◆ ダイアリー ◆

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初代管理者(AYA)
(沖縄県出身。 愛知県在住の医療従事者。 祖母は沖縄に伝わるユタ。)

【現在の管理者  杏珠】
AYAの直接の恩師

現在までに数え切れない程の様々な人の人生を良き流れに導いてきた霊能者。       

初代管理者の結婚・引退に伴い、その志を受け継いだ。
今までに鑑定した現代社会における悩み、霊的な相談等を
通し学んできた「気付き」を皆様へ心を込めて書き記した日記。             


2004年08月01日(日) 神障り、霊障・・(その原因は、無知)

先日から、日記の中では、
神仏について、お伝えしています。

私の元には、多くの問い合わせや鑑定依頼、
又、相談者の方からのご質問が寄せられています。
まだ、
お返事を出す事ができていない方もいらっしゃいます。
必ず、本日か、もしくは明後日までにはお送り致します。
どうか、もうしばらくお待ち下さい。

実は・・今回のお話で、
みなさんには、まだ重要な事をお伝えしていません。
これは、多くの方に関係する事です。

世の中には、
「あんなに、一生懸命に信仰しているのに、何故?」
「幸せになろうと、常に、努力しているのに何故?」
と世間から、噂されている方が少なくありません。

神仏に敬意を払い、一生懸命に励み、お経も読んでいる・・
なのに、全然、悩みや苦しみが減らない・・
逆に、災いが多くみられる・・何故なんだろう?
そう、思われる方が、
貴方の周りにも、いらっしゃいませんか?

実は、
神仏に対し、真剣に敬い、敬意を払っているにも関わらず、
何の効果も無い・・逆に災いが多くみられる・・という場合、
六明師の霊視によると、
その殆どが、間違った信仰心を持っている・・との事でした。

真に仏教を理解しようとせず、
自分の考え、思い込みで、自分に都合の良いように、解釈している・・
これでは、新興宗教と同じです。
当然、「幸」からは遠く離れてしまいます。


お釈迦様は、
不幸せの原因は「無知」である・・と仰っています。

視えざる世界を信じる事ができない
信仰心の無い方の多くは、
自分の目で、確かめる事ができなければ、信じない・・
実証できない事は、一切を否定する・・・と言います。
己の目だけを真理とし、己が一番と考えている、
全くの「無知」である為に、
当たり前に、幸せから遠く離れ、大きな災いを受けます。


そして、もう一つの「無知」から来る
神障り、霊障について、お話しなければなりません。

まず、霊障について・・・。
その方は、高齢の女性です。
先祖代々からの宗派に属し、お経も唱え、信仰心は強い方です。
悩み、苦しみについて具体的なことはお話できません。

もう一人の女性・・
彼女は、仏教に関心が深く、常に真理とは何か・・
己を向上する為に、心から探し続ける方です。

最初の女性の霊障・・その原因は、明らかにお経でした。
驚かれた方もみえるかもしれません。

誤解の無い様に、申し上げますが、
私は、その宗派を否定しているのでは、ありません。
表面の私も、ユタの私も、
全ての宗教、宗派の根本は、皆、同じである・・と考えています。
私は、それぞれが、
各個人にあった宗教を選択しているだけだ・・と思っています。
いつでも、私は、各人の信仰を心から尊重致します。

その女性の大きな原因は・・
お経を唱える時間帯・・又、その時の考え、感情・・でした。
ユタの私は、
悪しき心にて、得るもの・・と声にしていました。

実は、
その女性は、深夜になってからお経を唱えていました。
それも、
一日あった出来事の恨み、つらみを必死に仏前に通していました。
「助けて下さい・・」彼女の祈りは、まさしくその一言。
この時間、最も強くなるのは、成仏できていない御霊です。
この女性の感情、
悪しき心と波動を同じにしている、
低い位置にいる御霊が、その女性の元に集まっていました。

向上心のある彼女の場合・・彼女もお仏壇をお守りしていました。
若いながらも、毎日のお勤めをこなそう・・と頑張っていました。
彼女の原因は・・・・仏教の作法に関する事。
お位牌を毎朝、丁寧に、丁寧に、磨いていました。
これが、原因。
人の手は、いくら綺麗に洗っても、
視えざる世界においては、煩悩にまみれた欲の多い手です。
どんなに修行を積んでいてもです。
お位牌の霊位は、それを大変に嫌がったのです。

