ぶらんこ
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我が家には、古いグローブがいくつかあった。最低でも4つはあったと思う。 それぞれがとても古く、薄っぺらだった。 左手を入れると、硬くガチガチで、指先や手の甲が擦れるように痛い。 それでも、しばらくするとだんだん馴染んでくる。 グローブは兄貴たちの使っていたものだろうが、どれも他所から貰ってきたのだと思う。 当時、我が家に新品を買う余裕などなかったから。
わたしたちはよく、家の前の道路でキャッチボールをした。 車の通りは殆どなかった。どちらかというと、車よりも歩いている人のほうが多かった。 誰かが来ると、一時中断。過ぎ去ってちょっとしてから再開。 そんな感じだった。 キャッチボールの相手は、大抵は弟。時々、姉たちともやった。 兄たちとの記憶はない。 わたしが幼かったから相手にならなかったのかもしれないし、ただ単にわたしの記憶が消えてしまったのかもしれない。
それにしてもキャッチボールは楽しかった。 ただボールを投げ合うだけで、なんであんなに夢中になれたのだろう、と今になって思う。 時々わざと高く放ったり、逆に、高いフライボールをうまくキャッチできたときのあの誇らしさ。 弟の悔しがる顔。もっとちゃんと投げろよ、と言わんばかりの怒った顔。 くすくすくすくす笑いながら。 きゃーきゃー騒ぎながら。 いやはや、本当に楽しかった。
どうしてこんなことを思い出したのかというと、久しぶりにグローブをはめたせいだ。 グローブを手にして、むらむらと何かが湧き起こった。 わたしは、運動禁止令のおかげで中学時代は部活にも入れずに過ごしてきたのだが、それ以前はたっぷりと身体を動かしていたのだ。 そのことを鮮やかに思い出した。それがとても嬉しい。
そういえば、わたしたちは家の中でも野球をして遊んだ。(屋内なので「野」とは言い難い) 今思えば、あんな狭いところでよくもまぁ・・・と可笑しくなってしまう。 だが、当時、わたしにとっての我が家は「でっかい」と信じてやまなかった。 きっと他の兄弟姉妹も同じ感覚だったと思う。 野球はみんな大好きで、雨降りの日などによく行われた。
わたしたちはいつも、「オモテ」と呼ばれる部屋(?)で野球をした。 本塁(本かノート)を作り、そこから右斜め前の柱が1塁、反対の柱が2塁。3塁はなく、2塁型・1アウト形式だ。 人数は3人以上。(ちなみに2人の場合は1塁型野球の1アウト形式となった) ボールは靴下を丸めたもの。バットはなく、手で打つ。投げ方はソフトボール式(下から)。 守備は各チームで決められる。1塁手を不在とし外野手とする、など。 (ちなみに、オモテに続く部屋が外野で、障子は当然ながら取り外された) コール(ストライク!とかセーフ、アウト!など)はなぜか皆で言い合っていた。 何かしらのトラブル時には最年長者が主審となる。もちろん、主審の決定は覆されることがない。 ふむ。これだけ並べてみても・・・なんてうまい具合いに出来ていたのだろう。 今さらながら、わたしたち家族の世界に感心する。
ところでこんな野球を他の人たちもしていたのだろうか? わたしたちみたいな大家族だから出来たのだろうか?
こころはこの話を聞いて大ウケ。 わたしが野球をするなんて想像できないらしく、思い切り笑い飛ばしていた。 が、そのうちわたしの技術は証明されるだろうから、わたしとしては全然へっちゃら。 彼女とキャッチボールをするのが今からとても楽しみだ。
面白いものを見つけた。
・・・
帰りに靴箱から大事そうに“草”を持ってきて「見て、見て!かぶだよ〜!」と。 どうするかなぁ・・・と思って見ていると、ちゃんとそれを持って帰るらしい。 途中、 「まみぃ、持ってぇ〜」 「まみぃはお荷物がいっぱいあるからこころが大事に持ってね」 と、やりとり2回くらい。 そして、駐車場の隅っこのブロックの上にチョンとのせて歩き始めたものの、「あっ、ちょっと待って」と取りに帰り、 バスの中でも大事そうにかかえ、とうとうお家まで持って帰って来ました。 「まみぃ、おいしいからね、どうぞ。」と、玄関に置いてくれました。 多分、“かぶ”ではないだろうけれど、「ありがとう。」と言うと、満足そうに笑うこころでした。
・・・
こころが「こあらグループ」にいた時の「連絡帳」から。 上の記事は3月28日のもの。もうすぐ3歳児クラスへと上がる直前の頃だと思う。
連絡帳を見つけてそれを読んだとき、なんのことだかすっかりと忘れてしまっていたが、翌日の先生のお返事を見て思い出した。 その日は人形劇があって、こどもたちはあの有名な「おおきなかぶ」を見たのだった。 帰り道、こころはその話を気持ちいっぱい、わたしに聞かせてくれた。 だから“かぶ”だったんだなぁ〜。。。。
ひとしきり、あの頃のこころの様子を思い浮かべる。自分の姿も思い出す。 彼女を中心に、毎日がいろんな発見だった。そしてそれが、本当に面白かった。 今となっては夢のようだ。よくやったなぁ〜と思う。
ところで、先生からのお返事を読んで、あの草の正体が実は「野蒜」だったのだと、今になって初めて気付く。 ・・・ 昨日ののびろ、おみそつけて食べると美味しいとか・・・聞きました。 ・・・ のび「ろ」と書かれているけれど、きっと「る」だったのだろう。 まぁどちらにしても、当時のわたしはその存在を知らなかった。 あの野蒜がどうなったのか・・・まったく思い出せない。 ただ、それを食べなかったことだけは確かだ。
野蒜。ここにもあるだろうか。 もしも見つけたらば、是非、お味噌でいただいてみようと思う。
