ぶらんこ
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・青のダイブ・
上空から飛び降りることになった。当然ながら風がもの凄く強い。ゴーグルをかけていて良かった!と興奮気味に思う。 ガイド?の女性が飛び出すタイミングを指示している。次はわたしの番だ。 彼女に「Go!」と背中を押され、宙に放り込まれる。身体が上向きになってしまったのを、懸命に立て直す。空を見上げたまま落ちるのは危険だからだ。 パラシュートを広げても、落ちる勢いはさほど変わらないように感じている。それでも地面はまだまだ遠く、青い世界に包まれている。 わたしは心の中で、こんな状態でも突然に地面が近くなるのだろう、と緩みそうになる気持ちを抑えている。 時々、3,2,1と数えながら目の前を凝視してみるが、青い世界はどこまでも果てしなく続いている。
・駅・
訪問看護の仕事に戻ることになった。場所は奥多摩の辺り。山道と列車、古い家屋という町だ。 数年ぶりとはいえ、ここの暮らしに変化はないから。と、ステーションの所長に、しょっぱなからひとりで訪問するよう指示される。 休みの日。確認のために地図を見ながら訪問先へ向かう。 山道を進んでいくと、古いトンネルがあった。トンネル内には灯りがなく、あちこちで水が滴り落ちている。 トンネルを抜けると道が開け、右上方に古い駅が見える。 なぜか、列車に乗ってみても良いかも。。。という気持ちになり、車を降りる。 わたしは友人の大きな犬(ゴールデンレトリーバー)を連れていたが、彼も一緒に車を降りる。 遠くから列車の汽笛が聞こえる。 駅の構内へ行く階段を探そうと思ったが、列車が近付いてきたので、手前にあったスロープを駆け上った。かなり急な勾配ではあったが、なんとか登れた。 が、いつの間に列車が到着していたのか、奥のほうを人々がぞろぞろと歩いている。何人かは、既に下に降りていて、山道の向こう側へ進んでいる。 もう列車は行ってしまったらしいことに気付いたわたしは、しょうがないので車に戻ろうと決心する。 が、あらためて見ると、駆け上ってきたスロープが緊急用のものだということに気付く。 それでも友人の犬は上手に滑り降り、駅から少し離れた広場へと駆けていった。広場では、若い女性がジャックラッセルとフリスビーで遊んでいる。飛び入り参加したわたしの犬に驚く様子がないので、ちょっと安心する。 下方で、突然声がする。 身体の大きな男性が「ここを使うなんてクレイジーだ!」と英語で叫んでいる。 自分でも確かにそうだ、と思うのだが、バツが悪いので「なんてことなかったわよ」と一応英語で言い返している。 「先にそれを投げて。こっちで受け取るから」と言われ、一瞬なんのことかと思うが、すぐに自転車のことだと気付く。 わたしは彼に自転車を投げ、彼は「おうおうおう!」と大袈裟に叫びながら受け止め、駅の柱へと立てかけてくれた。 いよいよわたしの番ね、と思って、スロープの先に立つ。 青い布が風になびいてひらひら揺れている。そのさまがますます弱弱しく感じられ、心許無い気分になる。 先の男性がいたずらっぽい目で見ているので、恐怖心を悟られてなるものか、と、思い切って飛び乗る。 両手を胸の前で組んで、両足もきっちりとクロスさせた。思ったよりも青い布は頑丈に出来ているみたいだ。
降り立ったわたしは友人の犬を呼び寄せようと思うのだが、はて名前はなんだったっけ?と悩む。それから、「ジャッキーでいっか」と思いなおし、彼を呼ぶと、ジャッキーはフリスビーをくわえたまま駆けて来た。 わたしは、「それにしても駅の夢が多すぎる」と言いながら、彼と一緒に車に戻る。
灯台の中をゆっくりと登っていく。 結構な広さ。あちこちに窓があり、中はとても明るい。思いのほか風もよく入る。前を行く女性のスカートがひらひらと揺れている。
友人が先頭を進んでいる。 何やら叫んでいるけれど、よく聞き取れない。 ガイド役の彼は、この辺りの景色について話しているか、或いはいつもの潮流の話をしているのだろう。 人々は皆、興味深そうに聞いている。 窓から外を眺めては、なるほど・うんうん、と頷いている。 彼に巧みな話術があるとは思い難いが、彼の海に対する愛情に、人々は引き込まれる。
