2005年02月24日(木) |
「誰かへのラブレター」 |
某所に「誰かへのラブレター」という場所がある。 どうやってそこにたどり着いたのかは、忘れた。 でも、そこを訪れるようになって、わりと長くなった。
その場所は、タイトルどおり、「誰かへのラブレター」を書けばいい。 ただし、
それは、思いのままにつづれるようにするための配慮らしい。 続きをつづりたい人は、自分のカキコにレスする形でつなげている。
長く見ていて思うのは、 「世の中に、伝えられない思いを胸に秘めている人は多いんだな」ということ。 みんながみんな「片思い」の立場ではなさそうだ。 けれど、「想いが伝わらない」という点では、ある意味、たとえ相思相愛の人々でも、その伝わらない想いに関しては、「片思い」といえるかもしれない。
「想いが通じる」「心が通い合う」ということは、しあわせな現象だと思う。 なぜなら、「通じない」ことのほうが多いからだ。 「通じない」現実があるから、「通じた」ときのしあわせが輝くのかもしれない。 「死」を思うと「生」がよりきわだち、輝くように。
「光」と「陰」を意識してくらすと、手にしていて見えなかった輝きが見えるかもしれない。 そう思うきょうこの頃です。
おむつを洗いながら、夢をみてる。 へんな話だ(笑) でも、単純作業は、夢に思いを馳せやすい。
“ああ、歌いたいな”と思う。 ネットで歌ってる人たちの中には、結構ネットだけじゃなく、リアルworldで活躍してる人も多い気がする。
ほんとうは、私もそうなりたい。 でも、時間がない。 いや、ほんとうは、私の場合、時間より実力のほうが問題だとわかっている。
実力をupするか、夢をあきらめるか。 それが選択肢だと思う。
なんとかがんばりたいと思う。 でも、現実の取り組みは進んでいない。 今のくらしにもうすぐ、仕事がプラスされる。
誰にも望まれていないし・・・ そういう気持ちになったこともある。 なることもある。 それは、歌にかぎらず、HPだって。 励ましてくれる人がいるのに、そういう気持ちになってしまってた。 けれど、ちゃんと自分とむきあえば、 「人がどうこうより、自分がどうしたいのか」 究極はそこだ。
本音は、人にもとめられたい。 でも、それは付録だ。 自分のために、がんばりたい。 がんばらずに、人をうらやみたくない。
それは、歌にかぎらずだと思う。 その教訓を自分にいつでもたたきこめるよう、強くありたいと思う。 本来は、人はありのままでいいと思うが、ありのままでは自分が支えられない。
2005年02月21日(月) |
こころのやわらかい部分 |
心にはやわらかい部分があると思う。 それを大事にしたいと思う。 自分のはもちろん、人のも。。
「こころのやわらかい部分」。 それは、傷つきやすい部分。 素直で飾り気のない部分。 人に受け止めてほしい部分。 優しく人とふれあえる部分。
ざっと、こんなイメージ。
自分でいうのもへんだけど、わたしと話せてよかったと言ってくれる人がいる。特定の人というわけじゃなくて、今まで生きてきた中でそういう経験があった。 そう言われることは、うれしかった。 なぜなら、「あたしは必要ない人だ」とよく思ってきたから。 「話せてよかった」と言ってもらえる(思ってもらえる)ということは、その時は、きっと「あたし」という人間が役にたてた、ということだから。
ネットの世界にすむようになって、約3年半ぐらいになる。 この特徴的な世界で、わたしは、自分らしく過ごしてきたと思う。 でも、同時に、リアルworld以上の気遣いをしてきたと感じる。 表情やニュアンス、行動で示しにくい分の気遣いはしてきたつもりだ。
そのせいで、わたしはわたしで、リアルのわたしとはあまり変わらないけど、ただ、配慮するぶん、リアルworldのわたしより、いくぶん「やわらかい部分」が増えてると思う。 そういう面がより多く現れてるのだ。おそらく。 自分をいつわってるわけでもなく、格好つけてるわけでもない。 まして作ってるわけでもない。 ただ、気の荒い部分などは押さえられてるかもしれない。
もしも、わたしの「やわらかい部分」をいいと思ってくれるなら、ありがたい。それは、このネット世界によって、育てられた気がする。 それは、ネットだけに育てられたわけではないが・・・。
ただ、「やわらかい部分」は、もろさもある。 その分、もしかすると他人様から、ばかにされることもあるかもしれない。 でも、ほどよく大切にして、くらしていこうと思う。
わたしにも血が通い、涙もながす。 表にはださなくても。
特別必要とされなくても かたすみに生息していよう
ふと誰かがきて やすらいでくれるかもしれない
ときどき 人のぬくもりがほしくなるけど なるべく 望まないように しよう
わたしはわたし。 でも、ときどき 「あんたにいてほしいよ」と 評価されたいときもある。
じろちゃんは、歯が8本。 もう少しで立てそう。 音楽に合わせて手をふる。 歌うように何かいう。
テーブルの上に手が届く。 ガスレンジのつまみにも手が届く。
ときどき高ばいをする。 でも、“おっさんポーズ”もたまにする。
あと1ヶ月半。 いっぱいスキンシップしておこう。

|