◆ ダイアリー ◆

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初代管理者(AYA)
(沖縄県出身。 愛知県在住の医療従事者。 祖母は沖縄に伝わるユタ。)

【現在の管理者  杏珠】
AYAの直接の恩師

現在までに数え切れない程の様々な人の人生を良き流れに導いてきた霊能者。       

初代管理者の結婚・引退に伴い、その志を受け継いだ。
今までに鑑定した現代社会における悩み、霊的な相談等を
通し学んできた「気付き」を皆様へ心を込めて書き記した日記。             


2004年06月20日(日) 喜びに溢れている方々へ・・(好事魔について)

昨日から今日にかけて、
私の元には、
沢山の方からの喜びに満ち溢れた言葉が届いています。

私は、その方々の言葉を眼にして、
心からの涙に溢れ・・大きな喜びを胸に抱いております。

心から、感謝、申し上げます・・
本当に、本当に、ありがとうございます。

みなさんは、
私とのこの縁を心から喜んで下さる・・
そして、
幾つものありがたいお言葉を送って下さる・・
けれど、
感謝、申し上げたいのは、この私なのです。

私は、みなさんから、
多くの事を学ばさせて頂いているのです。
多くの事を教えとして受け取らせて頂いているのです。

お礼を申し上げなくてはならないのは、この私です。
この場をお借りし、
みなさんに、心からの感謝の念を送ります。

本当に、本当にありがとうございます・・。
今の私は、
心からの喜びに溢れ、感動と感謝と嬉しさで、心が一杯です。


この喜びの中・・今日は、
最も、大切な事をみなさんに、お伝えしなければなりません。
これから、
お伝えする事を心の岩にしっかりと刻んで頂きたいのです。
子孫にも伝える事ができるように、心に残しておいて欲しいのです。

喜びに、「水をさす」お話となるかもしれません。
どうか、心からお聴き下さい・・


これまでお話した「魔」と呼ばれる存在の一つに、
「好事魔」と呼ばれるものがいます。

お釈迦様からの教えを説いた
仏教聖典の中にも、
この「好事魔」というものについて、書かれています。

   『世に、好事魔多し・・・』

という言葉が、記されています。

この「好事魔」とは、何か?  
これは、
貴方が、善きことを行なおう、と誓いを立てたとき、
それを邪魔するかのように、必ず障りがくる・・という事。

決して、恐いことではありません。
今の貴方は、
そんなものには、負けませんし、負けるはずがありません。

魔の一つが、
貴方に、ちょっかいをかける、
魔と呼ばれるものの悪戯だと思って下さい。
これは、
六明師が言われる「邪魔やためし」の一つです。

ご祈祷をされている方々だけでなく、
全ての方に、共通のものです。

この「好事魔」がいるために、
悟りへの道は、大変に険しいのだと言われています。

全ての人は・・
「善」ある行いをしたい、と誰もがそう思っています。
誰もが、
平和を愛し、幸せになりたい・・と心から願っています。
できることなら、
人の為に生き・・人から好かれ、感謝されるような人間・・
そのような人になりたい・・
全ての人は、子供の頃から・・心からの願いを持っています。

哲学の世界で言う、性善説です。
生まれながらに、人は「善」を求める・・という説です。

けれど、
実際には、善きことを求め、それに邁進しようとすると
必ず、出はなをくじかれるような出来事に遭遇します。

そして、
人は、何度も何度も「善」を諦めてしまう・・
誓いをたて、
それをまっとうするには、大変な努力がいる・・
それは、好事魔の仕業です。

六明師が言われる、魔による「ためし」です。

私にも、何度も訪れました。
それを知らなかった私は、
自分は弱い人間だと己をかなり責めました。
知ってからの私、今の私は、それをおもしろがっています。

今度のハードルは、どのくらいの高さか!?と。
オリンピックの選手並みに、自分の心の成長を確かめています。

どうか、
今だからこそ、身を引き締めて、これからの時をお過ごし下さい。
今が、一番大事な時なのです。


昔のことわざ
   「用心に越した事無し」
   「用心は勇気の大半なり」
   
この言葉の意味
   「調子のいいときこそ、用心を忘れるな・・」

古人、古い時代に生きていた人は、
現代の人間に比べ、
学識を得る術も無かったはずなのに、
ことわざとして、残された言葉の中には、
幾つもの真理が、隠されています。

