小ネタ日記ex

※小ネタとか日記とか何やら適当に書いたり書かなかったりしているメモ帳みたいなもの。
※気が向いた時に書き込まれますが、根本的に校正とか読み直しとかをしないので、誤字脱字、日本語としておかしい箇所などは軽く見なかった振りをしてやって下さい。

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7月29日(笛/渋沢克朗)。
2011年07月29日(金)

 人生相談は行きずりの人とするのがオススメです。








 ズンドコ節を歌いそうな顔で酒を飲んでいる男がいる。
 遅れてきた飲み会で、たまたま隣にいた人のことを彼女はそう思った。
 ズン、ズンズン、ズンドコ。

「きよしー」

 ぽそりとつぶやくと、隣からは「え?」という怪訝そうな声が戻って来る。聞こえたらしい。

「落ち込んでますねぇ」

 笑いながらそう話しかけると、隣の男は苦笑した。居酒屋の白熱灯に照らされた髪が琥珀色に透ける。同年代の中でも体格がかなりいい男だった。
 遅れてきたせいで、自己紹介もろくにしていないまま隣り合っていたが、向かいの席の友人がちらちらと彼のほうを見ているのはわかった。

「ごめん、空気読んでなかった」

 はは、と笑ったその顔は、たぶんイケメンに属する。
 同じように笑みを返しながら、とりあえずそう思った。

「イエイエ、落ち込んでもよろしいんじゃないかしら。ただしイケメンに限って」
「…褒められてる、のかな?」
「ええまあ一応。空気読めないのはマイナスポイントだけど、顔の良さで帳消しにしてあげる」

 それはどうも。そう言ってまた笑う眉目の整った、高身長かつ爽やかな雰囲気。なるほど友人が注目するはずだ、と内心でうなずいた。
 友人の友人の知人レベルが集まった飲み会の総人数は、居酒屋の広い座敷をすっかり埋め尽くしている。一体どの線の友人なのかは知らないが、彼を連れてきた人はきっと女子から感謝されているだろう。

「で、そのウザい顔してる理由は?」
「え?」
「私、気になることは全部聞き出さないと気が済まないの」

 にっこり笑ってみせると、向こうはたじろいだ。
 ちらちらと視線を飛ばしてくる友人は無視する。こんな容姿のいい人間と接する機会などなかなかない。たまには独占してみたい。
 どうせ行きずりで、この店を出たらお近づきになることもなかろう。だったら図々しい女になることも全く気にならなかった。

「大したことじゃないから」
「まあそう言わず。あ、グラス空じゃん、何飲む? 同じでいい? あ、すいませーん生もう一つー!」

 適当に店員に声を掛けてオーダーを済ませると、半身だけ彼のほうに身を寄せた。相手は警戒したように琥珀の前髪の下の目が揺らがせた。
 かわいげもあるなぁ、と失礼なことを思いつつ、少し首を傾けて微笑んでみせた。

「ね、教えてよ。悪いようにはしないから」
「…誰にも内緒で」
「もちろん。さ、言った言った。ほらお酒も来たよー」

 店員が運んでいた冷たいジョッキを渡して向き直ると、少しの間が生まれた。

「…彼女と別れて」
「あらまぁ」

 容姿が優れている人でも、人間関係がパーフェクトに進むとは限らない。そんな例を見つけ、彼女は少し気を引き締める。
 何せ飲みの席でズンドコは空気を隠せないぐらいだ。よほどショックなのか、ただの空気が読めない残念なイケメンなのかの二択である。下手なことを言って、余計に落ち込ませるのも悪い。

「何がダメだったんだろうなぁー」

 あーあー…。
 頬杖を突き、茫漠とした目で吐息を落とす。
 その有様を見ている側としては、しらけた気持ちとほほえましい気持ちがまぜこぜになる。上手くいかなかった理由を考えてしまうのは、たぶん彼は別れた彼女のことをまだ好きなのだ。
 言ってしまえば大変に女々しい。

