか?というと、
それは御自分の考え方から創り出している障りですから
身代わり念珠がその状態を改善するのは、到底無理な事と言えます。

基本はもちろん身代わり念珠ですから、
実際に身代わり念珠を身に着けられた上で、
自分の心の在り方を冷静に省みる事が出来ない人が
体調の不良や精神状態が改善できないような場合に・・・
六明師や私がお勧めする事があるのが懐中仏となるのです。

懐中仏は・・・
そのような心の状態の人が実際に身に着けると、
その人の心の在り方を改善する為に、様々な作用を及ぼします。

それは、貴方が他人に対してよくない想いを抱いたりすれば、
貴方が他人に向けた念(想い)が
全てそのまま念を飛ばした自分のところに撥ね返す事であったり、
貴方の考え方があまりにも自己中心的に偏った状態であれば、
その考え方が改善されるまで、体調不良を起こす事もあります。

その反面、気にしなければよいのに・・・どうしてもある特定の人から
受けた過去の言動や出来事(貴方が受けた嫌がらせや誹謗中傷)などを
忘れ去る事が困難な時=自分でその人からの念(生霊)などを
呼び寄せてしまい、体調や精神的な面で大変な思いをしている場合には、
それらの念(生霊)をシャットアウトする事が出来るのです。

懐中仏とは、ある意味『両刃の刃』であり・・・
懐中仏とは、身に着ける事によって飛躍的に良い状態へと
変化する事が可能なもの・・・
そのように私共は考えています。


           杏珠



2005年09月30日(金) 身代わり念珠と懐中仏〜その1〜

暦の上では「秋分」も終わり、すっかり秋が深まっているはずなのですが、
毎日まるで夏を思わせるような日が続いております。
皆様はいかがお過ごしでしょうか・・・

ここの処、いただいたお便りへの対応に忙しくて、『ダイアリー』の更新が
なかなか出来ない事から「杏珠先生どうか為さったのですか?」という
ご心配をお掛けしてしまっているようで、大変申し訳ありませんでした。
これからも皆様からのお便りに答える事を、
最優先していきたいと考えておりますのでゆっくりとしたペースでしか
更新が出来ない事もあると思いますが・・・どうかお許しくださいね。

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先日、『宝箱』に掲載させていただいた内容をご覧になって、
「懐中仏をつくっていただけるのを知りませんでした。」
「御念珠と懐中仏の違いを教えて欲しいのですが。」等の
お問い合わせや質問を多く頂きましたので、
改めて・・・身代わり念珠と懐中仏についてお話をしたいと思います。

身代わり念珠とは・・・
皆様はもうご存知だとは思いますが、身につける人自身の状態に合った
 ”神仏の御性根入れ”を六明師が執り行い、
『外からの霊的な障り(霊障)から』身につける人を護るものになります。

身につける人の身代わりになり、珠のひとつひとつに霊障を吸収し・・・
本当ならば大きな災いとなったであろう障りを浄化しながら排出します。

また、身につける人の分身ですから、その人の体調や精神的な状態により
珠の色が薄くなったり、不揃いな色になったり、また濃くなったり・・・と
「生きているのだ」と感じると多くの方が仰います。

そして・・・身につける人の霊的障害の重さ(大きさ)により、
役目を終えるまでの期間は様々です。
今まで私がお渡しした人の中で、本当に重い状態の人の場合ですが
 ”届いて箱から出し、手に持った瞬間に石が欠けてしまった”
という方もいれば、
入浴時以外、肌身離さず左手につけていて(この方は医療従事者ですから、
仕事中は二の腕まであげておられますが紐も傷んでいないのです)、
2年以上同じ念珠をされている人もいます。

では一体どうしてこのような差があるのでしょうか。

まず言える事は、身につける人の周りに常に隙を狙っているような霊(からの障り)が多く存在していれば、
もちろん念珠の吸収と浄化のスピードが追いつきませんから
早くお役目を終えることになります。
そして、霊的な障りのある場所や人に関わることが
多い人が身につけられた場合も、御念珠は早くお役目を終えるのです。

御念珠を長く良い状態で保つ為に一番大切なことは・・・
”精神的な波をなるべく抑え、霊的な隙を作らないこと”ですし、
身につける人の『信心』というのは、言うまでも無く本当に大切です。

