2005年02月16日(水) |
・・・塞翁が馬・・・ |
二月も半ばとなり、春は近いと言いながらも寒さの厳しい毎日が 続いておりますが、 皆様いかがお過ごしでしょうか・・・
今日は、私が自分の人生を考えるときに指針としているお話『塞翁が馬』のお話をいたしましょう・・・
『塞翁が馬』(人間万事塞翁が馬)という中国の故事をご存知の方は多いのではないでしょうか。 このお話は、教科書に取り上げられた事もあるお話です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜昔、中国の塞と言う辺境に近い土地に住んでいる、占術をよくする人(翁)の馬がある日逃げ出してしまった。 周りの親しい人は、「残念なことだ」と慰めたがその翁は、 慰めてくれた人々にこう言った・・・ 「いやいや、これが直ぐに福となりますよ」
それから数ヶ月たったある日・・・ その馬は、逃げた先の土地(胡)から駿馬を共に帰って来た。 周りの親しい人々は、この事を口々に祝った。 だが、その翁は・・・ 「この事が災いとなるかもしれない」と周りの人に言ったものだから、 人々はとても不思議に思った。
二頭の良い馬に恵まれて、その家の息子が乗馬をするようになった・・・ そして、 その息子は乗馬の最中に落馬をして、足の骨を折ってしまった。 周りの人々は、彼を慰め見舞ったが、 翁は・・・ 「きっとこれも福となるでしょう」と言う・・・・
それから1年経ったころ、 胡の土地の人が、塞の土地に攻めて来た・・・ 若い男たちは、戦いに参加して、その辺りの殆どの人が命を落とした。
しかし、足が不自由になった息子は戦いから逃れ・・・ 結果、翁と息子の親子だけが無事だった・・・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
人間の人生において起きてくる物事の吉凶は、 このお話のように現在表に見えていることだけで判断するのは とても難しいものです。
物事自体を「自分にとってラッキー」な事が起きたと感じてよい気分になったり、「なんて嫌な出来事なんだ」と受け止めて落ち込んだり・・・
その物事の吉凶を決め付けているのは、実は私達なのです。 どんな事が起きてきても冷静でいれば必ずそれを 逆転させるチャンスがあるはずです。
起きてきた物事に対して、もう少し長いスパンで見て判断すれば、 そのときはアンラッキーな事でも実は後でとてもよい出来事だった・・・ そんな事はとても多いのですよ。
何が福で何が災いなのか・・・ 何が吉で何が凶なのか・・・ ”全ては貴方の心がきめつけている”
一見して、私にとって困難なことや嫌だと思えることが起きてきたとき、 私はいつも思うのです。
「きっと何か、これを引っ繰り返すチャンスがあるはずだ」
皆様に・・・ ”自分にとってピンチだと感じるときこそが好機”ということに 気づいて頂けたら・・・と想います。
杏珠
2005年01月22日(土) |
「厄」について・・今までの行いが結果として・・ |
大寒を過ぎ、本当の意味での新しい年を迎える二月の節分が迫ってきておりますが・・・
一月になってから、皆様より「厄」についてのご質問が多く寄せられましたので、今日は「厄」のついてお話をしていきますね。
大厄と呼ばれるのは、”男性42歳” ”女性33歳”(それぞれ数え年で)等、 しかし、その前後にも前厄、後厄と呼ばれる年があり、前後三年間が厄年となりますし、他にも厄年と呼ばれる年が多く有ります。
世間一般では『節分が来るまでに厄除け祈願もしくは厄払いをする』事が一般的ですね。 ここ中部地方では厄年の数だけの丸いもの(例えば丸餅など)をご近所の厄年の人がいない家庭に配り、厄を少しもらっていただく等の風習が残っています。 その他によく耳にする話は「厄年に子供を出産すると厄落としになる」のような話があります。 (こういったことに対して決して否定はいたしませんが、これで『厄』を避ける事が出来るのでしょうか・・・)
そして、私の元にも『厄払いに行って来たほうがよいのでしょうか?』 『私は今年本厄なのですが大丈夫でしょうか?』という質問が最も多く寄せられるのが、この季節です。 その都度、私がお答えするのは・・・ 『厄払いや厄除けをしないと不安だということでしたら、貴方にとって不安を持つ事のほうがよくないので、神社仏閣に行って厄払い・厄除けを受けてきてください』という答えです。
私が霊視して感じるのは、私共で極密祈祷を受けていらっしゃる方は通常でしたら、そういった厄払い・厄除けの必要は無いということです。 何故なら、極密祈祷をされている間は35日間に亘って一日も欠かさず、六明師が祈祷と同時に障りを起こしているモノに対しての供養をしてくださいますので、厄=障りを必要以上に怖がる必要は無いのです。 (どうしても運気が落ちるのでは・・と仰る方には「開運祈願」をしていただければ尚安心でしょう。)