仏教には、
それぞれの宗派により、様々な細かい取り決めがあります。
作法には、それぞれ意味があるのです。
間違った行いをすれば、それは障りに繋がります。
お二人とも、「無知」から来る障りです。


では、真理への眼が塞がれている、
真の信仰を知らない「無知」からくる、神障りについて・・

その老人は、
神社の境内にある石を持ち帰り、大事にしていました。
何でもない、どこにでもある様なただの石です。
強い自分勝手な信仰心から、常に神様の側にいたい、との思いからです。
それが、神障りの引き金でした。

もう一人の方は、有名な資産家でしたが、
精神的な疾患を抱える息子さんがいらっしゃいました。
裕福な方で、先祖代々の土地には井戸がありました。
自宅を新築に立て直すときに、その井戸を埋めていました。
その方は、地鎮祭は、無駄な経費・・と考えていました。
原因は、土地の因縁・・水の神様からのものでした。


これまで、お話した方々の共通点は、
神仏に対する敬う気持ち、信仰心が「表面的には」有るという事です。
ただ、
それぞれが、皆、自分勝手な、自分に都合の良い、信仰心です。
厳しく、申し上げますが、偽の信仰心なのです。

真の神仏を知ろうとは、していません。
これこそが、最も大きな障りの原因・・なのです。

仏教とは、亡くなられた方の為にあるのではありません。
どの宗派のお経も、
全て、お釈迦様からの説法、教えを説いたものです。
お釈迦様が、生きていらっしゃる時に人々に説いた教えです。

どうすれば、幸せになれるのか・・それを説いたものなのです。
ですから、お経は生きている人の為の教えなのです。
お釈迦様の仰られた、
「無知」が不幸を招く・・この意味がご理解頂けましたでしょうか?

間違った行い・・誤った行い、考え、
古くからの仏教、神道の作法、教えを真に学ばず、
全てを網羅した教えとして、我流で、
真理を追究しようとするのが、実は、新興宗教の始まりなのです。

先ほど、どの宗派も否定しない・・と申し上げましたが、
私は、新興宗教は、その一切を厳しく、否定致します。

障り・・と呼ばれる事について、お話する場合、
どうしても、神仏のお力、仏教について語らなければなりません。

初めて、ここにいらっしゃった方々は、
ここは、宗教の勧誘か?と、勘違いをされる・・
私も六明師も断じて、自分の宗派をお勧めする事はありません。
真理への道は、幾つも存在している・・と考えているからです。


   『無知』
それが、どれだけ恐い事か・・
殆どの方が、無知であったために、
数多くの誤った行い、思いにて、多くの「苦」を生み出したのです。

私は、老人と呼ばれる賢者の方々が大好きです。
何気なく、話される会話の中、
その中には、幾つものヒントが隠されています。
古くから伝わるお話には、
数多くの真理が隠されている事が多いのです。


「気づき」と「知る」とは、全く違います。
障りの多くは、幸せになる為の「気づき」です。
常に、毎日「気づき」は与えられています。

「気づき」を「知る」に変える事が幸せへの道です。
小さなヒント「気づき」で「知る」事ができない場合、
それは、段々と大きな「気づき」に変ります。

貴方にとって、数多くの善き気づきとなりますように・・
私は、それを願い、この日記の中で、様々な事をお伝えするのです。


貴方が今ある小さな気づきの中から、
大きな真理への道、幸への道を知る事ができますように。

貴方の「苦」は気づきであり、
それは「幸」への一つの階段である事、
貴方が、それを心から知る事ができますように。

貴方が常に、幸せである事を私はいつでも願います。
心を込めて。




           −AYA−



2004年07月29日(木) 神障り・・・その本当の理由

昨日の日記の中で、私は初めて、
自分の父親の事・・
私のプライベートについて、お話しました。
過去の相談者の方の実話をお話する事は、簡単です。

けれど・・どうしても、私には、それができなかったのです。
私の過去・・幼い頃の自分を語る事は、
多くの誤解を招き、幾つかのトラブルを招くかもしれない・・
充分、覚悟しています。

