◆ ダイアリー ◆

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初代管理者(AYA)
(沖縄県出身。 愛知県在住の医療従事者。 祖母は沖縄に伝わるユタ。)

【現在の管理者  杏珠】
AYAの直接の恩師

現在までに数え切れない程の様々な人の人生を良き流れに導いてきた霊能者。       

初代管理者の結婚・引退に伴い、その志を受け継いだ。
今までに鑑定した現代社会における悩み、霊的な相談等を
通し学んできた「気付き」を皆様へ心を込めて書き記した日記。             


2004年09月17日(金) 正直に告白致します・・(更新出来なかった訳・・)

長い間、ここに言葉を記載する事ができずにいました。
相談者の方々からは、安否を気遣うお言葉を頂いています。
ご心配をおかけし、誠に申し訳ありませんでした。

御祈祷をされている方々は、とても敏感に、
表面にいる今の私の状態を無意識に察しているようで、
心温まる励ましとお心遣いを頂いております。
又、逆に、今の私の負担にならないようにと、
聴きたい事も我慢し、
やり取りを控えられていた方々もいらっしゃた事と思います。

全ての方々に、
本当に、本当に心からの感謝をお送り致します。
ありがとうございました。本当に、ありがとうございました。
今日はこの場をお借りし、みなさんに今の私の心情を正直に申し上げます。


前回の日記で、私はごく普通の人間です・・と申し上げました。
これまでの過去の日記でも、何度も申し上げていますが、
ユタの私は、
表面の私の人生に対しては、何のアドバイスもしてはくれません。

ある意味、私は相談者の方々と常に同じ立場にいるのです。

正直に、申し上げます。
日記の書けない期間・・私は、己の人生の分岐点にいました。

御祈祷をしていると、最も視たくない場所に光が当てられます。
強い光が、全てを明るく照らすのです。
嫌な自分、否定したい自分、視たくない自分・・
表面の私の中にいる何人もの私・・・全て、本当は、同じ私。

多重人格者として、自己を発表したビリー・ミリガン氏の様に、
何回も脱皮を繰り返し、
バラバラの私を一つに統合するかのように、新しい私を創る・・。
表面の私は、その真っ只中にいました。

私は、本当に、ごく普通の人間です。
霊的な力は、自分自身の選択、決断の時には、何の効力もありません。
特に、私の場合は、自分自身でユタの力を否定したがっている為か・・
私自身の問題には、一切、ユタの私は声を発しません。

他の霊的な能力を持った方々も同じなのでしょうか・・。
だからこそ、
どんなに霊的に優れている方でも、自分の死期は知らない・・。

ユタの私は、微笑みもせず、ただじっと表面の私を視つめています。
そして、六明師も又、表面の私の動向を垣間視ています。
六明師からは、私個人の相談には答えない・・と申し渡されています。
ユタの私も、六明師も、それが私の修行・・と考えているのです。


身代わり念珠や極蜜祈祷をされていない方々、
この日記にのみ訪れている方々にとって、
表面の私は、とても興味ある存在なのでしょうね。

ここで、この場にて、正直に、赤裸々に告白します。
私は、本当に、ただの、どこにでもいる普通の人間です。
貴方と同じように、
毎日、決断や細かな選択をしながら、日々を過ごしています。

ある意味、私はもっと厳しい状況にあるのかもしれません。
正気に白状すると・・
この期間、私は自分に流れている、このユタの血を恨みました。

これは、私が乗り越えなければならない事・・。
これは、私が、己自身で得なければならない事・・。
これは、私が、私であるからこそ、与えられた事・・。
全てに意味があり、必要だからこそもたらされていると、知っています。

この期間、階段を登るように、一段、一段・・いいえ、違います。嘘です。
弱い私は、ご祈祷をされている各相談者の方々よりも、
はるかにスピードは遅く、少しずつ、少しずつ・・ジリジリと、
砂に埋れてしまいそうな、砂浜に立つ自分の足の親指を視ながら、
進んでいるのか、進んでいないのか、全くわからないくらいの速度で・・
前を視る事も、上を視る事もできず、
足元の先、ほんの何ミリかの場所を視ながら、
己の心の動きを視ながら、
誰にも知られないように、心の奥深くで、泣きわめいていました。