では、”厄年”というものについての私の解釈としては・・・・
その年までに、御自身の行ってきた言動に対する『結果が表面に現れて来る人生の節目の年』と感じます。
それまでに行ってきた、又は考えてきた事が具体化する、と言う事です。
「厄年だから、悪い事ばかりが続く」という声も聞きますが、 私が実際に六明師の元を訪れる信徒さんから聞くのは・・・ 「今年は厄年だから、大当たりのような年です」というお話です。
これは、それぞれ普段から・・・ ”ネガティブな思考をお持ちで上手く行っている人を見ては「何であの人ばかりが」という不満や不安ばかり”というような人と、 ”何年か先の目標を持ち、それを達成するための具体的な行動・努力を惜しまない、自分の現状に幸せを感じられるから、周りの人の幸せを考えられる”というような人・・・それぞれの方々が日々積み上げてきたきた結果が、人生の節目である「厄年」に表面化している、という事です。
『思考は現実化する・・・』これは、有名な成功哲学家の人の言葉です。
厄年の時こそが、一番顕著に現れてくる時期なのでしょう・・・
”常に不安と不満ばかりを抱えていれば、その結果が現実化”し・・・
”常に前向きで現状に幸せを感じながら、決して甘んじず目標に向かって、努力する結果が現実化”する・・・
それが、人生の節目である『厄年』に起こってくる事象です。
『マイナスよりはプラス思考』 『不満不安よりは今の生活に小さな幸せを見つける』 『人を妬むよりは人の成功を喜ぶ』
できる事からで構いませんから、 一つずつ変えていけば『厄』は貴方を避けて通り過ぎ 貴方の元には「幸運」が残るはずです・・・
杏珠
2005年01月17日(月) |
人間の持つ『力』・・・ |
新しい年を迎えて、 皆様には益々忙しい毎日が続いておられる事と存じます。
私自身も皆様からのご相談や近況報告などの内容の濃い大切なメールを 拝見して、お返事する事に没頭しておりました。 その結果、ダイアリーの更新が後回しになってしまい、私の拙い文章をご覧になって下さっている方々にご心配をおかけいたしました。 ごめんなさい・・・ ダイアリーの内容にリクエストが(厄についてや良縁について) 届いておりますので、順次更新してお話して参ります。
去年に続き、世界各国で様々な災害が起きています。 そして、スマトラ沖地震でも本当に多くの方々が犠牲となって亡くなられました・・・・一日も早い復興と亡くなられた方々のご冥福を心より祈っております。
〜〜〜〜〜今日『1月17日』は、阪神・淡路大震災が十年前に起きた日〜〜〜〜〜〜 被災された方々に対する物的及び精神面的な公的支援は、十年たった現在でも行き届いているとは言えず、課題や問題が残されている面も多いと感じますが・・・ あの瓦礫と化した町並みも、被災された方々の復興に対する弛まぬ努力の結果、新しい町並みが戻ってきているのをメディアを通して拝見いたしました。
人間のもつ『力』を垣間見た瞬間でした。 人の持つ『大地に足を着け生きていく力』は・・・目に見える結果・目に見えない結果を生み出し、創造していく事が出来ます。
その力を皆が持っているにも関わらず、自分の人生すら投げ出している人もいます。
その力を信じて努力すれば、『運命』すら変えることも出来る・・・ 私共のサイトの相談者には自分の運命を全く違う流れにまで変化させた人がおられます。
運命を変えることが出来る人と出来ない人の違いは何でしょうか・・・
それには、特別な力が必要なのではありません。 私達人間の人生は『選択』の連続です。自分のこれまでの人生と同じ傾向で選択をして進めば、運命を変えることはできません。
新しい挑戦のような選択をして流れを、良き方向にシフトチェンジさせるときには必ずと言ってよいほど『邪魔』『試し』そして『警告』や『お知らせ』が訪れます。 そのような大切な選択の時に必要とされるのが ”私共のサイト”だと私は常々心に刻み 毎日の相談に対応しています。
そして、運命を変えられた方に共通しているのは『素直さ』なのです。 私共が心をこめてアドバイスをしても「自分はこういう人間だから」といって言動や考え方を変えなければ何の変化もありません。『素直さを持っておられる人』とは自分の人生に対する『誠意』をもち 努力を続けられる方・・・なのです。
人間には、私のもつ「力」などより素晴らしい『力』がある。
皆様にもその『力』があるのです。 どうか、その事に気付き自分の人生を切り開くような生き方をして行って欲しい・・・ 本当の幸せに気付き、その手に掴んで欲しい・・・ 私は心から願っています。
杏珠
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