私には、相談者の方々が抱える、
地獄の様な苦しみをお伝えする事はできないのです。

過去の私と同じ立場にある、
相談者の方々の、心からの苦しみ・・叫び声を、
ここに、安易に記載する事ができないのです。

みなさんが、
どの程度、ご理解されたか・・知る事はできません。
どう受け取られようと、構いません。

真の神仏のお力を語る事が、
全ての人々の幸せに繋がる事は、私自身、充分に理解しています。

けれど、そのお話によって、
たった、お一人でも、心に痛みを感じる人が出る事は、
私には、耐えられない・・・・それは、私の役目です。


表面の私が持つ、
父親に対する気持ちは、とても複雑なものです。

子供の頃・・
私は、父親に対し、殺意を抱いた事もありました・・
許せなかった・・どうしても、許せなかった・・
死んでしまえばいいのに・・・
そう考えた事が、何度あったでしょう・・
たかが、3千円くらいの給食費が払えず、
走る車に身を投げ、何度、死んでやる・・と考えたでしょう・・


表面の私は、決して、善の多い人間ではありません。
お釈迦様の言われる、大罪を子供の頃から抱えて生きてきたのです。

神仏に近い人間になりたい・・暖かな光に近づきたい・・
少しでもいい・・ほんのちょっとだけでもいい・・光の側にいきたい・・
表面の私の心の中は、常にその思いだけです。


運命は変えられるのです。 断言致します。 運命は変える事ができるのです。
この私が、生き証人です。

育った家庭で、真の人生が、決定されるのではありません。
周りの人達が、貴方の人生を決めるわけではありません。
環境が、貴方の人生を、決められるはずがありません。

この私が、生き証人です。
何度でも言います、この私が生き証人なのです。


人がどんなに頑張っても、
逃れる事ができないものは、確かに、この世界に存在しています。

人の生死・・・生老病死・・・・。
誰もが、生きずらい世の中に生まれ・・
時と共に、老い・・常に、病に狙われ・・そして、必ず、死ぬ・・。

どの人の人生も、同じです。
誰もが、必ず、その苦しみを受けます。

その中で、どう生きるか・・
真の幸せにいる人は、生老病死さえも、「苦」とはしません。

真の幸せとは、
全ての苦しみさえも乗り越え、決して、消える事は無いのです。

私は、全ての方に幸せになって、欲しい・・
どうしても、幸せになって欲しい・・・

幸せになって欲しい・・この思いは、私だけではありません。

神仏に近い六明師、
恐ろしく、力ある神様、
罪人さえも温かく見守る仏様、
視えざる大いなる力、宇宙の流れ、
全ては、貴方の真の幸せを願っているのです。


神様が何故、あれだけの怒りを現すか、わかりますか?
それは、
神や仏を敬う心を持たない者が、
死を迎えた後には、
終わりの無い、地獄へと落ちる事を知っているからです。

全ての幸せを願う神様は、
それを知らしめる為に、障りを起こすのです。
災いを起こし、
少しでも早く、気がつく事ができるように・・と願いながら、

だから、神障りは
何年もの時をかけて、本人が気がつくように、
幾つもの災いを通して、気づきを与えているのです。
それが、ユタの私が言う、学びと教えなのです。

ユタの私は、
神障りや霊障と言う結果が出ると、必ずこう声にします。
今、知る事ができて良かったではないか・・・

今生から旅立ち、
やり直す事ができない状態になってから、
初めて、気がつく・・それでは、遅いのです。

今生の人生をどう生きるかによって、
貴方の中間生は決定されるのです。貴方の来世は決まるのです。


人様なんて知った事じゃない、
自分の願い通りに、生きている間だけ、幸せだったらいい。
そう、お考えの方もいらっしゃいますね。

その考えを、その日暮し・・と言うのです。
明日の事は何も考えず、今日さえ楽しければいい・・
今日を楽しむ為に、昨日の罪は、全て忘れよう・・・
今日さえ、うまくいけば、何もかもどうでもいい・・

