たとふれば こころはきみに よりながら

2004年12月01日(水) 降りてきた歌

 じろちゃんが活動的になり、ますます自由がきかなくなった。
 今日は天気がいいので、あきらめて散歩にいくことにした。
 どっちみち何もできないのなら、なんかできることをしたほうがいい。
 休憩挟んで、3時間ぐらい歩いた。
 ベビーカーおして。

 誘惑に勝って、昼食は2時半頃、家で食べた。
 豆腐屋のチラシをみながら、なぜか、
「枯れちゃったなあ・・・。」と思った。
 曲が書けない、というか、それ以前に発想がわかないのだ。

 ふとある曲のことを思った。
 「降りてきた曲」。
 そんなたとえがぴったりだった。

 わたしの場合、曲が浮かぶ時は2種類ある。 
 一つはピアノなり、ギターなりをつかって、ひねりだす曲。
 「紡ぐ」といったほうがいいかな?
 もう一つは、「降りてくる曲」。
 メロディが、勝手に浮かんでくる。

 「降りてくる」ほうは、たいてい一部のフレーズだけだったり、その場を過ぎれば忘れてしまったりで、なかなか残らない。
 
 でも、ある歌は、違った。
 かなりまとまって「降りてきた」。
 最初とサビがうかび、一部歌詞もくっついてた。

 形にするまでには、少し間があり、最後は紡いだけど。

 忘れられない歌になった。
 「その歌を超える歌を書きたい」と思って、今日まで来た。
 未だに・・・。超えるどころか、すっかり書けなくなった。
 「超える歌を・・・」の想いも最近忘れていた。
 
 ふと、その気持ちを思い出した。
 他人様からしたら、なんということもない歌だろう。
 でも、静かに、ささやかに、大事にしたい。 



2004年11月28日(日) 7ヶ月末

 ふと気づいたことがある。

 今、じろちゃんが7ヶ月末を迎えている。
 たろ吉のときは、仕事を再開した頃だ。
 きっと必死で余裕がなかったのだろう。
 その頃の記憶があいまいだ。

 じろちゃんが何度も夜起きるので、寝不足でつらく感じている。
 朝もついつい寝坊しがちだ。
 でも、たろの時は、もう仕事に行き始めてたんだ・・・。

 そう気づいたら、ちとがんばって、朝早く起きられるように、体を慣らさないといけないな、なんて思う。

 でも、裏返して言えば、「ゆっくりできるのは今のうち」だけなんだから、ゆっくりしてもいいじゃない? ってことでもあるから、ちと悩ましいな。

 いずれにせよ、1歳まで一緒に過ごせるじろちゃんとの時間。
 大事にしたいな。
 いい日に生まれてくれたもんだ。エイプリールフール男(笑)



2004年11月26日(金) 10年後に託す

 今月の始め頃、某所で手紙を出した。
 10年後に配達してくれるという手紙だ。
 とりあえず、自分宛にした。

 そのサービスを知って、興味がわいた。
 でも、ちょっとこわさを感じた。
 10年後、自分が生きてる保障なんてどこにもない。
 そういう気持ちが浮かび上がってきた。

 書くときは、何を書こうかという単純な迷いに加えて、自分以外の人が開封するという可能性も考慮しないといけないな、と思った。
 結果、たいしたことは書いてない。
 便箋1枚半ぐらいの「なんじゃこれ?」という文になった。
 
 万が一のことがどうしても頭から離れなくて、半分は家族あての単純なメッセージになった。特に、子どもたちにむけて。

 ただ、一行、自分だけにわかるメッセージを書いた。
 「絵に描いた餅は、食べられましたか?」

 これは、わたしの言ではないけれど、伝え聞いて「いい言葉だなあ」と思って、最近印象に残っている言葉だ。
 普通は食べられない絵の餅。
 でも、「絵」=「夢」で、「食べる」=「実現」の意味なんだろう。
 「そのままでは食べられない」=「実現にむけての努力が必要」。
 生きる上での心構えのようなものが、ぱしっと短く、象徴的に表現されてると感じている。