どうか、
喜びで、心が満たされている時ほど、浮かれすぎることなく、
足元をしっかり視て、地に足をつけた生活、
当たり前のことに専念できるように、時をお過ごし下さい。
勿論、
貴方の心の喜び、私の心の喜びは消えることはありません。

今を用心すれば、するほど、
この喜び、幸せは、静かな消えないものへと変化するのです。


今日の名古屋は、台風の影響で雨となっています。
この雨は、私にとって、
これまでに無いほどの恵みの雨、世を洗う為の雨となりました。


貴方に、心からの感謝を送ります。
本当に、本当にありがとうございました。
全ての人と幸せに・・
その一つの階段を今、前に進めた気がしてなりません。

全ての人と、共に、幸せになる・・
私のこの願い・・いつでも、何時いかなる時でも、
決して、途切れる事はありません。

貴方の幸せを私の心が感じると、私は、本当に幸せになれるのです。
貴方にありがとう・・心を込めて。



          −AYA−



2004年06月19日(土) 守護霊をつける・・とは?(ユタの私からの警告)

これまでの日記のテーマは、「魔」という事から始まり、
六明師やユタの私が言う「邪魔やためし」について、
そして、
「気づき」という良き者からの導きについて、お伝えしてきました。

この流れの中で、多くの方から、
「まるで、私に宛てた返事みたい・・」とのお言葉を受け取りました。

相談者の方々が、感じている通りです。
ユタの私は、
この「AYAダイアリー」を書き込む時、
常に、その都度、相談者の方の潜在意識と触れ合っているようです。
正直に申し上げて、
表面の私には、それがどなたなのか・・わかりません。

不思議な事に、
表面の私が、自分の為にこの日記を打ち込もうとすると、
必ず、何らかのトラブルが起こり・・
みなさんの眼に触れる事は、まずありません。
過去に、何日も書き込みがなく、みなさんとの会話ができない時、
実は、
時間をかけて打ち込んだものが
全てダメにになってしまったという事が、何度かあるのです。

ですから、
相談者の方々が
「これは、私に向けて書かれている・・」
と思われるのは、真実に近いと思います。


さて、先日、
良き者からのメッセージ「気づき」という事について、
御先祖様と守護霊に関することをお伝えしました。
その続きとして、
みなさんに、お伝えしなければならない事があります。

今日のお話は、
ある方にとっては、恐いお話しになるかもしれません。
どうか、心を落ち着かせて、静かな心でお聴き下さい。

先日、
守護霊という高い位置にいる御霊は、全ての人に存在している・・
と、申し上げました。

守護霊との距離が近い方は、
その力を最大限に生かし、身を守り、幸運を手にします。
物事を選択、決断する時には、必ず何らかの導きが起るのです。
その為、
幸せを願う、殆どの方が、守護霊に強い関心を抱いています。

霊的な力がある・・という場合、
過去の私の経験から、必ず受けるご質問が「守護霊について・・」
「私の守護霊は、どういう方ですか?」等など・・

正直に申し上げますが、
ユタの私は、このご質問にはお答え致しません。
何故なら、
守護霊は既に、肉体を持っておらず、御霊となっているからです。

守護霊と呼ばれる御霊の生前の姿・・
過去の人間界での姿をお話ししても、殆どの方が理解できない。
それに、力の強い守護霊ほど、強い光となっていて、
それを言葉で説明する事は大変に困難を要します。
ですから、
お答えする事ができないのです。
私の力は、その点では明らかに、言葉不足であり、無力なのです。


霊的な力を持っている方の中には、
「守護霊を貴方に降ろします」又は「守護霊を貴方に宿します」
という言葉を目にする事があります。
この言葉をみなさんも
お聞きになられた事が、あるのではないでしょうか。


と、その前に・・突然ですが、ここで、貴方に質問があります。

以前お話した「魔」というものは、どこに入ると思われますか?
罪を犯した方は「魔に入られた・・」と言う・・
この「魔」は、どこに入るのでしょうか?
貴方の体の中に入るのでしょうか・・・?
それとも、
精神的な場所・・例えば、潜在意識とか?


