ぶらんこ
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元日。 ちょい酔いがまわってきた感じ。
新しい年、おめでとう。
さて、今年は何をしたいですか? あれとこれとそれと・・・
あえてここには書かないでおくが、心のなかで決めたことを反芻している。 これらは夢」というよりも「計画」だ。 実行することが前提。なぜなら、想い描くだけじゃなんもならんからね。
今、これを読んでいるあなたには何か計画がありますでしょうか。 あなたが何をどのようにしたいのか、わたしには知る由もありませんが。 思うに、わたしたち人間は「実行=体験」することでしか知り得ない(理解し得ない)のだろうなーーー と、ぼんやりながら、そう感じています。 なので、とりあえず、何かを実行してみようと思う今日この頃。。。
今年もいろんなことを体験できますように。 怖れず、前へ進んでいく。そして、その経験を充分に味わうこと。
わたしの、今年のテーマは「綿」。 意味は・・・勝手に想像してください。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
「まみぃがサンタクロースを信じなくなったのはいつから?」 と訊かれたことがある。こころが小学校5年生の頃だったと思う。 この年を最後に、彼女にはサンタさんからの贈りものはなくなった。 「本当のことを教えて。わたしは大丈夫だから。」と言われたとき、正直なところ、やっとこの日が来た!と安堵した。 ショックとか淋しいとか、そんな気持ちはなかった。そうそう・そうなんだよ。実は親のわたしたちが用意してたのさ。 あっさりと白状した。別に感傷的になることもない。夫は(ちょっぴり)淋しそうにしていたけれど。 これでサンタ物語から解放される。娘よ、よくぞ質問してくれた。そんな気分だった。
で、先の質問だ。 「ねぇ〜。それでまみぃはいつ本当のことを知ったの?」 「いつっちゅうか・・・んーーーサンタクロース、知らなかったからなぁ」 「えっ!?サンタさんからプレゼント貰ったことなかったの?」 「ないさ。あるわけないじゃん。プレゼントなんてもんも知らないし、大体、サンタさんのこと自体知らなかったって」
本当に、まったくもって、知らなかった。知る由もないではないか。
でも、よくよく思い出すと、いつ頃か・・・確か小学5年とか6年の頃にその姿を見たな。 クリスマス近くになって、チープな軽トラックがじゃらじゃらと音楽を鳴らしながら通ったとき。 おもちゃ屋さんの行商だったのか、或いはただの宣伝だったのか? よくわからないが、その軽トラに、赤い服を着た外国人の老人が笑っているポスターが何枚も貼られていた。 あれはきっとサンタクロースだった。 うん。あれが、初めて、わたしの意識に入り込んだサンタだったのだと思う。
その外国の老人がこどもたちに贈りものを届ける存在だということは、わたしにとってはおとぎ話でしかなかった。 外国にはそんなお話があるのか〜!と、ちょっとばかりの驚きはあったかも。 そりゃ凄い。面白い話があるもんだ。考えというか発想が違うね。 それは何もわたしだけじゃなく、友達もみんなそうだったと思う。 島にはサンタは来ない!雪も降らない! ・・・いや、もしかしたらハイカラな家には、サンタは来ていたのかもしれないが。
サンタを知らなかった。という話は、こころにとっては非常に新鮮だったようだ。 「じゃぁまみぃがこどもの頃って、クリスマスはどんなだったの?」
クリスマス。 それは、イブの夜中に母に(叩き)起こされて、眠いのに教会へ行く日。 翌日(クリスマス)には家族でバタークリームのケーキを食べる。 早く食べたくてウズウズして、バタークリームの綺麗な薔薇の花をパクリと口に入れ、げっ、失敗、、、と思う。 それからはバタークリームをよけながらスポンジだけを食べる。 あまり美味しくないなぁ、、、と、決まって全部は食べきれない。 午後になって教会のパーティーへ行く。 こどもたちの聖劇、歌、大人の歌なんかが披露され、食べたり飲んだり出来る。
「そっか・・・プレゼントとかなかったんだね。。。」
いや。あった! クリスマスのミサ用に、と、クリスマス前に新しい服を貰った。 深夜ミサへ行くのは辛かったけれど、新しい服を着れるのが嬉しかった。 年に一度きりの新しい服。 買ったものなのかどこかからいただいたのか? 母はどのようにお金を工面したのだろう?
『クリスマスじゃないねクルシミマスだね』 とはよく言ったものだが、これは我が家だけの話か?
