小ネタ日記ex

※小ネタとか日記とか何やら適当に書いたり書かなかったりしているメモ帳みたいなもの。
※気が向いた時に書き込まれますが、根本的に校正とか読み直しとかをしないので、誤字脱字、日本語としておかしい箇所などは軽く見なかった振りをしてやって下さい。

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春夏秋冬2(笛/真田一馬)。
2006年12月02日(土)

 季節は、あっという間に過ぎていく。









 結局、この年のチーム成績はディビジョン中6位という成績で終わった。
 チームの興行収益は黒字で、成績は決して良いものではなかったものの、マイナス興行とならなかったことにはほっとした。
 日本のプロサッカー球団のトップ、J1で最も稼いだチームは平気で50億という営業収益を叩き出している。スポーツ競技自体に金銭に換算するための指標はないものの、やはり興行として成功しなければプロフェッショナルとはいえない。
 チームの勝利は、チームの営業に大きく貢献する。同じような入場料を払うなら、誰だって強いチームや華々しい勝利を収める試合を観たい。
 優れたパフォーマンスや、スター性を持つ選手にも同じことがいえる。勝利に貢献した者、観客を惹きつける個性を持つ者、結果的に球団という企業の利益を生み出せる才能、様々な要素が絡んで、選手やスタッフの年棒は決まる。
 もう、俺にとってサッカーは勝てたら楽しいと思えるだけの世界じゃない。日々の生活の糧を得るための手段だ。

「で、真田選手的には、来年の契約状況ってどうなってんの?」

 紅葉が見頃になる寸前の歩道を歩きながら、顔見知りのライターが衣着せぬ発言を浴びせてきた。
 夕暮れ近い、秋の午後三時過ぎ。最近珍しくなったランドセルを背負った小学生が数人、向かい側の歩道をふざけあいながら歩いている。

「ノーコメント。あのな、マスコミの人間にほいほいそんな情報言うわけないだろ」
「もちろん書かないけど、友人として気になるじゃん」
「…移る気はない」

 それさえわかればいいだろ。そんな思いで、俺はぼそっと言ってみた。
 国分は「そっか」とうなずき、俺の横をきびきびと歩く。首から吊った携帯電話とデジカメ。仕事は忙しそうで何よりだ。

「真田くん、柏好きだもんね。移る気はないか」
「好き嫌いでチーム選べたら苦労しねーよ」
「でもやっぱり、好きなとこにいたいでしょ、誰だって」

 ふふ、と笑う国分の声が妙に寂しげで、思わず横顔を見る。
 その視線に気づいたのか、国分も俺を見てきた。

「私、仕事辞めるの」
「え?」
「色々あってね、地元戻って結婚する」
「はぁ?」

 年中日焼けしまくって、義理人情で情報調べまくって、フットワーク軽くひょいひょいそこらじゅうで顔合わせて、だけど仕事のときは熱心にメモを取ってくる、仕事バカのお前が?
 一瞬の間にそんな思いが駆け巡った。

「彼氏がさ、結婚したら仕事辞めて欲しいって言うのよ」
「……………」
「彼のお母さんもそういう意見なんだって。だから、私はこの秋で廃業。あ、でも、柏の情報はずっと追いかけるよ。真田くんのことも、ちゃんとファンとして応援してるから」
「…それは、どうも」

 たぶん俺も、いま複雑な顔をしてるんだろう。励ますように笑う国分の顔から自分の表情を推察する。
 日々冷たさを増していく秋の風が、国分の短い髪を揺らす。仕事の邪魔になるからいつも切ってしまうのだと言っていた髪。

「…好きでやってた仕事じゃなかったっけ」
「好きだけど、彼のことも好きだから。…こういうとき女は選択肢が出来て得よー。真田くんは男の人だから、もし結婚したとしたって職業変えようとは思えないでしょ」
「得って」

