ぶらんこ
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「しくった」・・・これ、なんのことかわかりますか?「しくる」「しくった」と使うらしい。 わたしはこころが日本語を間違って覚えてしまったのかと思い、意味を聞き出した後に正しい言葉に訂正してやったのだけれど、 だいぶ後になって「やっぱり間違ってなかったよ、まみぃが知らなかっただけ。みんな普通に使ってるよ」と言われ、愕然とした。 もしかしたらかごんま弁(鹿児島の方言)なのか???それとも若い人達の言葉??? ちなみに答えは「しくじる・しくじった」。
「微妙」・・・この言葉の使い方が「微妙に」違うような気が・・・。(今の使い方はどうなのか?) 思うに、「微妙」と形容できるものとそうでないものとの区別がなされていないのでは? 或いは、『わざと・あえて』区別していないのか? なんでもかんでも「ん〜微妙〜」と言われているような気がするのはわたしだけ? どうも母ちゃんとしては、おちょくられている気分になる。
「マジンガー」・・・う〜〜〜ん。本人はウケを狙って言っているのだろうか? が、面白くない、、、全然、面白くないんですけど。。。 「かねも」・・・金持ち。「いろち」・・・「色違い」。これは単なる略語。意味を予測できたとしてもなぜか不快さが残る。
これらはいわゆる「スラング」みたいなものなのだろうな。 英語でも同じ。彼女たちティーンエイジャーの会話で意味のわからない単語は山ほどある。 どういう意味?と聞くと、すぐに答えてはくれるのだが、これまたいっこうに覚えられない。 母ちゃんとしては、教えてくれる時の、わからなくて当然ヨ・という意味ありげな笑顔が(ちょっとだけ)癪に障る。
きっと、歳をとるとはこのようなことなのだな、と思う。 わたしとこころの纏っている空気が違うだけでなく、その流れの速度が違うということ。 見ている風景が違うのだから、感覚も違ってくるのは至極当然というもの。 言葉が違う。聴くものが違う。口にするものが違う。歩く速さが違う。空の飛びかたが違う。
そして、わたしはわたしの周りの流れが心地良い。それはしあわせなことだ。 ちょっと走るとふぅーふぅー息があがるような。 「ささ、わたしのことはいいから先に行っちゃって」という感じの。 そうだなぁ〜。打てばすぐに響くのが若い人なら、わたしの場合、打った跡がへこんだまま。 あ、でも、しば〜らく見ていたら、じわじわじわとちびっとずつ、戻ってはいく。 「低反発」 おーーーなかなか巧い表現。
こころが時々「まみぃも歳とったなぁ〜!」と冗談まじりに言う。 「うん、歳とったよ。当たり前じゃん。」と、わたしは真面目に答える。すると今度は 「安心して。まみぃは若いよ」と言う。 「いいえ。立派なおばサンです」と、わたし。すると彼女はさらに慌てて 「まみぃはおばサンじゃないよ!若いよ!自分でわからないんだよ!」 なんなんだ?励ましているつもりなのか、それともいつまでも若い母親でいて欲しいと望んでいるのか?
「おばサン」って悪くないでしょう。と、本気で思う。 それからわたしは、自分自身が幼稚であることも充分知っているので、ある意味、しっかりとおばサンになりたい、と願っている。 最近になって(?)、自分のなかにおばサン的要素を垣間見ることもあるけれど、今はまだまだ発展途上の中途半端。 外見だけでなく、内面的にも、確実に、どっしりと、歳を重ねていきたいなぁ。。。と、思っている。
いつもこころに言うのだけれど、ちょうど良いところの「くたびれ加減」が目標です。 すると彼女曰く、「いみふ〜!」・・・意味不明。 チャンチャン!
