ぶらんこ
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2007年02月03日(土) 宇宙船と老婆

宇宙ステーションで暮らしている。といっても、内部はどこかのホテルのよう。
老婆がちいさな宇宙船で旅行に出ようとしている。長い間帰らない夫のところへ行くのだという。
目の見えない老婆。目に見えぬものを見ることのできる老婆。

わたしは老婆がきっと夫には会えないだろうという気がして、何か声をかけようと思うのだが、
そんなことをいう意味なんてないじゃないか、と思い、やめておく。
わたしの考えも人々の考えも、老婆はすべて知っている。


宇宙船には少年もひとり乗り込んでいる。
ふたりが知り合いかどうかはわからない。
どこの惑星へ向かうのだろう。

ふたりのことが気になって、わたしは遠くからずっと眺めている。




2007年01月31日(水) マルチナ

訪問のときによく通る道にお気に入りの牧場がある。
そこにいる「マルチナ」という名前の馬が大好きだった。
彼女はいつも馬舎の中にいて、顔を外へ出していた。
他の馬たちが外を駆けていても、マルチナはそうじゃなかった。
だから彼女の存在に気付いたのだと思う。
車をゆっくりと走らせて、彼女の名前を知ることが出来た。
馬舎は一頭ずつお部屋みたいなのがあてがわれているようで、顔を出している彼女のすぐ隣に「マルチナ」と書かれていたのだった。
それからはいつもそこを通る度、「マルチナー!」と叫んで手を振っていた。
マルチナはわたしを見ているような見ていないような。。。


先日、その道を通ったらマルチナがいなかった。
珍しく外に出ているんだ〜。と思ったが、その姿を確認することは出来なかった。

昨日、そこを通ったとき、マルチナがいなくなったことに気付いた。
マルチナのお部屋が空っぽだったからではなく、そこに書かれている名前が違っていたからだ。
そこにはTMなんたら、と長い名前が書かれていた。
その隣も同じTMシリーズの名前だった。きっとオーナーが同じ人なのかもしれない。


マルチナは違う牧場へ移ったのだろうか。
それともレースに出る準備が出来て、どこかへ連れて行かれたのだろうか。
みんな外へ出ているのに彼女だけが馬舎の中にいたのは、そういう意味だったのだろうか。


マルチナがいなくなって、なんともヘンテコな気分。
いつも手を振っていたのに。いつも名前を呼んでたのに。
さよなら出来なかったなぁー。残念。。。
競争馬として、マルチナがたくさん活躍しますように。
競争馬としての役割を終えてからも、しあわせに暮らしていきますように。



マルチナのお部屋のふたつ向こうに、彼女とよく似た馬が顔を出していた。
鼻筋の白い部分が、マルチナよりもっと大きな範囲で出ている。
気になって名前を見てみると「ホッポーマリア」とあった。
わたしは彼女に、心のなかで「よろしくね」と挨拶した。




2007年01月27日(土) しあわせの定義

      「心が平和であること」かなぁ。。。。

      自分が真に望むことをしていること。すべてのことを。
      辛かったり悲しかったり憤りを感じたりすることがあっても、
      自分が望む道を進んでいることを信頼すること。

      平和な心って、「調和」かなぁ。。。と思う。
      穏やかなだけでなく、いろんなことを含み、包んでる。
      そんな感じ。
 
      欲張りだ。笑

                                             〜古いメモより〜









2007年01月20日(土) ユムタ

「おやっとさぁ〜」
この言葉。
テレビのCMではよく聞く。
芋焼酎の名前にもなっている。

先日、この言葉を初めて生で聞いた。
訪問先の患者さんの家で、お客さんが「おやっとさ〜」と言いながら何かを届けに来たのだ。
どうやら畜産組合のお年始のご挨拶がわりの品物だったらしい。
おばちゃんは「ありがとさんね〜」とお礼を言っていた。

わたしは感激してしまって「初めて聞きました!『こんにちは』の意味でしたっけ?」と訊ねた。
するとおばちゃんは「いんや。お疲れさんです、っちゅうことじゃいねー」と教えてくれた。
それが妙に嬉しくて、なぜか心のなかの良いところへと入ったようで、リハビリを終えたばかりの患者さんに「おやっとさぁ〜」と言ってみた。
患者さんはにっこりと笑って頷いた。奥さん(おばちゃん)は「そうそう。そんな感じで使うんよ」と喜んだ。

なんとも気分が良くなって、それからも事ある毎に「おやっとさ〜」と口にしてみた。
最後にはおばちゃんから「そう何度も使うもんじゃなかよ」と、笑われた。


・・という話を先日、友人にしたところ。
「そんな風にここの言葉を使おうとする姿勢って大切だね、良いことだと思うよ」と言う。
間違った使い方であったとしても、だ。


そんな風に言われて、あらためて思い返してみた。
鹿児島の言葉=かごんま弁=ヨソ言葉
これはわたしの中でずっと変わらずにあった式だ。
今もそうだと思っていた。
でも、どうやら違ってきたらしい。
何かが変わった。
その「何か」とは「自分」なのだろう。


それは素敵な発見だった。
そういう「ゆるやかさ」って良い。
自分がなんぼのモンじゃ。 という感じ。



ところでもうひとつの式。
島口=島ユムタ=わきゃユムタ
これは今も変わらない。
島のユムタは、なちかしゃ(愛しい)。
先の友人の言葉も、実際は島ユムタでのもの。
ユムタの向こうにある「情」のようなものを感じることが出来る。


友人に感謝。
あらためて思ったのだが、ひとと話すことって、常に新しい発見が伴うものだ。
彼がわたしを通して見つけたもの。
わたしが彼を通して見つけたもの。
お互いがそれを素直に口に出来ることもまた、嬉しいことだと思う。

♪歳をとるのは素敵なことです

みゆきの詩は最高。
この唄を一緒に口ずさめる関係というのも、また、ほらしゃ。


ユムタ っちば むじらさ やぁ〜。
どぅし っちば ありがて なんやぁ〜。




2007年01月19日(金)

ベッドに入ってから、眠る前に(眠くなるまで)本を読む。
気持ちとは裏腹に、生理的に瞼が重くなると、思い切って本を閉じ、眠りにつく。
そうやって少しずつ読む。



昨夜、一冊の本を読み終えた。
眠りを欲する身体を制してのもの。

読み終えてからの心、言葉を探す。
・・・なんとも言えない気持ち。


心は、深く、ふかく、降りていく。


辺りは真っ暗な夜と静寂の闇に満ちみちている。
どうして涙が出るのか。わかるような気もするが、わからないようにも思う。


夜は繋がっている。
涙のなかに、あなたもわたしも在るように。





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