 思わず俺は吹き出した。普通そこは、仕事辞めなきゃならなくて損だって言うとこじゃないのか。
 ところが前向きな友人は、けらけらと笑っている。

「いいのいいの。色んな経験しておけば、また復帰したときの肥やしになるってもんよ」

 その言葉は、ある意味強がりだったのかもしれない。好きな仕事を捨てて、家庭に入る決意をした女。その気持ちは、きっと俺にはまだわからない。
 自分が決めたこと。国分にみなぎるその決意。

「私、柏好きだったんだけどなー」
「でも、選んだんだろ」
「まーね。真田くんの生活を見守るのもそれなりに好きだったんだけど、残念ながらもう出来ないわ」
「お前、見守ってたのか?」
「見守ってたよ。例の彼女に出てかれて落ち込んでたとき、さんざん飲み会をセッティングしてやった恩を忘れたか」
「…あれはお前の仕込みだったのか」

 夏ごろ、やたらチームやスポンサー会社の社員との飲み会が多かった。国分が同席してたときもちらほらあったが、まさか首謀者だとは知らなかった。

「お人好しすぎてバカを見たって、悪いけど今でも私は思ってる」
「…ほっとけよ」
「引きとめもしなかった馬鹿な真田くーん」
「うっせーぞ」
「ねえ、好きな人と一緒に暮らすってどんな感じだった?」

 ふと真剣に国分は訊いてきた。長く付き合っている彼氏がいるとは知っていたけれど、たぶん同じ場所で暮らしたことはないのだろう。
 どう答えたものか、俺も思わず考え込んだ。
 けれど実は語れるほどの思い出というのは少なすぎる。

「…あんまり覚えてない」
「ちょっと、それひどいんじゃない? 覚えててあげなよ」
「短い間だったし、忙しくて」

 あれからもう二ヶ月。一緒にいたといっても、俺は仕事のたびに家を空け、四六時中あの部屋にいたわけじゃなかった。
 そしてあいつがいなくなってからの二ヶ月は年間成績の正念場で、感傷に浸るわけにもいかなかった。誰がいなくなっても、俺は年棒を受け取る限り『柏の真田』の地位を捨てたくなかった。

「犬も実家に預けちゃって、寂しいとかは思わない?」
「忙しいんだよ。それどころじゃない」
「ああ、そ」

 国分は不服そうに目を細めた。軽くねめつけられている気もするが無視する。
 しばらく無言で歩いて、バス通りの交差点に出たところで国分が口を開いた。

「じゃ、私こっちだから」
「うん、またな」
「言っとくけど、込み入った話をするのが苦手なことを『忙しいから』なんて理由にしてたら、そのうち誰かに殴られるからね。覚えとけ真田一馬」
「…は」

 突然鼻息荒く怒られ、俺は咄嗟に反論出来なかった。国分は身体をもう行き先に向けながら、肩越しに俺を睨んでいる。

「三ヶ月も一緒にいて、何も学ばなかったの?」

 三ヶ月。桜の花を一緒に眺めた夜から、雨上がりの夜まで。たったそれだけの期間は、長い人生からすれば大した分量ではない。
 それでも特殊な三ヶ月であったことは、他人である国分ですら薄々悟っているようだった。
 本当は少しだけ残っていた後悔。保護者のように振舞っていたくせに、最後まで守ってやれなかったような、じくじくした思いが残っていた。
 確かに仕事は忙しかった。だけど、電話一本、メール一通でもすることは出来たはずだった。しなかったのは、たぶん向こうはもう二度と会いたくないと思っていると感じたからだ。
 何もかも捨てて家を出てきたあいつがまた出て行くときは、俺は切り捨てられる対象だと、はじめから知っていた。時間が過ぎてしまえば相手にとって不要な存在になったことを、わざわざ思い知るのは御免だった。