「ふられたの?」
「ちょっと違うけど…たぶん、そうなんだと思う。見切りをつけられたっていうか…」
「お互い納得の上でのお別れ?」
「納得はしてないけど、別れたいっていうのを引き留めても、その後ずっとつらいだけだから。縋っても、一度でも別れたいって言われたことを、たぶん俺は忘れられない」
「そんな極端な。人の気持ちって変わるものじゃない。一時別れたいって思っても、時間が経てばそのときの判断は違ってたって思うかもしれないし」
「そうだね。…でも、俺にはそういう彼女の不安定さを受け止める余力がなかったんだ」

 これは思ったより深刻だ。
 ピンキーリングをした指で自分の髪を梳きながら、彼女は内心でうなる。ちょっとめんどくさい相手かもしれない。
 こんな話では周囲のほかの話題に紛れ込むことも出来ない。向かいの友人は、すでに別の人たちとの話にのめり込んでいる。

「ま、飲んで飲んで。酒に逃げるのは大人に出来る特権だから」
「いや、明日仕事だから」
「ああそ。土曜日も仕事とは大変ね。それもすれ違いの理由?」

 休みが合わないのは、社会人の恋愛としてなかなか厄介なハードルだ。
 果たして彼は「それもあるかな」と曖昧に答えた。

「俺の仕事って結構ピークが短くて。若いうちに死ぬほど踏ん張らないと、後で潰しがきかないっていうか」
「ふーん?」
「今のうちにやれるだけ頑張ろうと思って、色んなことを後回しにしてきたら、気づいたら『もうついていけない』って言われた感じ…なんだろうな、たぶん」
「うーん、それは…仕事を理解してもらえなかった、んだろうねぇ」

 ありがちといえばありがちな話である。
 生業を理解してもらえない、もしくは理解出来ない相手と、恋愛関係や家族関係を維持するのは難しい。しかし彼の場合は、どちらに非があるのかが判断出来ないので明確な非難は避けた。

「…じゃあ、次は理解してもらえる人と会えるといいね」
「…そうだね」

 少し寂しそうに口元を歪ませると、彼はジョッキのビールを呷った。その横顔には、隠しきれない未練が残っている。
 なかなかよろしいじゃないの、とこちらも若干酔った頭で彼女も思う。一途なイケメン。そんな人に想われてみたら、どんな気分がするだろう。

「そんな顔しないでよ」

 おそらく、酔いとその場の雰囲気がそう言わせた。
 ふっと手を伸ばし、自分より高い位置にある頭をくしゃりと撫でた。

「あなたは大丈夫よ」

 何がどう大丈夫なのかわからない。けれど、落ち込んでいて別れた彼女への未練を吐き出しても、彼には崩れただらしない雰囲気がない。
 背筋の伸びた潔さ。顔の造作よりも、彼の格好良さを形作っているのはその雰囲気だ。
 きっと彼は、どれだけ落ち込んでも、自分の幸せを追求していく強さがある。そんなものを感じさせた。
 その癖のない髪の上で、手をぽんぽんと弾ませながら、彼女は笑いかける。

「大丈夫だから、元気出して?」
「…ありがとう」

 戸惑っているが、迷惑そうではない声に彼女はほっとする。しておいて何だが、初対面の人間の頭を撫でるなど常識に欠けると言われればそれまでだ。
 鷹揚に対応してくれた少しはにかんだような彼の顔がかわいらしく、不覚にも少しときめいた。

「残念だわー仕事が忙しい人でなきゃ今すぐ口説くのにー」

 手を離しながら肩をすくめると、きょとんとした視線が追ってきた。「嘘よ」と笑えば、どこかほっとしたような苦笑を見せた。

「やめたほうがいいよ、俺は」
「そうね」

 未練タラタラの男を口説くなんて、めんどくさいったらない。
 互いに、たぶん恋愛対象にはならないな、という暗黙の空気で「ふふふ」と笑い合って、ふと気づいた。

「ごめん、ところで名前なんだっけ?」






 誕生日おめでとうございます。



******************
 たんじょうび…?

 喜ばしいことばかりじゃないバースデーもあるよ!というテーマで書いたのですが、なんかただの居酒屋の片隅人生相談コーナー。
 あと、サッカーに興味のない人は、キーパーの顔なんて覚えちゃいないだろう、というのも。