極蜜祈祷を始め、
ある一定期間が過ぎると、必ず、心の隅々まで、光が当てられます。
その光は、己が最も視たくない場所まで、全てを照らし出します。

大晦日の時期にする、部屋の大掃除と全く原理は同じです。
忘れていた思い・・捨てたはずの感情・・否定し抑えていた自分・・
全てが、明るみにさらされます。

そして、己で身を持って知るのです。自分の心の中、全てを・・。

それは、
とても苦しく、誰にも理解されないかのように重く圧し掛かります。

御祈祷をされた方々は、誰もが経験しています。
そして、それが明けた時には、大きく大きく飛躍するのです。
真っ暗の夜の世界が明け、朝日が大きく顔を覗かせるのと同じです。

これまでの過去の私にも何度もありました。
それぞれの暗さは、全く意味が異なりますが、
一つ一つを確実に確かなものしながら、やっと、ここまで来れた・・


このスピリチュアリストAYAは、開設してから丁度一年を迎えます。
ある意味、一年を経過しての節目でもあるわけです。

鑑定を始めてから、私の結果をみて、
それが間違いだと、苦情の言葉がきた事は今まで一度もありません。
鑑定後、大変に多くの方々が
御祈祷、身代わり念珠をされていらっしゃいます。
これまで、
御祈祷を個人的な理由でやむなく中止された方は、3人だけです。

表面の私も、ユタの私も、
常に、いつでも、全ての人の真の幸せを心から願っています。

その思いに、変わりはありません。
だからこそ、ここに言葉をしたためる事がどうしてもできなかった・・
表面の私をお見せする事ができなかったのです。

何度も、何度も言葉を描きました。そして、何度も何度も消去しました。
悲しい事に、そこに私の心は無かったのです・・。

私は、本当に不器用な人間です。
己の心をごまかす事ができない・・・。
自分の中の心・・・
リアルタイムで浮かぶ言葉しか、ここに書き込む事ができない・・。

そして、やっとみなさんに励まされ、今日書き込む事ができました。
本当に、本当にありがとうございました。

聴きたい事も我慢し、何も言わずに、見守って下さった方・・
何気ないご報告と称し、数あるヒントを送って下さった方・・
この期間、
過去の私とのやり取りを再度、真に受け取って下さった方・・
ご報告を欠かさず、ご自分の足で歩もうと努力されている方・・
環境の流れを大切に、大切に捉え大きく飛躍しようとしている方・・
そして、
表面の私よりも早いスピードで、己の壁に立ち向かっている方・・
ユタの私と無意識層の中、心の奥底で、常に会話がなされている方々・・

全ての方に感謝の念を送ります。
私にとって、全ての方は、師と呼べる存在なのです。
貴方は、表面の私の師です。

貴方のその悩みから、私は、己の答えを頂いているのです。
貴方のその喜びから、私は、希望を与えられ、己を視るのです。
全ての方々は、表面の私の鏡です。

常に、私のあるがままの姿を視せてくれます。
常に、私のあるべき姿を視せてくれます。

本当は、感謝しなければならないのは、この私なのです。
貴方の言葉が、表面の私へのヒントです。
貴方に向け発するユタの私の声が、表面の私への答えに繋がります。


  『全ての存在は時空を越えて繋がっている』

本日、頂いた相談者の方からの言葉です。
全ては繋がっている・・本当にそうなんです。
ユタの私が常に発する言葉を
又、改めて表面の私の心に落とす事のできた一行です。


