2004年04月15日(木) |
反省とは・・・(相反する二つの側面) |
『物事には、二つの側面がある』
ある幼稚園でのお話です。 園児達は、お花畑で遊んでいました。 チョウがクモの巣にかかっているのを一人の子が見つけました。
呼ばれた先生は、 「まぁ・・可哀相」と言って、蝶を逃がしてあげました。
それをじっと、見ていた男の子が先生に言いました。 「クモが可哀相・・」
もう一つ。 「亀とウサギ・・・どちらが速いか競争をする話」 これは、みなさんもご存知ですね。
日本では、 亀は怠けずにコツコツと進み、勝利を得た・・ 努力するものは、素晴らしい・・・という評価が大半です。
中国でこの話をしたら・・・。 亀はなんて恥知らず・・ウサギが可哀相・・・ 亀は、自分の事しか考えていない・・という評価。
二つのお話・・・ 貴方は、どう受け取りましたか? 一体、どちらが正しいのでしょう・・ どちらの考えが、人として・・必要なのでしょう。 さぁ、貴方はどう思いますか?
「どちらも素晴らしい・・良し悪しなんて無い・・」 ユタの私は、そう言います。
日本は、民主主義国家です。 中国は、共産主義国家です。 人の受け取り方には、 必ず、背景と呼ばれる過去の経験が存在しています。
『全てのものには、相反する二つの側面がある』
お釈迦様の言葉にも数多く残されています。 「愛」は必ず「執着」を生む。 人を好きになればなるほど・・・ 人は、心に嫉妬という独占欲を生み出す。 「強さ」は必ず「弱さ」を見つける。 人は強くありたい・・と願えば願うほど、 自分の中の弱さと対面する・・・ 世界中で、誰よりも強い人など存在しないから。
全て、相反する二つの側面を持っているのです。 貴方の短所は、長所であり、長所は短所となるはずです。
以前から日記の中で何度も申し上げてきました。 ご祈祷の最も早く成就する方法は「感謝と反省・・」
反省をする時・・ 相談者の方が最も陥りやすいのが、心を責める・・という事。 ユタの私の言う反省とは、 貴方の心を責めなさい・・という事ではありません。
反省とは、自分以外の人の心を知る事です。 相手の立場に立つ・・それが「反省」なのです。
先ほどのお話から、二つの相反する意見が視てきました。 誰が聞いても一概に、 どれが良くて、どれが悪い・・なんて言えない・・・。
人、それぞれが異なる意見を持ちます。 人、それぞれが異なる過去を持ちます。 どんなに似ていても、全く違う人間です。 同じ過去の流れ・・経験を持っていても、その受け取り方は違います。
自分が何らかの怒りに包まれている時・・ 人に、憎しみを抱きそうになった時・・・ 人間関係においての全ての出来事の中で・・
相手の立場に立つ・・「あの人は、どうしてそう思ったんだろう?」 表面にいる自分の感情ではなく、 相手の声に、耳を澄ます・・光の中にいる貴方になって聴く・・
これが、ユタの私の言う「反省」です。 「私は、こう思っている!」という言葉は、愚痴に繋がります。 「人は、こう思っていたんだ!」というのは、気づきとなります。 それが、教えであり、学びなのです。 そして、 それに気がつく事ができたら、同じ間違いをしなければいい・・ 「自分は、まだまだダナァ・・」と感じればいい・・
まだまだ・・だからこそ、生きているのです。 学びを全て終えた方は、この世に存在しません。 教えを受ける必要の無い方は、人間界には生まれません。 人を守護する立場になるからです。
物事には相反する二つの側面がある・・ そう思って、世の中を視て下さい。
少しずつ、貴方の視線が変ります。 少しずつ、もう一人の貴方になります。 自分ではなく、他の人を一番にする・・ それが、 本当の貴方に近づく最も簡単な方法です。
貴方の事を良く思っていないあの人に教えてもらう・・ あの人になって、自分を見つめてみる・・ あの人の意見で、反省をする・・ 反省は、少しずつ感謝の念へと変って生きます。 段々と・・・ 嫌な事を言われても、ありがたく聴こえるようになる・・ これが、「反省と感謝」という事なのです。
教えてくれるあの人の中にも、 光にいるもう一人のあの人が存在しています。 勿論、 貴方の心の奥にも、光の貴方が存在しています。 どちらも同じなのです。 同じ光の中にいる・・同じ人間なのです。
全ての人は、幸せになる為に存在しているのです。 私達は、本当の幸せを掴み取る事を誓い、生まれたのです。 違う考えを受け入れる・・自分にこだわらない・・
大きな喜びに繋がる学びです。 必ず、先の未来には幸せが待っています。
