ぶらんこ
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自由になるということは、責任を持つということ。 自分の行動に。言葉に。雰囲気に。 自由でいるということは、自立すること。 自分でしっかりと立っていること。 自分を尊重し、相手を認めること。 そういうことだと思う。 そうなりたい、と思う。
我慢することが良いことだとは思わない。 犠牲になるというのも、不自然。
心を込める。 なにごとにも。 そして、自分で決める。 いろんなことを。
自分が決める。 なんでも。
得る。 失う。 つかむ。 手放す。
流れる。
流れる。
フェリーに乗った。 大きな翼の鳥が海面ぎりぎりのところを飛んでいた。 彼は、ときにその両足を下ろし、海面から水しぶきをあげて、遊んでいる。 えさを採っているんだよ、と、近くで誰かが言ってたけれど、わたしは密かに、違うよ。。。と、思う。 あの鳥の気持ちがわかる。 すごいスピードで水を蹴る。何度も、何度も。その軌跡を見せるために。 もっと速く。角度を変え、場所を変え。 そして空へ飛び立つ。自分の影を見るために。海がその姿を見せてくれるから。 ほらね。あれは遊んでいるのだよ。と、わたしは勝手に決め付けて見ている。
時間があったので、本屋に寄った。 ハードカバーの本が死ぬほど好きなのだけれど、お金が勿体無いので、もっぱら文庫本ばかり買っている。 その文庫本を買うのからも最近遠ざかっていたのだけれど、本を読もう!と思い立ってからは、なんだって買いたい気持ちだから不思議だ。 欲しかった本を見つけ、その後は、そこいらの本をぼんやりと眺めていた。 目に飛び込んでくる本があったら買おう、と思って。 手に取り、棚に戻し、をくり返していくうちに、1冊の本が目に入った。 パラパラとめくり、作者を見る。 鹿児島出身。 単純にもそれだけのことに運命的なものを感じ、同じ作者の本を2冊選んだ。 文庫本とはいえ、この衝動的な買い方に、ちょびっとだけ罪悪感を感じる。 だけど、良いのだ。 今は多くの本を読みたいから。
レジに向かって歩いていると、「幸福になる方法」とかなんとかいう本を見つけた。 何万部も売れているらしい。知らない作者。でもわたしが知らないだけで、きっと高名な人なのだろう。 「幸福を自分のところへ引き寄せる方法を教えます!」などというようなことが表紙に書かれてある。
ふ〜〜〜〜〜ん。。。と、思う。 幸福ねぇ。。。と、思う。 引き寄せるねぇ。。。と、思う。 そして、 余計なお世話じゃぃ・・と、思う。
このような類の本に、わたしは非常に懐疑的だ。 違う。いろんなことに対して、わたしは懐疑的なのだと思う。 いつも、まずは疑う。冷めた目で。だから、何よ。という感じで。
「さぁ、自分に自信を持って!」と書いてあった。 自信なんてなくたって良いよ、と、変な自信を持ちながら、その本を戻す。
きっと、わたしはすごく傲慢なのだろう。 そして、根性がねじれているのだろう。
相田みつを氏の言葉も、正直なところ、最初は「嫌悪」に近いものを覚えた。(これは、以前にも書いたことがあったと思う) こんなことを言うと、ますます、自分という人間が酷い人に思えてくる。