わたしはこの灯台を登るのは初めてだ。 本当のところ、入場料が要るらしいが、友達のよしみで、ツアーに無料(内緒)で仲間入りさせて貰った。 知り合いが彼以外に誰もいないので、ひとり黙々と登っている。 退屈ではない。誰にも邪魔されることなく人々の様子を観察できるのが、実は楽しい。
海はどこまでも深い青をしている。風が強く、白い波が沖のほうまで続いている。 窓からの潮風がいつまでも肌に残る感じがして、何度も外を見るのだが、海の様子にあまり変化はない。
視線を感じてふと見やると、友人の彼女がにこにこと笑いながらわたしのことを待っていた。 (友人の恋人はなぜか女優の「小雪」さんだった) わたしはこのとき初めて彼女に会うのだが、友人の恋人だということは以前から知っていた。 失礼のないようにしなくては、と思い、ふたりのことをジロジロ見ないように努める。 でも、ふたり並んでいると友人が彼女の背丈の半分くらいしかないのがすごくすごく可笑しい。 それを彼らに悟られないよう、わたしは努めて自然に振舞っている。
そのとき、波しぶきが小さく顔に当たった。 あれ?と思い外に目をやると、波が大きくうねり、沖からどんどんと打ち寄せてくるのが見えた。
優しい顔の小雪さんが気になる。 彼女は泳げるのだろうか。友人はちゃんと彼女を守れるだろうか。と、心配になる。 でもすぐに、まぁ大丈夫でしょう。と思いなおす。 わたしは長袖を着ていて、これなら海に沈んだときにも大丈夫。と、どこか落ち着いた気持ちで波を待っている。
友人らと駅の構内にいる。 駅は海の上に浮かんでいる。 それぞれ、始発の列車を待っている様子。 休暇前の高揚した雰囲気が充満している。
友人夫妻が親しげに話しかけてくる。 長い休みになるので、留守中こどものことが心配だと言う。 奥さんはこども達を置いて行くことがとても気懸かりらしい。 全然大丈夫でしょ。と、旦那さんの方は屈託なく笑っている。
少し離れたところに、もう一組の友人夫妻が立っている。 ふたりでスーツケースの中身を確認している様子。 何気なく見ていると、旦那さんがわたしに気付き、にこりと笑う。 ぺこりと会釈しながら、長いこと会ってなかったけれど変わってないなぁ。。と少し不思議に思う。
「あーーー忘れてきたんだ!」と、先の友人が叫ぶ。 奥さんはどこかほっとした表情で、「しょうがないから帰ろう」と話している。 でも彼のほうはあきらめがつかない。あれがなくてもなんとかなるよ、と奥さんを説得しようとしている。
「すぐに拾って来るから」 いつもどおり、わたしが名乗り出る。 彼は大きく笑って「おぅ!玄関に置いたままだからすぐにわかるよ」と言う。 奥さんは「そんな。もう時間がないからいいわ」とためらっている。
「すぐに戻るから」と言いながら、わたしは海のなかに飛び込む。 「耳抜き。忘れんなよ!」と、友人が頭上で叫ぶ。
凪。海のなかは思った以上にひんやりとしている。 「いつも必ず誰かひとりは忘れものをする。これは昔から決まっていることみたい」わたしは心のなかで思う。 それから、やっぱりこの仕事好きだなぁ・・・と、あらためて嬉しい気持ちになる。
静寂に包まれ、ふと振り返る。 光の輪の向こうに、浮かんでいる駅が遠ざかっていくのが見える。 友人の家までの道筋を反芻しながら、わたしはさらに深く潜って行った。
キーンと冷やした白わいんを飲んでいる。
さっきこころが言った言葉。 「マミィと飲むようになったら楽しいだろうなぁ」 なんなら今飲めば?と、そそのかしたのだが、それは案の定、却下された。 あと5年。 そのときも同じ気持ちであれば、どんなに楽しいか・どれだけ特別なことか(?)わかるでしょう。
何もかもが心のヒダまで滲みる夜。 夜気がだいぶ涼しくなってきて、肌寒いくらい。
小学校の校庭にあった遊具で、断トツのいちばん人気はなんといっても「シーソー」だった。 「シーソー」と聞いて、わたしと同じものを思い浮かべる人がどれくらいいるだろう。 いわゆる「ギッタンバッコン」とは乗りかたがまるで違う。ギッタンバッコンは低学年用。 遊具とはいえかなりスリリングな本物?のシーソーに乗れるようになったのは・・・いつだったか? はっきりとは覚えていないが、3年生になってからだったと思う。 シーソーは3年の教室の目の前にあった。確か3台、計6人が乗れる。 休み時間の度に、わたしたちは競うようにシーソーに向かって駆けて行ったものだ。