 日付過ぎてますが、しれっと当日の日付を捏造してみました。

 そして、この更新のないサイトにメッセージをお寄せ下さる方々、いつもありがとうございます!
 文章も年々変化するものなので、10年前と同じ文体で書けているかどうかはなはだ怪しいのですが、10年前の発表作でも置いておきますのでどうぞお気軽にまたいらして下さいませ。
 …たまにここで更新もするよ! たまにね!(すいません…)

 次回は真田の続きを…出せるといいなぁ。






春夏秋冬4(笛/真田一馬)。
2011年05月13日(金)

 どこかで見た顔だな、と最初は思った。









 予感はなかった。
 マンションのエントランスではなく、ドアフォンが直接鳴ったときは、てっきり隣の住人かそこらかと思った。だから俺は、うかつにもドアを開けてしまったのだ。

「真田一馬さんですよね。初めまして、ヤノミドリと申します」

 つややかな黒髪を揺らして、どう見ても十代の女の子が突然名乗った。
 は? と間抜けな声を出しかけて、俺をにらむように見上げる彼女を見つめ返す。
 いま、どこかで聞いたような名前が聞こえた。
 俺の困惑を見て取ったのか、吐息一つせずに長い髪の少女はさらに言う。

「姉が、お世話になったそうで」

 今度こそ絶句した。ドアを半端に開けて、冷たい秋風が吹き込んでくる事実さえ忘れた。姉、と、妹?
 脳裏に浮かぶのは、最後に会ったときの寂しげだけれど他を寄せ付けない微笑。あの、つかの間の同居人。よくよく目の前の彼女を見れば、確かに目元口元の印象が似ているような気もした。
 けれどもちろん似ていない部分もある。たとえば、この攻撃的な目つき。あいつはどんなときも俺をこんな目で見なかった。

「うちの姉、いますか」
「は?」
「知りませんか!? あの人、いまどこにいるんですか!?」
 家の中に一歩踏み込んで、妹が声を張り上げた。高い声が、マンションの廊下に反響した。
 やばい。このままじゃまずい。そう思った。それと同時に、このいかにも未成年な子を男一人の住居に入れていいものか迷う。

「知らないんですか!」

 髪を振って、妹はさらに俺に迫る。マジか。
 かといってあまり迷っている余裕もなさそうだった。外に連れ出すにも、体中から怒声を張り上げるようなこの子をうまく言いくるめる自信なんてない。そもそも放っておくと近所迷惑の上、あらぬ噂が流れそうだ。

「わかった、ちょっと入って」

 何もわかってなかったが、そう言うしかなかった。







 失礼します。あれだけ声を張り上げた割に、しとやかな声で来訪者は俺の指示に従って玄関で靴を脱いだ。
 黒のミニスカートに青と白のボーダーカットソー、グレイのふわふわした素材のパーカー。濃い色のタイツを履いた彼女は、やはり服装といい顔つきといい、やはりどう見ても高校生ぐらいにしか見えなかった。

「…緑茶とコーヒー、どっちが」
「お構いなく」

 リビングに通した後、一応訊いてみたがすげなく断られた。
 だけどこのいかにも気が強そうな少女と一対一で話し合える勇気が、この俺にあるわけがない。とりあえずヤカンに水を入れ、ガスコンロに火をつけた。

「座っていいですか?」
「あ、ああ。そのへんに座布団あるから、適当に」
「はい」

 きびきびした動作で、その『妹』は隅に重ねられていた座布団を取り、自分の分とおそらく俺の分をミニテーブルの近くに並べた。そして、きっちり膝をそろえて座る。
 その横顔が、おそろしいほどあいつに似ていた。

「…妹?」
「はい」

 俺のつぶやきに、律儀に答えが戻る。
 ゆっくりと首を巡らせ、彼女は俺を見据える。

「あの人、また出て行ったんです。だからここじゃないかと思って」
「……………」

 事実を知っても、驚きはなかった。
 あいつのやりそうなことだと思った。たぶん、あいつは望む場所を見つけるまで、捨ててきた場所に戻ることはしないだろうと思っていたからだ。無邪気な無責任さを、俺はよく知っていた。
 あいつに最後に会ったのは夏の朝だった。荷物をまとめて、この家の玄関で見送った。何を言ったかは覚えていない。
 そうして何ヶ月か過ぎたけれど、俺の中ではまだあいつはしっかりと記憶に残っている。たまに訪れる、何を言えばここにつなぎ止められただろうかという、未練がましい後悔と一緒に。
 そして最後の夜、雨上がりの匂いの中で初めて、あいつの家族の話を聞いたことを思い出した。そうだ、妹が一人いると言っていた。そしてその妹に居場所を知られたから、俺のところを出て行くと。

