ぶらんこ
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島っちゅは みな 日暮方になると浜へ出て 泳ぐこともなく ただ 海を眺めていたりする 水平線の向こうに 知らない何かがあるみたいに
小浜でたっぷり遊んだ後の一枚。 申し合わせたみたいに黙って海を眺めるふたり。 少しずつ日が暮れていくさまをずっと見ていたくなる。
あんなに好きだったのにね〜 ホント信じられん 今でも好きなんじゃないの? いやそれはない 変わったね うん変わった
人は環境で変わるものだと思う。 東京へ引っ越したばかりのときは戸惑うことが多かった。 でも人はそれなりに馴れていくし、悲しいかな、快適を感じるようにもなる。 たぶん便利さみたいなものとと引き換えに、何かを失って。 わたしの場合それは「鈍感」になるということではなくて、感受性の「ある部分」をあえて麻痺させていったような感じだったと思う。 悪いことだとは思わない。 その中で楽しみも見つけたし、得たものもたくさんあった。 東京に出たからこそ、島を想う気持ちも生まれた。
テキサスでの暮らしは、忘れていたものを少しずつ取り戻してくれた。 けっして自然に囲まれた田舎暮らしをしていたわけではない。 それでも、ゆったりとした時間を過ごせた。 いつでも自然の中に身を置くことが出来た。乾いた大地。草を食む牛。地平線。追いかけた夕陽。
だからこそ、もう東京の暮らしに慣れることはなかったのかもしれない。 自分にとって何が必要なのか、自分が何を本当に望んでいるのか。 自分を置きたいと思える環境を、自分自身で選んでいく。 そういったことを、時間をかけじっくりと考えるようになった。 本当に変わったなぁと思う。
それにしても島の海の青さは奇蹟的。 ディズニー・シー(という名前なのかな?)に行こうという気持ちにならないの、これ見ればわかるでしょ。
甥がカツオを持って来てくれた。 カツオ漁をしている親戚(わたしの従兄弟)から貰ったらしい。 前の晩に祖母の初盆で一緒に呑み、そのようなことになったとかなんとか。 「なんか知らんが、くれた」とは、甥の弁。 「昨夜、命令された」とは、従兄弟の弁。 なんじゃ???ユックライんきゃの言うことはわからん。(よって誰も気にせん)
最初、しび(キハダマグロ)かと思ったがカツオだった。 ユゥ(魚)をアチカウ(さばく)ことは出来るのだけれど、こんな大きなのになると無理なので、甥に頼んだ。 甥は快く引き受けてくれた(というか最初から彼がするつもりだったらしい)。 丁寧に手際よくさばかれていくそのさまは、芸術的だ。 見ているとなんだか神聖な気持ちになる。 さっきまで「魚」の姿だったのが、いわゆる「切り身」になるのだもの。 陳腐な言い方だけれど、こういうのって、とっても大事だと思う。 ちゃんと食わな・・・と、誰に言われるでもなく、心の奥で「わかる」。
カツオは、身は「お刺身」に、そのほかの部分は「あら炊き(あら煮)」にした。 懐かしい味。 昔はカツオのあら炊きをよくいただいた。 ただ、今回のような身のたっぷりと付いたやつでなく、骨にうっすらと辛うじて身が付いているようなものだった。 チンチンなんかは競って食べた覚えがある。 (チンチン=心臓。我が家だけがこう呼ぶのだろうか?)
