2004年05月01日(土) |
前世と業(行い)・・「原因と結果」について。 |
長い間、 日記を書き込む事ができず、 本当に、申し訳ありませんでした。
今日は、 みなさんにお伝えしたい事があります。 この期間、 鑑定依頼や相談者の方からのご質問で 最も多かった内容が、前世と業(行い)に関する事でした。 「AYAの宝箱」の中にも それに関することを掲載させて頂きました。 誤解のない様に、しなければなりません。 しばらく、 日記のテーマを前世と業(行い)について お話したいと思います。
ここで、正直に申し上げますが、 ユタの私は、 前世に関する事をお伝えする事を大変に嫌がります。
それは、何故か・・ 幾つもある前世の中から ある特定の前世を絞り出しお伝えすると、 殆どの方は、 現実の世界に起きている悪い事の原因を そこに求めてしまうのです。
今の環境が悪いのも、自分のせいではなく、 前世からの流れだから・・ 今の人間関係も全てうまくいかないのは、 きっと、 前世において悪い関係だったから・・
ユタの私は、 このお考えを否定する事はありません。 けれど、 もしそれが真実ならば、 私達はどんなに頑張っても幸せにはなれない・・
前世からの流れで、 今があるのだとすれば、 人生における、全ての流れは決定されている事となり、 「運命で定められているから・・」 という考えに繋がります。
何度も、申し上げますが、 「運命なんて無い・・」とユタの私は断言しています。
確かに、前世は全ての方に視られます。 確かに、前世からの流れとしての出逢いが存在します。 確かに、前世での「業」を返さなければなりません。 確かに、生まれた環境は前世からの繋がりを示します。 確かに、魂の方向性として前世からの流れがあります。
幾つもある前世が、 今生に影響を与えている事は真実だと考えています。 けれど、 今の貴方の悩みや苦しみは、前世が全て原因ではありません。
はっきりと申し上げます。 現状においての苦しみは、過去の貴方が創り出したものです。 過去の貴方の行い、過去の貴方の考え方が、 今の貴方の現状を創ったのです。
物事は、 全て『原因と結果』から成り立っています。
貴方が原因を創り、貴方が結果を受け取るのです。 他の誰のせいでもありません。 全ては、 貴方の選択によって、決定されたものです。 今ある環境の全ては、過去の貴方が決断した事です。
仏教の世界・・ お釈迦様の言葉にもあります。 長い苦行の末に、ブッタ(悟った人)となって、 初めて説かれた教えです。 「因果応報」・・「因(原因)と果(結果)」
又、 哲学の世界でも同じです。 私が心から尊敬している 哲学者ジェームズ・アレン(英)も言っています。 最も売れている哲学書として有名な方です。 聖書に次ぐ、ベストセラーとして今なお売れ続けています。
どの宗教も否定しない私は、 勿論、聖書も持っていますが、 キリスト教の一説にも存在しています。
医療従事者としても、申し上げますが、 医学の世界でも同じです。 治療においては、 必ず、その原因を究明しなければ病を撃退できません。
何でもそうなんです。 全て、そうなんです。
『原因と結果』
これが、全てです。 人は生まれたから、死ぬのです。 生があるから、死があるのです。 喜があるから、苦があるのです。
難しい話ではありません。 毎日の生活でも同じです。 食したから、排泄するのです。 当たり前の事です。
これは、極蜜祈祷をしている相談者の方からの ご質問の答えでもあります。 ご祈祷をしているのに、何故うまくいかないのか・・ それは、 過去の貴方が創った今生での業を 真に受け取り、改めなければならないからです。 答えは簡単なんです。
相談者でない方は、びっくりされるかもしれませんが、 それが、神仏のお力なのです。 今生での過去で行なった悪業(悪行)善業(善行)は 必ず、 今生で返すように物事は流れていきます。
当たり前の流れです。 良い事をすれば良い結果が得られる・・ 悪い事をすれば悪い結果が与えられる・・ 必ず、そうなります。
