ぶらんこ
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使命感とか義務感ではなく
地位や立場といったものは
無に等しい
姉のお店ではいつも穏やかな曲が流れている。 どこまでも優しく、静かで心地良い。。。 曲じゃないときもある。 1/f(ゆらぎ?)とか呼ばれる音。 森に流れるせせらぎや鳥のさえずり。波の音。波と遊ぶイルカの声。。。 こういった音は、疲れた体と心に良いのだろうと思う。 休息を求めてやってくるお客さんにはきっと必要な「癒し」の音。
時々わたしも(お客さんのいないときに)ひまし油パックをやってもらっている。 温かいひまし油パッドをお腹に当てるのだが、ベッドに横になって音楽を聴いていると、とろとろといつの間にか眠ってしまう。 疲れてるわけでもないのに。。。と、不思議に思う。 でも無自覚なだけで疲れているのだろうな。。。たぶん。
「癒しの音楽」といったようなことが書かれているCDを聴いていて、思い出した場所がある。 ナウシカが呼び寄せられた幻の庭。 今、手元に原作本がないので、その場所の名前が思い出せない。。。 (全7巻の漫画版「風の谷のナウシカ」に出てくるシーン。映画には登場しない。)
そこは、きらきらとした光が降り注ぎ、そよ風の吹く平和な「護られた」場所だった。 外界からは見えない。つまり、存在しない場所だとも言える。 ナウシカはそこへと入り、そして、いつまでもそこにいたい、と願う。 すべてが調和に満たされたその場所に。
けれども、ナウシカはやがてそこから出て行く。自分の力で。 引きとめようとする強い存在に、彼女はきっぱりと言う。 「無駄です。オーマに名前を与えたときから、わたしは心を閉ざしました。」
わたしは映画になったナウシカの曲たちが大好きだ。 わたしにとっての「癒し」の音楽だと思っている。
腐海の中で、胞子の結晶が雪のように樟気の森に降り注ぐときの、どこまでも透明で静かな、美しい音楽。 蟲たちがざわめき始め、森が異様な雰囲気になるときの緊張した音楽。 ナウシカが怒りに燃え上がり、闘い、人を殺めるときの、荒々しい力強い音楽。 王蟲が登場するときの、神々しくも重厚な音楽。 ナウシカの心をあらわす、深いふかい悲しみの音楽。 風をつかみ、空を飛ぶ、優しくてとても自由な音楽。
いろんな音に、メロディーに、サウンドに、自分の心が重なる。 憤り、苦痛、自責、抗い、激しさ、悲しみ。。。 自身の中の感情が、音楽とともに体中の細胞ひとつひとつにしみわたっていき、ほとばしる。 そして最後に、心は静かな喜びに満たされていく。 希望。しあわせ。祈り。。。 そういった言葉が心に浮かんでくる。 なぜかわからないけれど、いつもいつも涙が出てしまう。
音楽というものは本当に美しいなぁ。。。と思う。 それに響きあう、ひとの心も美しいのだろうな。。。と思う。
そして、「癒し」ということもまた、そういうものなんじゃないかなぁと思う。 優しいだけでない、静かなだけではないもの。 交響曲のように。 出会い、経験、共有、変調、放出、受容。。。
一連の流れがあってこその、美しさ。
ひとには、たくさんの水と風があれば良い。そして、少しの火。 多過ぎる火は何も生まない。
・・・
「風の谷のナウシカ」を見た。 先の言葉は、ミト爺(たぶん)がクシャナに言ったもの。
水と風。火。
わたしは「水」の星座。
今日は雨降り。。。
 すれ違いざまに、こんな言葉をかけられた。
「もう少しですよ。」
なんて良い言葉なんだろう。。。
これまでずっと、自分に言ってきた言葉。 これからもきっと、ずっと、言い聞かせるであろう言葉。
もう少し。 もう少し。
テレビで30人31脚?というのをやっていた。 全国各地から選出された小学生の全国大会ということだった。 各チームの練習方法やメンバーの紹介などもあり、思わず真剣に見てしまう。 それぞれのチームに、こちらの気持ちが入ってしまう。。。
それにしても、チームというものはいろんな色を持っているなぁと思う。 それぞれが地区大会を勝ち残ってきたのだから、皆、力を持ったチームばかりだ。 きっと皆が、ほぼ同じくらいの力なのだろうと思う。 それでも、それぞれのチームの色がある。 それは「感じ」とか「雰囲気」といったもの。 そしてそれは、たぶん、率いる先生(コーチ)の色なのかなぁ。。。と、ぼんやり思う。
真剣に、ひたむきに、鋭い目で、こどもたちが叫ぶ。 「気合いだー!!」
わたしは、ただただ、感嘆している。 それと同時に、自分があの中にいなくて良かった。。。なんて思ってしまう。 こころがあの中にいなくて良かった。。。なんてことまで思ってしまう。
彼らは夏休みの間も、毎日欠かさず練習してきた。 毎日、だ。 たかだか10歳や11歳なのに。 そんなこどもたちを統率する先生の熱意も、すごいものがあるなぁと思う。 わたしには出来ない。 出来ないし、したくない、と思うだろう。 でも、「したくない」なんて言えるのだろうか? 『みんなの気持ちをひとつにして、頑張ろう!』 そんな言葉が頻繁に叫ばれる中で、「わたしはやりたくない、、、」なんて、言えるだろうか?
たぶん、やりたくない、、、と思いながらも「やらされてる」こどもが、あの中にはいる(いた)だろうと思う。 どんなに頑張っても足の遅い子もいるだろうし、 どうやったって、リズムの合わない子もいるだろう。 他の子に比べたら背が高過ぎる子もいるだろうし低過ぎる子もいるだろう。 太っている子。 体力のない子。 いろんな子がいるだろうと思う。
でも、そんなこどもたちも、練習を重ねていくうちに気持ちが「ひとつ」になっていくのだろう。 それはたぶん、ちょっとした「洗脳」のようなものでもあるように思う。
それが悪い、と言いたいのではなくて。。。
教師は、そのようなこどもたちひとりひとりの持つ色を知っていて欲しいと願う。 いろいろな色があって、ひとつの色を創りだす、ということを知っていて欲しい、と願う。 みんなみんなそれぞれが違ういろんな色、ということ。
そして、こどもたちもそのことを知っていて欲しい。
何かに、純粋にひたむきに熱心に力を注ぐということは、とてもとても素晴らしいことだ。 そんななかで、自分の持っている色があること。 その色もまたどんどん変わっていくこと。 いろいろあって良いんだ、ということ。
そんなことを思いながら見ていた。。。
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