ぶらんこ
index|past|will
耳に穴を開けたのはもう大昔のことだ。 まだ准看護学校を卒業したての頃で、定時制の高校に通いながら仕事をしていた。
職場は癩療養所の病棟で、3交替のうちの日勤の早番と深夜勤のみだった。 準夜勤はちょうど学校に行ってる時間だったから特別にはずして貰えた。今思うと、とても恵まれた環境だ。
あの頃のわたしはまだ17とか18とかだった。 日勤(早番)は確か6時とかから3時まで。それから学校へ行って帰りが10時頃。 深夜入りの場合、それから2時間ほどしか仮眠が取れない。 敷地内にある看護師寮に住んでいたが、目覚まし時計を止めてそのまま眠ってしまって、準夜勤のナースの電話で起こされることも度々あった。 そういう失態が続いてからは、学校から戻るとそのまま職場へ行き、仮眠室で眠らせて貰った。 そして時間前に準夜勤のナースが起こしてくれる。 あぁ、、やっぱりすごく恵まれた環境で仕事させて貰ったんだなぁ、、と、今になって思う。
ピアスはそういう時期に開けた。
仲の良かった同期のナースとふたりで深夜勤務になった夜だった。 彼女はもう以前からピアスをしていて、どうやって穴を開けるかーなんてことはもう何度も聞いていて。
その晩、耳たぶがとてもとても、痒かった。 痒いからといじっていると真っ赤になって、ますます痒い。 「今なら平気で穴だって開けられちゃうくらい、痒いよ!」 そんな冗談を言って笑った。いや冗談抜きで、耳を引きちぎってしまいたいくらいに痒かった。 「やっちゃう?」 あのとき友人Mが笑いながら言った。「開けてあげるよー」彼女の目は笑っていなかった。
こうして夜中の3時頃、Mは18Gのピンク針(注射針)でわたしの耳たぶを刺して穴を開けた。 材料には事欠かない。アルコール綿でしっかりと消毒してから、ブスーッと、潔く。 実はまったく痛くなかった。また不思議なことに、刺して貰ってから痒みを忘れてしまった。
が、もう片方の耳たぶは大変だった。なぜって、そっちは痒くなかったから。 なので、Mは氷片で耳たぶをしばらく冷やして知覚神経を麻痺させ、それから丁寧に消毒し、同じように穴を開けてくれた。 こちらのほうは、「いい?行くよー」「ちょっちょっと待って!」ってなことを数回繰り返した後に。 もちろん、痛みを伴った。結構、痛かった。 ピンク針の貫通する様子までじわりと感じた。表面を刺すときと突き抜けるとき、2度、痛かった。 それは身体的な痛みであり、「いいよ」と言った自分の言葉の重みから来る痛みでもあった。
あぁ!とうとうとうとうとり返しのつかないことをした、、、!