正直に言ってしまうと、わたし、ほんとのホントは、このシーソーが苦手だった。 苦手だったのだけれど・・・大好きだった。 怖いこわい、、、とビビりながら宙に舞い上がり、あぁ!と思った次の瞬間には降りていく。安堵感と新たな恐怖のくり返し。 けらけらと笑っていた自分の姿が、今となっては尚のこと可笑しい。 両腕・指の力を抜くことはあっても意識を緩めることはけっしてなく。 大袈裟な言い方だけれども、全身全霊で遊んでいた。落ちると死ぬ!と思いながら乗っていたから。 休み時間が終わる頃にはもうぐったりとバカバカしいくらいに疲れ、満足感に充たされた。 シーソーで遊ぶ・楽しめる。これは自分にとって、なんとも誇らしいことだった。 勇敢さの証明とも言える。たとえ無意識であったとしても。
よーく考えてみると、あれは本当に危険な遊具だったよなぁ・・・と思う。 あんなものが「小学校」に設置されていただなんて、今の人たちに見せると信じ難いだろうなぁ。 でも、わたしの記憶では、シーソーから落ちた者はいても、骨折などの大怪我に至る者はいなかったような。 いや・・・あったのかな???骨折しても大問題に至らなかっただけなのかもしれない。(それもある意味信じ難いことかも)
ところで、そんな危険極まりない魅力的なシーソーに軽やかにいとも簡単に乗ってしまうTさんは、密かにわたしの憧れだった。 彼女にはわたしが持っていたような恐怖感はなかったんじゃないかな〜。 順番を待っている間も余裕のよっちゃんだったし(わたしは順番待ちでも緊張と安堵感とをめくるめく行き来していた)、いつも大胆な乗りかたをしていたし。
シーソーは梯子が半分から天秤にかけられたような形になっている。 地面に着いている側にいる人がまず両手をかけ、向こう側が下りてくるように手前側を少し上へ上げる。 ふたりとも両手をかけたところで準備OK。どっちかが上へ、どっちかが下へ、となる。 さて、基本的には両端にぶら下がって遊ぶのだが、勇気が出てくると上半身を引き上げ、最初の横棒にお腹を乗せるようになる。 お腹を乗せると、その分もっと高く上がれる。地上に降りた側は、両足で地面を強く蹴る。更に高く上がっていく。 こどもの世界では当然のように行われていたこと。皆がそれぞれ、支援者であり挑戦者であるのだ。 と・・・ここまではあの頃のわたしも(一応)、出来た。 ぎゅーんっ!と上がってって、ドキッ!ドキッ! ひゅるるる〜、と下がってきて、ひゃぁ〜。ふぅ〜。。。。 このくり返しが、おしっこチビりそうなくらい(チビってたかもね)怖く、そして面白かった。
Tさんはとにかく凄かった。彼女は男子にも全然引けを取らない。 お腹を乗せるだけじゃなく、片足を引っ掛けたり両足を乗せて座ったり、後ろ向きになって乗ったり。もう曲芸さながらだ。 そのときの彼女の顔は、真剣で楽しそうで、なんとも心奪われる表情だった。 わたしはこども心に彼女のことを尊敬していた。わたし以外の子もそうだったと思う。 そういえば彼女の手のひらは大きく指の節々がゴツゴツしていて、いつも指をポキポキと鳴らしていた。チェーリングも誰にも負けない強さを誇っていたっけ。 あぁそういうこともすべて含めて彼女に憧れていたんだろうな、と、今になってあらためて思う。
この前、久しぶりにぶらんこに乗った。 最初はゆっくり。少しずつ大きく。 両の足で地面を蹴り、身体を反るようにして両の足を挙げ、高くたかく揺らしてみた。 空に近付こうとして、公園の樹の梢が遠のいたとき、やっぱりちょっと・・・怖かった。 そして、怖い、と思った途端に、地上へと戻っていった。 くり返しくり返し。 なんだか可笑しくなって、あはははあははは大きく笑った。
笑いながら、ふと。あの頃に乗ったシーソーの感触を思い出した。揺らす気分。揺られる気持ち。
Tさんとはもう20年近く会っていない。 もしもいつか再会することがあったら、わたしが密かに彼女に憧れていたことを告白したいな、と思う。 もしかしたら彼女は知っているかもしれないけれどー。
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