ぶらんこ
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2008年11月22日(土) Bravo !

「歌」で物語を創りだして

完成させることが出来るんだね

わたし

初めてそれを感じた



 ・・・



日本語にするとこんな感じのことを言ってたこころさん。
ちょっと感動してしまった。

あなたがたひとりひとりが、物語の一部であり語り部であり物語そのものだったのだろうね。

ブラボー!!





2008年11月21日(金) 山椒

先日インド料理のレストランへ行った。
チキンカレーを口にしていたとき、ある強い芳香を感じた。あまり好きではない、出来れば避けたい感じの。

辛味はそれほどなく、ちょっと意外な、なぜか懐かしい風味だった。
なんだろう・・と思いながら食べていると黒い豆のような殻を見つけ、風味の正体はこれだとわかった。
そして、あっ 山椒だ!と閃いた。
が、本当のところはわからない。なぜなら、わたしはうなぎが嫌いなので、山椒を口にしたことが殆どないからだ。
ただ、あの香りに覚えがあった。ちょっと苦手な鼻をつく芳香。

一緒にいたスカさんに「これは山椒かな?」と訊いてみたが、英語を知らなかったのでSanshoと言った。
しかし彼は山椒という日本語を知らない。なので、うなぎに使われるスパイスで・・と説明したのだが、彼もまた、うなぎを食べない。
よって、その殻の実体が山椒かどうかはわからずじまいだった。
どちらにしても、その殻を丁寧に取り除きながら綺麗にいただいた。おかわりもした。
山椒味はさておき、久しぶりにいただいたインドカレーは美味しかった。さすが本場の味だ。スパイスを豊富に使っている。



山椒というと、母の話を思い出す。
その昔、姉の子供達がまだ幼い頃、夏休みを島で過ごしたときのことだ。

母は東京からやって来た子供達が島の灼熱で夏バテしないように、と、ある日うなぎを買ってきた。
それは屋台でモクモク焼いてるやつではなく、スーパーでパックになっていたもので、温めて食すというものだった。
さて、わたしの母もうなぎが嫌いだ。
なので母は、とりあえず温めたうなぎを見よう見まねでご飯の上に盛って食卓へ出した。

姉の子供達は大喜びだった。「おばあちゃんありがとう!いただきまーす!」そしてお箸を持った後・・・
「おばあちゃん、サンショウは?」

・・・このとき、母にはその意味がわからなかったそうだ。サンショウって???

子供達はおばあちゃんに説明した。食べる前にね、サンショウって粉をうなぎの上に振りかけるの、そしたら美味しいの。
母はパックに入っていたあの小袋のことかと思いそれを手渡した。すると子供達はそうそう!と嬉しそうにそれをかけて食べたのだそうな。

わたしはうなぎなんか食べ馴れてないしねぇ・・・サンショウと言われてもわからなくて・・・とは母の弁。
「わらぶんきゃぬ ゆむたぬ きっころっさぬ わんや サンショウちんきゃ しちゅらんかなよ きむさげさー っち うむいかた」


なんとも哀愁漂う母の思い出話である。
あぁ 山椒のあの風味が苦手なのは、この話を聞いたせいでもあるのかもしれないな。


と、この話をスカさんにもしたのだが、残念ながら、わたしや母の持つ「哀しみ」みたいなものは彼には伝わらなかったと思う。
それは、彼がうなぎを食べないからでもあるし、山椒を口にしたことがないからでもある。
そして何より、わたしたちが味わってきた「暮らし」を彼が同じように味わうことが出来ないからだ。

けれどもそれはなんら悲しむべきことではなく、むしろその違いを「想像」する楽しみになり得る。筈。 笑



 ***

余談だが検索してみたところ、カレーにはインド原産の「南洋山椒」というスパイスがよく使われるらしい。I knew it!






