ぶらんこ
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宇宙ステーションで暮らしている。といっても、内部はどこかのホテルのよう。 老婆がちいさな宇宙船で旅行に出ようとしている。長い間帰らない夫のところへ行くのだという。 目の見えない老婆。目に見えぬものを見ることのできる老婆。 わたしは老婆がきっと夫には会えないだろうという気がして、何か声をかけようと思うのだが、 そんなことをいう意味なんてないじゃないか、と思い、やめておく。 わたしの考えも人々の考えも、老婆はすべて知っている。
宇宙船には少年もひとり乗り込んでいる。 ふたりが知り合いかどうかはわからない。 どこの惑星へ向かうのだろう。
ふたりのことが気になって、わたしは遠くからずっと眺めている。
訪問のときによく通る道にお気に入りの牧場がある。 そこにいる「マルチナ」という名前の馬が大好きだった。 彼女はいつも馬舎の中にいて、顔を外へ出していた。 他の馬たちが外を駆けていても、マルチナはそうじゃなかった。 だから彼女の存在に気付いたのだと思う。 車をゆっくりと走らせて、彼女の名前を知ることが出来た。 馬舎は一頭ずつお部屋みたいなのがあてがわれているようで、顔を出している彼女のすぐ隣に「マルチナ」と書かれていたのだった。 それからはいつもそこを通る度、「マルチナー!」と叫んで手を振っていた。 マルチナはわたしを見ているような見ていないような。。。
先日、その道を通ったらマルチナがいなかった。 珍しく外に出ているんだ〜。と思ったが、その姿を確認することは出来なかった。
昨日、そこを通ったとき、マルチナがいなくなったことに気付いた。 マルチナのお部屋が空っぽだったからではなく、そこに書かれている名前が違っていたからだ。 そこにはTMなんたら、と長い名前が書かれていた。 その隣も同じTMシリーズの名前だった。きっとオーナーが同じ人なのかもしれない。
マルチナは違う牧場へ移ったのだろうか。 それともレースに出る準備が出来て、どこかへ連れて行かれたのだろうか。 みんな外へ出ているのに彼女だけが馬舎の中にいたのは、そういう意味だったのだろうか。
マルチナがいなくなって、なんともヘンテコな気分。 いつも手を振っていたのに。いつも名前を呼んでたのに。 さよなら出来なかったなぁー。残念。。。 競争馬として、マルチナがたくさん活躍しますように。 競争馬としての役割を終えてからも、しあわせに暮らしていきますように。
マルチナのお部屋のふたつ向こうに、彼女とよく似た馬が顔を出していた。 鼻筋の白い部分が、マルチナよりもっと大きな範囲で出ている。 気になって名前を見てみると「ホッポーマリア」とあった。 わたしは彼女に、心のなかで「よろしくね」と挨拶した。
「心が平和であること」かなぁ。。。。
自分が真に望むことをしていること。すべてのことを。 辛かったり悲しかったり憤りを感じたりすることがあっても、 自分が望む道を進んでいることを信頼すること。
平和な心って、「調和」かなぁ。。。と思う。 穏やかなだけでなく、いろんなことを含み、包んでる。 そんな感じ。 欲張りだ。笑
〜古いメモより〜
「おやっとさぁ〜」 この言葉。 テレビのCMではよく聞く。 芋焼酎の名前にもなっている。
先日、この言葉を初めて生で聞いた。 訪問先の患者さんの家で、お客さんが「おやっとさ〜」と言いながら何かを届けに来たのだ。 どうやら畜産組合のお年始のご挨拶がわりの品物だったらしい。 おばちゃんは「ありがとさんね〜」とお礼を言っていた。
わたしは感激してしまって「初めて聞きました!『こんにちは』の意味でしたっけ?」と訊ねた。 するとおばちゃんは「いんや。お疲れさんです、っちゅうことじゃいねー」と教えてくれた。 それが妙に嬉しくて、なぜか心のなかの良いところへと入ったようで、リハビリを終えたばかりの患者さんに「おやっとさぁ〜」と言ってみた。 患者さんはにっこりと笑って頷いた。奥さん(おばちゃん)は「そうそう。そんな感じで使うんよ」と喜んだ。
なんとも気分が良くなって、それからも事ある毎に「おやっとさ〜」と口にしてみた。 最後にはおばちゃんから「そう何度も使うもんじゃなかよ」と、笑われた。
・・という話を先日、友人にしたところ。 「そんな風にここの言葉を使おうとする姿勢って大切だね、良いことだと思うよ」と言う。 間違った使い方であったとしても、だ。
そんな風に言われて、あらためて思い返してみた。 鹿児島の言葉=かごんま弁=ヨソ言葉 これはわたしの中でずっと変わらずにあった式だ。 今もそうだと思っていた。 でも、どうやら違ってきたらしい。 何かが変わった。 その「何か」とは「自分」なのだろう。
それは素敵な発見だった。 そういう「ゆるやかさ」って良い。 自分がなんぼのモンじゃ。 という感じ。
ところでもうひとつの式。 島口=島ユムタ=わきゃユムタ これは今も変わらない。 島のユムタは、なちかしゃ(愛しい)。 先の友人の言葉も、実際は島ユムタでのもの。 ユムタの向こうにある「情」のようなものを感じることが出来る。
友人に感謝。 あらためて思ったのだが、ひとと話すことって、常に新しい発見が伴うものだ。 彼がわたしを通して見つけたもの。 わたしが彼を通して見つけたもの。 お互いがそれを素直に口に出来ることもまた、嬉しいことだと思う。
♪歳をとるのは素敵なことです
みゆきの詩は最高。 この唄を一緒に口ずさめる関係というのも、また、ほらしゃ。
ユムタ っちば むじらさ やぁ〜。 どぅし っちば ありがて なんやぁ〜。
ベッドに入ってから、眠る前に(眠くなるまで)本を読む。 気持ちとは裏腹に、生理的に瞼が重くなると、思い切って本を閉じ、眠りにつく。 そうやって少しずつ読む。
昨夜、一冊の本を読み終えた。 眠りを欲する身体を制してのもの。
読み終えてからの心、言葉を探す。 ・・・なんとも言えない気持ち。
心は、深く、ふかく、降りていく。
辺りは真っ暗な夜と静寂の闇に満ちみちている。 どうして涙が出るのか。わかるような気もするが、わからないようにも思う。
夜は繋がっている。 涙のなかに、あなたもわたしも在るように。
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