| 2004年02月13日(金) |
物に宿る念(御炊き上げと御祓いの違い)・・�� |
先日の日記を書いてから、 「御炊き上げ」に関するご質問が殺到しています。 今日は、 前回ご紹介した「御炊き上げ」についてお伝え致します。
以前の日記と同じ様に、 相談者の方からのご質問と それにお答えする私の返事をコピーしました。 どうか、 そこから「御炊き上げ」と「御祓い」の違いをご理解下さい。
[ご質問] 『私が生まれてから祖母に買ってもらった雛人形が まだあります。ここ数年は出さずにしまったままですが。 どうすれば、いいのでしょうか?』 (一部省略)
[お返事] 貴方からのご質問、受け取りました。 前回の日記を書いてから、 実は貴方の様に何人もの相談者の方から 御炊き上げについてのご相談が殺到しています。 貴方へのお返事も遅くなり、本当にごめんなさいね。
貴方の場合、「雛人形と五月人形について・・」ですね。
ここで、少し 六明師の行う「御炊き上げ」についてご説明させて下さい。 六明師の行う「御炊き上げ」は 一般に言われている「御祓い」ではありません。
あのね。 よく「埃を払う」と言いますよね。 漢字は違いますが、 『はらう』とは、どこかに飛ばす事を意味します。 それとよく似ていますが、 「御祓い」とは、念をその物から外す事を意味します。 どこかに飛ばしている・・・という事。 憎しみの心や恨みを抱えた念は、 又、同じ波長の人を求めてさ迷います。 以前の場所に戻ろうとする御霊も実際には存在します。 わかりますか? 「御祓い」を何度もしているのに、 何にも変らないというのは、戻っている可能性が高い・・。
では、 六明師の行う「御炊き上げ」は「御祓い」とどう違うのか?
六明師の行う御炊き上げは、 物に入っている念(御霊)を浄化するのです。 浄化とは供養を意味します。 その御霊を神仏のお力をお借りし、教化する・・ 光の存在を御霊に教え、導くのです。 ただ、炊き上げる(燃やす)のとは意味が違います。 だからこそ、御炊き上げには、 今迄持っていた方の慈悲のお気持ちが必要になるのです。 お布施をお包みください。とはそういう意味です。
仏教的なお話になりましたが、疲れませんか? 私の悪い癖です。 何もかもをいっぺんに話そうとする・・ごめんなさい。
貴方の雛人形の事ですが、 「どうするかは、貴方にお任せ致します。」
でも、一つだけ申し上げると・・ それは、ご家族から送られた雛人形ですね。 そのお人形を供養する気持ち・・ そのお人形に優しい気持ちで接してあげる・・ 貴方はご自分の娘さんにそれを渡されるんですよね。 じゃぁ、なおさら・・ 優しい気持ち(念)を込めなければ・・。
「雛人形を箱から出してあげて下さい。 二月の風に当て、桃の節句が終わり次第、 又来年・・・と言っておしまい下さい。」
それが雛人形に対する貴方のやるべき行いです。 一年に一度だけの行いです。 どうしても、 それが無理ならなるべく早めに御炊き上げを された方が良いのではないでしょうか。
ところで、 「雛人形を出さずにいるとお嫁にいけない」 という、昔からの言い伝えがあるのをご存知ですか? 二月の風に当てなければ、出遅れる(嫁に行くのが) という事も聞いた事がないですか?
もう一度、貴方自身でどうするかをお考え下さい。
『物には命が宿ります』 どんな物にも魂がある。そう考えて毎日をお過ごし下さい。 貴方が雛人形の身になって、お考え下さい。 ーAYA−
ごめんなさい。 実はこの方から承諾のお返事をまだ頂いていません。 「拒否」のお言葉がなかったので、掲載しました。 又、この日記を読まれたらお返事下さい。
「御炊き上げ」と「御祓い」 意味の違いをご理解頂けましたでしょうか?
殆どの方が、 ただ嫌なもの・・いらない物だから・・ と御炊き上げを希望される・・・ そこには、物に対する気持ちは無い・・に等しい。
前回の日記に 「念の宿り易い物」について具体的に書きましたが、 私は、 みなさんに御炊き上げや御祓いをお勧めしたのではありません。
物に対する気持ち・・心・・それについて考えて欲しかったのです。
お願いです。 「どんな物にも命がある」と考えて下さい。
貴方の『物』に対する気持ちが、そのまま『人(者)』に対する気持ちです。 『物と者』どちらも同じです。
便利なものにしか価値をおかない・・ 必要が無くなったら感謝の気持ちも無く捨てる・・ それでいいのかな? 本当にそれでいいのかな?