このように、お考えの方がその先、どうなるか・・
言わずとも、ご存知ですね。
鑑定などしなくても、誰でもが知っています。
幼い子供でも知っています。

今、ユタの私や六明師によって
障りが何か、を明確にされた事は、
貴方に、これから先の「幸」をもたらすものです。

神障りや霊障を結果として、持っている方の殆どは、
人生の中、運気と呼ばれる中では、最高の時にいます。
人生の分岐点と呼ばれる、幸と苦との境目に立っているのです。


どうするか・・どう生きるかによって・・未来は必ず、変わります。
何度でも、断言致します。
運命は、変えられるのです。
未来は、貴方自身が創るのです。

そして、それを幸多きものにする為に、
私も、六明師も、力の限り、貴方に言葉を送るのです。

何度でも言います。
貴方は、幸せになる為に、生まれたのです。
全ては、貴方の真の幸せを願い、流れているのです。

それを、どうするか・・
どう受け取るか・・それは貴方次第なのです。

貴方の幸せを私は、心から願っています。
微々たる私ですが、毎日、毎日、日々、心を込め、祈ります。

貴方の幸せを心から、言霊を込め、祈ります。
真に心を込めて。





           −AYA−



2004年07月28日(水) 神障り・・過去の実話

昭和の後半、享年40才前半にて、その男性は他界致しました。
男性には、何人もの幼い子供達がいて・・
彼の家庭は、常に貧乏のどん底の生活の中にありました。
電気、水道は切られ、生活はままならない状態でした。

原因は、彼が10数年間も酒に溺れてしまったからでした。
酒に溺れた理由・・
それは、最愛の長男を亡くした事・・その苦しみでした。
彼は、その苦しみ、辛さ、哀しみ・・
全ての大きな暗闇を、乗り越える事ができなかった・・。
その苦しみ、悲しみに終わりはなく・・
今生の全ては、苦のみ・・となりました。

人様のために・・という心は、小さく・・
いつも、何らかのトラブルと災いの中、暗闇を抱え・・
「何故、自分がこんな目にあうんだ・・」それが彼の思いでした。

過去の流れの中では、家系の因縁から、
神仏に守られ、繁栄している時代も、彼には、確かにありました。

彼は、口癖のように、子供達にこう言っていました。
「時代が、時代なら、殿様のような生活をする事ができたはずだ」
「働かなくても、食う事ができる家系なんだ・・」

彼は、神仏のお力をお借りする方法を知っていたのです。
視えない力、宇宙の説明のつかない力、大いなる力、神仏、
それらが、全てを創っている・・という事を知っていました。

住んでいる土地のどこが、聖域であるかも知っていました。
神仏のお力、御先祖様を敬う心は、強くありましたが、
それは、いつでも「苦しい時の神頼み・・」と呼ばれるもの・・。

そして、彼はこの世界から別の世界へと旅立ちました。



沖縄には、カミダーリィ(沖縄の方言)という言葉があります。
これは、神障りを意味する言葉です。

他界した彼は、沖縄のユタの家系の流れを汲む者でした。
ユタという者は、己の為だけに生きようとすると必ず災いを招きます。
神様の怒り、戒め・・をかうのです。
これが、神障りです。


相談者の方の実話をここに記載する事は、簡単です。
けれど、
それをご家族の身になって考えると、私はいてもたってもいられません。

神障りのご祈祷をされる方は、
殆どの場合、ご本人からのお申し込みではありません。
願主となるのは、ご家族の中でも最も神仏に近い方です。

神障りが起ると、本人には全くの自覚がありません。
自分の心の中、何が悪いのか・・
それを、知ろうとはしません。
全く、己を省みる事をしません。反省というものが無いのです。

全てを環境や人のせい・・だと考え、神仏に対しても恨みを抱きます。

何故、
私が厳しく、信仰心の無い方は入らないで下さい・・と申し上げたのか、

視えざる世界を信じない方は、現代の科学教と呼ばれる考え方で、
神仏に対しての挑戦とも呼べる、悪しき行いをします。

「本当に神罰が下るか、試してみようじゃないか!」
悪しき思いを持った者は、すぐにそう考えます。

私は、人々の幸せを願い、全ての人が本当の幸せを掴み取る為に、
ここに、存在しているのです。
どんな人にでも、幸せの道を歩んで欲しいのです。
これ以上の悪しき行い・・悪業を積んで欲しくないのです。