「じゃあね、真田くん」
「あ、ああ」

 まだ微妙に怒った顔のまま、同じ歳のライターは完全に背中を向けた。顎を引いて歩いていく小柄な背中。あの背中が元気よく球団に顔を出していた情熱を知っている。
 時に交わる他人の人生。俺にとって、あの国分もその一人なのだろう。何かの偶然で出会って、一時を共にして、地位や立場や環境の変化によって会う機会を失する。そんなこと、これまでいくらでもあった。
 いつか皆、俺の時間の中からいなくなるのだろうか。
 家路を辿りながら不意に強くそう思った。
 高校を卒業するまで一緒にいた両親。社会人になってから会うのは年に数度になった親友たち。過去の恋愛を共有した存在や、成長期の不義理がたたってかほとんど会わない学友たち。彼らには、もう『会うこと』自体が特別な出来事になった。
 いつか退団する日が来れば、今のチームに関わる人たちとはもう二度と仕事を一緒にしないかもしれない。この街の数少ない知り合いとも、この場所を離れれば会わないかもしれない。国分もしばらくすればいなくなり、さくらは一月以上前から実家に預けたままだ。
 そして矢野椿。あいつとも、きっともう会うことはない。
 会えなくなるなら、いなくなってしまうなら、もっと色んなことを話しておけばよかった。一緒にいたときは、いなくなる相手だからと我慢していた色々なことを話して、尋ねて、もっと喧嘩でも何でもすればよかった。
 相手と膝を突き合わせるのが苦手な俺が逃げていたのは、たぶんそういう事例だったんだと、今ではよくわかる。

 真田一馬、昭和五十九年八月二十日生まれ、二十二歳。
 獅子座のA型。東京都出身。
 職業、プロサッカー選手。
 二人と一匹の時間が終わり、一人に戻った秋に、今年のシーズンは終わりを告げた。









***********************
 前回は真田シリーズと正規ページの真田一馬の項目参照でお願いいたします。

 という感じで春夏秋冬その2。
 相変わらず一人称の難しさと真田の書き辛さに苦悶します。もうきっと慣れることはないんだろうな…。
 まあ書いていない時期の間に、真田くんは作中で22歳になったわけですよ。
 国分さんはオリジナルキャラクターTOKIOシリーズの一人です。

 大事なこと書き忘れたので追記。
 この作中はパラレル☆ワールドなので、柏は普通にJ1残留争いの勝者です。真田くんはJ2リーガーではなく、J1リーガーです。柏は黒字決算です。
 以上。

 最近私のプリンターは両面印刷と冊子用の印刷が出来るということに気づいたので、このサイトにある適当な文章を組み合わせて自分用のコピー本制作を進行しています。
 …おかげで私の部屋は、いま渋沢と三上の試し印刷のミスプリントが散乱しています(……)。
 難点は、印刷速度が遅い上に派手に機体が揺れることです。大丈夫かこのプリン太は(低スペック品なので…)。
 もう何年も販売用の本なぞ製作しておりませんでしたが、やっぱり紙で読む文というのはいいですね!(それがたとえ自分のへっぽこでも) 縦書き万歳!
 難を言えば、いつか文庫本サイズの本を出してみたいのですが、文庫サイズを低部数で印刷所に出すと単価がすごいことになるんですね…。まあ夢は夢ということで。






幕間より愛を込めて(笛/???)。
2006年11月05日(日)

 むかしむかし、友が言った。人生で無駄なことはないのだと。








 ひらりひらりと舞うアースカラーの葉に秋を感じる。
 近頃妙に着慣れた気がするスーツとA4サイズがすっぽり入る鞄を手にしながら、俺は初めて訪れたオフィス街の並木を見上げた。本日は晴天。真夏に比べてスーツの襟が随分涼しくなってきた。
 俺の名は高橋達也という。
 非常に当たり障りのない名前は、読み間違えがないことがメリットだったが、就活を始めてからそうは思わなくなった。
 第一志望だった某社の最終面接で一緒だった某大学の学生。そいつの名前がとんでもなく変わっていた。それだけで奴は面接官と話題が弾んでいた。