「悪いけど、俺はどこにいるか知らない」

 事実のみを言った。あいつがいつ家を出たのかは知らないが、俺に連絡はなかった。
 しばらく使っていなかったティーポットを出し、埃がたまっていそうだったので水道でゆすぐ。たった一人で、わざわざポットを使ってまで茶を飲む習慣が俺にはなかった。
 あいつがしていたように、一度湯を注いでポットを温めることなく茶葉を適当に入れる。この茶葉もあいつが買ってきたもので、たぶん煎れたところで風味など飛んでいるだろう。

「でも、ここにいたんですよね? 何か知りませんか? みんな、あの人の行動には迷惑してるんです」
「…は?」

 矢継ぎ早に投げかけられた声に、思わず振り返る。
 丁寧な言葉を使っていても、妹が姉をあまりよく思っていないことはよくわかった。

「迷惑?」
「だってそうじゃないですか。好き勝手に出て行って、何も知らせないと思ったらまた戻ってきて、やっと親も安心したと思ったらまた周りを振り回して。ほんと、迷惑なんです。親不孝だし」

 怒濤の愚痴だった。けれどそれも確かだと思うと、なぜか笑ってしまった。
 妹が怒るのももっともだったけれど、何より、その妹の口調は十代の正義感丸出しという感じで、自分の正しさを相手に認めさせることのほうに一生懸命な気がしたからだ。
 俺が笑ったことは、妹にはとても不愉快だったようで、みるみるうちに顔がこわばった。

「迷惑なら、ほっとけばいいのに」
「…そういう訳にもいかないんです! 親が、いつもお姉ちゃんのことばっかり心配してて」

 目元をゆがめてうつむく。その様子が、やっぱりあいつに似ていた。

「俺のこと知ってるんだな」

 湯が沸いたタイミングで、火を止める。温度など気にせずポットに湯を注ぐと、妹が「はい」としっかりした声で答えた。

「ここのマンション、私の高校の先生が住んでるんです。前に来たとき、偶然お姉ちゃんがいること知って、それで、色々調べました」
「調べた?」
「その…真田、さんの、柏の、本社に行ったりとか」
「ああ! 噂の女子高生!」

 思い出した。そういえば、国分が近隣には見かけない女子高生がよく出没するという忠告をしてくれていた。

「…噂になってたんですか」
「あ、うん。このへんじゃない高校の制服の子がうろついてるって話は、聞いてた」
「…そうですか」

 ふう、と気まずそうに妹が息を吐いた。その顔が少し赤くなっている。
 他人の家にいきなり押しかける度胸と、自分の行動が誰かに知られていた羞恥は別物らしい。

「私は、元々、その、真田…さんのことは知っていて。あの、テレビとかで試合見て、割と好きで」
「あ、うん、ありがとう」

 急にぼそぼそした口調になった上での『好き』は、あくまでも選手としての俺のことだと思ったから、大して意識は向かなかった。単純に、プレイヤーとしての好意は、ありがたいことだ。

「お姉ちゃんは全く知らなかったみたいですけど」
「知ってる」

 サッカーに全く興味がなく、俺どころか俺たちの中で一番代表の選出されている英士や、CMにもよく出ている結人のこともあいつは知らなかった。
 思い出して苦笑しながら、カップに緑茶を入れて差し出すと、妹は礼を言って受け取った。

「…いつから、お姉ちゃんと…」

 おそらく熱くて味があまりないだろう緑茶の表面を見つめながら、妹がつぶやいた。言葉の続きはなかった。
 座布団を壁際に引っ張り、壁に寄りかかりながら俺も座る。

「三月ぐらい、だったかな。偶然知り合って」

 どこまで話せばいいのか迷いながら、あの春を思い出した。電車の中で出会った。泣いていた。放っておいてはいけないような気がして、一晩泊めた後に追いかけた。そうして気づいたら、他人が家の中にいても居心地がいいということを知った。