 その言葉を、10年後の自分に送った。
 本当はもっと具体的な想いや事柄がこめられてる。
 あえて文にできなかった気持ちが・・・。

 10年後を思うとこわかった。
 いつも「8年後の自分を見てみよう」と、自分をはげますこともあるのに。
 具体的に手紙という媒体があると、保障のない未来が具体化された気がしたのだろう。
 けれど、そのこわさから逃れたい気持ちもあって、ふと気づいた。
 10年後はいきなりくるのではなくて、1日1日の積み重ねではないか、と。
 
 こわいと言っても、10年前のわたしは、今のわたしをほとんど想像しなかった。でも、とりあえず、わたしは今、存在してる。
 よくも悪くも積み重ねて、今日まで来た。
 だから、これからの10年も同じだ。1日1日の積み重ねなんだよ、と。

 手紙を出したのが、11月6日。
 まだ、1ヶ月もたってないけど、精一杯過ごせてるかな?
 時々、自分に問うている。
 10年後のわたしが、後悔でいっぱいの人とならぬように、毎日、バトンをわたしたい。
 昨日から今日、今日から明日のわたしへ。



2004年11月25日(木) 引退後のくらし

 日記のほうにも書いたけど、なつかしい人に今日会った。

 若い頃、仕事でお世話になった人だ。
 退職後、ふるさと方面に帰られたと人づてにきいていた。
 だから、この街で会うなんて!とびっくりした。

 ふるさとは田舎で、海も見えるらしいし、いいところらしい。
 もう引退したら、こんなごみごみした街中はいやだ、とのこと。
 わたしが昔、ちょっとだけゴルフをしていたので、そんな話にもなった。
 ゴルフ場も平日まわったら安いし、当日の朝でも予約がとれるし、2人でラウンドできるとのこと。
 2人とは、「ご夫婦で」である。
 ゴルフ云々の環境はともかく、仲がいいのだろう。
 うらやましい話である。
 そういえば、昔お世話になってた頃に、「夫婦でショートコースをまわった」なんて話も聞いたなあ・・・と思い出した。
 引退後、急に仲良く・・・なんてわけにはいかないよな(笑)

 わたしは自転車にのっていて、前かごには、じろちゃんが乗っていた。
(子どものせ専用のかごです。念のため w)
 その子をみながら、「今たいへんだろうけど、一時のことだからがんばって。今、できることをやって。」という話をされた。

 振り返ってみれば、その人は、その時その時を楽しんで過ごしていた人だったと思う。大事にしてたとも言えようか。
 自分はどうしたいか、はっきりしていた人だったと思う。
 自分なりの方向性を持つことって、大事だ。
 それが、あやふやだと、悩むことになる。
 わたしは、そういう部分があるように感じる。すべてにおいてではないけどね。



 悠々自適の暮らしかあ。。
 といって、わたしは、早く引退したいわけではない。
 仕事はこのままやめたいという気持ちもないわけではないが、今「退職」という選択肢は、わたしにはない。
 働かなくちゃならん。
 どうせ働くなら、過労死しない程度にがんばろうか・・・と気合を入れなおしてるとこである。
 なぜかというと、「やめたい」という考えがよぎるぐらい、希望をなくしてる部分が正直あるからだ。

 自分に与えられた環境はいろいろ限りがあると思う。
 でも、今しかできないことたちを大事に、どうせ取り組むなら、前向きに向きあっていきたいと思う。
 仕事もくらしも。



 なつかしい人に会って、悠々自適のくらし、いいなあ・・・と思いつつ、日々を大事にくらして、歳月を重ねていきたいなあ、と思ったのでした。 



2004年11月24日(水) 欲張り

 きっとわたしは欲張りなんだろう。
 時間が足りない、といつもあせってる。
 そのくせ、上手に時間を使えていない気がする。

 子育てに専念しないといけないのに、
 夢を見すぎているのかもしれない。

 でも、どうしても埋めたい気持ちがある。
 課題を一つずつ実現して、自信をつけたいのかもしれない。

 「ありのままでいいよ」と人にいいながら、
 「自分はこのままではだめだ」と思ってる。

 前向きなことをわざわざ言うのも、今は気がひける。
 でも、後ろ向きなことも、口にしたくはない。

 胸の奥で何かがつかえてる。。。

   


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