『君の名前は変わっているねぇ』

 しげしげと、しかし本質を見定めるために寄越された眼鏡の面接官。得たり、と笑った頓狂な名前のあいつ。その口元の笑みだけはよく覚えている。
 もちろん名前で内定を取れるわけじゃない。しかし、きっかけは大切だ。売り込みのチャンスがなければ、あの平均二十分の空間は居た堪れない空間と化す。
 社会では、持てるものはすべて武器。学生が就職活動で学ぶのは本当はそれなんじゃないかと思う。
 …とはいえ、そんな俺も無事大学卒業前に就職が決まり、内定式にも出席した。
 後は、入社予定会社と同業職の他会社の採用試験を記念受験しているだけだ。うっかりするとそっちのほうが俺に合っているかもしれない可能性だってある。
 内定はあくまでも内定。仮に入社直前で俺から取り消したって何ら法的に罰せられるわけじゃない。ただし、俺の出身大学の印象はその会社の中で見事落ちるだろうが、知ったことではない。
 暢気にぶらぶらと、人の少ない真昼間のオフィス街を歩く。清らかな秋の風と澄んだ空気が頬に心地よい。
 二車線の道路脇に行儀よく並ぶのは、けやきの木だろうか。黄色がかった葉色と、やわらかい空色の組み合わせが美しい。しかしこの場所に来る大抵の人は真昼間のこんな光景は見ていないに違いない。
 箱の中に朝入り、夕方出ていくオフィスワーカーたち。俺も来年度はその仲間入りだ。
 俺はそれでいいと思っている。かつて、まだ幼かった頃に見た夢はサラリーマンではなかったけれど、俺は平凡な人生を心から愛せると誓える。
 武蔵森学園にいた頃が嘘のように。
 ふと、はらりと、輪郭がぎざぎざに切り込まれた葉が目の前に落ちてくる。
 手を伸ばせば捕まえられそうな存在が妙に微笑ましいと思ったとき、不意に声が掛けられた。

「高橋?」

 日本で多い苗字ナンバー5にランクインする苗字。
 それが、突如として紅葉の華やかさに彩られたような気さえした。
 振り返ってみれば、黒いタイトスカートに身を包んだ若い女性が、微笑んで俺を見ていた。

「やっぱり。向こうから見て、きっとそうだと思った」

 久しぶりね。そう笑いかけ、近づいてくるスクエアヒールの音。
 かつんかつん。ただのアスファルトが跳ね返る音だというのに、俺の記憶の印象そのままに、彼女はその仕草が美しかった。美人の生徒会長。いや、元生徒会長だ。
 何年ぶりだろう。
 思いがけない再会に心踊りかけたことを自分でふざけんなと罵って、俺は精一杯口元だけを緩ませた。

「誰かと思えば、山口じゃん。相変わらず堂々と美人様で」
「数年ぶりの相手おだててどうするの」

 俺と似たようなリクルートスーツの彼女は、その柳眉をしかめてみせる。それでも目元は笑っていた。
 中学高校と同じ学年だった相手だ。武蔵森学園。あの緑の多い東京の片隅で、同じ時間を過ごした人間のひとり。

「高橋も就職活動?」

 俺のすぐそばまで来た彼女は、前髪を揺らしながら尋ねた。

「そう。ただしもう他社で内定出てるから、いわゆる記念受験中」
「…いいわね。私はまだこれから」
「……ふーん」

 他人を羨む目つきをした彼女が、俺には不服だった。
 はっきり言って、「いいわねぇ」の「ぇ」を強調して誰かに言うタイプではなかった。飛びぬけた美人ではなかったが、何より彼女は凛とした目と立ち居振る舞いをする才媛だった。少なくとも、俺の中の『山口彩』はそうだった。
 久しぶりに会った旧友を、羨ましがるような女じゃなかった。