実は・・この「魔」と呼ばれるもの・・
「魔」が入る場所というのは・・・
・・・・・貴方と守護霊との間に入るのです。

守護霊との距離が、離れている場合、
守護霊は、
貴方に及ぶ危険を強く感じていても、貴方を救う事ができません。
救いたくても、救えないのです。
その離れた隙間を狙ってくるのが「魔」と呼ばれるものです。

「隙」を狙う・・と言いますね。
この言葉の意味は、守護霊と貴方との隙間を狙うという意味・・。


さて、先ほどのお話しに戻りましょう。

では、
離れてしまった守護霊を近づける・・とはどういう事なのか?

かなりの修行・・
厳しい苦行をされた方・・
六明師のような僧侶としての修行です。
仏教の世界を何十年も学び、教えを受け、戒律を守っている方、
そのような方には、これが、可能なのかもしれません。

表面の私には、本当に守護霊を降ろしたのか・・わかりませんが、
ユタの私は、
守護霊をつける・・という事に、強い警告を発します。

普通の人間の力で、
神仏に近い場所にある御霊を左右できる、と考えることが可能か・・
と、表面の私に言葉を発するのです。

ユタの私は、
これこそ、「魔」が良い顔をして、甘い飴を持って、
近づく絶好のチャンスだと言うのです。

私に、鑑定を依頼される方の殆どが、
様々な霊的な占いを経験された方ばかりです。
過去の鑑定をした方の中には、
守護霊を降ろしてもらった・・と仰っていた方もいらっしゃいます。
その方の鑑定結果の中でのユタの私からの言葉は、
霊障解除をせよ・・の声。

わかりますか?
安易に、飛び込み、頼った守護霊が
実は、「魔」に近いものだった・・という事なのです。


守護霊の力に頼りたい・・と願うならば、「己を変える」ことです。
現状のこの世界で可能な方法は、それしかありません。

良き人間になることです。
よそ様の為に、働けるようになる事です。
それが、
素直な喜びとなるように、自分を育てる事です。
今生を終える時、
必ず、守護霊は貴方の善行を褒め称えるでしょう。
それが、
貴方の本当の、消えることの無い、幸せとなるのです。


「自業自得」という言葉・・。誰もが、ご存知ですよね。
この言葉の意味・・
悪い事をした人は、必ず悪い結果が自分に来る・・
よく世間では、
「自業自得の結果として、反省せよ!」という言葉で使われます。

実は、この言葉・・・
もう一つの意味を持っています。

「自業とは、自らの業・・」と書きます。
自分の過去の行い、過去の自分の言動を意味しています。
「自得とは、自ら得る・・」と書きます。
自分が結果として得るもの、得るべきものという意味です。

何度も、何度も神仏のお力を説明する度に、私は申し上げてきました。
大いなる宇宙の力・・視えざる存在の力とは、

良き行いをすれば、良い結果が得られ・・・
悪しき行いをすれば、悪しき結果を得る・・

何度も、何度も・・何度でも、申し上げます。
神仏のお力は、常に貴方の側にあり、貴方をじっと見つめているのです。

貴方に送る「自業自得」の言葉が良き意味であって欲しい・・
私は、常にそれを望んでいます。
良き意味の「自業自得」の方は、守護霊との距離が、すごく近い。


貴方と守護霊との間がもっと、もっと近くなりますように。
貴方が守護霊からの言葉を素直に受け取る事ができますように。
何よりも、
貴方と守護霊との間に、「隙」ができませんように・・
心から願います。


私は、貴方のことが大変に心配なのです。
私には、この場を借りて、貴方にお伝えする事しかできません。
貴方を忘れているわけでは、決してありません。
ある意味、私は、貴方の守護霊と同じで、
貴方が、私からの言葉を望まない限り、
私から、貴方に先にご連絡する事はできないのです。

貴方が真剣に前を向こう・・としない限り、
私からの言葉は、貴方にとって無意味となるからです。

私の脳裏に、
貴方のことが浮かびます。
お顔も知らない貴方が、浮かびます。
貴方のお名前が、何度も何度も出てきます。

どうか、貴方がご自分を一つにすることができますように。
貴方の今が、
未来の貴方にとって、価値ある学びだったと思えますように。
貴方の幸せを心から願っています。
心を込めて、願っています。
どうか、貴方に私の言葉が入りますように・・。
心から、心を込めて。