思いやりの真心から行なった 過去の貴方の言動をスムーズに「喜、幸」として得る・・ 弱さ、無知から行なった 過去の過ちを「学び、教え」として受け取る・・ そして、 それが将来の貴方の本当の幸せへと繋がるのです。
前世が全てではありません。 だからこそ、 生まれた時には、その全てを忘れているのです。 だからこそ、 私達は、何度も生まれ変わるのです。 だからこそ、 人間は、生き直すのです。
私達は、誰もが幸せになる為に存在しているのです。 何度も・・何度でも、申し上げます。 貴方は幸せになる為に、ここにいるのです。
前世に囚われてはいけません。 何度でも、生き直せばいいのです。
己れを真に見つめ、我が身を変えればいいのです。 その為に、私達は生きているのです。
「己れを変える・・」 それができる方には、御念珠もご祈祷も必要ありません。 私も六明師も必要ありません。 このHPも要りません。
「本当の貴方になって欲しい」 「神仏と繋がる光の中の貴方になって・・」 私は、貴方の本当の幸せを ただ、ただ願い・・毎日、毎日祈るだけです。
全ての人と共に幸せになりたい・・ 生きている人も、この世に存在していない方も 全ての魂が、幸せに、穏やかに過ごす事ができるように。 それだけが、私の願いです。 それだけが、私の祈りです。
どうか、 貴方が私の言葉を深く、真に受け取り、 幸せのきっかけとする事ができますように。 どうか、真理の道に入れますように。 心から願っています。 心から祈願致します。 心を込めて。
−AYA−
2004年04月17日(土) |
相手の立場に立つ・・(ご質問へお答え致します) |
『お伺いしたいことがあります。 「怒り」等負の感情は魂の負担になるということをきいたのですが だれかのために怒りの感情を持つことができるということも 良くないことなのでしょうか? また、笑いながら人を殺すような事件があったときなどに、 どうしても犯人を理解できず 負の感情が湧き出ることをとめることができないときに その感情にどう対処したらよいのでしょうか? もし機会がありましたら、ご助言いただけるとうれしいです。』 (一部省略)
先日、 日記への感想として上のご質問が寄せられました。
「笑いながら、殺人を犯す・・」 現在、このような悲惨な事件が相次いでいます。 この方の仰るとおりです。
「善に反した、行為を見た時に湧き上る感情・・正義。」 正常な人間ならば、誰もが感じるこの感情・・ 一体、どう処理すればいいのでしょう。
大変に、 大きな意味を持つご質問だと思います。 ご質問を下さった貴方にお礼、申し上げます。 ありがとうございました。 この場をお借りし、改めて感謝申し上げます。
さぁ、 今日は、このご質問から考えて生きましょうか。
これから、お話する事は 表面にいる私とユタの私の考えです。 みなさんには、みなさんのお考えが必ずあるはずです。 みなさんにも考えて頂きたいのです。
毎日、毎日・・流される悲惨なニュース・・ 表面にいる私は、テレビのニュースを見る事が嫌いです。 ユタの私を抑えていても・・ 事件に関わりのあった人々の感情を読み取ってしまう私は、 自分の生活に支障を及ぼすほどの感情移入をしてしまうからです。 怒りと哀しみに包まれる・・
表面にいる私は、常に正義を追い求めます。 過去の私は、 自分の正義に反する人を許せず、 何度も何度も怒りを爆発させていました。
「人として、有るまじき行為!」 それが、その頃の思いです。 ニュースを見て、 被害者の立場に立つ時、その頃の感情が蘇ります。 みなさんと同じです。
それが、普通の感情です。 当たり前に誰もが持つ、正義感です。 その正義感・・道徳感がなければ安全な社会は成り立ちません。 あって当たり前の感情です。 決して、私は否定致しません。
被害者の立場に身を置くことはすぐにできます。 けれど、 加害者の考えに耳を傾ける事ができない・・・ 加害者の立場に身を置くことができない・・・ 殺人を犯した人と同じような「負」の感情に入れない・・