「まさか、山口なら内定取りまくりだろ?」

 見せた弱気さを否定させるように、俺は挑発した。
 そうであって欲しいと思ったのかもしれない。
 ところが彼女はそれには乗ってくれず、ただ困ったように苦笑する。

「それが全然。全敗ではないけど、打率は限りなく低いわね」
「こんな時期まで本気でやってるってことは、本命は全滅したのか」
「その通りよ」

 少し寂しげに笑うのは、俺の気のせいであって欲しい。少しずつ濃くなりつつある違和感が、たまらなく嫌だった。
 俺たちがまだ十代の頃には騒がれていなかった人生の勝ち組と負け組の線引き。もし中学・高校時代の同級生たちを分類するなら、俺にとって目の前の山口彩という人間は勝ち組にいた。
 名門校の生徒会長を中高両方で務めるなど、大学受験での内申ではプラスの方向へ大きく働いたはずだ。まして山口は成績も上位だった。優秀さと素行の確かさ。それがなければあの学校の生徒会長として承認されない。
 そんな彼女が、就職活動で敗戦を続けるなど、俺には信じられなかった。

「難しいのよね、二十分で自分を相手にわかってもらうのって」
「…そうだよな」
「ほんと昔からダメなのよね、初対面の人に色々話すの。上手くいくときと、いかないときがバラバラ」

 言い訳すんなよ。ためいきつくなよ。目逸らすな。
 些細な仕草に粗を探してしまう。再会してほんの数分間で俺はすっかり旧友が変わってしまったことを思い知る。こんな女じゃなかったのに。何様のつもりでかもわからず、失望感が胸に宿った。

「そりゃ俺が面接官なら、自分で自分にダメ出しするような奴採用しようとは思わないよなー」

 あはは、とわざと声を立てて笑う。
 小慣れた様子を見せようと、鞄を持ったままのスーツの腕を組む。
 彼女は、どこかおかしそうに笑った。

「その通りよね。まだ終わってないんだから、最後まで諦めずに頑張ってくるわ」

 わずかに俺を見上げて、口元を引き締めるその空気の凛々しさ。華やかな微笑。そこだけは昔と変わらなかった。

「高橋は相変わらず、思ってることをきちんと言ってくれるから助かる」
「は?」
「下手な慰めより、はっきり言われたほうが改善することが出来てお得でしょう?」
「惚れてみる?」
「馬鹿ね」

 言葉とは裏腹に、彼女の微笑がますます深まる。
 最初に会ったときのヒールの音の潔さ、声を掛けてきてくれた情深さ。歳月が彼女を平凡な女にしようとしても、結局本質は残っているのかもしれないと思った。

「…ねぇ、サッカー部の人たちと連絡って取ってる?」
「サッカー部? いや、全然。渋沢あたりならニュースでたまに見るけど。なんで?」
「ううん、何となく…」

 突然出された話題と、曇った彼女の表情を見つめ、ややあって思い出した。彼女はサッカー部と浅からぬ因縁を持っている。

「三上、退団したんだろ」

 はっきりと彼女の顔が強張った。短く縦にうなずく。

「そうみたい」
「怪我して事実上の戦力外通知だっけ? うちの10番だったのにな、あいつ」
「…そうね」

 彼女が落ち込むのがわかっていて、俺はかつての級友の転落人生を語ってみた。
 三上亮は、あの当時なら勝ち組だった。名門サッカー部の司令塔を張り、うちの学校でならスターの一員だった。それでも今はJ1球団を退団し、近況すらニュースに出て来ない。
 山口は三上が好きだった。俺ともう一人の友人との間では、それは公然の事実だった。今でも気に掛けるぐらいに好きだったのだろう。