今は、そうでもない。彼の詩を読んで、 なるほどなぁ。。。と、思う。 すごいなぁ。。。とも、思う。 綺麗だなぁ、とも、ありがたいなぁ、とも、あぁそうだったんだなぁ・・・とも、思う。 素直に、素晴らしい人だったんだぁ。。。と、思う。 そして、一時的とは言え、嫌悪していた自分を恥じてもいる。
それでも、心はこう思っているのだなぁ。。。 「でも、自分で決めるからいいよ」 ―それで良いような気もする。
夜の海はまったくの黒だ。 遠くの連なった灯りたちが、陸であることを示している。 こころが黒い海に浮かぶ白い波しぶきの写真を撮っている。 わたしが昼間したこととおんなじことをしているので、可笑しい。
ふたりで黒い海を眺めていた。 考えてることは、それぞれなんだろうけれど、こういうのって、良いなぁ。。。と、なんだかしあわせな気持ちになった。
こんな言葉を見つけた。 ・・・
私はうなずいた。 “母が灯台としてあまりにこうこうと明るすぎるから、 通りかかる船はみな混乱し、さまざまに奇妙な運命が寄ってきてしまう” というのを直感的に知っていた。 ある種の魅力は、その存在のエネルギー自体がただひたすらに変化を求めるのだと思う。 そのことに母はうすうす気づいていて、傷ついている。 だから、言葉にしない。
『アムリタ』 吉本ばなな
・・・
心に強く残った。
わたしは、過去にそのようなことを言われたことがある。 何人かの人に。 自分のことをそう思っているわけではないけれど。 だから傷ついてもいないのだけれど。
こうこうと光る灯台。 くるくるとまわる光。
こころが長崎へ行った。 研修旅行というもの。 2泊3日。 なんでよりによってこんなときに・・・と、思ってしまった、駄目母。。。
「皆さん、おはようございます!」 先生が挨拶すると、それまでがやがやしてた女子生徒たちは姿勢を正し、口を揃えてこう言った。 「おはようございます。 『心 清き者は 幸いかな』」
この言葉、知ってる。 でも、誰の言葉かは覚えていない。聖書に出てくる言葉。
心清き者。
清き者。
心の清らかな者。。。。
少女たちは、意味を知って言っているのだろうか? それとも、ただ、毎朝、反芻しているだけ? うまく飼いならされた?もっと極端に言うと、洗脳された? 違う。。。そんな感じはしない。 少なくとも、彼女たちの顔は、そんな顔じゃない。
それでも、そのリズム正しい言葉を聞いたわたしは、思わず笑ってしまった。 端っことはいえ、仮にも、彼女達の目の前にいるのを忘れて。 不謹慎この上ない。でも、素直な気持ちでもある。。。 こころを含めた何人かの少女が、わたしを見て、悪戯っぽく笑った。 その笑顔。。。 敵わないなぁ・・・と、思うわたし。
わたしの目から見た少女たちは、それはもう清らかだ。 素直で、心開いてて、希望に満ちてる。 きっと(こころももちろんそうだが)、ひとりひとり、それなりの悩みはあり、その子の感じている世界は、暗く、辛いものであったりする のかもしれない。自覚の有無、関係なく。
それにしても、清らかな心って、どんなだろう? 何かを信じて疑わないこと? それとももっと身近なところでは、嘘をつかないこと?
・・・その言葉は、わたしの心に、聖母マリアを思い起こさせる。
聖母 Mother Mary 女神 その呼び名は、なんとでも。
清らかな心か。。。あーーー難しいなぁ・・・と思う。 清らかでいたい、と願う心は、もう既に汚れているから。 それとも、そう願うだけでも、まだ救いがあるというの?