歩き始めたこどもは、母親と自分との距離を確認することで安心する。 母親のいる場所にいちいち戻っては、少しずつ距離を伸ばしていくのだ。 こうしたチャレンジの積み重ねで、こどもの世界が広がっていく。 これは乳幼児期だけに限られたことではなく、その後も滞ることなく続いていく。 物理的にも精神的にも。 もしかしたら一生続くのかもしれない。人間として成長していくうえで。
だからなのかもしれない。 だから、親が年老いていくのを見ると、なんとなく心細いような、自分自身が揺らいでしまうような、そんな気持ちになるのかも。
他人が年老いていくのを見るのは辛くはない。 「老人を労わりましょう」とか「お年寄りは人生の大先輩です」とか「尊敬しましょう」とかよく聞く。 至極当然ごもっとも。と思う。 わたしは年寄りが好きだ。どちらかというとこどもより老人のほうが好きなのだ。 一緒にいると安心するし、穏やかな気持ちになる。それに楽しい。 年寄りの生きるスピード、空間が、自分の波長に合っているのかもしれない。
でも、自分の親となると、また別らしい。 おそらく、自分の親には「しっかりと」していて欲しいのだろう。 何事にも動じず、辛苦を舐めながらも優しく強く明るく生きてきた女性。 こどもの頃に抱いていた姿そのままでいて欲しいのだ。きっと。
でも、年老いていく親を「みる」ということこそが大事なのだと思う。 見る。観る。看る。 どれでもいい。
与えられた環境のなかで「自分に出来る」ことをする。 出来ないことをしよう、とは思わない。 でも、ここで忘れてはならないのが、「環境は自分で作れる」ということだ。 〜するべきなのでは?じゃぁなくて、自分は一体どうしたいの?ということ。 選ぶのは自分自身。 何かをするもしないも、すべては自分で決めている。
大人になってからも親の存在はずっとずっと偉大で、それを確認しながら生きているのだなぁ。。。と今さらながら、思う。
「マミィが死んじゃったりしたらあなたが作るのよ」 先日そう言ったら、 「死ぬなんて簡単に言わないでよ」と、こころ。 「いや。人間いつどうなるかわからないから」 「でも大袈裟でしょう、いきなり」 「じゃぁ、マミィが例えば家を空けなきゃいけなくなっちゃったりしたときとか」 「何。家、出ちゃうの?」 「いや。出ないけど」 「じゃぁ何」 「だーかーらー。食卓に座れば料理は自動的に運ばれてくる。というものではない。っちゅうこと!」 「・・・誰もそんなこと思ってないよ?」
「伝える」ためには自分の心に出来るだけ素直な言葉にしたほうが良い。と、あらためて感じた次第。 出来る限り、素直に。シンプルに。 ティーンエイジャーに対しては特に。ね。
父の日。USオープン観戦。カブレラ氏優勝。屈託無い笑顔がとっても印象的だった。 カブレラ氏はアルゼンチン人だ。 「アルゼンチン」といえばわたしの生まれた国。に、なったかもしれない国。である。これ、真面目な話。
昔、まだわたしが生まれるずっと前のこと。 両親はアルゼンチン移住のための申請をしたという。 わたしはこのことを去年までまったく知らなかった。わたしだけじゃなく、兄弟姉妹の殆どが聞かされてなかったと思う。 アルゼンチンだよ、アルゼンチン。どこにあるんだっけ、その国?っていうくらい、遠い国だよ。
この話は、一枚の写真によって引き出された。 その写真を見るまで、たぶん母も忘れてしまっていたのだと思う。(ある意味、素晴らしい) それは暮れに亡くなった伯母の遺品から出てきた。 両親と長兄(まだ幼かった)3人の写真。かなり古い。 我が家の貧しさから考えると、こんな時期に写真撮影をしていたという事実が驚きだ。しかし、 「アルゼンチン行きの申請に必要だったから写真を撮ったんだよ」 母の言葉を聞いて、更に驚いた!というワケ。
聞くところによると、当時、教会からアルゼンチン移住の薦め(?)があったらしい。 実際、大勢の人々が申請していたようで、母の親友夫妻もそのうちの一組だった。 さらりと言うので、驚きを通り越して可笑しくさえ感じる。 結果、抽選にもれた為、彼らのアルゼンチン行きはお流れになった。(よって、わたしが存在していることになる)
母達は写真を見ながら「そういうこともあったねぇー」と目を細めていた。 ふたりは笑いながら話すのだが、そこかしこに哀愁を帯びている。 80余年を生きてきた、彼らの厚み、深みなのかもしれない。