あえて、 加害者の感情の中に入らなくても良いのです。 悲惨な事件・・壮絶な事件を引きこす加害者達は、 心身ともに健全ではありません。 どこかに、ゆがみを生じている人ばかりです。 専門的な精神鑑定などしなくても、誰もがそう思っている。 健全な精神状態であれば、誰でもわかる事です。
表面の私・・そして、ユタの私・・ 正義の怒りに包まれている私の心の中で、ユタの私からの声がします。
「己が善くて、人殺しをせぬにあらず・・」 以前の日記の中でもお伝えした事がある、三浦綾子氏の言葉です。
加害者と同じ境遇だったら・・・・ 加害者と同じ生活環境だったら・・ 加害者と同じ選択をしていたら・・ 加害者と同じ感情を抱いたら・・・
「自分が善の人間だから、人殺しをしないのではない・・」 私が、たまたまその境遇ではなかったから・・ 私が、たまたまその生活環境ではなかったから・・ 私が、たまたまその選択をしなかったから・・ 私が、たまたまその感情を持たなかったから・・
ユタの私は、 怒りに包まれている私に言葉を送ります。 「人の心の善と悪・・誰もが持つ光と暗闇・・必ず誰もが持つもの・・」 そうなんです。 私達、人間は誰もが同じような過ちを起こす危険性がある・・
怒り、憎しみ、恨み・・誰もが抱えている感情です。 無いという人は、まだ生まれたばかりの赤ん坊です。
過去の悲惨な戦争・・・ そのどれもが、 正義感からの怒りや憎しみ、恨みから始まっています。 一年前のアメリカとイラクの戦争もそうです。 「報復せよ!我々は「正」である!」 どちらも、それぞれの正義を根本に持っています。 過去の流れ・・人々を育てたそれぞれの歴史が背景にあるのです。
どちらが悪いと言っているのではありません。 私の善悪の範囲内で、 それらを裁こう・・などと言っているのではありません。
私は、神や仏ではありません。 人は、神や仏ではありません。 人が人を裁き、罪を与えなくてもいいのです。 神仏・・大いなる力が常に視ているからです。 全て、ご存知だからです。 神仏にお任せすればいいのです。
ただ、ユタの私は、 人がどんなに弱く、汚い者かを私に教えてくれるのです。 私が、誤った選択をすれば、すぐにでもそうなる・・ 「おまえも同じ・・」 そう言うだけです。
貴方や私が何故・・ これらの事件に遭遇せず、生きてこられたのか・・・・ 貴方や私が何故、この安全な日本に生まれたのか・・・ 何故、戦争の被災者達は、その国に生まれたのか・・・ 全ての人が・・ 同じ思いで、幸せを願い、生まれ変ったはずなのに・・
何故・・何故なのでしょう。
過去の歴史・・何千年・・何万年の時の流れ・・ 繰り返される時間・・ 魂は幾つもの時の流れの中にある・・ 幾つもの人生を経験し、誰もが何度も生まれ変わる・・
先日からの日記で、 「反省」の意味を何度もお話してきました。 反省・・悔恨・・懺悔・・。
相手の立場に立つ・・ 自分の犯した罪を相手と同じ立場に立ち、受ける・・ 与えた痛みがどれだけ大きかったのか・・・ 与えた苦しみがどれだけのものだったのか・・ 与えた哀しみがどれだけの涙を流したのか・・ その全てを受ける・・同じようにもがき・・苦しむ・・
前世での因縁・・・ 前世での「業」・・ 今生で創った「悪」・・ それらを必死にかえす・・
人に与えた苦しみは、必ず戻ってきます。 大いなる力は、常に平等です。 大いなる力は、人を選びません。
貴方が、 誰かに与えた罪は、必ず貴方に戻ってきます。 貴方の与えたものが大きければ大きいほど、 それらは、何倍にもなって帰ってきます。
それが、神仏の力です。 それが、自然の流れなのです。 それが、当たり前の流れです。
悪い事をすれば、悪い結果が起こる・・ 良い事をすれば、良い結果が起こる・・ 誰もが知っている常識です。
「情けは人の為ならず・・全て、己が為・・」 この言葉の意味・・ 安易に人に情けをかけてはいけない・・ 依存心の強い人間にしてしまうから・・・そんな意味ではありません。 情けは人の為にかけている様に見せかけて、 実は、自分の自己満足の世界である・・・そんな意味ではありません。