「夏まで一緒に暮らした」

 言葉にして、それが一番シンプルな現実だと思った。
 何を話したとか、何をしたとかじゃなくて、ただ、生きていく日々を一緒に過ごした。挨拶と一日の出来事を語り合うだけの日々。

「真田さんと別れたから、お姉ちゃんはうちに戻って来たんですか?」

 真田さん。その声に、今日一番驚いた。妹の声は、姉の響きにそっくりだ。性格は違うようだけれど、姉妹ってのはこんなに似るものなんだろうか。

「…真田さん?」

 思わずまじまじと見てしまった俺に、あいつの妹がまた同じ響きで俺を呼ぶ。
 懐かしむにはまだそう時間は過ぎていない。けれど、声があまりに似ていて、妙に動揺した。

「あ…いや、別れたとかそんなんじゃないけど。そもそも付き合ってないし」
「まさか」

 信じていないように鼻で笑われた。情けないことに事実だったけど、女子高生にまで疑われると、つくづく英士があきれるのもわかるような気がした。
 あいつがここを出て行ったのは、妹に会ったからだと言っていた。そのことを、当の妹にしてはまずい気がした。姉妹の関係が決して良好なものでないことが、薄々感じていたからだ。
 だったら、誤解もそのままにしておいたほうがいいのかもしれない。そう思う程度に、俺は彼女が好きだった。かばい立てしたくなる気持ちは変わらない。

「あいつを探して、どうするんだ?」
「もちろん、家に帰ってもらいます。ちゃんと説明してくれないと。いきなり消えたりされたら、困るじゃないですか。親は心配してても、元気ならそれでいいとかいって無理やり納得しようとしてるけど、周りの人に何ていえばいいんですか。みっともない」
「それは体面的な問題だろ。…もう大人なんだし、両親が納得して、本人の意思で何とか生活していけるなら、わざわざ戻らせなくても」
「じゃあ、真田さんがあの人と結婚してくれるんですか」
「なんでそういう話に」
「だってそうです! あの人がこの先、一人で生活していけるなんて思えない!」

 また激しくなってきた口調に、頭痛がしそうだった。性格がゆがんでいるわけではないだろうが、この妹は妙に視野が狭い。それともこの年代ならこんなものなのだろうか。
 俺の知ってる彼女の『姉』は、おとなしやかそうで意外と強情で、相手を思いやっているようで冷淡で、誰かと常に一本線を引いて接する冷静さを持った、それなりにしっかりした女だった。見込みの甘さはあっても、決して誰かに依存しなければ生きていけない女ではない。
 誰かに心の内を暴かれるぐらいならずっと一人で生きていく。そんな風に、俺と一緒に暮らしていた。
 それをこの妹は知らない。
 そこでまたはたと気づく。姉もまた、妹に自分の一面を知らせていなかったのかもしれない。自分の目指すものには家出という道しかない、と思い込んでいたように、この姉妹は思い込みが激しい性質なのだろうか。

「それほど、あいつは頼りなくない」
「どうしてですか。あんな…ふわふわして、夢見がちなことばっかり言って、就職活動もろくにしなかった人なのに」

 それは、最初から家を出ると決めていたからだよ。…とは、言えなかった。言ったらおそらく家族は傷つく。
 どうしてだろう。俺はこの妹も傷つけたくなかった。

「結構しっかりしてたけどな」
「どうせ、迷惑かけたんでしょうから、かばってくれなくていいです。あんな人」

 拗ねた口調は、姉への複雑な感情が見え隠れしていた。言葉ほど、姉のことを嫌ってはいないのかもしれない。
 だけど、もし俺が姉の立場だったら、こんな風に妹に言われたらきっと辛い。