母の話を聞いて、アルゼンチンについて少し調べてみた。⇒アルゼンチン 経済面を見ると、非常に厳しいものがある。 また、日系アルゼンチン移民の略史からは、彼らの苦労・苦悩が伺える。⇒日系アルゼンチン移民
もしもあの時。ちょっと想像してみる。 両親はスペイン語を話しているだろうか。 きっと、アルゼンチン人として生きるように努力したかもしれない。 もしかしたら9人ものこどもは授からなかったかもしれない。 父の発病はなかったかもしれない。 ? ? ? キリがない。 ひとつ言えるのは、アルゼンチンという国がほんのちょっとだけ近くなったということかな。 わたしの母国になったかもしれない国。ひょっとして、ずーっと過去に暮らしていた国なのかもしれないなぁ。
環境はひとを変える大きな要素だと思う。 ここへ来てもうすぐ3ヶ月になるが、わたし自身も変わっているように感じている。 友人から、今のわたしについて「日本とは生活の空気みたいなのが違う」というようなことを言われた。 それは自分のまとっている空気(雰囲気)が変わっていることなのだと思う。 ということは、自分自身も変わりつつある。ということなのだろう。 願わくば良い方向へと変わっていきたいものだ。 まずはそれを意識することからはじめよう。かな。。。
最近お世話(?)になっているサイトで、こんな言葉があった。 「日本のサイトの場合、視覚に訴えるものが多いが、アメリカサイトは読ませる字中心の方が多い」 大きく頷いた。確かにそうだと思う。
暮らしのなかでも感じる。 例えばレストラン。 メニューを開くと文字がぎっしり詰まっている。 料理の名前の後に「それがどんな食材でどのように料理されてどんな感じで仕上がっているのか」が、文章で綴られている。 ずっと前はそれを読むのがちょっと苦痛だった。「写真はないの?」と。笑 それが今では興味深々に読んでいる。 じっくり読むとわかるのだが、なかなか上手な文章なのだ。食べてみたい、と思わせる表現方法をよく知っているのだと思う。 頼んだ料理がテーブルに運ばれてくる。 見る。 嗅ぐ。 口にする。 「あぁ〜これにして良かった〜〜〜」というときなんか大満足だ。料理にも。それを選んだ自分自身にも。 下手に写真を見て「これだ!」と決めた後、運ばれてきた料理を見て「写真と違う〜〜〜」というのに比べると、数倍、良い。笑
冗談はさておき、文章と写真とでは、『想像力』の拡がりかたが違うのだと思う。(もちろん対象や状況にもよるとは思う) そして、わたしは文章の世界における「拡がり」が好きだ。 良い悪い、ではなく、「好き」ということ。
文章というものは不思議だ。 こうやってわたしが書いている文章も、読むひとそれぞれで解釈が違う。
これを今、読んでいる「あなた」は、どれくらいいるのだろう?
だいぶ前になるが、エンピツのリスト掲載から登録をはずした。 リスト掲載をはずしたからとて、非公開になっているわけではないので、誰もが閲覧できる。 「秘密の日記」にはなり得ない。 それはそれで良い。と思っている。 リスト掲載をはずした理由も本当のところはよくわからない。 自己防衛も少しはあるのだろうが、素直に言ってしまうと、「特別に拡げる必要もないかな・・・」と思ってのことだった。
リストからはずし、文章を書くことからも少し離れた。 時間とともに、どんどん遠ざかっていった。 またそのうち・・・という気持ちさえも消えていった。
と思っていたのだけれど、最近になって、なぜか「文章」という文字が目に付くようになった。 これがどういうことなのかわからないのだけれど、とりあえずそういった気持ちの変化を書こう、と思った。
エンピツくんとは(半)永久契約なので、こうやってムンカンゲしながらやっていくのだろう。
というわけで。 ここを見てくれている「あなた」。 あなたはわたしのことを「知っている」のかもしれない。「知らない」かもしれない。 わたしもあなたのことを知ってるかもしれないし、知らないかもしれない。 で、わたしが思うに、あなたの読んでいる「わたし」は、「あなた自身」だということ。 あなたの「想像力」ということ。 どんな拙い文章からでも、あなた自身の想像力の翼を思いきり拡げていってくだされば、と願います。
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