常に、人は、一人では生きてはいけません。
古代最古の昔から、人は人と共に己を育み、前に進んできました。
全ての先人、故人、誰もが同じです。

人は、人を知り、愛を知り、成長します。
人は、人で磨かれ、育てられ、大きく、大きく、人として本物になります。

私は、貴方のおかげで、
又、こうして、ここに言葉をつむぐ事ができています。

私は、多くの方に磨かれ、本物になるのでしょうか。
貴方の悩み、貴方の真摯に歩む姿は、私を本当の人間にしてくれます。

貴方と私・・このご縁に心から感謝しています。
貴方との巡り合いに、心から感謝申し上げます。

次回こそは、ぜひ『ご縁』についてのお話をさせて下さい。
貴方とのご縁を私は、心から大切にしたい・・。

貴方の周りにある『ご縁』を貴方にも真剣に受け取って欲しい・・。
貴方には、これから、
もっと、多くの『ご縁』がもたらされ、育まれます。
その『ご縁』は、貴方自身を大きく育てるものばかりです。

そして、私は貴方を視て、多くの喜びを得るでしょう。
貴方とのこの出逢いに、心からの感謝を送ります。
本当に、ありがとうございます。
真に心を込めて、貴方へ送ります。


 
          −AYA−



2004年09月03日(金) 個人的なご質問と縁について・・

長い間、
お逢いできない状況が続き、誠に申し訳ありませんでした。
現在の相談者の方々とは、やり取りする事ができていましたが、
ここだけに訪問されている方々とは、本当にお久しぶりになります。
大変に、ご無沙汰していました。

ご質問も数多く受け、お答えする事に誠意を尽くしていました。
AYAの宝箱にも掲載致しましたが、現在、
表面の私に対するご質問が大変に多く、お答えするのに難を要しました。

日記を移転してから、
表面の私・・そう、医療従事者としての私に興味を持ち、
個人的なことを知りたい・・と申される方が非常に多かったのです。

私は、本当にごく普通の人間です。
特別変わった所はありません。
大層な事をこの日記の中に、記載している為か、
私が現在は成功して裕福な生活をしているのでは・・?と、
どうも、誤解されている方がいらっしゃるようで・・・
正直に申し上げますが、
私は本当にどこにでもいる、普通の人間です。

ここでの言葉、声は私ではない私・・違う私が発する言葉であり、
その言葉を表面の私も、みなさんと同じように、
教えとして受け取り、実際に、学んでいるのです。
相談者の方々と全く同じ立場です。
ですから、どうか、表面の私を買いかぶらないで下さい。
ユタの私は、全く違う人格を持った私ではない私なのです。

又、私に関するご質問にお答えできない理由がもう一つあります。
それは、個人情報が漏れると、
この世界では犯罪を生み出すという危険性も勿論ありますが、
私がお答えしない理由は、そこだけにあるのではありません。

私は、常に誰に対しても公平であり続けたいのです。
各相談者の方々に対し、
常に、誠意を持って、全身全霊で望みたいと考えています。
その為、
ある一人の方だけに私の事をお話するという事は、私にはできません。
一人の方にお話したのなら、
全ての相談者の方にも同じ様にお伝えする・・と私は考えています。

現在の相談者の方々の中には、ご夫婦やご兄弟、
親子、友人同士など様々な関係の方々がいらっしゃいます。
その中では、必ず私のお話も出る事になるのではないでしょうか。
ユタの私は、たとえ、ご家族であったとしても、
魂は全く別である・・と考えますので、
口コミでのご紹介であったとしても、
個人的な情報について、やり取りの中で交わす事は有り得ません。

やり取りの中では、常に私と貴方だけの関係・・と視なします。
何故なら、
貴方と私との間には「ご縁」と呼ばれるものが存在しているからです。

「縁」と呼ばれるものがあるからこそ、貴方と私は出逢ったのです。
たとえ、ご家族であったとしても魂は別々の前世を持っています。
それぞれの魂は、私との「縁」を別に持っているのです。
自然の流れで、今生において必然的な出逢いを果たしただけです。

「縁」がない方は、いくら説得されようと、私の元には訪れません。
日記には訪問していても、私の事を信用できない・・とお考えになります。
言葉が眼に入っても、何も感じない・・そうお考えになります。

今回、
「ご縁」について、詳しく教えて欲しい・・というご質問を頂きました。
又、AYA宝箱にも掲載させて頂きたいのですが、
下記にその方へのお返事として私が何とお答えしたのかを記載致します。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「縁」について。

「良縁」を「悪縁」に変えてしまう事がある・・
 では、
「悪縁」を「良縁」に変える事もできるのか?
   