私が、何故、あんなにも恐ろしい・・と言ったのか、
私は、神障りの恐ろしさを実際の経験として持っています。

実は・・・この男性を私は、身近な者として知っています。
この男性は、・・私の父親だからです。


悲しかったあの頃・・全てを覚えています。
父が、大好きでした・・そして、父を憎んでいました・・
けれど、
私は、いつでも、酒を飲む、父親のあぐらに座り・・
・・・はしゃいでいました。
私が、はしゃぎ、父を笑わせれば、父は酒を飲む手をとめます。
子供ながらに、父の悲しさ、辛さ、苦しさを知っていた私は、
父に、飲む事をやめて!とは、言えなかった・・。

私は、今でもあの頃の父親をありありと思い出す事ができます。
私が、己の為だけに生きる・・すぐにでも、父の様になるでしょう。


これは、
決して、ユタの家系に生まれた者だけの事ではありません。
他の方も、皆、同じです。

苦しい時だけ、真剣に神様にお願いをし、
自分が楽になった時には、何の感謝の気持ちも無い・・
厳しく、申し上げますが、相談者の方の中にもいらっしゃいます。


年初めに、貴方は、神社に行かれるのではないですか?
神様を敬う心を持たず、信仰心も無く、ただ、祈るだけ・・
果たして、神様は貴方の願いを叶えるでしょうか。
「神頼みなんて、効果が無い・・嘘で、ただの迷信・・」
そう、お考えですか?

ただの迷信・・ただの自己暗示・・と考えている方。
初詣には、人が、大勢います。
有名な名のある神社ほど、人が多く押し寄せます。
トイレも満員で、長い列を作っています。

人の波で、気分はイライラする・・
いつもの様に、唾を吐く・・
トイレには行きたい・・子供も「おしっこしたい」と泣いている。
「しょうがない・・」と言って、
貴方は子供を神社の神木の陰に連れて行く・・そこで用をたす。

今生の過去において、
その様な行いをした方の現在の状態を、私は、知っています。
当たり前に、神罰として神様からの障りを受けています。
ユタの私は・・全て、自業自得・・と声にします。

神様には、人間と同じ感情があるのです。
普通に考えれば、わかるのではないですか・・

貴方の玄関先で、貴方を目の前にして、
唾を吐き、おしっこをする・・そして「願いを叶えて下さい」と言う
貴方は、怒りに震えませんか?

真に力のある神様は、必ず、戒めを送ります。

それは、貴方が何年もかけて苦しむように、流れます。
貴方が、どうする事もできない状況になって
初めて、知る事ができるように流れていきます。
逃げられない所まで・・
人間の力では、どうする事もできない所まで、連れて行かれます。


本当の神様は、力のある恐い存在なのです。
そして、
本当の神様は、すぐに貴方の心の悪しき思いを見抜きます。

自分に利益のある時だけ、喜ぶ・・
損得勘定で、自分に得のある人だけには、親切にする・・
そんな心は、訳もなく見抜くのです。

六明師の執り行う、
身代わり念珠も極蜜祈祷も、真に力のあるものです。
その為、
ご祈祷や御念珠をお断りせざるおえない方もいらっしゃいます。

全く、信仰心を持たず、
今後、明らかに神仏に対し、失礼な行いをする・・
と感じる場合などは、こちらからお断りをさせて頂きます。
これは、その方の幸せの為なのです。

神障り・・と呼ばれるものは、
貴方が考えている以上に、恐ろしいものなのです。

六明師は、
それを治める為、神社の神主の修業も、何年も致しました。
そして、六明師は密教の名高い僧侶です。

この現状の世界で、
唯一、それを治めることができるのは、御仏様だけなのです。
だからこそ、私は心から祈るのです。
だからこそ、私は、仏道を志しているのです。


私達は、生きているのではないのです。
人間は、偉大だ・・全て、己が力で生きてきた・・
そう、お考えの方は、無知で、愚かです。

貴方は、神仏によって生かされているのです。
貴方だけではなく、勿論、この私も、六明師も、
全てのものは、
視えざる力により、生を与えられ、死がもたらされるのです。
それは、人間だけではありません。

生きとし、生けるものは、皆、同じです。
常に、視えざる力は、私達を視ています。
貴方の毎日を、言葉を、行いを、視ています。


どうか、貴方が、
多くの幸せへと近づく為に、
正しき、真理の道を歩めますように、心から願います。

心から、貴方の幸せを願い、言霊を込め、送ります。
常に、貴方が神仏に近い場所にいますように。
心を込めて。


           

           −AYA−


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