2008年11月17日(月) すなほ

誕生日前におめでとうメールが何通か届いていた。
一日早くお祝いしていただいて、なんだか得した気分になった。
(でも考えてみれば、日本で生まれたのだからそちらの時間に合わせるべきかな?)
ふっと思い出してぱっと書いたのか、その日を待っていて書いたのか。
どちらにしても・・・一緒にお祝いしてくれる友に、ありがとう。

長いこと音信不通であった友人からもメールが来ていた。
彼らのうちの何人かは、たぶんここは見ていないし、存在さえも知らないと思う。
だから尚のこと、わたしを思い出してくれたこと自体が嬉しい驚きだった。


気持ちがあって行動を起こす。というのはシンプルなようでいて、それがなかなか。
というのも、「起動」しないことのほうが多いような気がするからだ、少なくともわたしの場合。
あれこれ要らんことを考えたり(あちらの都合とか)ただ単に後回しにしたり(こちらの都合)で、タイミングを逃してしまう。

あぁ・・若い頃はそんなでもなかったのになー。
と、誕生日を迎えてしみじみする。


気持ちと行動とがしっかり結びついているのって、素敵なことだ。
すぱっとしている。気持ちが良い。
義理堅いとかマメとかではなくて、心と体とが素直に繋がっている。という意味で。
それが本当のタイミング=「星の時間」なのだろう。
また、すなおな心というのはあらゆる制約から遠ざかる。ということなのかも。今ふと思いついたのだけれど。


 ・・・


誕生日の夜は、外食だった。スカさんの密かな計画だったのだと思う。
もしかしたらサプライズ・パーティーだったのかもしれないが、夕方にかかってきた義弟からの電話をわたしが取ってしまった。
その後、「皆でメキシカン・レストランに行こう、ってことになった」と言われた。

正直・・・わたしは気分を害した。

なんで「皆で」なわけ?
なんであの店なわけ?
あー腹立たしいったら、ありゃしない!
ぐだらぐだらぐだら・・・

怒りながら、わたし自身、驚いてしまった。一体、どの地雷を踏んだのやら?

せっかくの誕生日が台無しじゃーんと嘆きつつ、これではただのひねくれ・天邪鬼じゃないか。と、わかっているだけに、尚、腹立たしい。
じゃぁどうするよ?と、自問。43歳にもなってこんなんじゃいかんでしょう。

カチ・カチ・カチ・カチ・・・30分くらいして、気持ちに整理がついた。
不思議と・・・怒りもおさまった。(あー書いていて、バカバカしい。笑)



約束の時間にレストランへ行くと、そこには既に義母たちが大きな贈りものを携え、満面の笑みで待っていた。
ハッピーバースデイ!とさんざん言われ、サンキューサンキューと答える。
嬉しいんだけど・・・いやーーーやっぱり恥ずかしいワケよ。
でも、ウェイトレス達がテーブルに集まりハッピーバースデイの歌を歌うというサービスを頼んでなかったことには感謝だった。
(そんなことされたら、もう・・・無理・・・)
頼んだマルガリータも食事も、とっても美味しく、嬉し恥ずかし、そして楽しい誕生日の夜となった。
後になってから、こんな場を設けてくれたスカさんにも感謝だった。
思えば怒る理由なんて最初からなかったのだ。というか、本当の理由は違ったのだから(大抵そんなモン)。


 ・・・


懐かしいピアノ曲集を聴きながら書いている。
ずっと前にファイルしておいたものだけど、そのことさえ忘れていたなぁ。。。
ちょっと錆び付いてきてるのか?油を足さないかんなー。
忘れてもいいけど、その分何かを入れないとね。


歳とともに忘れることが増えるのは仕方がない。
ある意味、結構なことだとも思う。こだわりはどんどんはずしていきたい。
何かに執着するのは不満の元だ。不満は怒りを呼び起こす。

そう言えば、「怒り」というのは、忘れていた(と思ってた)何かを思い出して噴出すことでもあるみたいだ。
それは「忘れなさんなよ」と、その処理のツケがまわってきたようなものかも。
きちんとした処理をして初めて、しっかり忘れられるのかもしれないな〜。



話が逸れた。


 ・・・


とにかく、自分で自分を縛り付けることなく、もっともっとおおらかでありたい。

というのが、43歳になった日に思ったこと。






2008年11月14日(金) 海になる

親友夫婦にこころを預けて出かけるところである。
あまり乗り気はしないのだけれど、何かの会合らしい。
屈託のない笑顔で見送られる。(こころはまだ幼い。6歳くらいか?)