情け・・情・・ 貴方の真心からの行いは、人の為の行いではなく、 貴方自身の為の行いなのです。 貴方の行った「善」の行為・・ 真心からの行いは、必ず貴方に帰ってきます。 今生での積み重ねの善行は、来世に持ち越されます。 必ず、遠い将来の貴方に帰るのです。 情けは、 人の為ではなく、最後は将来の貴方の為になるのです。
人に悪い事ばかりを与えてきた・・と貴方が感じ、 反省し、懺悔するならば・・二度と同じ過ちは繰り返さないと誓う事です。 そして、 それを早く返す事ができるように・・善の行いを積み上げる事です。 それが、ユタの私が言う反省と懺悔なのです。 そして、本当の反省ができた時には、 「善行」をさせてもらえる周りの人々に、貴方は感謝するようになります。 それが、ユタの私が言う感謝なのです。
貴方が自分の人生を振り返り、 自分自身を正しく見つめる事ができるように 心から願います。 どうか、 貴方が真理の道に入る事ができますように。 どうか、 将来の貴方に大きな「善」が訪れますように。 心から願います。 心から祈願致します。 心を込めて。
−AYA−
2004年04月16日(金) |
生まれ変わる時には反省・・(天国と地獄の話) |
『もしも、 人生がやり直せるのなら、 誰も人生を悔やみはしない・・・
だけど、 人生は一度きりだから、 生まれ変るなら、生きてる内に・・』
長渕剛「人生はラララ」の歌詞です。 この歌の通りだとは、思いませんか? 「生まれ変わるなら、生きているうちに」 今、生まれ変ること・・それが、大事なのです。 生まれ変わるには、必ず反省をしなければなりません。
生まれ変わり・・ 前世から今生に・・ 今生から来世へ・・ 次の「生」へと移行する時には、 必ず、今迄の人生を振り返り、反省しなければなりません。
前回・・ 反省とは、人の心を知ること・・と申し上げましたが、 ご理解頂けましたでしょうか。
実は、 この反省という作業を生まれ変わる時には必ず、行うのです。 終えたばかりの人生を振り返り、 自分が傷つけた相手の立場に立たなければならないのです。
例えば、 殺人を犯した人がいた。 その人は、 御霊になる瞬間には必ず、殺した相手の身になるのです。 痛みと苦しみ、そして恨み、哀しみ・・その全てを同じ様に体験するのです。 そこで、 悔いる気持ちがなければ、何度でも繰り返されます。 心から懺悔し、悔恨の念がなければ、終わりません。 その作業が終わって初めて、 生まれ変わりへと続く、次の階段を登るのです。
それを「地獄」と呼ぶ方もいらっしゃいます。
今日は、天国と地獄のお話をしましょうか・・ 実は、ここからのお話・・・ ユタの私からの声ではなく、 祖母から、子供の頃に聞かされたものです。 ですから、子供にもわかるような簡単なお話です。
「死んだら、どうなるの?」 子供の頃の私の疑問の、答えとして話てくれました。
人は、死ぬと・・ 一つの大きなテーブルに招かれる。 「死ぬまでよく生きた・・よく頑張った・・」 という神様からのプレゼント。 そこには、 世界各国からの豪華な料理が並べられている。 死んだ人は、誰もが空腹。 「速く、速く食べたい!」その思いだけ・・。
さぁ、食べるぞ・・と思ったら、手が使えない。 左手は椅子にくくりつけられ動かない。 右手には、 何メートルもあるスプーンが付いている。 手はスプーンの端に付いていて、自分の口には届かない・・。
さぁ、どうするのか・・・。
「地獄」では・・・誰もが皆、 スプーンを振り回し、喧嘩をし、罵り合っている・・。 「俺の物を取るな!おまえは後だ!俺が先に食う!」 そう、叫んでいる。 豪華な料理は、食べる事もできない有様・・。
「天国」では・・・誰もが皆、 自分の手に付いたスプーンを使い、 前に座っている全くの他人に、食べさせてあげようと苦心している。 少しずつ、要領を得て・・変わりばんこに食べれるようになり、 お互いが「おいしい。おいしい。」と言って、笑顔。 会話は、穏やかに流れ、誰もが相手への気配りで一杯・・。
これが、地獄と天国の違い・・・ 人が人を押しのけ、 我が身の事ばかりを考えることが、どれだけの罪か・・・ それを教えてくれました。
貴方は、どう感じましたか?
