ぶらんこ
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2006年01月24日(火) 待つ

「前向きに受け止めましょう」

たぶんそのひとは誠意を込めて言っているのだ。
よかれと思って言っているのだ。
きっとそうできるよとの想いを伝えたくて言っているのだ。


ときに言葉はよけいなものとなる。


ただその想いだけを向ける。
言葉でなくて何かで「伝える」。
それはきっと表情とか仕草とか雰囲気とかであるのかもしれない。
なんの助けにもなっていないような、誰も気付かない、ちいさなものかもしれない。


でも彼には確かに伝わるだろう。
それは「今」でなくてもいいのだ。
彼には彼だけの「時間」が与えられているのだから。
彼には彼だけにしか出来ない方法があるのだから。


それを信じて「待つ」ことだ。
わたしは、そう思う。



2006年01月19日(木) デトロイト

デトロイトで入国手続きに手間取ったのは、特に驚くことではなかった。むしろ予想していたこと。
でも、こころは違った。隣でぶりぶり怒っていた。あんまり純粋に怒ってたものだから、今思い返すと可笑しいくらいだ。
彼女は、大雪で出発が一日遅れたので「もう待ちたくないよ」と言っていた。そらそうだ。よくわかる。わたしだって同じ気持ちだった。
でも起こったことは起こったこと。なるようになるまでは付き合うしかないでしょう。


入国管理局のオフィスには大勢の人が椅子に腰掛け、自分の順番が来るのを待っていた。
係員(検査官?)は6人から7人くらい。それぞれが後方の棚からパスポートを取り出し、各ケースに対応するようになっている。
どうやら決まった順番はないらしい。(これは後でわかった。というか、こころがじっと見ていて鋭くも気付いたこと。)
「わたしたちより後に来た人が先に呼ばれてるー。どうなってんのよ。まみぃ、行って聞いてきたほうがいいよ!」
「でもねー。そんなこと彼らに言ったって『名前が呼ばれるまでお待ちください』で終わっちゃうんだってば。」
そう言うわたしに、こころはかなり不満だったみたい。でも、本当は彼女もわかっていたのだと思う。それ以上何も言わなかったからね。
ジタバタしたって、どうにもならないことはどうにもならない。
憤りを覚えたところで、状態が好転することはない。疲れるだけ。これ、ホント。


それにしてもいろんな色のパスポートがあるんだなぁ・・・と、妙に感心してしまった。
フィリピン人、カナダ人、中国人、韓国人。。。それくらいしかわからなかったけれど、他にももっといたと思う。
みんな一様に、疲れている。
そして、苛立っている。

突然、係員のひとりが「そこ!この中は携帯電話は使えないんだ。今すぐ切りなさい!」と叫んだ。
見ると、ひとりの若い女性が携帯電話で何やらやっている。電話をかけていたわけではなく、メールか、或いは保存していた画像でも見ていたのか。
その女性は、係員を一瞬見上げたが、何も言わずにまた目線をケイタイに落とした。
「君のことを言ってるんだ!そこの!帽子の!聞こえないのか。ここでは、携帯電話は、ダメなんだ!」
彼は言葉を区切りながら、はっきりと、力強く言った。
すると、違う女性がたまらず叫んだ。
「彼女は英語がわからないのよ!いい?わたしたちは、ここでずっと待たされているの!
あなたがたが自分のしなければならない仕事をしているんだってことはわかるけれど、その態度にはがっかりよ!」
彼はその言葉にちょっと驚き、そして声を落として言った。
「携帯電話は、ここでは、使ってはいけないんだ。」
若い女性は、彼を見上げ、何も言わずに携帯電話の電源を切った。
・・・日本人だった。
たぶん彼女は彼の言葉を理解していたと思う。きっと憤慨していたので、あえて無視したのかもしれない。
違うかな。。。わからない。
でも、終始、投げやりな態度だった。それはもう立派なほどに。