残念ながら、今までの私の経験から申し上げて、
一度もその様な事はありませんでした。
前世から続く「悪縁」は
今生でも、来世でも「悪縁」に変わりはありません。

「縁がなかった人」とは必ず別れなければならないのか?
「縁がなかった」と諦めるしかないのか? 
でも、復縁の極蜜祈祷をされている方の場合は?

「縁」には、幾つもの種類、幾つもの違いがあります。
例えば、親子や兄弟など・・これはソウルメイトと呼ばれる
密接な関係にある魂のグループです。
貴方がこれまで出逢った方々は、
何らかの縁があったからこそ今生での出逢いを果たします。
ただ、縁には幾つもの異なる違いがありますので、
無理やりに伴侶の縁を持っていない者同志が一緒になると、
必ず、どこかの場所にしわ寄せを生じます。
それから、「復縁」をご祈祷されるという事は、
全くの別人になる・・という事です。
自分の悪い所を改善しない限り、復縁は難しいのです。
復縁は、大変に多くの努力と忍耐が必要なのです。

「ご縁」に関しては、
とても難しいお話となり、これだけでは説明不足です。
又、近い時期に日記の中で詳細にお伝え致しますね。

昔のことわざに、
「袖すり合うも他生の縁」という言葉があります。
「他生の縁」の言葉を「多生の縁」とも置き換えます。
前世からの因縁を現す仏教用語です。
貴方と私のこの出逢いも又、「多生の縁」です。
幾つも抱える前世の中で、
貴方と私とは出逢いがあったと、私は感じるのです。
だからこそ、こんなにも貴方の幸せが視たい・・。
貴方の事を常に願っています。
今回の多くの出逢いが
又、貴方にとって良きご縁でありますように。
心を込めて。

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     「袖すり合うも他生の縁」

貴方の周りにいる方達は、貴方に何らかのご縁がある方です。
貴方がこれまで出逢った方は、貴方に縁があって出逢ったのです。
全ての人が、幾つもの流れ、幾つもの縁の中で生きています。

隣り合ったあの人・・
見知らぬあの人もまた、貴方に何らかの縁がある方かもしれません。

人は、一人で生きているのではなく、
常に、必然的な出逢いを果たしながら生きています。

そこには、本来、良いも悪いも無いのです。
重要なのは、出逢ったときに貴方がどうするかです。

人は、必要な時期に必要な人と巡り逢います。
本当は、出逢った人が、問題なのではありません。

出逢いをした時の貴方がどうするかが、問題なのです。
出会いを果たした時の貴方がどう考えているかが重要なのです。


貴方との出逢いに心から感謝しています。
貴方との出逢いに宇宙の神秘を感じます。
貴方との視えない出逢いが、私を又、学びへと導かせてくれます。
貴方との「縁」があるからこそ、
私は、真剣に祈り、願う事ができるのです。

貴方の真の幸せを心から、変わらずに願っています。
心を込めて。





            −AYA−



2004年08月12日(木) 今の時期の意味・・戦争を知る意味


先日の日記への感想として、
何人もの方から、様々なお言葉を頂いております。

相談者の方々や
AYAダイアリーを好意的に受け止めていらっしゃる方から、
心温まるお言葉を頂きました。
それぞれの方が、色んな意味で、深く考えて下さっており、
私には、大きな励みとなり、慰めとなっています。

この場をお借りし、心から感謝、申し上げます。
本当に、ありがとうございました。

今日は、
何人かの方々から寄せられたお言葉をみなさんに、ご紹介したいのです。
AYA宝箱に全文が掲載されていますが、ここでは一部のみ抜粋致します。

ただ、その前に、
先日、申し上げたお盆について、もう少し詳細にお話し致します。

明日から、お盆です。
それぞれのご家庭では、御先祖様をお迎えします。

日本の古くからの言い伝えによれば、
位の高い方々は、7月13日がお盆で、
一般庶民は、時期がそれより遅れて執り行う事が多かった・・
と、先日、お伝え致しました。

でも、どうして、
8月13日〜8月15日が、習慣として定着したのでしょう?
どうしてだと思いますか?
どうして、
沖縄だけは、旧暦の8月15日(今年は8月30日)が
お盆として、習慣化されたのでしょう?