わたしの幼少時代のそんなこんなを、ことある毎にこころには話すのだけれど、彼女にとってはこれこそおとぎ話。 かもね。
昔むかしの話。わたしがまだ中学生だった頃のこと。。。
どういうわけか、校内弁論大会の弁論者に選ばれたことがあった。 なぜ自分が選ばれたのか、皆目見当がつかなければ、正直なところ、どのようなことを書いたのかさえ、まったく覚えていない。 きっと適当に原稿用紙のマスを埋めただけのものだったのだろう。 当時(今も変わらないが)、人さまに向かって「弁論」したいことなどなかった。 仮に意識の奥のほうに何かあったとしても、それを紙面上に表すことは決してなかった。 逆に、本当の自分の気持ちは出来るだけ他人に悟られないよう、心がけていたとさえ思う。 だから、わたしが書いたものは、「それなりに」見せた当時の自分の気持ちの一部でしかなかったのだな。と、今になって思う。
さて、弁論大会の日。わたしは、逆らう術なく壇上に座っていた。 あまりよく覚えていないが、「ただ前へ出て原稿を読めばいいだけ」と言い聞かせていたような気がする。 ちいさな学校だった。演者は僅か6人だったと思う。
何番目に発表したのかも覚えていない。 極度に緊張していたことは確かだ。出来ることなら発表せずに済むかも・・とろくでもない希望を抱いていた。 が、気持ちとは裏腹に、刻一刻と自分の番が近づいてくる。 そしていざそのときが来た。 立ち上がり、前へ進み、原稿を置いて開き、なるべく前を向いたまま・・・と顔を上げたところで。。。
こともあろうにわたしは・・・ ふっ と、笑ってしまった。
どうして笑ってしまったのか? 今でもわからない。 けっして、ふざけていたわけではない。 咄嗟に、笑っちゃいけないと思った。笑わないようにも努めたつもりだった。 が、発表の間、何度も笑ってしまった。 自分でもどうにもならなかったのだ。強いて言えば、発表し(笑って)いるのが自分ではないような気分だった。 一種の現実逃避でもあったのかもしれない。 自分が笑った顔をしているのか、或いは泣いたような顔なのかもわからなかった。 人がどう感じるか。など、思う間もない。 もちろん、どうやって終えたのかも覚えていない。
すべての弁論が終わって、学校長からの感想が述べられた。 学校長の話なんて、頭に残ったことなどこれまで一度もないのだが、この日だけは違った。 彼は、名指しこそしなかったが、わたしの態度を痛烈に批判した。 「非常に残念なことに、発表者のひとりは、にやにやしたりもじもじしたりして、とてもふざけていましたが・・・」 まだ壇上に座っていたわたしは、学校長の後姿を見ながらこの言葉を聞いていた。 飛び出してってどこかへ隠れ、思い切り泣きたい気分だった。 あの後、どうやって教室へ戻ったのだとか、友達と何か話したかとか、殆ど覚えていない。 きっとふざけて笑ってみせて、ひとり家に帰ってから泣いたのだろう、と想像する。
そして、あれから30年もの歳月が流れようとしているのに、わたしは、自分がなんら変わっていないような気がしている。 つまり、もしも同じような状況に置かれたら、わたしはいまだに同じ過ち(?)を繰り返しそうに思うのだ。 きっと、自分のなかでこの過去が癒されていないのだろうな。 もっともっと思い出しては掘り起こし、反芻しなさい、ということか。
だらだら書いたが、こんな自分なので、最近の「謝罪会見」なるものの批評を読むと、非常に胸が痛い。
頭の下げかたが足りない とか ふてぶてしい とか ふざけている とか おちゃらけている とか 責任感がない とか これらはみんな、今まで何度もわたし自身に向けられた言葉でもあるので、聞いてるだけで心が苦しくなる。
ふざけてなどなかった おちゃらけてなんかなかった ふてぶてしくしてるつもりはなかった
でも自分の心の奥のおくを見ようとすると、それすら自信がなくなってくる。 ふざけて見せたほうが、おちゃらけたほうが、開き直ったほうが、気持ちが楽だった。ということか???