「慈悲」の心は「善行」を生むと言いました。 どんなものにもその心で接する事・・それが大事。 小さな行いですが、立派な「善行」です。
貴方の幸せの為に私はあえて厳しく言います。 貴方の心が大事です。 どんな時でも貴方の心が全てを創っています。
どうか、 貴方が私の声を聴くことができますように。
どうか、 貴方が心暖まる「者」と「物」に包まれますように。 心を込めて。
−AYA−
| 2004年02月08日(日) |
物に宿る念・・・�� |
今日は過去の日記に書いた 「物に宿る念」についての補足として どういう物に「念」が入りやすいのかを 具体的にみなさんにお伝えしたいと思います。
そのお話に入る前に、 みなさんにお願いしたい事があります。
『このHPには「AYAの宝箱」という伝言板があります。 この伝言板は、 これまでは私宛に寄せられるメールの中から 私のほうで、何人かの方を抜粋し、 スタッフがその都度、 掲載しても良いかの確認をとり、 書き込みさせて頂いていましたが、 多数のメールがあり、更新が遅れ、 皆様にご迷惑をお掛けする結果となっています。
その為、今回からは、 私に送られる皆様からのお言葉を ご了承を得ずに書き込みさせて頂きたいのです。 勿論、前文を載せる事はありません。 個人が特定されるような内容は一切削除させて頂きます。 ですが、 伝言板への掲載を拒否される方もみえると思いますので、 私へのメールの際には、 一言「拒否」と書き込み下さる様、お願い致します。』
現在の相談者の殆どの方はご存知ですが、 私のHPの運営には、何人かのスタッフがいます。 私は、医療従事者として勤務しており、 時間に制限がある為、どうしても一人で行う事が困難なのです。
実は、 スタッフというのは、私の過去の相談者の方々です。 「全ての人が幸せになって欲しい」 という気持ち、願いで動いています。 「他の人の喜ぶ顔がみたい・・・」 その気持ちだけです。 このHPは様々な方々に支えられ、生まれたものなんです。
どうか、忘れないで下さい。 貴方の幸せを願う人は見えない場所にも存在しているのです。
さぁ、 お待たせ致しました。 「念」というテーマに移りましょう。
まず、 相談者の方からの一つのご質問をご紹介致します。
『御念珠をして祈祷が始まってから、AYA先生の言うように、 なんだか気味が悪いと思う天然石があるんですが、 こういう物は一体どうすればいいんでしょうか?』
過去の日記の中でも書いた様に、 この方が持っていた物には、あまり良くない念が入っていました。 低い位置にいる御霊の逃げ場所になっていたのです。
この方が感じている気味の悪さというのは、 身代わり念珠が危険を感じ警告しているという事を意味します。 身代わり念珠をすると、 その方に良くない影響を与えると思われる 物や人、場所をとても嫌がります。 危険を防ぐというのはこの事を意味します。 これが、 御念珠に入っている神仏の性根(神仏の念)の力です。
身代わり念珠は、 その方の魂が持つオーラを六明師が霊視し、 その方にとって、一番近いとされる 神仏の性根(念)を天然石の御念珠へ宿します。 ですから、その方だけの独自の御念珠となります。
身代わり念珠を例にして、お話しましたが、 どんな物でも、この世に存在する物には「念」が宿るのです。 ただ、実際には 「念」の入りやすい物と入りにくい物とがあります。
相談者の方のご質問にもあったように、 具体的に最も入りやすい物は「人形」「天然石」「お札」等です。
人形は「人の形」と書きます。 一時大流行した陰陽師は神道の流れを汲み、 御祓いに近い儀式をする時には、 紙を人の形に切り、その紙人形に念を入れ行います。 又、よく恐いお話に出てくる 髪の毛が伸びる人形等が例として挙げられます。
天然石は、御念珠だけでなく、 よく占いや鑑定の中でも使われたりします。 天然石の中に「念」を呼び込み、映して視るのです。 天然石の中で、最も強く念を吸収するものは水晶です。 又、同じ天然の石として、 川の小石などには「念」がこもっている場合が多いです。
そして「お札」 お札に対する気持ち、その取り扱いには注意しなければなりません。 過去の日記でも述べましたが、神様には感情があります。 敬う事をせず、粗末に扱えばどうなるか・・・は、言うまでもありません。
どうか、 みなさん購入される時には、よく考えて買って下さいね。
