2004年12月12日(日) |
供養とは・・・その2 |
先日ダイアリーでお話を始めた『供養について』をご覧頂いて、 様々なお便りを頂きました。
一言に『供養』といっても、御自分でお考えになって実際にされてきた事が ひょっとしたら、ご先祖様の供養になるどころか『足を引っ張っていたのかもしれない』と言った感じのお便りが多かったのが印象的です。
誤解されがちな事ですが・・・ 『毎日お経をあげ、ご先祖様に感謝している』と仰る方々ですら、 お経を詠むことが直接の供養となると思っておられることが多いのです。
私たち在家の人間が詠む、お経に書かれている内容は・・・ お釈迦様が生きておられる時に、悩み苦しみながら生きている人間に対して『どの様に生きれば、苦しみをなくし幸せを感じる生き方が出来るのか』を説いた内容が殆どです。 ですから、『自分が良くなりたい・ご先祖様に助けて欲しい』と考えながら お経を詠む事は、亡くなった方に対して本当の供養になるかどうか・・・ 考えればわかるはずです。
例えば『般若心経』について本当はどのような意味を私たちに 教えるものなのか・・・を理解する事ができれば、自分の幸せを邪魔しているのは実は自分自身ということが解ってくるのではないでしょうか・・・
貴方のお経やお供え物が、亡くなった方に直接届くものではなく 仏前に座ったときに貴方が考える『想い』・・・ これこそが、亡くなった方の供養を後押しするか、 亡くなった方の足を引っ張るか・・・の鍵を握っているのです。
それに対して、僧侶の方々が御仏の御前であげるお経は・・・ 御仏様に届くような内容(それに関するお作法や手法を伴った奉讃の意味があるもの)となっていますから、私たち在家の人間では到底本当の意味で供養をすることは困難でしょう・・・と先日お話したのです。
では、『供養』をどうすれば私たちが後押しできるのでしょうか・・・ という事を感じる方も多いでしょう。 私は皆様とのお便りのやり取りの中で何度かお伝えして参りましたが、 一日が終わりお休みなる前に・・・
『今日一日、自分が周りの方に対して行った言動や思いについて 正しかったかどうか省み、反省する事』
これはあくまでも反省し改善する為です。 反省すると自分が落ち込むから考えたくない等という方が居てびっくりした事がありますが、反省は自己否定とは全く別ものですから、意味を取り違えないように・・・
『今日一日、生きる事が出来たことに感謝する事』
これは、今こうして命があるのは何百年も前からのご先祖様が、誰一人として欠けていたら有り得ない事と気付き、まず感謝をする事を指します。
『毎日、明るく元気に過ごす事』
これは、毎日悩みや愚痴や不平不満ばかりを抱えていると、ご先祖様が貴方を気に掛けたり、心配し・・彼岸に渡ろうとする足を引っ張り邪魔をすることになってしまいますから、 貴方が自分の人生を一日一日を精一杯生きる事が大切だと言う事です。
私達が出来ることは以上のような一見、まわり道に見える事ですが・・・ これが一番の『供養の後押し』となるのです。
(この続きは次回お話いたしますね)
杏珠
2004年12月01日(水) |
供養とは・・・その1 |
最近、宝箱に掲載させていただいたお話の中で 供養についてのやり取りが続いたのをご覧になって、 『供養について』の質問やお便りがとても多くなっております。
供養について、いざ皆様にお話しようと考えましたら、何回かに 分けてお話しなければ、きちんと説明する事が出来ない・・・・ ということになってしまいましたので、今日から何回かに分けて 少しずつお話して参りますね。
まず、供養と聞いて皆様は何を思い浮かべますでしょうか? 『先祖供養』はもちろんですが、女性でしたら『水子供養』を考える方も 多いのではないかと思います。 亡くなられた方に対する供養だけではなく、今まで貴方が使ってきたものや お世話になったものに対する供養・・・御焚き上げも供養と言いますね。
供養とは一言で言えば・・・ 『感謝』を表すと私は考えております。
感謝・・・というと、「普段から私は感謝の気持ちをもっているのに、 全くいいことが無い」と仰る方も多いのですが、 その『感謝』の気持ちを、私たち凡夫(僧侶ではない普通の人)では、なかなか直接届ける事が出来ない・・・というのが現実です。
実際に、よく皆様からこのような質問を頂くのですが・・・
『私はここ何年も実家のお墓参りに行っていないから、ご先祖供養が滞っているのですか?』 『仏壇に線香一本もあげた事がないのが、悪い事が続く原因でしょうか?』
残念ながら、供養を求めて貴方に依って来ておられるご先祖様や、水子ちゃん、有縁の方々は、何もそんな事を求めておられる訳では有りません。
『助けて欲しい』『苦しいから何とかして欲しい』という 藁にでもすがる気持ちで貴方に『供養』を求めてきておられるのです。 ですから、線香を上げようが墓参りをしようが、亡くなられてさまよって いる方には何の慰めにもならないのです。
形だけのお経や線香、お墓参りではいけないのです。 そして、一番いけないことは・・・『自分が良くなりたい』という 心持でそれらを行う事です。これは供養どころか障りを招く事に なってしまうのです。
本当の意味で 亡くなられた方に、供養を施すことが出来るのは御仏だけ・・・
このことを決して忘れてはなりません。
では、御仏に少しでも近い距離におられるのは、どなたでしょうか?