わたしは、今も、心のなかの鏡の中の鏡。を覗いている。 「自分」を見るのは、自分以外の、誰でもない。 まわりは関係ない。自分だけだ。
午後の早い時間にひとりで町をぶらぶらと散歩している。 かつてのように、相変わらず人通りもなく閑散とした町並みだ。 ふと、角にある水色の壁のパン屋が目に入る。 おぉ〜こんなところにパン屋さんがあったなんて!これは見ないわけにはいかないでしょう。 わたしは嬉々としながら早速店内へ入った。
中へ入ると、5〜6人の若い子達が、忙しそうに作業している。 連中は、わたしの存在を気にすることなく、柱にペンキを塗ったり木の板を運んだりしていた。 ――あら。。。もしかして…開店前??? しかし、そのまま出て行くわけにもいかないようなバツの悪さがあり、何気なく店内を見てまわることにする。
床はまだなく、地面は剥きだしだった。 古い壁をぶち壊したような形跡があり、ところどころに柱が立っているだけなので、奥のほうまで見渡せる。 どうやら厨房もまだ出来ていないようだ。 見てまわるにも何もないような状態で、ここへ入ったことが明らかな間違いだと、なんとも所在無い気持ちになる。 誰か(例えば店主とか)が「すみませーん。ここ、まだ開店してないんですー」などと言ってくれるのを期待していたが、それもない。 皆、わたしのことを無視するわけでもなく、かといってフレンドリーな感じもなく、ますますバツが悪い。
とにかく何かアクションを起こさねば・・・という感じで、歩き出す。 自分でも馬鹿みたいだ、と思いながら、まるでパンを選ぶような感じで何もない店内を見てみる。 ちょうどバケツがあったので、ふふふーんと、その中も見てみたが、中には少しの水と雑巾が数枚入っていた。 雑巾を見た瞬間、これを逃がしたらもう出られなくなる!という気持ちになり、奮起して(でもふふふーんと歩きながら)店を出た。
わたしは、水色の壁のパン屋を振り返ることなく、通りを進んでいく。 実際にパン(店)はなかったのだが、なぜか非常に誇らしい気分である。 そうだ!ナイルに知らせなきゃ!と、思う。きっとナイルは知らない筈。。。
「文化町に、パン屋が出来たんだぜ」
・・・
その晩、たまたま一緒に寝ていたこころに、この一言を聞かれてしまった。 「何?もう〜寝言でしょう。しかも何なの、そのキザったらしい言い方!」
いやいや本当に誇らしかったのです。新しいパン屋。何も売ってなかったけど。というか、まだ店にもなってなかったけど。 それにしても「文化町」って、どこ???笑
調べてみると、岡山、富山にあるらしい。 過去の記憶かはたまた未来の断片か。ナイルちゃんにも訊いてみなくては。 わたしのメッセージは、彼女の夢の中でちゃんと届いているかもしれない。
ちなみに、こころの好きな夢占いによると、パンの夢には「幸福」の意味があるのだそう。 ―パンを焼く夢はあなたが幸福感に満たされているということ。 ―パンを買うときに商品が少ないという夢はあなたが自分の役割に不満を抱いているということ。 だそうだ。
では、商品が何もないというのは? でも、そもそもあの店がパン屋かどうかも怪しいんだけどね〜。
ある日。 動物に「判断力」があると思う?と、こころに訊かれ、あるでしょ。と即答した。
すると彼女は、 でしょう〜わたしもそう思う!でも、違うって言うのよ。動物にあるのはinstinctなんだ、って。 instinctって何よ。 えーと本能とか・・・勘とか、そういうの。
なるほど。彼の言いたいことがわかった。 つまり彼の言う判断力とは、思考による判断という意味なのだろう。
ふむ。じゃぁ動物には本来持っている「判断」能力と「経験」による「判断」とってあるのかもしれないね。 何それ。つまり「ある」ってこと?「ない」ってこと?
そんなやりとりをしながら、彼女はあきらかに不服そうだった。 人間がいちばん偉いって思ってるからそんな言葉が出るんだよ。そういう考えは大嫌いだ! とかなんとか・・・。
まぁそれだけじゃないんじゃないの?と言ってその話は終わったのだけれど、わたしはあれからずっと「思考」について考えてみた。
『思考』 (1)考えること。また、その考え。 (2)〔哲〕〔thinking〕意志・感覚・感情・直観などと区別される人間の知的作用の総称。 物事の表象を分析して整理し、あるいはこれを結合して新たな表象を得ること。 狭義には概念・判断・推理の作用による合理的・抽象的な形式の把握をさす。思惟。〔明治期につくられた語〕
goo辞書には上記のように書かれている。 読めば読むほど・・・ね、動物にはないでしょ。と、片付けられそうな気がする。 「人間の」知的作用。とまで書かれているしね。
しかし、なんだろか・・・やっぱり動物にもあるでしょう!という声がするのだ。 もしかしたらそれはわたしの「直感」の声?なのだろうか???
考えてもわからないので、もうそのままにしておこうと思った。 動物の判断力の有無については、人それぞれ自由な考えがあるのだから、いちいち反発する必要もないのだ。
さて、昨夜のことだ。 ふたりでだらだらしているとき、いきなりこころがこんなことを言った。
あ〜ジブリが見たい!なんかこう、感動するものを見て、思いっきり泣きたいって感じ。そういうときってない? なんか嫌なことでもあったの? いや、なんもない。だけどわかるでしょ?そういうときってない? ないね。 えーーーっ ないの!? ない。たまたま見たやつが凄く良くて感動して泣けた、っちゅうことはあっても、泣きたいから見たい、っちゅう気持ちはない。
すると彼女は、信じられない・・というような顔でわたしを見ながら言った。
まみぃって動物みたい。instinctだけで生きてるんだ。。。
はぁ〜???動物はinstinctだけじゃないって話だったんじゃ??? ・・・まっ どうでもいいけどね!
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