「今じゃ、人生の勝ち組は渋沢だけか」

 妙にしみじみとした口調になったことを自覚した。
 誰だっけ負けるより勝ちたい。誰かより上にいて、優位なところから、より良いものを貪りたい。権力や地位や金、ある者がない者を支配する。それは摂理だと、嫌でも知っている。
 皮肉屋のサッカー部司令塔は今はただの一般人。才媛の生徒会長は就職難の女子大生。俺は、お前らに勝ち組でいて欲しかったよ。

「だからって渋沢を羨ましいって言うぐらいなら、私は舌噛んで死んでやるわよ」

 忌々しそうな口ぶりは、就職難の女子大生のものだった。
 視線を向ければ、彼女は「冗談じゃない」という顔で俺を見ていた。

「あの人ほど腹立たしい存在はないわよ。仮に今会ったとして、渋沢に『就職先見つからなくて大変だな』なんて言われたら絶対首絞めてやる」
「…うーん、それを本当に実行しそうなところが山口だよな」

 ああそうだ、実は切れると結構暴れん坊だったんだ。
 歳月は思い出を美化させることを俺は心から実感した。ただ綺麗な花ではなかった。品よさげに見えて、切れたときに男の顔面をぶん殴るぐらいの度量があったんだっけか。
 惚れた男の前でだけはそれを見せていなかったのは、健気さなのかプライドなのかは不明だったが。
 妙に嬉しくなったのは、失望さえさせられた現在の彼女にも、俺が好きだった彼女の暴れん坊っぷりが垣間見えたからだろう。
 思わず笑いながら、俺はかつて友が言っていたことを口にしていた。

「人生に無駄なことなんてないんだとさ」
「え?」
「ずっと前、渋沢が言っていた」

 あの頃も、そして今も勝ち続けている、かつての友人。
 彼は勝ち続けようとする自分の人生を、今はどんな気持ちで走っているのだろう。

「人生で無駄なことなんてない。失敗したことだって、無駄だと思わなければ、必ず何かの役に立つって」


 渋沢
 いま、どんな思いで生きている?


 半拍にも満たない間だけ目を伏せた俺の視界に、再度入ってきたのは黒いスーツの色だった。
 やれやれ、とでも言いたげに、彼女は軽く息を吐く。

「…渋沢らしい」
「ミョーに悟ったところのある奴だよなー」
「でも、その通りよね。いま苦労したことも、無駄だって切り捨てたら、ますます時間の無駄だもの」

 悩んだ苦しさ、傷ついた痛み。学生だって楽じゃない。就職活動の孤独や苦労は、今まで甘えてきた身分のツケだと自覚しているからこそ大変なのだ。
 艱難辛苦したからこそ手に入れたときの喜びは大きい。
 挑戦が失敗に終わったとしても、その経験値は決してマイナスにはならない。
 …あいつは、十代の頃からそれをよく理解していたに違いない。

「…ほんとは今日の面接、親のコネなの。希望してた業界ではあるんだけど…」
「無駄なもんなんてない。コネだってあるだけ立派な武器だ。使えるもんは使って来いよ」

 公平さを重んじた生徒会長だった彼女にとっては、親類縁者の紹介というツテは納得出来ないものがあったのだろう。気がすすまなそうな顔はそれを象徴していた。
 しかしそれが何だ。あるものは使ったほうがいい。俺はそう思う。
 その考えを渋沢の言葉に寄せて言ってみたら、彼女は「そうね」とうなずいた。

「ありがとう。ここで会えてよかった」

 それは別れの響きだった。
 ちらりと腕時計を確認した彼女は、じゃあね、と軽く手を振って俺とは反対の方向へ足早に歩き出す。面接の時間が迫っているに違いない。

「山口」

 急いでいる相手のことをわかってみて、俺は呼び止めた。
 振り返る、卵型のやわらかな曲線を描く顔。姿勢の良い背筋、凛とした雰囲気がただよう。変わってしまっても、その笑顔だけは変わらないことが、本当に嬉しかったなんて誰にも言うまい。

