ぶらんこ
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10年以上ぶりの再会。
わたしはちいさな荷物を抱えて歩いていた。 海を見ながら、街路樹の間ににょきにょきと3〜4本一緒に生えている大きなきのこ(変なの)を踏み倒しながら。 (倒したきのこはわたしが通り過ぎるとまたにょきにょきと生えた)
海岸通りの街路樹はその昔わたしが通ったときとさほど変わりないように見えたけれど、通り全体はどことなく新しいような感じを覚えた。 アスファルトのせいかもしれない。きのこは珍しいものではない。ただ、この島のものはかなり大きい。見上げるほどの高さだ。
6回か7回きのこを踏み倒したところで、その人に会った。 彼はちょうど門から出てきたところで、大きな荷物を肩に下げていた。そこは彼の家か或いは実家だったみたいだ。
わたしたちはお互い、目を合わせた後に、一瞬止まって、同時に「あ。。。」と言った。その後すぐ、その人が 「これも何かのタイミングだね。せっかくだからどこかでゆっくり話そうか」といった内容を、わたしの心のなかに伝えてきた。 わたしはちょっと迷ったけれど、「ごめんなさい。これから会う約束をしているひとがいるのでそれは出来ません」と答えた。 時間にしたらほんの一瞬の出来事。
その後、その人のお母さん(かな?)が出てきて、彼に何かを話しかけ、わたしは彼らに目で軽く挨拶をして通り過ぎた。 やがて海岸通りを抜けてちいさな田舎町に入り、目当てのデパートを探した。 歩きながら、彼の髪の毛が金色に変わっていたのを思い出し、なんであんな色にしたのだろう・・と考えた。 あんな色にするなんて、驚きだ。どうしてだろう。白髪のほうが断然良いのに。でもまぁいっか。彼には彼の想いがあるのだ、きっと。
約束までに時間があったので、彼に連絡してみようかと思い、ケイタイ電話を取り出したが、 そのひとの連絡先などもうとうに失くしてしまっていることを思い出した。 記憶置換装置を使えばなんとかなるかもしれないけれど、そこまでする必要もないのだろう、と、思い直す。
金色の髪の毛と踏み倒してもすぐに生えてくるきのことが、なんとなく似ているような気がして、笑えた。 ナンセンスこそがすべて。と思えてくるから尚、可笑しい。
島では、元旦の朝に三献(サンゴン)をいただく。 三献とは島の正月料理。二種類の吸い物(海の幸の雑煮と山の幸のかしわ汁)、それにお刺身だ。 写真は、今年いただいた三献。とりあえずお刺身は形だけ。人数が多くなったので食器もありあわせのものとなった。
ところで、三献をいただく前に、家長からの挨拶がある。 我が家の場合は母だ。 父が亡くなってから、母はずっとこの役を務めている。 今年も、母の挨拶から始まった。
母の言葉をみんなにこにこしながら、でも心内は神妙な気持ちで、聞く。 母はなかなかシャープな女性だ。こういう挨拶をさせると、特にそう感じる。押さえどころが的確。 母の挨拶の次に、今年は東京から来ていた姉家族の家長(義兄)が一言。 新年の挨拶というものは気持ちがひきしまる。言葉にすることで、新たなはじまり、という大きなエネルギーが注ぎ込まれるようだ。
その次に挨拶をしたのがすぐ上の姉の旦那さま。去年のいろんな出来事がみんなの心のなかを巡る。 良い年だったなー。いかんいかん。涙が出そうだ。
格闘していたら、「じゃ、次、どうぞ」と促される。 ん?わたし???
青天の霹靂。
「いや、わたしは家長じゃないよーーーー」 そう言うのに、みんな、わたしを嬉しそうに見ている。 わかっている。このところその役割を担うべく、自分なりに歩いてきたんだった。 そして、そう出来たのは、自分ひとりの力じゃなかった、と・・・あらためて、思う。
「素」という言葉を辞書で調べると「何も加えていない」とか「飾りのない」という風に書かれている。 なるほど・・・。 もしかしたら誰もがそうなのかもしれないけれど、わたしが「素」になるのは、家族といるときだ。 だから、ただ素直に言葉にすれば良いだけだ。 なのに、自分の本当の気持ち、素直な気持ちを、家族に対しあらためて言葉で表現するのは、なかなかもって、照れくさい。 シンプルかつ簡単なことのはずなのに、難しい。
と、いうわけで、小学生低学年のような挨拶になってしまった。 あふれる。こぼれる。笑う。笑う。
みんなで頂いた三献はとぉーっても美味しかった。 次はきっと、島で!
笑顔はどこから
やってくるのでしょう
桃色の花
きらめく海
新しい葉っぱ
あのこのあくび
あなたのくしゃみ
“カシミール”思い出の共有
“If”別々の未来
笑ってる
それでも笑ってる
愛しますように
愛されますように
いつも笑顔が
生まれますように
・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・
新しい年 おめでとう
あなたにとって わたしにとって この一年も素晴らしいものとなりますように しあわせを紡いでいきましょう〜
今年もどうぞよろしくお願いします。
海にいる 兄と正と 素潜り スカット 酒を勧めるしつこい男 断りの祈り
・・・
透明度の高いとっても綺麗な海だった。 海の中にはでっかいくじらがいて、わたしも早く潜らなくては・・・と思いながら眺めていた。 海の底に住んでいたことを急に思い出したような、そんな感覚が残った。
どうして病気になるのだろう と、思う。 看護師がそんなことを言うなんて、ちゃんちゃら可笑しいかな。
病気は大昔からあったろうか。 どんな病気かわからないけれど、きっと、あった。・・・だろうな。
なんで病気になるのだろう。 なんで病気というものがあるのだろう。
心の奥のほうには、言葉にならない答えのようなものがある。 そして、それが確かなものだと「知って」いる。 頭で理解している、というのとは違った意味で。
でも、心のなかにある「感情(気持ち)」がついていかない。 だからきっと、悲しかったり苦しかったり誰かを責めたくなったり自分を痛めつけたくなったりするのだと思う。
心はそれらを、感じ、反芻し、撫でる。 そうすることで、その奥にある「答え」を受け止めようとするのかもしれない。 だから、どんな風に感じようと、どんな風に振舞おうと、それはすべて「よしとされる」のだ。
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