ぶらんこ
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いつもの散歩道。 匂いを嗅ぎながら歩くぷーきー。 わたしは花を摘みながら歩く。 (画像ではほとんど見えませんが。。。)
摘んできた青いちいさな花。 ひょろひょろと細い茎もあれば結構太い茎もあり。 つる性の草にからまりながら花を咲かせてるのもあり。 あちこちで風に揺れてた。 野では見逃しがちなほどにちっちゃな花だけれど グラスに挿すと、ちょっと違って見える。 (右の写真をクリックすると大きな画像があります。)
只今 瞑想中
「あなたは顔に出さないからすごいと思う」 この前、同僚から言われた言葉が知らないうちに心のなかに残っていて、ふと気付くとそのことについて考えていた。 それは悪い意味でもなんでもなくて、たぶんどちらかというと褒め言葉なのだろうと思う。(そうか???) でも、自分自身はというと、断じてそうは思わない。 わたしはすぐに顔に出る性質だと思う。 友人からも「わかりやすいねー」と良く言われる。
じゃぁなぜ彼女はあんな風に感じた(ている)のだろう?
なんとなくだけど、今日、その答えがわかった。と、思う。 たぶん、わたしは嫌な気持ちになってないんだ、あの場面で。というか、あらゆる場面で。 それはきっと、職場だからなのだと思う。 「仕事」をしている自分=ナースとしてのわたし。だからなのだろう。 いろんな人がいて、いろんな性質があって。 そりゃちっとは嫌な気持ちになることがあっても、それほど気にはならない。 そんなモンなのかもね。。。と流す。 プンプン怒ってる同僚を見ると、不謹慎だけど、「すごいなぁ。。。」とすら感じる。 あんな熱意、わたしにはないなぁ・・と感じる。 たぶんいろんなことにある程度の距離を置いているからだろうなぁ。 近すぎると熱し過ぎるからね。 ある意味、わたしはそれだけ冷めた眼で眺めているのかもしれない。
しかし、わたしはいつもこころからはさんざん言われている。 「まみぃは態度にすぐ出る」だの「もうちょっと隠しなさい」だの。(←社会生活の場面において) きっと家族の前では無防備(無謀?)な自分になるのだね〜。
そう考えてみると。 職場でもそれくらい真剣にぶつかることがあっても良いのかもね、ときには。 でも「顔に出す」って表現、大抵は、なんか嫌なことが起こったときの反応のことを指すのだよね〜。
ゼローム神父さまのことを実はよく知らない。 母から「ゼローム神父さまはね」というようなことを何度も聞かされたので、名前は知っている。という感じ。 父が病床にいた頃にしょっちゅう病室まで来てくれたこととか、兄が亡くなる前に赦しの秘蹟を授けたこととか。 わたしも幼い頃、ゼローム神父さまに抱っこされたり頭を撫でられたりしたみたいだ。
ゼローム神父が亡くなられて3年が経った(らしい)。 今日、母のところへゼローム神父さまの記念誌が送られてきた。 大きな立派な本だ。 ゼローム神父が奄美に来た当時の古い写真から最近のものまでたくさん載っている。 わたしの村の教会の落成の写真もあった。今はもうない父たちが建てた教会だ。 知ってる人たちの顔もたくさん。 でも、父の姿はなかった。 ページをゆっくりとめくりながら何度も何度も父の姿が映っていないか調べたが、やはりなかった。 兄の話によると、彼はカメラを持って撮影する側だったらしい。 父らしいなぁーと、思う。
ゼローム神父さまのことをあまり知らないけれど、なぜか特別な存在だ。 不思議と名前を聞くだけでドキドキする。 なんなんだろ、これは。
ゼローム神父の記念誌への寄稿で、わたしたち(兄弟姉妹)の心と非常に通じるものがある言葉を見つけた。 「ゼローム神父さまはわんなんかのことムール知っとるっちょ」 といった下り。(まだまだ続く) かの島尾伸三氏の言葉だ。 読みながら、泣き笑いだった。彼の言葉はいつだってすごい。最高。 この言葉を聞いて苦笑するひとは・・・たぶんわたしたちと同じような気持ちなのかも。
ゼローム神父さまは島口をこよなく愛したひとだったという。 写真のなかの彼は、いつも大きな笑顔を見せている。
年寄りたちがそれぞれ 思うとき思うままに 誰かとそのひとときを過ごせるような そんな場所があるといい