終わった後には、大袈裟かもしれないけれどちょっと震えた。 凄いことをしてしまった! ってね。
今じゃ極々普通の行為なのかもしれないが、当時はまだそんなには広まってなかったし。 ピアスをするひとというのは、ヤンキーと呼ばれる姉ちゃんたちか、或いはちょいハイファッションな連中か。 (後者の場合、そのような概念さえもが前者に含まれてしまうくらい、世には知られていなかったかもしれないが)
で、わたしの場合。 わたしの場合は・・・ヤンキーのお姉ちゃんにまやくらかされて(?)舞い上がってしまった。のかも。
そう。それは確かに誰かから影響された結果だった。が、自分なりに少しは迷って、そして決めたこと。 あの夜、いきなり覚悟が出来て、よっしゃやるど!となったのだ。 ある意味、何かの儀式みたいなものだった。 仕事のことも学校のことも、自分のなかでどこか納得していない部分があったから。 そういうことは誰にも言わなかったけれど、いつもどこかで、悶々としていた。 何かが違う、そう信じていた(思い込んでいた)時期だったようにも思う。
自分を痛めつけることになるという意識はもちろんあった。 自傷行為のひとつだともわかっていた。 イヤリングは耳たぶが痛くなって出来ないからとか、取り外しが面倒だからとか、周囲にはそういう説明もしたが、それは取って付けたもの。 本当のところ、そんなことはどうでも良いことで、何かしらの儀式が必要だった。 やってやるー的な。
たぶん、自分の身体を痛めつけることで、何かを確かめたかった。
そういうことなのだろうと思う。
結果、何かわかったか?というと・・・
17、18のひよっこだからね。なーんもわからんかったよ。 わからんかったが、まぁやってしまったことへの重さみたいなのは感じた。
あれから約30年・・・(ひぇ〜!!!) ピアスを開けたことはまったく後悔はしていない。 だが、場所がちょっとなぁ、、、とは思う。 思うので、新しく良い場所にひとつだけ開けてみようかなとかも思ったりする。(これには別の事情もあるが)
が、ではやるか? となると、大昔のようにはいかない。 どこかで尻込んでいる。痛いのは嫌だと思ってしまう。 それに、そこまでの価値を見出せない。 ピアスを開けたからこそ知った、自分の肌の敏感さもあり。
こんな風に躊躇するのは、自分が大人になったからなのか老いてしまったからなのか。 何かの儀式を求めるような、うずまくエネルギーがなくなったのか。 それとももう、自分というものを確立した?とか???
否、
何かを確かめたいのなら、自分を表現したいのなら、 ただもう、自分を傷つけない方法にする。
そういうことだ。
今、ピアスはたまーに付ける。 小さな石のピアスだったら付けてもいいかなと思うが、これまで何度かお気に入りのピアスを失くして、今はシンプルなのがない。
欲しい石があるので、それをいつか良いときに手に入れようと思っている。 自分の好きな、これだ!と思うような、そんなものを。
ひとりごちる。 これは「独り言ちる」と書くらしい。 ひとりで声に出して何か言う。独り言を言う。つぶやく。ぼやく。そういう意味。
というのを、つい最近、知った。 これまでなぜか、 「誰にも言わずに自分の頭のなかだけで楽しいことを想像して喜んでいること」 だと思い込んでいた。 両肘をついてちょっと重ねた手の甲の上に顎をのせてにやにや、否、にこにこしている。そんなイメージ。
例えば最近のわたし。
夏、姉が来てくれるかもしれない・・姪も一緒に来てくれそうだ・・・と、妄想が膨らんでいる今日この頃。
来てくれるなら、どこへ連れて行こうか、何を持って来てもらおうか、何を買ってあげようか。 そんなことを考えているだけで楽しい。嬉しい。顔がにやついてくる。
と、こういうのを「ひとりごちている」状態だと思っていた。でも、違うのね。
さて、そんな感じで「ひとりごちていたら(誤用)」、 娘に「何にやにやしてんの?」と訊かれた。 そこで、実はね〜と自分の想いを彼女に話すと、「マミィ、悲しいよ、、、」と返された。 なんで悲しい?楽しいよーやってみなー。笑いながら答えた。
いやホントに。たとえそれが想像だけ、妄想だけであったとしても、楽しい。 出来るだけ具体的に想像すると、もっと良い。 あれしようこれしようあそこへ行こうこれ作ろう、などなど。 でね、この夏が駄目なら冬、冬が駄目なら来春に、と、楽しみを先送りすれば良いのだ。 つまり楽しみは永遠に続く!お〜なんて素晴らしい!!