私は、貴方に本当に幸せになって欲しいのです。 どんな事をしても貴方に幸せになってもらいたいのです。 貴方が本当に大切なのです。 貴方が貴方の持つ学びを静かに受け取れる事ができるよう、 心から心から願っています。 どうか、 私の声が貴方に届きますように。 心から・・心を込めて。
−AYA−
2004年04月14日(水) |
物事には二つの側面がある。 |
『物事には、二つの側面がある』
今日、お話したい事は、現実に起きている学びの事です。 人は、前世からのテーマである課題を与えられている・・ 人は、前世でやり通す事ができなかった事をする為に生きている・・ とお伝えしてきました。
今生での「生」をどう生かすか・・ 『どう生きるか』が最重要なのです。 それが、幸せへの階段を登ることに繋がります。
毎日の生活の中、私達は様々な学びを受けています。 一つ、一つは何気なく流れ・・ 先の未来でしか、その意味を知り得ません。
物事には、二つの側面があります。 学びも二つの側面を持っています。
「苦」は「喜」に繋がります。 そして、 「喜」は「苦」に繋がります。
わかりますか? 難しいお話をしている事は、百も承知です。
わかりやすく、私の言葉でお伝えしていきます。
例えば、 愛する人ができ、その人の事ばかりを考える・・ 彼との恋愛が順調にいけば、幸せになれる・・・ 彼女は、常にそう考えている。
彼だけに執着し、彼だけの為に生きる・・ 全ての『生』の時間を彼に費やす・・・・ そして、 彼と素敵な甘い時間が訪れる・・・ 二人は、世界中で誰よりも幸せ・・ 「喜び」の世界です。
彼だけが居ればいい、他の人間なんて必要ない。 彼女はそう考えている。 彼の事ばかりで、 自分自身を磨く事をしなかった彼女は、 段々と彼の事が理解できなくなります。 毎日の生活は、喜びだけでは成り立たない・・。 「苦しみ」の世界です。
「喜び」は必ず「苦しみ」に繋がります。 「苦しみ」は必ず「喜び」に繋がります。
例えば。 恋愛をする事ができない・・ きっと理解してくれない・・ 人を真剣に愛した事がなく、彼女は悲しんいる。 彼女は、人を愛する資格がない・・・と言う。
愛する人を探し、出逢う事ができれば・・・ 相性の良い人、理解してくれる人が見つかれば 何もかもうまくいく・・・ 必ず、幸せになれる・・・ 彼女は、そう考えていました。 そして、 彼女は、自分を磨く事に専念していきます。 それは、自分自身との戦い・・・ 嫌な自分と出逢い、向き合う・・ 何度も何度も大きな壁にぶつかる。 苦しみの世界です。
やがて、 彼女は素敵な女性に成長し、出逢いが訪れます。 相手に自分を理解させようとするのではなく、 相手を理解してあげたい・・・ 嫌な自分を長い間、見つめてきた彼女は、 そう考えていました。 嫌な事も全て、受け入れよう。 彼女にとっては、 毎日の生活の中での嫌な事は、嫌な事にならない・・。 喜びの世界です。
「生」は「死」を意味します。 「死」は「生」を意味します。 人は、 それを自分に都合の良いように、受け取ります。 本当は、同じなのに・・・
果実の実を育てるには、まず種が必要です。 その種は、 果実が朽ちていかなければ生まれません。 卵は、鶏から生まれます。 鶏が年を重ね、死に近づかなければ、 卵は、成長しません。
本当は、物事に良いも悪いもないのです。
ユタの私は、常に先の未来を視ています。 本当の幸せになる為に、どうするのか・・ それを考えるのです。
目の前にある幸せを『幸せ』とは決して、言いません。 努力もせず、安易にそれを得る事ができた人が、 必ず先の未来で苦しみに入る事を知っているからです。 だから、 その人の持っている学びを妨げないようにするのです。
私は、常に願っています。 貴方が本当の幸せになる事を・・ 時がどんなに流れようと、 貴方と私が一生対面する事がなくても、 私は、私に関わりのあった方・・ いえ、関わりの無い方・・本当の幸せを望む全ての人・・ 全ての人の幸せを心から願っています。 心から、祈願致します。
−AYA−
2004年04月13日(火) |
魂の学び・・魂の成長について語る前に・・ |
突然ですが・・ ユタの私は、優しいばかりではありません。 時には、 表面の私が驚くような厳しい言葉を発する事もあります。 相談者の方が、 人生の中での大きな分岐点に立っている時などです。
みなさん・・ 今日は、宗教の世界のお話をしますが難しく考えないで下さいね。
仏様の中には、 観音様と呼ばれる 大変にお優しい仏像がある事をご存知ですよね。 又、全く正反対に 恐ろしい形相をされた不動明王という仏像がある事も 知っていますよね。
どちらも私達の幸せをひたすらに願い、 弥陀の誓願をされた仏様です。