豪華な料理を国や土地と考えてみて下さい。 土地や権力をめぐり、争う・・・これが、戦争です。
人が、己の事を優先する時には、 必ず、争いが起こるとは思いませんか?
政治や経済、宗教に関してお話しているのではありません。 現実にある生活の中での事です。
昨日のニュースで、 バグダットで人質となっていた三人が、 開放されたとの朗報が流れていました。 この方々は、 イラクという国の人々の為に働きたいという意志を持っていた・・ 相手の立場に身を置き「助けたい・・」その一心で、 裕福な日本から旅立った・・・
ユタの私は、必ず解放される・・と考えていました。 三人の方々は、 相手の立場に立って、物事を考える人だからです。
『己ではなく、他を優先する・・』 これこそが、人としての大きな学びなのです。
自己を向上させる本は、現在幾つもあります。 根本の世界は、皆同じです。
「自分を大切にする」心理学や精神分析学の中でも言われています。 これは、 「自分を優先する・・他を押しのける」という意味ではありません。 一冊ではなく、何冊も読んで研究してみて下さい。 これは、 他を優先する事により、 自己を愛する事ができる・・という意味なのです。
「自分を大切に思うように、他の人を大切に思う」 本来の貴方は、私がいちいち言わなくても、できる人なのです。 本当の貴方は、当たり前のようにそれを感じているはずです。
小さな子供が転んでしまうと、 すぐに駆け寄って、助け起こすではありませんか。 誰でもが、持っている心です。
その心を 広く、大きくしていけばいい。 ただ、それだけです。 無理にしてあげよう・・なんて、考えなくてもいいのです。 貴方が貴方なら、普通にできます。 そして、それができたなら・・ 日記の中の「反省」の隣に書き込めばいい・・
それが、 自分を育てるという事です。 貴方が貴方を育てていくのです。 元々ある光の中の貴方を大きくしていくのです。 必ず、幸せになります。
私は、こうやって、 貴方にお伝えしているように見せかけて、 実は・・ 表面の私を一生懸命に諭し、育てているのです。
貴方と私は同志です。 同じ方向を向く魂なのです。
本当の幸せを心から願い・・・ 貴方と私と、 先の未来に待っている幸せに向かって、歩んでいるのです。
天国にあるテーブルを囲み、 皆で、 今を懐かしみながら、お食事できたら・・ なんて、素敵でしょう!
貴方と私の関わり・・この『ご縁』が何だったのか・・ 知るのは、今生を終えた後・・になります。 けれど、その方が何倍も素敵です。
貴方が本当に幸せになり、 あの時の苦しみ、哀しみはこんな意味があった・・ といえる日が来る事を心から願っています。 それが、 生きているうちに、言えるように・・・ 私は、 これからも全身全霊で貴方を包み、見守っていきます。
貴方に、ありがとう・・・ 貴方から私は、先の楽しみを頂いているのです。 貴方は、私の大きな喜びとなります。 貴方の幸せが私の幸せなのです。 貴方の幸せを常に願っています。 心を込めて。
−AYA−
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