実は、日本のお盆が、
全ての人、全ての家庭で定着したのは、戦後になってからです。

皆さんもご存知の通り、8月15日は、終戦日です。

この意味が、わかりますか?
戦争では、多くの方が、悲惨な死を遂げました。
どこの家庭でも、愛する家族を失いました。
死んだ人がいない家庭は、ありませんでした。
全ての人が、愛する人を失いました。
何時、亡くなったのか・・どこで亡くなったのか・・それもわかりません。

国民全体が、この日を命日とした・・私には、そう思えてなりません。

沖縄だけは、旧暦にてお盆を執り行います。
それは、何故か・・・
沖縄にとっての終戦は、もっと、ずっと後だったからです。

本土が終戦を迎えている時、沖縄の人は、敵に囲まれていました。
海には、アメリカ兵・・山には、日本兵・・
日本兵に、スパイと言われ、取り調べもなしに、その場で殺された人・・
日本兵からの命令で、強制的に自決させられた人・・・
全て、終戦後に起りました。
沖縄だけ、お盆が遅いのは、そういう意味があるからです。


では、何故、この時期に障り(霊障)が多いのか・・・?

この時期に、亡くなられた方は、
幾つもの未練・・
家族に一目逢いたい・・・愛する人の側に行きたい・・
死にたくない・・・生きたい・・・生きていたい・・・
多くの人が『生』に対する多くの未練、執着を抱えたまま旅立ったのです。

今の時期は、その方々からメッセージが送られるのです。
戦争とは、何か・・それを知ろうともせず、
最も、悪しき考えや悪しき思いに囚われている人に対し、障りを起こす・・

自己中心的に生き、人を罵り、蹴落とし、人に痛みを与える・・
戦争をも、引き起こしそうな悪に染まった考え・・悪業・・
必ず、当たり前に、障りを受ける・・・

何故、私が一生懸命に、こんなに難しいお話をするのか・・
ご理解頂けましたでしょうか・・

みなさんがご理解して下さったと信じ、
これから、お二人の相談者の方からのお言葉をご紹介致します。


『私の心を時々曇らせるもの、
 それは人と自分とを比べて優劣をつけたがる癖だとわかりました。

 自分はあの人と比べてこういう点は優れているけど、
 ああいう点では負けているとか、
 親しい友達との間でも常にそんな気持ちを持って接していました。
 以前はそんな考えが浮かぶことをおかしいとも思わず、
 勝ってるとか負けてるとかいう自分の判断に支配されていました。
 でも、そんな勝ち負けや優劣をつける考えを持ち続けている限り、
 自分は本当に変わることは出来ないとやっと気付きました。
 自分も他人も 
 公平に、ありのままを受け止めて認める心を持ち続けたいです。

 傲慢にならず卑屈にならず。
 先日、日記で紹介されていた言葉、「人にランクをつけたくない」、
 私も同感です。
 日本に住んでいる私は実際に大きな戦争には巻き込まれてないものの、
 自分の心の中で、小さな戦争をしていたのだと思います。
 それが人をうらやましいと思う気持ちや嫉妬に繋がり、
 幸せを遠ざけていたと思います。
 これからは心の中で戦争をしないように、
 公平で、平和な心を育てていきたいと思います。    』

戦争・・・という事から、
この方は、ご自分の心に何が必要かに気がついた・・と仰っています。
戦争を別世界の事だと考えず、自分の問題として捉えて下さったのです。
心の平和・・・大きな気づきとなった、と仰っています。