後からやってきたひとり旅の女性がわたしたちの隣に座り、「どうなってるの?どうしてこんなところに呼ばれなきゃならないの?」と聞いてきた。
「わからない。きっとそれぞれのケースがあるのでしょう。わたしの場合、グリーン・カードの件で。」
「どれくらい待ってる?」
「もう30分は経つわね・・・。」
わたしたちの言葉を聞いて、彼女は大きなため息をついた。
でも、しばらくすると彼女は呼び出され、自由の身となった。ラッキーだ。


あるフィリピン人の男性は、入国許可が降りないようで、長い間、係員とやり合っていた。
係員は親切な態度とは到底言いがたいが、そのフィリピン人の男性もまた、賢い振る舞いだとは思えなかった。
彼は偽りを怒りで誤魔化し、状況をさらに悪化させ、係員はその対応に疲れ、かつ呆れ果てていた。
詳しい内容はわからないけれど、たぶん前歴があったのだろう。彼の再入国は難しいようだった。
結局彼は、別室へと連れて行かれた。その後どうなったかは、わからない。


ある女性はちいさな男の子とふたりだった。
入国管理の手続きのせいで、国内線の乗り継ぎ便に遅れた。
係員が便の振り替えをするべく彼女に航空会社について尋ねると、
「どこだっていいわよ!安いところだったらね!いつもそうやってチケットを買ってるんだから!」
男の子は、怒っているお母さんの傍でなんにも言わず、静かにしていた。
お母さんの怒りが早くおさまるといいな・・・と、祈る気持ちになった。


わたしたちだって乗り継ぎには間に合いそうもない。
でも、便の振り替えをしてくれることがわかったのでちょっと安心した。
しょうがない。どんなに遅れても、たどり着けば良いのだから。
ところで、わたしのケースはなぜか後回しになり、殆どの人が入れ替わった頃、やっと名前を呼ばれた。
まずまず丁寧な対応の係員だったのでほっとした。

手続きをしながら「明日(Christmas Eve)も仕事なのですか?」と尋ねてみた。
彼は「うん。あ、いや。明日は休みだ。けど、Christmas Dayは仕事だよ。」と言う。
「それは残念。。。でも、わたしたちのためにこんな時に仕事してくれてありがとう。」
わたしがそう言うと、彼は「どういたしまして。」笑って答えた。

実際、心から感謝したい気持ちだった。
みんな、このHoliday seasonを、きっと家族や友人と過ごしたくて旅行をしている。
わたしたちみたいな旅行者がいる限り、彼らの仕事は続く。
「国境」がある限り、彼らの仕事は続く。





2006年01月18日(水) 国境

こころは二重国籍で、日本の法律によると20歳までにどちらかの国籍を選ばなければならないらしい。
そういう話になるといつもわたしは「そのうち法律が変わるかもしれないしそのときに考えれば・・・」と言っている。
ジョン・レノンの歌にもあるとおり、本当にいつかそうなるかもしれない。
"Imagine there's no countries"
やっぱり「夢のまた夢」と、ひとは笑うのかな?

デトロイトの空港で乗り継ぎの飛行機を待ちながら、多くの人たちをただぼんやりと眺めていたとき、不思議と静かな気分だった。
こころは疲れて眠ってしまっていた。
人々はみんなどこか急がしそうだった。
笑っている人。
はしゃいでいる人。
怒っている人。
泣いている人。
仕事している人。
いろんな人。
いろいろな肌の色。
いろんな服装。
いろんな言語。

アメリカという国に入国するために、自国のパスポートを持って。


国境がなくなったら、どんな風だろう。
そんなことをぼんやりと考えながら、いろんな人をただ眺めていた。



2006年01月14日(土) 綺麗な


  真っ白にお化粧したうちの庭。

  記録的な大雪となった12月22日の朝の写真。
  お年寄りたちに聞いても「こんなことは初めて」と言う。
  後からわかったのだけれど、この時季の雪、鹿児島では88年ぶりのことだそう。
  なるほど90歳のおじいさんでも記憶にないワケだ。。。