得度し出家されて、お作法を習得し・・・毎日潔斎した上で、 きちんとお勤めを一日も欠かさずにされている僧侶の方々に 供養していただく事が、本来ならば一番良いのです。
そういった僧侶が御仏を供養し、その徳によって、亡くなった方々が少しずつ彼岸に至る・・・
これが、真実の供養の姿になりますが、一体どれだけの方が これを理解されておられるでしょうか・・・ しかし、とても大切なこと・・・なのです。
僧侶である六明師は、極密祈祷をされている皆様の供養をこのように 執り行ってくださっているのです。
(続きは次回にお話いたしますね。)
杏珠
2004年11月18日(木) |
皆様へのお願い・・・杏珠・・・ |
取り急ぎ、いつも−スピリチュアリストAYA−を訪れてくださる皆様へ 私からのお願いになります。
先日、鑑定を依頼された方で、こんな方がいらっしゃいました。 「自分のこんな相談をするのは、申し訳ないような気がしてきたので鑑定依頼をキャンセルしても宜しいでしょうか?」 私は、悩める方のご相談内容に「レベルの高い悩み」「低俗な悩み」と分別をする事は、ありません。 どんな悩みでもその方にとっては、「解決したい悩み」だと受け止め、私でお答えできる事でしたら、鑑定をさせていただきます。 敷居は決して高くありませんから、いつでもお問い合わせくださいね。
他にも、とても大切な質問を頂きました。 「自分の心の闇や、恥ずかしい部分まで書いてあるメールを杏珠先生以外の方(スタッフのかた)が目を通す事はあるのでしょうか?システムがわからずに不安を感じたことがあります。」 これについては、きちんとした説明をいたしますね。
※メールの件名が『杏珠先生』もしくは、相談だと解るように記されている場合は、私の目にしか触れる事はありません。メールの受信ボックスについては、私が管理しておりますので、スタッフが開封する事は絶対にありません。 ※霊感を正しく保つために、『物欲』に繋がるような各々の料金の管理については、私は携わらないように全て(私が全信頼をおいている)スタッフにお任せいたしております。これについては、六明師に厳しく戒められております。ですから、鑑定依頼から始まって、極密祈祷や身代わり念珠の受付や管理・・・のような事務的なメールにつきましては、スタッフと皆様とのメールのやり取りになります。
※『ダイアリー』と『宝箱』については、私が管理いたしております。それ以外の部分は、全てスタッフにお任せいたしております。(私は、アナログ人間ですから技術的なことは全くお手上げですから)
また、それ以外にも、少しずつではありますが、改善をその都度加えて行く予定をしております。 (例えば、法律に基づいた連絡先の表記など) サイト管理以外がとても忙しいので、本当に少しずつですけれど・・・
そして最後に、『宝箱』へのご協力のお願いをいたしたいと思います。 現在、皆様からのメール一通ごとに『宝箱』への掲載を望まれない方には、『掲載拒否』と入れていただいております。 これについては、大変申し訳ないのですが、引き続きお願いいたします。
今回お願いしたいのは・・・ 私共のサイトを訪れる方の殆どが『悩み』を持っておられる方々です。 悩みには千差万別色々な悩みがありますね。 私が、ダイアリーでお話しする事も大切ですが、 現実に悩みを解決して行く行程や、皆様からの血の通ったメールを他の方々への『気付き』のチャンスとして、もっと色々な方のメールを記載させて頂きたいのです。 それは、少なからず記載をお許しいただいた方の『徳積み』にもなります。 自分だけのことを考えるのではなく、もっと周りの方にも心遣いをして頂けたら・・・と切に願います。 もちろん、個人的な事柄や、誰とわかるような部分は『省略』させていただいた形にいたしますので、どうかご協力をお願いいたします。
−スピリチュアリストAYA−を訪問してくださる 皆様の幸せを真の心を込めて、祈ります・・・
杏珠
|