しかしもう一つ重要な事があります・・・
御念珠の寿命が長いという人の中には、
亡くなった人=霊からの影響(霊障)を殆ど受けない人もおられるのです。
こういう人はとても厄介な一面を持ち、
「私は霊的に強いから念珠が元気」のように思い込んでおられますが、
実際はそうではなく、亡くなった人から『頼られる』ことすら無い・・・
温かみのない人であるとも言えるのです。

〜〜〜以前私は宝箱に霊障について説明したお話を掲載いたしましたが、
霊障=悪いものというように、私は単純に捉えては居りません。
何故なら、霊障というものは亡くなった人からの「訴えかけ」であったり、
「警告」を伝えようとしている面があるからです。〜〜〜

上記のような、御自分で勝手に「霊的に強い」と思い込んでいるような人に
多いのが、”自分の思いや考えで呼び込む霊障”になります。
この霊障については、あくまでも内側(身につける人の心)から
呼び込むもの、湧き出すものであり・・・
外からの攻撃ではありませんから、
身代わり念珠の護りが無効となってしまいます。
そのような時に、お勧めする事があるのが『懐中仏』その他には、
首から下げる御守になる事があるのです・・・
(もしくは、念珠が身に着けられない幼児の場合にもお勧めします。)

・・・この続きは、次回お話いたします・・・


             杏珠




2005年08月19日(金) 盂蘭盆会・・・その2

お盆も終わったのに、今更どうして「盂蘭盆会」のダイアリーなんだろう?
と不思議に思われる方も居られるでしょう。

暦をご覧頂いくとお分かりになるかと思いますが・・・
実は、旧暦の『お盆』(今年)は本日8月19日なのです。

8月の15日も過ぎたのに何だか調子が悪いと感じて居られる方は
「道理でここのところ身体が重いはずだ」と
納得されたのではないでしょうか。

お盆・・・盂蘭盆について、様々な説がありますが一般的には
起源は梵語の ”ウランバ−ナ”から来た言葉といわれています。
その意味は・・・
『逆さづりの苦しみから救う』というような意味になります。

お釈迦様の説かれた ”盂蘭盆経”に書かれている内容を
わかり易くお話しすると・・・

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その昔、お釈迦様の十大弟子の一人である
神通第一と誉れ高い目連尊者は・・・誠に親を敬う心の深い人で、
亡くなった両親の菩提を弔うために出家をし、
厳しい修行をなしその神通力を得たのであった。

その神通力を使い、亡き親の恩に報いたいと
天眼で六道(天界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界)をくまなく、
探したところ・・・
亡き母が何と餓鬼道に落ち・・・骨と皮との姿に変わり果て・・・
逆さづりの苦しみを味わっていた。

悲しみのあまり・・・
食べ物を携えて、神通力で餓鬼界へ飛んで行き
母に食べ物を食べてもらいたいと口元まで運ぶと、
食べ物は灰となってしまうのでした・・・

自分の神通力では、どうしても母を救うことが出来ないと
目連尊者は、泣き叫びながらお釈迦様のもとへと駆けつけました。

お釈迦様が仰るには・・・
『汝の母は罪根深く結ぶ、汝孝順の声、天地を動かすといえども、
天神地祇もいかんともする能わず、ただ衆僧威神力のみあって、
よく餓鬼道の苦縛を解く』という事でした。

そこで目連尊者は、
夏安居(雨安居)〜雨季三ヶ月寺に篭って修行する期間〜を終えた
満月の日に(旧暦7月15日のあたりといわれています)
清浄な心身の百人の高い徳を持つ僧侶達を招き、
その僧侶達に供養をいたしました。

そして亡き母は・・・
目連尊者が僧侶に布施をした、その徳により・・・
長い長い餓鬼道の苦しみから救われたのでした。

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これが盂蘭盆会のはじまりと言われています。

目連尊者は、何故あの心優しかった母が餓鬼道に落ちてしまったのかを
深く考えました・・・
そして、母の罪業のもとは
 ”可愛い我が子を育て上げ、我が子の幸せの為にと貪欲な欲深い言動をさせていた”
=自分の為であった・・・
という事に気が付き、号泣したそうです。

お盆の供養とは、深く餓鬼界に落ちた魂まで届くものであるのが
本来の姿なのです・・・

極密祈祷を為さっている方々には、
六明師の御厚意により
本日は「盆供養」をしていただけました。

お盆の季節は、様々な意味で仏教や御仏様を知り・・・
仏心を養うことが出来る季節だと私は考えています。



          杏珠


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