「三上のこと、何か聞いたらすぐ教えてやるよ」

 過去の男のことを、今も気に掛けることを、無駄だと思っていない君に。
 彼女はゆっくりと笑った。

「うん、ありがとう」
「健闘を祈る」
「ありがと、それじゃ」

 本当に時間が差し迫っているのか、彼女は手を振って、今度こそ駆け出した。
 整えられた歩道の上を走り出すヒールの音。一歩づつ彼女の未来へ向かっていく足音。
 俺が時計を見ると、約束の時間まであと十五分ほどある。ゆっくり歩いていけば十分間に合う時間ではあったけれど、俺は携帯電話と採用担当の番号を明記した封書を取り出した。
 2コールで受付担当の応答がした。

「お忙しいところ恐れ入ります。本日筆記試験を受ける予定の高橋達也です。大変申し訳ないのですが、別の会社の採用が決まりまして、本日の試験を辞退させて下さい。直前となってしまい、申し訳ございません。はい、よろしくお願いいたします。…それでは」

 相手が切るのを確認して、通話をオフにする。
 これでいい。俺も、覚悟を決めよう。
 俺は平凡な人生を心から愛してる。山口のように親のコネを使うことに躊躇したりしないし、三上のように一芸で生きていきたいと思うこともなかった。だけど、やりたいことへの努力を『無駄』と思うほど、まだ人生諦めてはいない。
 武蔵森にいた頃は、夢があった。公務員になること。公僕の一員として生きてみたいと思っていた。ところが公務員試験の倍率の低さに見切りをつけた大学三年の頃。
 結局一度も、公務員試験は受けなかった。
 三上を笑う権利なんて、俺にはない。

 駅へ向かって踵を返す。肩で風を切るようにして歩くと、けやきの葉がゆったりと滑空しながら落ちてくるのが目に入る。
 自分の辿った道を無駄だと思わなければいいんだよな?
 いつかその答えを聞かせて欲しいと思った。渋沢に。

 誰かに勝つとか負けるとかじゃない。渋沢は、きっと、ただ自分の思う通りに生きている。
 将来への岐路に立って、無性にあいつのことを思い出す。山口が三上を思い出すよりは少ない頻度だろうけれど。

 だけど会いたいから会いに行く、では面白くない。
 そのうちまたどこかで遭遇する機会があるかもしれない。ないかもしれないけれど、予想できない遭遇のほうが、たぶん人生は面白い。
 今日はひとまず、あの未練たらしい才媛に会えただけでよしとしよう。
 ところで俺は山口の連絡先を年賀状の住所ぐらいしか知らない。三上の情報を聞いたところで、まず行えるのは葉書の投函だろう。
 ……ま、いいか。
 秋の日差しの中、華やかな微笑に再会した俺はそのままビジネス街の本屋に突っ込んだ。公務員試験ガイドの今年版を手に入れるために。









***********************
 ヒロインがデフォルト名使いまくりですみません。
 もはや笛ジャンルじゃないシリーズその3。
 1:井原鮎編
 2:舞永靜編
 そして今回彩姉さん編。

 なんかもう書き手の一人遊びワールド全開ですみません。
 主人公は毎度の高橋達也。森関係でたまに出てくる陸上部の部長さん。
 彩姉さんが縁故入社した時期を絡めてみました(三上本編シリーズ参照)。
 あと個人的に考えている三上の社会人ロードがちらりと。彼は退団通達の後J2の入団試験を受け、そっちで活躍して代表選手入りを果たした(こともある)という感じで。

 創作というのは不思議なもので、やはり自分と同年代を書くほうが断然書きやすいものです(私にとっては)。
 月日が経つにつれ、中学生を書くのは辛くなってくる。どんどんあの頃の記憶は薄れていく。あの頃脆かった部分は強くなり、あの頃怖くなかったものが怖くなる。そのへんが顕著に出ますね。
 年単位で同一キャラを書いていくきつさが、そのあたりで妙に実感します。




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