鑑定を始めてからの私は、 相談者の方に私の方から、ご連絡する事は断じてありません。 相談者の方が私に、ご報告やご連絡をされる事がなければ やり取り無しで、時は過ぎていきます。
神仏も同じでは、ないでしょうか? 貴方が望めば、大いなる力を感じる事ができます。
仏教だけではなくキリスト教も同じです。 「信じる者は救われる」 仏様・・神様を信じる・・ 信じている方は、常に正しき道を歩もうと努力されます。 何故なら、とても恐いからです。 「畏敬の念」とは、恐怖を含むものです。 正しき道にいる方は、神仏と近い場所にいます。
その反対の場所にいる人は、 誰も見ていないから・・ 誰も知らないから・・・ そう言って、罪を重ねます。
人は、目に見えること・・知っている事に重点をおきます。 現代の社会は「科学教」と呼ばれる宗教の中にあるようです。 常に、物事の根本、理由を探しています。
医療従事者として働いている私は、いつでもその壁にぶつかります。 いくらユタの私を抑えていても、 人の感情をすぐに読み取ってしまう私は、 常に患者さんの側に立ち、背中をさすり・・手を握り・・ 言葉では、表す事ができない思いを表現しようとする・・・ それを見ている職場の人は、 その行為の理由・・根本は何か・・を私に尋ねます。
不安な顔をしていないのに、それは自己満足の世界ではないのか。 その時間を繰り返す事で、大幅に仕事の流れを止めているではないか。
そうです。その通りです。 次の患者さんがお待ちです。 やるべき事は、無限にあります。 私の仕事における現実的な学びです。
理由の無い行動は、無意味・・・ 結果の見えない行いは、無意味・・
現代の社会は、全てに結果を求めています。 極蜜祈祷をしているのに、結果が見えない・・ 変化していないのではないか・・・
そう考えて、 ご祈祷をされながらも別の宗教や占いを捜し歩く・・ ユタの私も六明師も・・ それを知っていても、何も申し上げません。
ただ、神仏にお任せするだけです。 その方がご自分で気がつく事ができるまで、待ちます。 それが、その方の学びだからです。
六明師は、密教の僧侶ですが、 決して、その宗派をお勧めする事はありません。 ユタの私も同じです。 私の思いを押し付ける事はありません。 逆に、 私に頼り、人生を歩む人には大変に厳しく接します。
私は鑑定という形で、相談者の方と出逢い、 様々な事をお伝えして生きていますが・・ 私の本当の目標・・願いは、 全ての人がどんな困難な状況に陥っても、 自らの足で、幸せへの道を歩む事ができるようになる事です。
占いなどに頼らない・・ 自分の人生を自分の足で歩く・・ そして、 本当に幸せになる。 その幸せは、すぐ側にいる人にも伝わる・・ みんなが幸せになるようにと・・伝える・・ 全ての人が、同じ船に乗り、幸せの向こう岸を目指す。
「AYAの宝箱」の中で、 私は、ユタの私の厳しい声をお伝えしました。 ご祈祷の結果が見えず、 不安から別の占いや新興宗教の集会に行ったという方です。 他の占いをしたから、他の宗教に頼ったから・・ 厳しき言葉を送ったのではありません。
自分の人生を常に、人にゆだねようとする・・ 心の中の学び・・教え・・である苦しみや悩みから すぐに、逃げ出そうとする・・ 感情的になり、自分の心と向き合わない・・ 今迄の人生・・環境は、周りの人が悪かったから・・ 不安だから・・心が望むから・・心のままに生きる事は素敵だから・・ と考えているから。
貴方もそう考えていますか? 本当に、そうでしょうか?
貴方の人生です。 神様も・・仏様も・・何も言いません。 良い事も悪い事も全て、貴方の気づきとなります。 六明師も・・ユタの私も・・何も申し上げません。
貴方が気がつく事できるのを待つだけです。 良い事も悪い事も貴方の選択された結果だからです。
それが、 貴方の学びであり、神仏からの教えとなるからです。 私は、その学び・・教えを静かに見守るだけです。 貴方の幸せをただひたすらに願い、見守るだけです。
ユタの私も六明師も ただ、ひたすらに貴方のことを思っています。 貴方が本当の貴方となって、 本当の幸せの道を歩む事ができるように・・と願っています。
どうか、 貴方が今迄の人生から、気がつく事ができますように。 どうか、 貴方が真の貴方と共に、前を向き、歩むことができますように。 貴方の幸せを心から願います。 今の貴方の苦しみの意味を知る時が、必ず来ます。 どうか、 その壁に・・その山に負けることがないように。
心を込めて。
−AYA−
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