この方の場合は、 私の相談者の方でしたので、 六明師にお願いし密教の秘儀である 「御炊き上げ」と呼ばれる御祓いをして頂きました。
物には御念珠の様に『良い念』も宿るのです。 六明師の様に強い霊的な力を持っていなくてもできます。
貴方が心から相手のことを思い、 感謝の気持ちや思いやりの心で それらを送ったのなら、 そこには、思いやりの心が生む『良い念』が宿ります。
又、 逆に貴方が他の方から何かを頂き、 例え、その送り主が貴方にとって、 あまり好きな人でなくても 貴方が心から、それを大事にすれば、 そこには貴方を守ろうとする『良い念』が宿ります。
貴方の心が、物には宿るのです。
貴方の心が人や物を呼ぶのです。 貴方の心が貴方の環境を創るのです。 人生も未来も貴方自身が創るのです。
「生霊」という事からも、 自分自身の『心が大事なのだ』と言う事がわかります。
『貴方の喜ぶ顔がみたい』 テレビコマーシャルでこういう言葉が流れていました。 その気持ち、心が最も大切なのです。
「生霊」というのは、人の苦しみを願う念です。 「慈悲」というのは、人の喜びを願う念です。
「生霊」の心は「悪行」を生みます。 「慈悲」の心は「善行」を生みます。
貴方が本当の幸せを手に入れるためには、 この「善行」を行う事が必要なのです。 「善行」の積み重ねが「善徳」です。
では、 この住みづらい世の中、 具体的にどうすれば「善行」が行えるのでしょうか?
次回の日記の中でお話させて下さい。
貴方が心正しき思いやりの念で 毎日を過ごせますように。 心を込めて。
−AYA−
| 2004年02月07日(土) |
魂の眼(生霊について語る前に・・) |
突然ですが、 手相には「仏眼」と呼ばれる線がある事をご存知ですか? 親指の関節にある、人の眼の様な線をそう呼びます。 手相の世界では、 仏眼を持つ者は、一つの宗教には染まらず、 自分自身の心で真理を求めると言われています。
「仏眼」はそんなに珍しいものではなく、 その線を持っている人をよく見かけます。 実は、この線、私の両手にもあるのです。
先日から 「生霊」をテーマにしてお話していますが、 その生霊を消す方法は、 現状の世界においては神仏の力しかない と何度もお話しました。
私の言葉で表現すると、どうしても神仏となってしまう。 高次元の力・・・ 見えざる存在の力・・・ それを表現しお伝えする時の言葉が 私の中では神仏となるのです。
日本、いや世界には様々な宗教が存在しています。 私の言う神仏とは特定の神仏を指しているのではありません。
沖縄には、独特な宗教感があり、 特定の宗教を否定する事は 自分の中の神仏を否定する事に繋がります。 その環境で育った私は、 宗教に対し何のこだわりもありません。
勿論、無宗教ではありません。 ただ、全ての人の心には その人の感じる神や仏が存在している と考えているのです。
私に今の道を指し示して下さった 六明師は、密教の高名な僧侶です。 私は勝手に師として仰いでいますが、 六明師も又、 私と同じ考えで宗派には一切こだわりません。
鑑定を依頼されようかと 悩んでいる方の中には、 「宗教的な事に勧誘されたらどうしよう・・・」 と考えている方もみえると思いますが、 ここで断言させて頂きます。 そのような事は一切ありません。
人の信仰心とは、 強制し、洗脳しても 断じて芽生えるものではないと 考えているからです。
それぞれの魂は「眼」を備えているからです。 ただ、その眼が濁っていては意味がありません。
「魂の眼」 それを大きく開き、何が真実なのかをみる・・
自ら持つ魂が感じ、納得し、 理解する事ができなければ それには必ず終わりが来るのです。
本来の貴方が感じるままでいいのです。 貴方の魂は何が正しいのかを常に知っています。
それに気づかないようにしているのも貴方です。 私は貴方が、本来の貴方に戻り、 本当の幸せを掴む事ができるようにと願うだけです。
どうしても 「生霊」というテーマを語るには 神仏の持つ力や御霊の存在に触れなければなりません。
この日記だけに訪問されている方に 誤解を招く事がないように・・・ 今日は私の宗教感をお話させて頂きました。
次回は過去の日記に書いた 「物に宿る念」についての補足をさせて頂きます。
どうか、 貴方が本来の貴方の眼で物事を正しく見る事ができますように。 心を込めて。
−AYAー
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