「姉妹喧嘩とか、したほう?」
「…いいえ。あの人、私が何言っても大して気にしてないみたいで、いつも私が言い過ぎだってお母さんに怒られました」

 いや、気にはしていただろう。他人の俺が気になるような口調で、姉を責める言葉がその証拠だ。
 妹の暴言を気にしないといえるほど、あいつがぼんやりした性格には思えない。二月の間、同じ場所で暮らした。そのことは思った以上の相互理解を発生させていた。思い込みや、美化した記憶に基づくものかもしれないけれど。

「ほかにきょうだいは?」
「いません」

 聞いてないんですか。疑わしそうな声で、妹はそう言った。
 たった一人ずつの姉と妹。一人っ子の俺には、他にきょうだいがいる気持ちはよくわからない。

「あの人がいまどこにいるか、何か知らないんですか?」
「知らない」
「本当に?」
「知らないって」

 しつこく尋ねてくる妹に、知らぬ存ぜぬを繰り返す自分がなんだか間抜けに思えた。
 じわじわとやって来る、焦りのような残念なような気持ち。それはおそらく、あいつが二度目に家を出たときは俺に一切知らせなかったことに起因している。結局俺は、あいつにとっては切り捨てるものの一つでしかなかった。
 ふときついまなざしを向ける妹のことを考える。この妹も、自分たち家族が姉に『切り捨てられた存在』になったことを認めたくないのかもしれない。その気持ちはわかる。家族が突然出奔すれば、自分たちに思い当たる理由がなければないほど、怒りは当人に向くだろう。

「…本当、迷惑な人」

 舌打ちしそうなつぶやき。その『迷惑』には、突然押しかけてくる妹がいる、という事実も含まれているのだろうか。そう思ったけれど、言わなかった。
 そして、姉に対する言葉としてはあんまりな気がした。たった一人のきょうだいだろう、という正論が浮かんで、すぐに俺には未知の領域だと感じた。

「そんなにあいつが嫌いなんだな」

 俺が落ち込むことじゃない。そう思っても、攻撃的な口調は聞いていてしんどい。
 妹は、一瞬眉根を寄せて、吐き捨てた。

「大嫌いです、あんな人」

 でも私は親は好きだから、親が心配するあの人のことはそのままにしておきたくないんです。
 早口に、そう続けた。
 両親のため。そう言われれば、嫌いだと言いながら行方を捜す妹の矛盾も納得できる。

「帰ります」

 ここにいても収穫はないと判断したのか、妹は立ち上がった。手の内に握っていたカップを、テーブルに戻す。
 それから少しためらった後、鞄の中から包みを取り出した。

「…これ、うちの両親からです」

 鶯色の包装紙。俺のほうを見ず、テーブルの上に置いた。

「親はあの人のこと探してません。あの人も真田さんのことは何も言ってません。私が、真田さんのこと話しました。お世話になった人がいるって、だけど親はここまでは来たくないって言いました」

 それだけです。
 立ち上がって玄関に向かう背は、淡々とそう言っただけだった。








『…それで俺のところに連絡してくる理由が、全然わからない』

 低い声でうなった英士が、電話ごしににらみつけてくる気配がした。その言い分ももっともだ。

「いや、英士とメールのやりとりしてるから、あいつから連絡なかったかと思って」
『あるわけない』

 英士が断言した。西日本方面にいる英士は、ちょうど練習から戻ったところだったらしい。
 千葉のこちらではもう夕暮れだ。明かりをつけるにはまだ残照があり、オレンジ色が部屋の中で幅をきかせている。

『というか何なのその非常識姉妹の話』
「非常識…」
『いきなり押しかけてくる人間のことを非常識って呼ぶでしょ。そっくりだね。それに屈して家に上げるとか、まずそこを俺は責めたいね』

 さっくり俺にも釘を刺す。英士は歳を増すほど毒舌鋭くなっていく気がした。
 たぶんそうやってあいつのこともちくちく責めたんだろうけれど、意外にその二人は連絡を取り合っていて、それが妙に不思議だった。

『ほっときなよ。いちいちそんなの相手にしてる余裕、ある?』

 ない。

『じゃあ無視。気にしない。もらったお礼だけ頂戴して、さっさと忘れるんだね。じゃ』
「おい英士!」
『何』
「結人のところにも連絡ってないと思うか?」
『…俺の話聞いてた?』