こころはクラスメイト達と、それはもう楽しそうにけらけらと笑っていた。 あの子の毎日の努力は、このためなんだなぁ・・・と、しみじみ思う。 その姿を見て、あー清らかだなぁ。。。と、思った。
わたしは、たくさんたくさん、言葉には出来ないくらい、汚れてしまったけれど、でも、清らかな心に憧れる。 そうありたい、と今でも願う。
そんな、地べたを這う、ちいさな魂でいい。。。と、思う。 ちさき者でありたい、と、思う。。。
「宮崎方面」と、大きく書かれたボードを背中にしょいながら歩いている男の人がいた。 どうしよう。。。と一瞬迷ったが、通り過ぎるときにちらりと見ると、まだあどけなさの残った顔をした少年だったので、車を停めた。 なんとなく。危険ではないだろう、と思って。
こころが駆け寄って「志布志までですけど、乗りますか?」と聞くと、彼は嬉しそうに「ありがとうございます!」と答えていた。 長いカーブの手前のほうだったが、後方にずらりと車が並び、ちょっと申しわけなく思った。 少年は、あまりにも長い間、歩いていたからだろうか。手足が思うように動かないのか、乗り込むのになかなか手間がかかった。
少年といっても、たぶん19・・・或いは20.。。いっても21くらいかな? 半袖のTシャツに短パン。出している両腕、両脚、もちろんその顔も真っ黒だった。
「ありがとうございます!よろしくお願いします。」 そう言いながら、彼は後部座席に座った。 荷物は大きなリュックひとつに、なにやらいろいろと入った手提げ袋が二つ。
彼が車に乗り込むと、 もわー。。。と、土か砂・・・埃かな?そういった大地の賜物がお日さまに照らされ、それが汗と混じったような、 そんな匂いがした。とても力強い、それでいて、優しい、懐かしい感じの。
志布志へ行くまでの間、彼の放浪生活を聞いた。 千葉を出発し、ヒッチ・ハイクをしながら本州、九州へと入り、つい最近までは沖縄で2ヶ月間、滞在していたという。 そして、昨日、鹿児島へと入り、今日は本州南端の佐多岬まで行ったらしい。もちろん、歩き&ヒッチ・ハイクで。 「結構、優しい人がいるもんで、乗せてもらえるんです。」と彼は言った。 彼のなかでは、わたしもその「優しい人」のうちのひとりなのだろうか。
彼の話は聞いていて、とても面白かった。 特別に話が上手いわけでもないのだが、彼がとても素直に喋るので、聞いていて、嬉しくなるのだ。 「沖縄の人って。。。なんていうか・・・湯船に浸からないんですよね。。。」 わたしが奄美大島出身だということを聞いた後だったせいか、彼はちょっとだけ遠慮しながら言った。 「え???そうなの???」 そう聞き返しながら、・・・あーーーでも、わかるかも。。。と、思ったりした。 島っちゅは往々にして「面倒くさがり」だから。 特に夏場だと、暑いのに、わざわざ熱い湯船に浸かろうとは思わないかも。 シャワーでいいや、と思ってしまうかも。 どうだろう?よくわからないけれど。
「お世話になった、どこの家でもそうだったんです。だから、ちょっと意外で。。。湯船が恋しいな、とか思っちゃいました。」 そんなことを言って笑っていた。
彼は来年は、アメリカへ1年間、留学するそうだ。 なんの勉強をしてるのか、とか、どこの大学なのか、とかは聞かなかったけれど 「すごく良い経験になると思うから、是非、行ってらっしゃい!」と、エールを送った。 「そうですよね!」彼は心から嬉しそうに答えた。来年まで待ちきれない、といった感じだった。
志布志に到着し、日南方面と書かれた標識の辺りで、車を停めた。 彼は車から出て荷物を降ろし、ごそごそと何かを取り出して恥ずかしそうに言った。 「これ・・・くずれちゃってて申しわけないんですけど、乗せてくれたお礼です。本当にありがとうございました!」 そう言って手渡してくれたのは、沖縄の『ちんすこう』というお菓子だった。 本当に、形がわからなくなるほど崩れてしまって、粉だらけだったので、袋の名前がないと、わからないくらいだった。
彼を見送りながら、身軽なことっていいなぁ。。。と、しみじみ思った。 自分のちいさな決断ひとつで、どこへだって行ける。なんだって、出来る。
でも、それは彼があの歳だから、とか、そういうことではないように思う。 もちろん、ある程度歳を取った大人には、家庭があり、社会的な立場があり、いろいろな役割がある。 その中でも、人は皆、自由であるはずなのだ。 精神の自由。
物理的なものでなく、精神的に「身軽」であれば。。。
帰り道、そんなことを考えながら、わたしもひとつひとつ、はずしていけるといいなぁ・・・と、思った。。。
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