            −AYAー



2004年06月14日(月) 良き気づき・・(ご報告「吐き気が・・」から)

「ご祈祷を始めていただいていてから毎朝(ときには出かける前に)、
 感謝タイムをとっているのですが
 2日ほど感謝タイムをさぼっていました。
 そして2日ぶりに感謝を始めると、
 急に気持ちが悪くなってオエッとなってしまったのです! 
 ひえ〜、これは
 念珠を買うことを邪魔しようと現れた魔と同じ反応だ。
 ちょっとさぼった間に変なもんが私の中に入ってたのか〜、
 と驚きました。
 でも、と、いうことは
 毎日のほんの15分くらいの感謝タイムが
 すごく大きな力を持つということなのだなー、
 これはやらねば! と思ったしだいです。」


上の文章は、現在の相談者の方からのご報告です。
この方からは、
あまりご連絡が、無かったのですが、
昨日の日記を見ての感想として、ご報告がありました。

昨日の日記の文面の最後に、
私は祈りの心で
『良き気づき』を誤ることがないように・・とお伝えしました。

過去の日記の中で、
物事には二つの側面がある・・・と申し上げました。
視ることのできない二つの側面・・・。

さて、今日は、
この方の経験から、二つの受け取り方をみてみましょうか。

何か、事を成した時・・・
何か、行いをした時・・・
そこには、必ず、結果が現われます。

物質的な目に見えることだけではなく、
眼には見ることができないこと・・心の動き、
本人にしかわからない心の動きです。
言葉で説明しようにも、
他の人に理解してもらうのは、大変に困難な事・・

この方の場合、
「朝の感謝タイムを止め、再開した途端に気分が悪くなった・・」
事実は、これだけです。

与えられた『気づき』の中で、
この方は、
その短い時間が、いかに貴重な時間か・・
その感謝の心が、いかに重要なのか・・・
それに、気づいた・・と仰っています。

この方の場合、
もう一つの見えない側面・・心の動きとして、
「気分が悪くなった・・するべきではない・・との教えである」
という受け取り方もできる。


気づき・・心での受け取り方・・
人の受け取り方は、
どんなに似ていても、深く詳細な所では全く違います。
同じ親から生まれ、
同じ兄弟で、
育った環境も同じ、
御先祖様も、勿論、同じ。
けれど、
どんなに血が濃くても、考え方、受け取り方には違いがあります。

与えられている気づきは、
貴方の周りに、幾つも存在しているのです。
それを貴方が、どう受け取るか・・真の心で受け取る事ができるか、
それが、重要なのです。

ご祈祷をされている方は、殆どの場合、
受け取り方に、誤りがあっても
すぐに、次の『気づき』が来て、自ら気がつくことができます。

実は、
それこそが、六明師の力なのです。
それこそが、神仏の大いなる力なのです。

自ら、気づき、自ら人生を創る・・
それが、私の心からの願いなのです。


先日、「AYAダイアリー」へ
「自作自演が始まった」とのメールを頂きました。
私は、そう考える方がいても、不思議には思いません。
その方の受け取り方ですから・・。
あえて、否定も肯定も致しません。
私は、何も申し上げません。
冷静な善悪の判断を持って、生きてほしい・・と願うだけです。



この頃、同じ言葉が表面の私に届きます。
心を安定させる・・
心の中での高低差を創らない・・静かな心・・
全てを、爽やかな風のように・・心地善さ・・

高くなく、低くなく・・
暑くなく、寒くなく・・
時は、同じ速度で・・・
日は、同じ歩みで・・・

全てには、良きも悪しきも無く、
全てには、意味がある・・・

貴方が感じる心・・
それが、常に一定で安定していますように。
それが、穏やかさと言う、本当の幸せになりますように。

何ものにも、まどわされず・・
何ものにも、こだわらずに・・

貴方と私と、全ての人と・・
全ての、生きとし、生けるものと・・
皆が、共に、幸せへの道を歩めますように・・
心から、心から、祈願致します。
心を込めて。



        −AYA−


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