そして、次にご紹介する方は・・・

『先日の日記、とても胸が締め付けられました。
 私がどこまで本当の意味で理解できているのか判りませんが、
 どうしてこんなにも伝わらない?
 どうしてこんなにも思いがすれ違ってしまうの?と、
 絶望に近いような気持ちでした。
  (省略) 
 でも確かに、 その人に特別な悪意があるというわけではないことも、
 私も理屈上は分かる気がします。
 でも悔しいし、悲しいです。
 この腑に落ちない気持ちはどうしていったら良いのでしょうか?
 答えって、本当にあるのでしょうか?
 あるとしたらご神仏は一体、どんな答えをお持ちなのでしょうか?
 ・・・本当に難しい投げかけですね。
  (省略)
 とにかく冷静に考えるよう努めて、
 自分が、無理せず、出来る限りのことをしたら、
 あとは、お任せして待つ。
 私がするべき事、出来る事には、決して、手を抜かない。
 
 毎日御念珠が目に入ったり、
 夜満天の星空や天の川を眺めたりする度、言い聞かせています。
 この思いをもっと当たり前に、 
 常に、備えていられる自分になりたいです。』

戦争・・・という事から、この方は、
人、それぞれの受け取り方の違いに、心を痛め、真に生きるとは?と考え、
「答えはあるの・・?」と深く考えながらも、
とにかく、
無理せず、できる限りの事をして、後は、お任せして、待つ・・・
と仰っています。

お二人とも、御念珠を身につけ、ご祈祷をされている相談者の方です。
今の貴方と同じように、真の幸せを望んでいます。
誰も、お二人のお考えに反論する事はできないでしょう。

お二人の方のお言葉の通りです。
私も、本当に、その通りだと思います。

ただ、先日も申し上げましたが、
「戦争?・・嫌、聴きたくない・・、益々暗くなってしまう・・」
と、仰る方々のご意見も、否定する事はできません。
何故なら、
この方々は、六明師と出逢う前の過去の私の姿だからです。
この方々は、私の鏡です。

私の周りの方々、全ての方は、私の鏡です。
良い面も、悪い面も、視せてくれます。

勿論、これは、私だけではありません。
貴方の周りにいる方は、貴方の鏡です。

鏡は、色々なものを映します。
鏡は、常に真実の姿を映します。

鏡に物を映すと、左右、正反対に、映ります。

貴方の今、苦手としている人・・
貴方が今、最も憎んでいる人・・

貴方が嫌だと思う相手は、常に、貴方の鏡なのです。

誰もが、ひたすらに幸せを願い、生きています。
人は、様々な出逢いを通して、
愛し、楽しみ、悩み、苦しみ、憎み、恨み・・・
様々な毎日の選択の中、自分で考え、決断し、
その因果関係に、喜び、悩み、そして、死んでいきます。

全ての人は、幸せになる為に、生まれたのです。
何が、悪いのか・・何が足りないのか・・
それを知る為に、今の時期は存在しているのです。

貴方は、知らなければなりません。
故人が残した、
過去の幾つもの過ちから、善なる事を学ばなければなりません。

それを貴方が放棄すれば、
いつでも「魔」は貴方を狙い、貴方に近づきます。
貴方は、確実に、今より、困難な状況を迎えるでしょう。

私は、貴方に幸せになって欲しいのです。
貴方に真に幸せを掴む為の道がある事を知って欲しいのです。


戦争・・とは何か、
それを知る事は、貴方の将来の幸せに繋がる事なのです。
もっと、もっと、もっと、深く知って下さい。

一度、話を聴いたから、終わりではありません。
百人いれば、百人とも、戦争で受けた苦しみは違います。
千人いれば、千人とも、戦争で受けた悲しみは違います。

どうか、
毎年、毎年、聴いて下さい。
貴方が死ぬまで、忘れない為に、
貴方の幸せの為に、
貴方の家族の幸せの為に、貴方の愛するあの人の為に、

貴方が、戦争を知る事が、貴方の愛する人の幸せに繋がるのです。

全ての人が、深く、深く捉え、己の学びへと繋がりますように、
心から願い、心から祈ります。
心を込めて。


         
           −AYA−


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