人は不合理、非論理、利己的です。 気にすることなく、人を愛しなさい。
あなたは善を行うと、 利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。 気にすることなく、善を行いなさい。
目的を達しようとするとき、 邪魔立てする人に出会うでしょう。 気にすることなく、やり遂げなさい。
良い行いをしても、おそらく 次の日には忘れられるでしょう。 気にすることなく、し続けなさい。
あなたの正直さと誠実さとが、 あなたを傷つけるでしょう。 気にすることなく、正直で、誠実であり続けなさい。
あなたが作りあげたものが、 壊されるでしょう。 気にすることなく、作り続けなさい。
助けた相手から、 恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。 気にすることなく、助け続けなさい。
あなたの中の最良のものを、 世に与えなさい。 けり返されるかもしれません。 でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。
People are unreasonable, illogical, and self-centered. Love them anyway.
If you do good, people may accuse you of selfish motives. Do good anyway.
If you are successful, you may win false friends and true enemies. Succeed anyway.
The good you do today may be forgotten tomorrow. Do good anyway.
Honesty and transparency make you vulnerable. Be honest and transparent anyway.
What you spend years building may be destroyed overnight. Build anyway.
People who really want help may attack you if you help them. Help them anyway.
Give the world the best you have and you may get hurt. Give the world your best anyway.
by マザー・テレサ
『優しい言葉。厳しい言葉。 ちょっぴり近寄りがたいマコさんでした。私にとっては、緊張する人でした。』
退職の日にいただいたMナースからの言葉。 ええーそうだったの??? ・・・わたしとしては、ちょっと意外。
でも、なんとなくわかる。ような気もする(自戒の念を込めて)。 素直な言葉をいただいて、とても嬉しく思う。 これからもずっと、一緒に仕事していきたかった。 わたしも、沢山たくさん、見習うことがあった。
良い出会いだったと思う。 これからも素敵な出会いがいっぱいあるだろう。
優しく。ありたいな。
先日、出かけたとき、なんという名前だったか忘れたが「電気で走る車」を見た。 ひゅーーーーん、とスムーズな走りでわたしたちの車を追い越して行った。
その車のことをわたしだけが知らなかった。 こころに「電気で走るんだよ」と言われて、またまた嘘ばっかり。と、まったく信じなかった。 が、彼女が色々と説明してくれるうちに、あぁそういえばそんな話があったような気がするなぁ・・と思い出した。 「未来の車の話かと思ってた」と、わたしが言うと、「ずっと前からだよ。CMとかもあったでしょー」と笑われた。 遠い記憶を辿ると、確かにそのようなことを聞いた覚えはある。 でも、すっかりと忘れ去られてしまっていたらしい。 自分に必要のない情報。と、脳が(或いは心が)判断したのかもしれない。
わたしはテレビを殆ど見ない。 だからそういう情報から離れたところにいる。 それが良いことなのかどうかわからないが、「あふれる情報に振り回されない」ということは言えると思う。 情報の取捨選択という脳の働きが退化してしまいそうだけれど。 (でも、心はどうだろう?)
「『環境に優しい車』とか言われてるんだよ。ガソリンも要ることは要るみたいだけど、ほんの少しなんだって!」 と、こころが言うので、へぇーーーーっと感心。 「電気はどうするの?」 「だから電気をチャージするんだよ」
ふーーーん。そういえばそんな話聞いたな。。。と、また思い出す。 でも、ふと気になった。
「でも電気も原子力に頼ってるんじゃなかったっけ?」 「そりゃそうだね」 「じゃぁ『環境に優しい』っちゅうのは変じゃないか?」 「まぁね。でもガソリンよかは良いんじゃないの?」 「そうかなぁーーーーー」
その後、マミィは考えすぎなんだとかひねくれてるとか話がいつもこじれるとか言われたが、それが大事なんでしょう、と、反論。 色んな情報があるけれど、メディアの話を頭から100%信じるのは危険だ、ということ。 多くの情報を知ることはとても大切だけれど、どこかで常に「疑う」ことが必要だと思う、ということ。 「距離」を置く、ということ。 自分自身のスペースを持つ、ということ。
ちょっと熱く語ってしまった。 でも、こころは涼しい顔をして言うのだ。
「あの車のこと、全然覚えてなかったくせに」
・・・未来は明るいなぁ。と、妙に感心。
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