と、「ひとりごちている(正用?)」。
昨夜リビングでTVを見ていたらまんまるのお月さんがのぼってきた。 我が家はいつだってカーテンを開けているからよく見えるのだ。ありがとう東の空。 薄い雲があるのか最初はぼんぼりみたいなお月さん。 でも、そのうち形がくっきりしてきて煌々と辺りをまぁるく照らしはじめた。 すぐ近くの牧場の白い柵がますます白く浮かんでいる。馬たちは馬舎で寝ているのだろうかそれとも。 窓から外を見ながら歯磨きしていたら、「なんでそんなところでしてるの」と娘が笑って言った。 それはね、お月さんを見ているのです。満月ですから、もちろん。 言わずもがな、である。 あなたもここに立って月を見なさい。と、心のなかで言う。
Good Friday(聖金曜日)で満月。 今日は聖土曜日。 明日はEaster Sunday(復活祭)。
昨日、何気なく夫に話したこと。 外国人であるわたしのほうがお通夜とかお葬式への参列が多くなってしまって、不思議というかなんというか・・ 職業柄だからしょうがないと言えばそれまでだけど、最初はあんなに戸惑っていたのにね。 そんな話をした数時間後、義母から親戚が亡くなったという知らせが入った。 咄嗟に、あんな話しなきゃ良かった、、と思った。けっして軽々しい気持ちで話していたわけではないのだけれど。
実はこのところ、うちの施設の居住者さんを何人かお見送りしていて、少し気が滅入っていた。 死んでいくことを止めることは出来ない。 病んで、弱っていくひとを見る(看る)のは、キツい。その周りにいる悲しむ家族を見るのも辛い。 それでも、悲しいとかしんどいとか、そんな気持ちをちょっと横に置いて、部屋に入るときには深呼吸して気持ちを切り替える。 出来ることは少ない。 丁寧に、心を込めて。 敬う気持ちを忘れないで。
死んでいくことに対する気持ち、心の持ちかた、というのは人それぞれだ。 家族でもそう。家族のひとりひとり、みんな、違う。 そして、どれが正しくてどれが間違い、なんてことはない。 どれもこれも、そのひとの心の在り方なだけ。
だから、自分の心の在り方について、考えている。 自分はどうしたいか。
まだ考えはまとまらん。 けど、まんまんなかはわかっている。 ただ、ぽつり、ぽつり、と、思うことを。
大勢の人に混じって雪山を登っているのだが、ちゃんとした靴を履いていなくて大後悔している。 いつもどこか抜けている。詰めが甘いのだ。
登る途中で色んな問題が出され、わからないなりに解いていく。 回答が正しいのかどうか、それさえも怪しい。だが、そんなことには構ってられない。とりあえず登ろう。
そんなことを繰り返しながら進んでいくと、山のてっぺんのほうから声がした。 見るとスーツ姿の友人。 彼は登ってくる連中(わたしたち)に向かって「しっかりしろー君たちは大丈夫だから!」とか言って励ましていた。 そのとき、あぁそうだった、この受験に受からんといかんのだった、と思い出す。 また、そうだった、彼は教師だった、情熱的な素晴らしい先生だった、と思い出し、元気が出て来た。 と同時に、彼と目が合い、友人はわたしに向かって軽く手を振ってくれた。 わたしは、手を振り返しながら、どうだーわたしはあの先生と知り合いなんだぞ〜、と、周囲の連中に対して誇らしい気持ちになった。 ばかばかしいくらいに子供じみている。
と、その直後に山が ぐらっ と揺れて、 あ〜〜れ〜〜〜〜
振り落とされた。 どこかにしがみつく間もなく、ものの見事に、あっけなく。
・ ・ ・
あんなところから落ちたのによく助かったな、、、と驚いたのだが、全員が落ちたわけではないことに気付き、はじめてわかる。
受験不合格。
ショック。 だけど、そんなモンだよね、なんとなく納得している。 下準備から出来てなかったもの。あんな靴じゃね。 大体に、登っている理由さえわからんかったもの、最初はね。
あーあ。友人は落ちていくわたしの姿を見て驚いただろうか。悲しんだだろうか。 いや彼はきっと大きく笑いながらまだ待っているだろう。
「しっかりしろー。君たちは大丈夫なんだから!」
・・・
懐かしい友人が夢に出て来た。 久しぶりに見た、元気そうな彼の姿だった。 わたしを励ましに来てくれたのか。 ありがとね。わたしは大丈夫。だと思います。
|