 聞こえよがしな吐息が、携帯電話の向こうから聞こえた。眉間にしわを寄せた英士の顔が浮かぶ。

『そこまで気にするなら、会いに行けば。仕事変えてないかもよ』
「あ」

 そんな話も、あった。
 そういえば勤務先は卒業校の別校舎で云々、という話だった。

「…忘れてたな」
『辞めてる可能性も高いけどね』

 望みをさっくり切り捨てて、英士の声から通話を遮断する空気が消えた。
 妹が語った『姉』の話を一通り告げると、英士は『へぇ』と少し驚いた様子だった。

『俺はてっきり失踪届とか出されててもおかしくないと思ってた』
「…それはなかったらしい。というより、そうされないように手紙残してきたって」
『ふーん。彼女らしいね。相手の心配をやわらげる、っていうより、自分に都合の悪いことをされないよう布石を打ったってことでしょ』
「そういう見方もあるのか…」
『甘いんだよ一馬は』

 鼻先で笑い飛ばす英士の顔が目に浮かぶようだ。
 英士はお世辞や慰めは言わない。現実的で、正直だ。裏表がはっきりしているのは、もう一人の友人である結人よりも英士のほうだ。

『…親が探してないなら、余計にもうほっといてあげれば? 今度は自分から関わりたいっていうなら俺は止めないけど、おすすめもしない。一馬の責任の範囲で好きにする権利はあるよ』
「…………」
『女々しい』

 ぼそっと呟かれた一言に、耳が痛い。

『さっさと行って、さっさと振られてくるんだね。結果だけ俺は聞きたい。途中報告はいらない』
「…そうかよ…」
『結人は野次馬根性強いから、途中経過も気になると思うけどね」

 そう言いつつ、何だかんだで根掘り葉掘り聞きたがるのはお前も変わらないって。そう思ったけど、言葉にするのは控えた。
 秋の夕暮れは早い。淡かったはずのオレンジが、今はかなり濃くなっている。床に座って、自分の声以外聞こえないこの部屋の天井を見上げた。ほんの数ヶ月前は、さくらとあいつが一緒にいたのに。

「会ってもなぁ…」

 一体何をどうすればいいのか、皆目検討もつかない。
 話をするにしても、妹が来た報告をして、それで一体どういう展開を自分が望んでいるのかよくわからない。

「どうしろっていうんだ」
『どうにかなるでしょ。もし職場がまだ変わってないなら近場に住んでるんだろうし、たまに会うぐらい何の問題があるわけ? 一緒に住んでおいて会うぐらいで何をいまさら」

 せせら笑う声に、びっくりした。笑われたことではなく、言われた内容にだ。

「会うだけ、ってアリなのか?」
『普通、まず、そこからだって常識に気づきなよ』

 非常識に毒されてないで。
 電話の向こうは完全に呆れていた。
 常識的なのって一体どんなだ。

『知り合って家の外で待ち合わせて会ってすったもんだあったりなかったりして家に泊まりに来る流れのこと』
「それってやり直せるもんなのか」
『知らないよ』

 勝手にしやがれ。英士の口調は投げやりだったけど、通話を切らないあたりまだ付き合ってやろうという気持ちはあるらしい。本気でどうでもいいと思ったら三秒で電話を切る。英士はそんな奴だ。

『…やり直したいなら、多少協力してあげてもいいけど』

 少し口ごもったように聞こえた言葉は、とてもとても英士らしいと思った。









*******************
 いつ振り? …というのがもうお約束すぎて。

 前話はコチラで

 アンダートリオを書くなら、ほかの二人も組み込みます、もお約束。
 友人の彼女なんて、場合によっては友人の彼女でもなきゃ知人にすらならないよ、みたいな距離感ですかね。

 大変いまさらですが、3月にサイト10周年でした。
 え? 1周年企画とやらが未だ全面に出てますよ。

 十年色んなことありましたね。最近もいろいろありましたね。
 今はただ、出来るだけいつもの生活を心がけています。不安や愚痴は言葉にせず、目の前の日常を処理していこうと。
 節電だけはしています。なんでかっていうと計画停電区域なので、停電ほんとに困るでござる。




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