ほろ酔いの長兄が眼を細めながら言う。 「カツオのあら炊きがあったから生きてこられたようなモン。」 それくらいよく食卓にあがった、というだけの意味ではない。 わたしはほとんど忘れていたのだけれど、幼い頃、カツオの「粗」をよく貰ってきたのだそうだ。 わたしたちの村はカツオ漁が盛んだった(もちろん今も変わらず)ので、漁船が戻ってくると新鮮なカツオがその場でさばかれ、売られる。 わたしたちは刺身を買うことは滅多になかったが、そのときに出る「粗」を譲ってもらった。 それを炊いて夕食のおかずにした。 つまり、それくらい我が家は貧しかったのだ。
「これがなかったら、お前達は育ってなかったかもしらんなー。」 兄があまりにも感慨深く言うので、余計に胸がしめつけられる。 と、突然、昔むかし、チュパチュパと骨にしゃぶりついた記憶が蘇ってきた。 そうそう!この味。
曲がりなりにも、皆、こうして大人になって、それぞれがそれぞれの「暮らし」をしている。 もうそれだけで素晴らしい。 兄弟姉妹が集まると、長兄はいつもそう言う。 母はあの当時のことを思い出してちょっぴり涙ぐむ。
昔話をしたりギターの弾き語りをしたり。 カツオの子らはこの夜も遅くまで飲んで唄った。。。
泡立つ、塩辛い水。 四方から襲うでたらめな波。
いしいしんじ;『ポーの話』
「あんまり沖には行かんほうがいいよ、鮫がいるから。」 ウェットスーツ姿のおじさんにそう言われてビビってしまった。 慌ててはるか彼方、遠い沖にちびっこく見える青いフィンのこころの元へと向かう。 鮫がいるらしいことを伝えると、さすがのこころも一瞬うろたえた風。 彼女の手には網の紐がしっかりと握られている。海水のなかでは「がしち」がたっぷり、ゆらゆらと揺れている。 海に入ると俄然、生き生きとしてくるこころ。イルカみたいなヤツだ。と、いつも思う。 悔しいけれど、わたしよりも海の子。
海は不思議。 大好きだけれど、どこかで「怖れ」ている。 圧倒的な存在。それが海。 先のいしいしんじさんの言葉は凄い。 海のなかへ潜っていくときに感じる何かが目の前に表れる。そして、心のヒダ、細胞の奥深くまで滲みていく感じがする。
海のなかに潜るのが大好きだ。 たいした技量は持ち合わせていないので、せいぜい4mか5mくらいなのだろうけれど。 それでも海のなかはまったくの別世界で、心奪われてしまう。 そして、耳がツーンと鳴って、ほんの少しだけ、不安になる。 “Don't panic.”そんなときはそう言い聞かせて潜る。 浮上して息継ぎすると、大袈裟でなく、安心する。空気を深くふかく、吸う。 そうして、また潜る。 なんでだろう?自分でも不思議に思うのだけれど、しょうがない。 海のなかはどこか違っていて、それがとても魅力的でならないのかも。 ほんの少しの時間なのに、「永遠」と感じるほどに。 もしもスノーケルやマスクがなかったら、これ程でもなかっただろう。 フィン(足ひれ)もそう。 海のなかにいるときは、これらの道具が自分自身の身体の一部だといいな、と願う。魚になりたい、海のなかで。 変テコリンな願いだと思うと同時に、太古からの想いであるようにも感じる。 圧倒的に大きな存在である、海。
がしち。 捕れたがしちは浜で割って海水で洗う。 身をスプーンで掬う。 非常に贅沢だけれど、わたしが食べられるのはこの瞬間のものだけ。 タッパーに入れて持ち帰ったものはもう美味しさが違う。 ・・・瓶詰めで売っているものに関しては別の話。 きっと防腐剤なんかが使われているせいかもね。。。。
この日の収穫のほとんどは、兄とこころによるもの。 わたしも捕ったけれど、こころの数には及ばず。 彼女は潜るとがしちもてらじゃ(とびんにゃ)もすぐに見つける。 レンズ入りのマスク(水中メガネ)が欲しい〜!と言っていたけれど、なんのなんの。 眼、すぅ〜ごく良いじゃーん、誰よりも〜。
なつやすみ〜
アメリカに住んでいた頃は日本語に飢えていた部分があった。 周囲が英語ばかりの環境にあったせいで、無意識にも「日本語」を探し求めていたように思う。 持っていった本は何度か読み返したし、現地でそれなりに日本人の友達が出来てからは(日本語の)本の貸し借りをした。 なぜか日本語の「活字」を見る→解釈することが嬉しかった。 はっきり言って、どんな内容でも良かったように思う。ただ純粋に「日本語」に触れたかったのかもしれない。 縦(上から下へ)に読み、左から右へとページをめくること。
そのうち、PCを使うようになって日本語をDLしてからは、印刷物でなくとも日本語が身近になった。 リンクを辿ってブックマークに入れ、読んで読んで、読みまくった。 あれは今思うと一種の心の病だったのかもしれない、とさえ思う。活字中毒でもあったことは確かだけれどね。
今は、ネット上で「読む」という行為に、以前ほどの熱を感じない。 というか、熱中したとしても疲労感のほうが強くて長時間は無理。 この先はまたいつか・・・と中途で読むのをやめてしまう。(尚かつ、その「先」が来ることも珍しい。) だから、新しくお気に入りに加わったテキスト・サイトって、あまりない。 歳なのか、それとも心の病が良くなってきたのか???
それから、活字中毒のほうもなくなりつつある。 実際、読書量が ぐんっ と、減った。 どうやら、「周囲に日本語が溢れているから」などという理由ではなさそうだ。 あんなに本が好きだったのに。
でも、なんだかなぁ。。。と思う反面、この「変化」をちょっと嬉しくも感じている。 ちぃっとずつ「薄まっていく」というか。 うまく言えないが、わたしのまわりにいる年寄りたちに近づきつつあるような気がする。 ・・・ん?まだ早いかな?
まぁいろんなことをはずしながら歳を重ねていきたいな、と、思っている。 でもとりあえず、明日は2冊の本を持っていく予定。笑
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