誰かの家でもない 誰かの場所でもない 大きな樹の木陰とか 古びたベンチとか 誰のものでもない なんでもない場所 そんなところで夕涼みをしたり 朝の海を眺めたりする 誰ともなくそこへ出てきて 約束とか決まりごととかはなく ただそのひとときを過ごす
そこへ行けば 誰かがいる そんな場所があるといい
でも その風景のなかには こどもの姿もあったほうがいい そしてもちろん こどもたちとともにいる大人たちもいたほうがいい
どんなに年寄りが増えても 年寄りだけじゃない場所がいい
大好きだったひとが夢のなかに出てきた。 何年ぶりかの再会。 わたしのなかの彼は20歳くらいで留まっている。 最後に会ったのがそれくらいだったからだと思う。 夢のなかの彼はそのときのままだった。 わたしの姿はどうなのかわからない。 思考としては、今のわたしだったように思う。
わたしは島にいて、偶然、彼と会った。 驚いて、でもすぐに、あぁ彼は死んでなんかいなかったんだ・・・と、安心した。 会えてとっても嬉しかったし、今度はちゃんと話そう!などと思った。 でもどこかでこれは夢なんだという意識もあって、夢から覚めないうちに彼としっかり話をしよう、と心に決めていた。
わたしは海に行くところだった。 歩いてすぐの浜だ。 家を出ようとしたとき、目の前に彼がいた。 彼は魚釣りに行くところだった。 わたしたちはお互いの姿に気付き挨拶を交わした。 あれーーー。帰って来てたの?とかなんとか。 ものすごく久しぶりだったので、最初はふたりともぎくしゃくしていたけれど。
じゃぁ兄貴の船で沖に行こう、ということになった。 彼は喜んで、あいつとあいつも誘おう、とはしゃいでいた。 釣りの道具のなんとか(もう忘れてしまった)について、わたしの兄が多くのことを知っているからすごく頼もしい、とも言っていた。 わたしは彼が兄のことを知っているのを不思議に思ったけれど、なんだか嬉しかった。 そっかぁー。そっかぁー。 釣りのことはよく知らないし好きでもないのだけれど、兄貴が船を持ってて良かったー!と、心から喜んだ。
早速友人たち(ひとりはわたしの従兄弟)を呼びに行く、と彼が言うので、わたしも一緒に行きたい、と言った。 ちゃんとふたりになって話をしなくちゃ、と思った。 言わなくちゃならないこと、或いは、聞かなければならないことがあるでしょう。なぜかそんな気がした。
出かけようとすると、サンダルが片方しか見当たらなかった。 あれれ? 慌てて探すのに、玄関にあるのはどれも片方ずつのサンダルばかりだ。 なんでこんなにいっぱいあるの?というくらい、ばらばらに。 彼は笑いながら見ていた。 わたしは「待ってて、待ってて」と繰り返しながらサンダルを探していた。 「待ってて、一緒に行くから、待ってて」 最初は笑いながら探していたのだけれど、だんだんそのうち、夢から覚めてしまうんじゃないか、と不安になってきた。 消えてしまったらおしまいだ、もうどれでもいいや! そう思ったとき、やっと見つかった。 そのサンダルは外に置いてあった。わたしのじゃない。母のものかもしれない。 茶色で、小さな貝殻が花の模様になって飾られた、なんとも時代錯誤な感じのものだった。
わたしたちは一緒に歩いて浜のほうへ向かった。 少し遠回りになるけれど、海沿いの道を歩いて行こう、と言って。 ふたり、手を繋いで歩いた。 ちょうど良い潮風だった。 あぁ良かったー。こうやって一緒に歩けて。本当に良かったー。 わたしは安心していた。嬉しくて楽しくて心地よくて。 あぁでも何か言わなきゃ。。。。
そう思ったら、ふと、目が覚めた。 慌てて、夢のつづきを見ようと思って目を閉じたけれど、もう彼には会えなかった。 夢のなかで、彼は何か言いたかったのかなぁ?何か聞きたかったのかなぁ? いや違うな。 あれはあれで完結。そしてそれはわたしのなかに溶け込んでいったのだ。 あぁ〜。良い夢だった。
きみは相変わらずカッコ良かった! 嬉しそうに楽しそうにしてたから安心したよ。 夢のなかに来てくれてありがとう。 いつかまた、会いましょう。
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