基本的に訪問看護師は朝のミーティングを終えるとそれぞれ訪問車に乗り込み訪問先へと向かうため、殆どステーションにいることはない。
だから、受け持ちの患者さんのことで定期診察日以外でDr.に報告がある場合、外来のNs.を通し報告してもらう。
外来には「訪問看護」担当のNs.がいるので、大抵のことは彼女を通し、動いてもらう。
でも、整形外科関連についてだけは違って、整形担当のNs.に依頼する。
これはなぜか。
ひとことで言うと、医者が『アンポンタン』だからだ(失礼、)
つまり、整形担当のNs.じゃないと、彼にうまく話が伝わらない、ということ。
ひとクセもふたクセもある医者なのだ(わたしは一度も言葉を交わしたことがないが、そうらしい。)

で、この整形の看護師サンというのが、とってもとっても、とっても綺麗な女性(ひと)。
何が綺麗、って・・・・それはもう・・・化粧が。。。。だと思う。
顔が作り物のようにさえ、思えてくるくらい、パーフェクトなお化粧なのだ。
以前、テキサスの病院で仕事してたときに「シェリー」というNs.がいたけれど、彼女みたいな感じ。
とにかく、綺麗。
非の打ちどころがないくらいに。


いつもだと報告は電話で済ませるのだが、(患者さんの状態があまり良くないので)デジカメで写真を撮り、それを持って整形外科へ出向いた。
そこで、彼女と直接話をしたのだけれど。。。。
なんだかあんまり綺麗なので、わたし、ドギマギしてしまう。
近くで見るとマネキン人形みたいだ。いや本当に。

けっして悪い意味ではない。
わたしのなかの「美人」の定義とは微妙に違うけれど、世間一般でいうなら美人或いは超・美人なのだと思う。
長い睫毛をバサバサさせながらにっこりと微笑まれて、思わずへらへらしてしまった。。。。。
見とれてしまう、というのはこういうことなのかもしれないなぁ。

あんな風になりたい、とは思わないけれど、一度でいいから、彼女にお化粧してもらったらどうなるかなぁ・・・と想像していた。
そしてこの話をこころにしたら「まみぃは綺麗だと思うよ。わたしの友達もみんなそう言ってるし。」と言う。
えええ?ホントに????他には?なんて言ってた〜?にへらにへら。


わたしのことを「綺麗だ」なんて言ってくれるのは、訪問先のおじいちゃん・おばあちゃんばかりだったのに。
そっか。わたしも「綺麗」なんだ。
これで年齢層が拡がった。
高齢者か、ティーンエイジャー。
・・・・・・・とりあえず素直に喜んでおこう。綺麗なひとは素直な心を持っているのだ。笑




2006年01月11日(水) 純粋

少し前に受け持っていた患者さんが亡くなった。
ぽっかりと心に穴が開いた気分だったのが、少しずつそのこと(たぶんそれは喪失の感覚)を受けいれられつつある。
というか、その穴を日々の雑事に紛らせ考えずにいることに慣れてきた感じの今日この頃。。。

来週から新しい患者さんを受け持つことになった。
病名こそは違えど、亡くなった患者さん同様、厚生大臣が定める特定疾患の難病の方である。

今日、ソーシャル・ワーカーさんからその方のケースの詳細を紹介していただいた。
難しいケース。
なんとなく・・・気が重い。。。


このところずっと、亡くなった患者さんに対し、はたして自分は何をしてきたのだろう、と考えていた。
なんにも出来なかったんじゃないか、と思う。
もっと何か出来たんじゃないか、と思う。
ああすれば良かった。こうすれば良かった。そういう想いを巡らせるときりがない。

でも、その人にとって何が出来るか、などと考えるのは危険な「驕り」でもあるような気がする。
わたしが彼との関わりのなかで何か(今こうして葛藤していることも含めて)を得たのだから、彼にとっても「何か」はあったのだ。
そう、思いたい。
なぜなら、人と人との関わりというものは、けっして一方通行ではないから。



もっと純粋な心で、患者さんに向かいたい。
純粋に、その人のもっているものすべてを認め、信頼したい。



marcellino |mail