新宿駅では、いよいよ落ち着かない。
小田急線だからだ・・と、うらめしい気持ちになる。
かといって、東海道線は尚、もの悲しい。

心を決めて切符を購入し、ホームに立っていると、電車が入ってきた。
2両編成の、やけに豪華な電車(スーパートレイン)であった。

進行方向に向かって並ぶ2席に座ることにした。他のシートとは離れていたので、ちょっとした特別席に思えた。
荷物を先に置き、ほんのちょっとだけ外へ出た。
ほどなくして席に戻ると、大きな身体をした女性がわたしの荷物の上に被さるような無理な体勢で横になっていた。
なんじゃこのオバサンはーーー
ちょっとこの席、わたしが取っておいたものなんですけど!
と、心のなかで叫んだが、「すみません・・・」と言って荷物を取り除いた。
するとオバサンは、のそりむくり、と起き上がり、どこかへ行ってしまった。
なので、わたしは、その席に荷物を膝に載せて座った。

電車はすーっと動き出し、あっという間にスピードを上げた。
新宿の高層ビル群がどんどん小さくなっていく。
スーパートレインは音もなく突き進み、窓から見える景色は郊外へと変わっていった。

誰も喋る人はなかった。
一度、大きな駅に停車し、何人かが降り、代わりに何人かが乗り込んできた。
この乗り換えの駅は見覚えがあり、なぜか混乱した気持ちになる。
今日はここで降りることはないのだから、と目を閉じた。

しばらくして目を開けると、いつの間にか発車されていた。
窓側に席を移動し、ぼんやりと外を眺めていると、遠くから大波がやってくるのが見えた。
波???

みるみるうちに、周囲は大きな波に包まれた。
スーパートレインの線路はかなりの高度にあるのだろう、電車は何事もないかのごとく進んでいく。


海になってしまった。。。
呆然とした気持ちで景色を眺めていたが、そうだ、こういうことはあり得るのだから、と思いなおした。
まずはこころに連絡をしなくては。親友夫婦に電話をかけると、彼らのところはまだなんともないようだった。
とりあえず姉のところへこころを連れてって欲しい、とお願いすると、彼らは快く引き受けてくれた。
その後、姉のところにも電話をした。姉は落ち着いた声で「わかったから、安心して」と言った。



よし。こころは大丈夫。
スーパートレインも大丈夫。
さてどうするか。
このまま行くべきか。いや、海になってしまったのだからそんな場合じゃない。
でも、どうやって帰ろう。新宿まで帰ったとしても海のなかだ。新宿から帰るのは、マズイ。
とりあえず・・・まずは舟に乗るか・・・と思った。次の停車で降りよう。


海は青くて、とても広かった。辺り一面、海だった。やっぱり関東平野は広いのだ。と心から感動する。
時折、大きな波が起こると白いしぶきが立った。それ以外はわりと穏やかな海だった。
たぷたぷと波が揺れるさまを見ていると、静かな気持ちにさえなるのだった。
こうあるべきなのよ・・・という妙な確信すらあった。






2008年11月13日(木) まだ

その話題が出ると、つい避けようとしている自分に気付いた。

話したくない、聞きたくない。というのではなかった(つもり)だけれど、どうもぎこちない態度になってしまうのが、困るのだ。
で、無意識のうちにそれを悟られまいと振舞ってはいる(つもり)。
でも、相手は気付いているんだろうな、と思うと尚のこと、居心地が悪い。

それじゃ気の毒でしょ。
(あっちは)話したいのだから、それを気持ちよく聞いてやるくらいのデカイ心がなくっちゃ。。。


なんてことを、少しずつ(本当に、少しずつ)意識してきたのと、経験(回数?)と、時間とに助けられたのか?
最近になって、がむしゃらに目をつむることはなくなった。
むしろ、じっくりと観察してやろう、くらいの余裕さえ。。。???



 ・・・


「マミィはどうだった?」
随分前に、こころさんにあることを訊かれ、記憶の糸を辿ってみた。


が。。。思い出せない、、、

何よ、話せないの? と、こころが笑う。 まぁ話したい!ってわけでもないけど・・でも。。。

あれ?これはどういうことだ?
まさか忘れたなんてことはなかろう。思い出せ。思い出せる・・・筈。。。

と、色々いろいろ回想してみたのだが・・・本当に、思い出せなかった。ということに、我ながら・・・驚愕している。


「信じられない!!」
こころが呆れた顔で叫ぶ。「マミィらしいっちゃマミィらしいけど・・・そこまであっさりしてなくても・・・」


あれ???なんでーーー???
あっさりしているつもりはない。が・・・あれ???
いやはや、まったくもってワケわからん。
どう絞っても捩じっても何も出てこない。本当にすっかりと忘れ去られているみたい。



「まぁいい。そういう話、まだあなたとする気持ちないし」 そう言うと彼女は
「まだって、忘れてるんだからこの先も話せないでしょ!」 と、のたまった。


そらそっか。
ふ・・・ちょっと安心してしまった。






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